はてなキーワード: フーテンとは
ブコメとかトラバとか読んでて思ったけど上がってくる作品を見るに
フィクションの「ダメなおばさん」が特別そこから抜け出しもせず不幸にもならずダメなまま楽しく生きてて許されるためには
なにか一仕事(子育て・介護等含む)終わらせたり社会的な地位はあったりそれはなくとも
なにかひとつ肉親とのしがらみがあったり自分で作ったお金があったりしないとならないんだなという気がする
そこまでしてやっと「楽しく」の部分がやや成立する作品が多いように思う
ジャンルとしての「ダメなおじさん」作品にみられるようなマジなフーテン(死語)ではだめなんだろうな
というかそれだと物語として成立する前にその女性は死んでいそうだ
元の増田もそのあたりの社会に当たり前にある価値観によってだめなおばさんは許されてない的なこと言いたいのかなって気がしたけど
ブコメで上がってくるような作品のたいていを女性作家が描いていて
実際にはいるだろう人たちの「ダメでもいい」「女も別にこうでいい」的なものを肯定するために意図を持って描いてる気がする
それはそれとして今思い出してみるに入江紀子「のら」はわりとフーテンというか年齢不詳住所不定の女の子の話だし
(おばさんではないし周りに気づき的なものを得させるための象徴的な表現だけど)
篠有紀子「ななこハウス」は職なし、男なし、家族なしの紛うかたなきダメ女がダメなまま楽しく生きる話だなと思って
まあないこともない、と思った (やっぱりおばさんではないのだが)
深酒のすえに女子高生に危害を加えてしまった某アイドルのせいでアル中に注目が集まっている模様。
アル中というと思い出すのは母方の祖父のことである。といっても、祖父は私が産まれる8年ほど前、母が高校生の頃に亡くなっているので、私は遺影と祖母の持っていたアルバムでしか祖父を知らない。
祖母がしばしば私の事を祖父に似ているとほめちぎっていたけれど、顔はあまり似ていない。ま、血は繋がっているのでパーツパーツに似たところはあるんだけれども配列の妙で私は祖父の様な美貌にはならなかった。
祖父の死因は祖母や母がいうには「チュウキ」とかいう病気だったらしい。辞書によれば「中気(チュウキ)」とは脳卒中とその後遺症の事をいうらしいけれども、祖母と母の説明では「手がこうずっとぶるぶる震えるのが止まらなくてしまいに死んでしまった」という事なので、脳卒中というよりはアル中に命を取られたのかもしれない。じわじわと寝たきりになって衰弱していった様な話だったし。
アル中というと壮絶なイメージがあるけれど、祖母や母や伯父伯母が祖父を悪く言うことはなかった。定職につけない風来坊でどうしようもない人だったから自慢出来る様な人ではないけど、と苦笑いで語られる祖父は、私にとっては謎めいたヒーローなのであった。
祖父はとても手先が器用な人で、気まぐれに子供たちに絵を描いてみせたり包丁で野菜に細かい彫刻をほどこしてみせたという。若い頃はいわゆるフーテンで、あちこちをふらふら旅して回ったとか、どっかの置き屋から連れ出してきた美人を最初の妻にした(後にその女性は病気で早逝したようだ)とか。自分の住む家を自分で設計して自分で建てちゃったとか。
そして祖父は非常に子煩悩であり、特に末っ子である私の母の事を溺愛していて、貧乏にもかかわらずそろばんを習わせたり地元の名門高校に通わせてやったりした。といってもその資金を出したのは、虚弱体質とアル中が原因であまり働けなかった祖父ではなく主に祖母なんだろうけど。
祖母は若い頃かなり猛々しい性格の人だったそうで、家庭を支える為にバリバリ働いていたし、伯父の奥さんが怖がって口をきけないほどだったんだけど、どうも祖父には甘かったようだ。
伯父がいうには祖父はよく隠れて酒を呑んだのがバレて祖母に怒られていたそうなのだが、その時の事を語る祖母の口調にはあまり深刻さがないというか、「うちのとーちゃんはほんとしょうもない」と笑って言ったものだ。
祖父が呑んでいるところを祖母に見つかった時の口調を伯父が真似して見せてくれた事があった。
「呑んでない、呑んでないよ。これ水、水水」
祖父は酒豪の果てのアル中だったが、呑んで暴れたり人に暴力をふるったりするタイプではなかったらしい。ただ淡々と顔色変えずに呑んじゃうザル。従兄弟と私の妹がそういうタイプだが祖父も同じなんだろう。祖父の血を継いだ子供や孫達はあり得ない程の下戸の私を除いて皆大変酒に強いが、皆飲むとやや機嫌のよい感じで寝転がっている。
そういう穏やかな酒癖のせいで、アル中になるほどとことん呑んでしまう、というのもあるのだろう。祖父がまさにそれだった訳だ。
ただのほほんと機嫌よさそうにしてるから良いという訳ではなく、それでも酒の毒で手は震え、次第に体が衰弱していってしまったのである。
祖母は、私によく祖父の面影を見付けては喜んでいた。魚と梨を好んでよく食べる事や、絵を描いたり工作をするのに熱中していた事に。
私があたり目やきんぴらごぼうをむしゃむしゃ食べているのを見て、祖母は「やっぱりとーちゃんの孫だ。大きくなったら飲んべえになるぞぉ」と暢気に言った。酒が祖父の命取りなったというのに酒無くしては祖父にあらず、なのであって、祖父の生まれ変わりとも言われる私が酒豪にならないなど、祖母の中ではあり得なかったのだ。
だがしかし、私は祖父のほうではなく父の家系に似てしまって、酒は全くといっていいほど飲めず、お陰さまで酒の上の失敗とも永久無縁なのである。やらかす前にぶっ倒れて死んじゃうので。
祖母は私を祖父の生まれ変わりと言いながら、もし祖父が今も生きていたらという話もした。あれだけ私の母を可愛がっていたのだから、私の事も目にいれても痛くない程に可愛がっていたはずだという。
つまりもう一人の私に可愛がられる
私、とは。私は幼児のうろんな頭なりに考えた。仏壇の中にいる、私にはとても似ていないのに私と同じ魂を持った人の事について。
もしじいちゃんが生きていたら、どんなに楽しい遊び相手になっていた事だろう、と。でもそれはあり得ない事なのだ。私がここに存在している以上は。それなのに祖母や母の中にはまだ生きている人の様に存在していて、しかし絶対に意思を確認することの出来ない不思議な人なのだった。
じいちゃんは本当に私を可愛がってくれるの?
転機はプリパラが終わった時だったように思う。
生きがいがなくなった。
自分は何のために頑張ってきたのかという疑問が、頭から離れなくなった。
思い返せば、プリパラが楽しかったこと、冬コミに参加したこと、そして冬コミに参加したことだけが走馬灯のように浮かんでは消えゆく。
茫然自失のまま、僕は新年度を迎えた。
下ろしたてのスーツにまだ値札が付いていそうなフレッシャーズが、屈託のない瞳で笑う。
(僕もあんな風に笑えていた……)
当てこすり、だったのだろう。
勤務中に社用PCで辞表を書き、会社の印刷機から出力し、昼食時に上長へ提出した。
ちょうど課員全員でランチを食べている時である。憔悴しきっていたのだ。TPOもマナーもあったものではない。
焼きそばを食べていた上司は箸を置いたが、食事の場で慰留するわけにもいかず、口元に青のりをつけたまま終始唖然としていた。
夕礼後、退職事由を聞かれた時は「夏コミに参加したいから」と答えた。「プリパラが終わったから」より前向きな回答だと思ったのだ。
仕事を、辞めた。
膨大な可処分時間に窒息させられることはなかった。
同人誌の絵を描き、新人賞へ投稿するラノベを書き、アニメをチェックする。
昼は瞬速で後方へ飛び去り、日付が変わる頃に意識がなくなり、ニチアサが始まる時間に目覚める。
変化のない、循環的な時間に飽くことはなかった。社畜時代も、やることは違えど会社と自宅を往復して毎日をすり潰していたのだ。
悔いがないと言えば嘘になる。
しかしもし、プリパラの最終回があった朝にタイムリープしても、僕は仕事を辞していただろう。
仕方のないことだった。
自分が気づかぬうちに頭のブレーカーがいくつも落ち、他にどうすることもできなかった。必然だったのだ。
今はひたすらサブカルに耽溺している。
同人で食べていけるとは思っていない。ラノベもせいぜい一次選考通過が関の山だろう。
しかし不思議と、路頭に迷う自分はイメージされない。『ぼんやりとした不安』もない。
人間を人間たらしめているのは文化である。余剰だ。無駄と言い切っても良い。
僕は今、確かに生きている。それだけで幸福だ。