2015-04-21

http://anond.hatelabo.jp/20150420065000

雑感。「祭」についての民俗学考察をしてもおもしろいかもしれないね

多くの祭りは実は外部者は「おまけ」でしかなくて、あくま共同体の中での祝祭として行われる。

強いて言えば古来は「神」が、もてなすべき「外部者」であって、それを満足させられる出来であることが求められた。

現代において生き残っている祭典でも、特に日本の中で行われる各種の祭りはだいたいが共同体が主役。外来者はただの観客。

しか例外もある。オリンピックなどは最もたるもの。ただし、古今東西わずコミュニティーには祭り必要とされているには何らかの理由があるし、オリンピックコミュニティーを超えて行われているからこそ例外として成立しているのかもしれない。前者はゲマインシャフトからまれ出るもの後者外交上理由というゲゼルシャフト的要素から派生したもの

共同体の中で共同体構成員が最大限弾けた結果、ものすごいおもしろものができて、そして外からも人を呼び寄せる。

そんな祭りが、今も残っているんだろうけれどね。

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