今日、たまたま見つけたラーメン屋に入ってみたら、暑いからだと思うんだけど、働いている女性店員がTシャツを肩でまくって働いていた。
Tシャツをまくっていることは別にいいんだけど、肩に10cm四方ぐらいの入れ墨があった。
店員は愛想の良い感じで入れ墨以外に何の問題もなかったんだけど、僕は嫌だった。
半袖Tシャツの下にある入れ墨が見えたんだったらまだいいんだよ。客商売なのに隠す努力を怠っているのが気持ち悪かった。
まくったTシャツから見えた入れ墨のせいで、店に対する不信感が生まれた。この店は清潔なんだろうか。ちゃんと調理しているんだろうか。
店員が入れ墨を客に見せてもOKみたいな店ではご飯食べたくないよ。もう行かない。
大津市教育委員会教育長の給与等に関する条例(昭和31年大津市条例第22号)によると、1,250万円超もらってるそうな。
http://www2.city.otsu.shiga.jp/reiki/reiki_honbun/x400RG00000571.html
計算できる範囲では、年額1,258万1,184円也。
これだけもらっりゃ、諸々の責任認めて辞任したくない!と考える奴もいるかもしれない。
早速検討すると、「給与」は、①給料、②地域手当、③期末手当、④通勤手当から成っている(2条)。
(給与の種類)
①の「給料」は、月額736,000円也(3条1項)。
(給与の額)
②の「地域手当」は、月額73,600円也(3条2項)。
③の「期末手当」は、6月支給分が1,360,128円、12月支給分が1,505,856円也(3条3項)。
3 教育長の期末手当の額については、大津市一般職の職員の給与に関する条例(昭和32年条例第21号)の適用を受ける職員(以下「他の一般職に属する職員」という。)の例によるものとする。ただし、期末手当の額の算定に当たっては、同条例第20条第2項中「100分の122.5」とあるのは「100分の140」と、「100分の137.5」とあるのは「100分の155」とし、同条第4項の期末手当基礎額は、給料及び地域手当の月額の合計額に、給料及び地域手当の月額の合計額に100分の20を乗じて得た額を加算した額とする。
→期末手当基礎額:971,520円(=(736,000円+73,600円)*1.2)
→6月支給分:1,360,128円(=971,520円*1.4)、12月支給分:1,505,856円(=971,520円*1.55)
参考:大津市一般職の職員の給与に関する条例(昭和32年大津市条例第21号)20条2項
http://www2.city.otsu.shiga.jp/reiki/reiki_honbun/x400RG00000156.html?id=j20_k2
2 期末手当の額は、期末手当基礎額に、6月に支給する場合においては100分の122.5、12月に支給する場合においては100分の137.5を乗じて得た額に、基準日以前6箇月以内の期間におけるその者の在職期間の次の各号に掲げる区分に応じ、当該各号に定める割合を乗じて得た額とする。
(2) 5箇月以上6箇月未満 100分の80
(3) 3箇月以上5箇月未満 100分の60
(4) 3箇月未満 100分の3
で、〆て、1,258万1,184円也。
∵給料8,832,000円(=736,000円*12月)+地域手当883,200円(=73,600円*12月)+期末手当2,865,984円(=1,360,128円+1,505,856円)
ちなみに、退職手当は、大津市長等の退職手当に関する条例(昭和54年大津市条例第2号)3条参照。
http://www2.city.otsu.shiga.jp/reiki/reiki_honbun/x400RG00000171.html?id=j3
(退職手当の額)
第3条 市長等に対する退職手当の額は、退職又は死亡した日においてその者が受けるべき給料月額にその者の在職月数を乗じて得た額に、次の各号の区分に従い、当該各号に掲げる場合を乗じて得た額とする。
なにそれ、どういうロジックでそうなるん?
告白されたら良い感じの異性でも振るよな
横だけど、その「誰も反応してくれない」とかいうボヤキを無視すれば済む話じゃないの?
俺なら確実に無視するがなあ…。
いや、何が言いたいかというと、世間一般的にはそのくらい人間関係に気を使うのが当たり前なのか?ということ。
一応アカウント持ってて60人くらいフレンドがいるけど、
自分にとってのトラウマは、他人にとってはとってもいい思い出だったりするんだよね。
というか、高校2年の時の記憶全て、思い出したくもない。
それまでは、それなりに仲良くなれる人がクラスに必ず数人いた。
だけど、その年だけは違った。
ギャルっぽいノリのねーちゃんたちの中に、内気な女子(オタク)が混ざったと書けば、
仲いい友人はみんな文系コース。自分だけ理系。そりゃークラスが違って当然だ。
仲いい友人はみんな放送部。自分だけ演劇部。部活での接触だってない。
(ただ、進路選択も部活も、自分の選択を後悔したことはありません。やりたいことはやったので)
実際のクラスに行ってみなきゃ分からない!と思って始業式に臨んだけど、見事に波長が合わない人ばかりでまた泣いた。
「元2年2組はとっても仲が良かったって聞いたよ!毎年同窓会してるんでしょ?」
一度も呼ばれたことねーよ。
最後にクラス冊子を作ったけど、本当に書くことないから呪いの言葉を一行だけ書いて出した。
このクラスでいいことなんて一度もなかったって書いてさ。
こんな自分でも冊子をもらったけど、中身を見たら、妬ましくて憎くて仕方なくなって、その日のうちにばらばらに切り裂いて捨てた。
青い海の沖縄へ、3泊4日の旅。
1年生のときにさ、仲いい友達数人と約束してたんだよ。同じグループになろうねってさ。何度も確認したんだよ。
結局駄目だったけど。
実際はただ忘れていたんだと思う。裏切りとかではないと思う。
仲良しの友人らは、新しいクラスの友人らと一緒にグループを組んでいて、私の入る隙間なんてなかった。
どこのクラスにも、イマイチ雰囲気に馴染めない「余り物」っていうのが存在する。
自分たちがどことも馴染めない、どこからも必要とされていない存在だっていうのが悔しくて
(必要とされていない、は言い過ぎかもしれない)
余り物でもめっちゃくちゃ旅行楽しんでやるぜー!って感じで張り切った。頑張った。
力の差ゆえの理不尽な要求は呑まざるを得なかったけど、
(ギャルなねーちゃんに部屋の交換のことを言われたらNoとは言えなかった……)
それ以外ではもう吹っ切れて行動した。さすがに旅行前の下準備+3泊4日の間、行動を共にしていると、
今までそんなに顔を合わせたことのない面々もめっちゃくちゃ仲良くなった。
3日目の夜は最高に楽しかった。「私たちが一番楽しんでるよね!」とか言い合ったりした。
ここで終われば、いいお話だったね、で終わるだろう。
いつまでも引き摺る自分が女々しさこそ憎むべきだし、無くすべきだと思う。
最近、高校のときの友人(1年のときの仲良しな友人ら)とよく食事をする。
その度に、もやもやが広がっていく。そうだね、君たちは、何も気にすることなくただ楽しんだよね、きっと。
この前、「増田も同じ班だったよね、いやー、最高だったよね!」なんてことを言われたから、思わず
「違うから!私にとって修学旅行はトラウマだから!」と言って、話題そのものを断ち切ってしまった。
私にだって、楽しい思い出がたくさんあったのに、トラウマなんてことはないのに。
それと同時に、そんなに楽しかった思い出が、友人らの脳内では大変都合よく改変されていて、
なんといいますか、楽しければ記憶って曖昧になるんだなと思った次第でございます。
忘れたいのに未だに忘れられないトラウマと、忘れたくないのに忘れていく楽しい思い出。
逆だったら良かったのにね。本当に。
メインのTLは完全に非表示にしてるけど、たまに反応してやらんとうるさいからそういう人専用のTL作ってる。で、一週間に一度くらい見てLikeをおしたりしてる。
facebookのタイムラインが、連日お前の書き込みだらけになる。
お陰で、たまに書き込む他の人の書き込みが表示されない。
だから非表示にみんなしてるんだ。
それを、何も反応してくれない、などと書かれても、こっちも困るんだ。
だからfbはたまにしかログインしていない、としか言わざるを得なくなる。
しかも最悪な事に、最近は足跡機能もつけ始めたらしいじゃないか。
もう本気でfb止めようかと思う。
多くの人たちが見落としがちなのは理想郷(ユートピア)というのは恐ろしく退屈で憂鬱な場所であるという点なのだ。
なぜなら人は何かを改善しようとするとき、困った人を助けるとき、人とは違う何かをするとき、に充実感を得てイキイキとできるからである。
理想郷(ユートピア)には困った人がいなくて、改善し尽くされてて、人と違う何かをする余地はない。
でも、それと同時に本当は理想郷(ユートピア)に達してしまうのを内心恐れているように見える。ある意味、共依存と言えるかも・・
楽しみ方が変わるって大切。
孔子曰く「若者よ、家庭では孝行、外では悌順、謹んで誠実にしたうえ、誰でも広く愛して仁の人に親しめ。そのように実行してなお余裕があれば、そこで書物を学ぶことだ。」
哲学は道楽。それで人生を狂わした人間を何人も知ってる。哲学出身の人間にはニートが多い。
一日のやるべき事をきちんとやり、一日の当たり前のことを当たり前にこなす。それで余裕があり、深入りせずに趣味程度に哲学の本を読む。それくらいなら丁度いい。
深入りしないように最初から結論を書くと「人の数だけ真実がある」。これを哲学者の人数分だけ言い合ってる業界。そんなもん。
この見方自体も「私の真実」であって、他の人の真実では無い事もよくある。そんなもん。
様々な人の物の見方を見る事は役に立つ事もあるが、だからといってそれを「絶対」と思い込むと人生おかしくなる。まぁ、そこらへんは気をつけて楽しんで。
やれ海にいった、やれBBQをした。すごく楽しそうです。
大人になったんじゃないの?
っていう気持ちがぬぐえません。
同じ面子で同じことしてんだろうな。
そんなことを考えていたら、吐き気をもよおした。
年とってもいいことないんだなー。
BBQで食う肉の値段があがったって、楽しさが増すとは思えない。
初めて自転車で海に行った思い出、初めて夏フェスに行った思い出、
そういうのに勝てる夏の思い出がこれからできるんかな。
もうとっくに自分は特別だなんて思える年じゃなくなって、
なかなか生きづらいです。
おいおい、本当に運がいいってのは「美少女でちょっぴりHな幼馴染」の家庭と、家族ぐるみで付き合っている家に生まれることを言うんだぜ。