雑感。「祭」についての民俗学的考察をしてもおもしろいかもしれないね。
多くの祭りは実は外部者は「おまけ」でしかなくて、あくまで共同体の中での祝祭として行われる。
強いて言えば古来は「神」が、もてなすべき「外部者」であって、それを満足させられる出来であることが求められた。
現代において生き残っている祭典でも、特に日本の中で行われる各種の祭りはだいたいが共同体が主役。外来者はただの観客。
※しかし例外もある。オリンピックなどは最もたるもの。ただし、古今東西問わずコミュニティーには祭りが必要とされているには何らかの理由があるし、オリンピックはコミュニティーを超えて行われているからこそ例外として成立しているのかもしれない。前者はゲマインシャフトから生まれ出るもの。後者は外交上の理由というゲゼルシャフト的要素から派生したもの。
共同体の中で共同体の構成員が最大限弾けた結果、ものすごいおもしろいものができて、そして外からも人を呼び寄せる。
そんな祭りが、今も残っているんだろうけれどね。
辛夷祭賞体系変更についてのアドバイザリ文書 構成: 前文 / 前提整理 / 賞体系変更案 / アドバイザリ ■前文 辛夷祭委員会幹部OBとして助言を求められたため、オンライン上...
雑感。「祭」についての民族学的考察をしてもおもしろいかもしれないね。 多くの祭りは実は外部者は「おまけ」でしかなくて、あくまで共同体の中での祝祭として行われる。 強いて言...