構成: 前文 / 前提整理 / 賞体系変更案 / アドバイザリ
辛夷祭委員会幹部OBとして助言を求められたため、オンライン上で連絡をとることができた計5期分の委員長等の意見となっています。なお、辛夷祭は在校生のためにあるものであり、その意思決定に影響を与えることは望ましくないため、賞体系変更そのものについての是非はここでは検討しておらず、あくまで判断材料の提供にとどめています。
個人的な意見ですが、年齢差による能力の違いなど皆無に等しく、ただ年を取っただけの人間が優れた判断を下せるなどということは全くないと思います。つまり、OBOGの意見は有害な、「外野からの余計なおせっかい」以外の何物でもない可能性が高いです。
しかし一方で、唯一有益なものがあるとすれば、それは「こうしたらうまくいった/いかなかった」「10年20年、あるいはそれ以上経つと、こう考えるようになる」「高校の時の経験は人生を経るとこういう価値を持つようになる」という側面からの材料かと思われますので、お声がけを頂いたご光栄に預かり、以下のコメントを何かのご参考にして頂ければ幸いです。
過去のパンフ一覧、委員長に代々引き継がれる引き継ぎ文書等から遡った結果、各部門賞の種類は微妙に増減を繰り返しているものの、現状の賞の個数は少なくとも約20年間はほとんど変わっておらず、たとえば2014年の賞の種類は1998-2002とほぼ同一である。
「ほぼ」としたのは、現在は「辛夷杯」「3年演劇部門賞」「2年食販部門賞」「1年娯楽部門賞」「展示鑑賞部門賞」「中庭店舗部門賞」「中庭ステージ賞」「PR大賞」「外来者特別賞」となっているところ、「3年演劇部門賞」「2年食販部門賞」「1年娯楽部門賞」について、以前は特に学年の定めなどはなかったからである。
なお、辛夷杯は3年生演劇ユニットが、展示鑑賞部門賞は音楽部が受賞することが大多数である。ただし、「すべて」ではなく、たとえば1990年代には物販ユニットが辛夷杯を受賞したこともある。また、ユニットに関しては、2年生クラスが演劇を開催したこともあるし、3年生が物販ユニットを設営したこともある。
辛夷祭には他校の中高生や父兄、OBOGを中心に、その他一般客を加え、延べ2000~5000人の外来客がある。(天候により変動する)
(上記問題の解決策として考えられていること)
「辛夷杯、演劇部門賞、アイデア賞、宣伝賞、PR大賞」だけにする
辛夷杯は1~3位も表彰することにして、単体ではなく10位まで発表する
また、外来者は2票を投じられることにする。
○既存
○新規
多くの委員長・幹部OB・OGから寄せられたのは「アカウンタビリティ」の重要性でした。新しい試みを行うこと自体はとても価値ある一方で、すべての人が満足する賞体系を構築することは困難であるため、変更によるトライ&エラーのエラーのリスクを説明し、また、それによって得られるベネフィットがリスクを上回ることを委員会は説明し、生徒全体からの信頼を得る必要があるとの内容です。
その際に、辛夷祭委員会と生徒全体の目標が乖離していたら合意は困難になります。
たとえば我々OBOGの中には辛夷祭における大きな変更を行った年代がいくつかあります。そのうちひとつは、高校生活に絶望し中退しようとしていた人が委員長に指名されたことから、次のような戦略が立てられたことがありました。
「意味のないように思える高校生活は、その場に紐付いたかけがえのない思い出を積み重ねることでのみ有意義さと愛着を感じられるようになる」というコンセプトのもと、「とにかく盛り上げる。楽しさ、華やかさ、非日常さを演出し、記憶に残す」「各ユニットがしたいことは何でもできるようにする」という目標にもとづき、様々な変更が行われました。その過程で、既存のスケジュールの大幅な変更では在校生から疑義を呈され、活動資金を大幅に増額するために行った約20年ぶりの企業等からの外部協賛金獲得では教官から批判を受け、委員会自身があたかも1ユニットのように会場装飾・演出をしたことが摩擦を生み、演劇の演出上舞台の上で火気を使いたいというユニットのために学校側や消防当局と論争するなどの軋轢が生じましたが、最終的に終了後アンケートでは、内外から辛夷祭に高い評価を得ることができました。(一方で、花火を打ち上げられなかったことや、電気保安上の問題から活動中止ユニットを出してしまったことなど、委員会としての痛恨の反省もあります)
20年弱が経過して今もなお、「みんなの力で辛夷杯がとれた!」「あともう一歩で演劇部門賞だったんだよな」という悲喜こもごもとともに、自らの時間と力と意志を仲間とともに投入した思い出は記憶に残り、いまだに同窓会でしばしば話題にのぼります。賞体系をはじめとするさまざまな仕掛けが、そのような思い出を醸成するための装置として働いていてくれたとするならば、委員会メンバーにとってそれはこの上ない喜びです。
高校生活は辛夷祭のためにあるわけではありません。「辛夷祭委員会は辛夷祭を開催するためだけに存在する」「高いレベルの辛夷祭を開催することが最終目的である」と自己規定してしまうと、全校生徒との間に乖離が生じます。
辛夷祭委員会は何のために辛夷祭をマネジメントするのか。生徒全体に辛夷祭を通じてどのような利益を提供したいのか。そのためにどのような辛夷祭にしたいのか。今回の件で言えば、仮に今回の賞体系の変更で自分たちが受賞できる可能性が減るリスクがあったとしても、それを許容してでも達成したい、辛夷祭のあり方や、辛夷祭の向こう側にある生徒全体の目標は何なのか。そのミッション、より高位の目標を明確にする必要があり、それを行うのが最終的には委員長であるということを、OB・OGとしてはお伝えしたいと思います。
雑感。「祭」についての民族学的考察をしてもおもしろいかもしれないね。 多くの祭りは実は外部者は「おまけ」でしかなくて、あくまで共同体の中での祝祭として行われる。 強いて言...