はてなキーワード: HINOMARUとは
デモをすると言っている園良太って界隈では割と有名な人っぽいな。
ラッドウィンプスがHINOMARUを釈明した。「一つの嘘もありません」は反省になりません。日の丸御国御霊は、政府が若者に戦争させるために作り、アジア市民を数千万人も殺させた嘘だから 同曲を廃盤にし、2度と歌わないと表明を。それが反省です
要求行動:6月26日17時~神戸ワールド記念ホール前 pic.twitter.com/oKhlzaeJ68— 園良太@3.11関東からの避難者 (@ryota1981) 2018年6月11日
HINOMARUとかいう曲は愚にもつかないものだし、こういう反応を想定してなかったとするならバカだとしか言いようがないが、謝罪してしまったらこれは「バカですみません」と謝罪していることになる。バカはバカとして生きていく権利があるのだから誰にも謝罪する必要などない。
ただ、自分がバカだということにちゃんと気づかないとまた似たような問題起こすからちゃんと自覚しとけよというだけの話。
なお、糞みたいな思想をまき散らすのも自由ならそれを滅多打ちにするのも自由だから批判者側にはなんの問題も無いというのは当然の前提。
HINOMARUを否定するにしたってさまざまな態度や論拠があるのに
「日本の歴史を否定したいからHINOMARUも否定した」というふうに統合している、
つまり「日本の歴史を否定してほしがってる」のはそちらなんだよね。
「こんなに全てを否定されたらアイデンティティがない」って嘆いてる。
寿司でも食ったらいいと思うよ。
RADWIMPSが好きだ。
2年に一度ライブに行く程度だし、曲も全て知ってるとはいえない。
CDも気が向いたときや好きな曲、アルバムくらいしか買わない。
だけどなんだかんだもう、10年以上もずっと聴いているし、自分の中で好きな邦楽ベスト10のうち4つくらいはRADWIMPSの曲がランクインする。
洋次郎の言葉は10代のころの私を形作ってくれたと思うし、今でもそう思っている。
たとえどんな変な曲を出しても、やっぱりRADWIMPSと洋次郎の紡ぎ出す言葉の世界が大好きだから、最終的には曲も好きになる。
最近あんまり音楽そのものを聴かなくなっていたので、情報も集めていなかった。
ツイッターのTL上でRADWIMPSの新曲について触れているRTが回ってきて、どうやらRADWIMPSの新譜のカップリング曲が物議を醸しているらしいということを知った。
2016年に前々前世が映画のタイアップとして大ヒットになって(個人的には映画自体が壮大なRADWIMPSのMVだと思ったが)、それ以前より多くの人がRADWIMPSについて興味を抱き、好きになった。
もちろん冒頭に述べた通り、RADWIMPSは一見(一聴)しただけでは分かりづらい曲も多いし、取っつきにくいやばい曲も存在する(五月の蝿とか笑)
だけどどうやら今回話題になっている曲は、ちょっと今までのソレとは毛色が違うらしい。
正直に言います。
私はこの曲を許せません。嫌いです。
きっと一生好きになることはありません。
リリース当日に洋次郎が発言した、まっすぐに届きますようにっていう発言。
違うんじゃないの?って思って、悲しいやら腹立たしいやら悔しいやらで涙が溢れた。
何回も何回も歌詞を読んで、洋次郎の言葉を咀嚼したけど、どうしても私には理解できない。
今までの洋次郎の言葉を考えてみても、この曲だけは、全然かけらも理解できないしいいとも感じられない。
もちろんこの曲をいい曲だ、好きだと言っている人もいるし、その人たちを否定する気はない。
だけど、この時機で、この言葉で、この曲を書いてほしくなかったしリリースをしてほしくなかった。
ファンの色目もあるかもしれないが、RADWIMPSは今やほとんどの中高生が知っているバンドだし、好きなバンドのひとつだと思う。
その、影響力を、インフルエンサーとしての自覚を、洋次郎はきっと望んでないかもしれないけれども、リリースする前に持ってほしかったし、周りもちゃんと考えてほしかった。
もちろん、愛国心はいけないものではないけれど、盲目な愛国心ほど危険なものはない。
たった半世紀の間に二度もだ。
そのあとはイデオロギー、主義主張をめぐってあわや地球の危機にまで陥った。
そして翻って、今の日本の子どもたちに、盲目的にならないくらいの考える力はあるのか?
過去に日本が行ったことに対して、単なる受験に必要な暗記事項としてではなく、世界を構成してきた歴史として考える力が、果たしてどれくらいあるのか?
大人やメディアやSNSの言ったことを鵜呑みにしない思考力があるのか?
(もちろんこれは大人にも言えることだが、RADWIMPSの影響力や、people who live in Japan の将来のことを考えた場合に子どもとしている)
たかが歌詞ごときで、カップリングの曲ごときでと笑う人もいるだろう。
だけどそれは、過去に学ばない理由にはならない。正当化する理由にもならない。
特に今のご時勢、世界のどこもきな臭くて、戦争する理由を探している人が一定数いる。
謝罪してほしいわけじゃない。
撤回してほしいわけじゃない。
ただ、RADWIMPSにも、洋次郎にも、そして一番はファンにも、その言葉の持つ辞書的なもの以外の意味を、もう一度考えてほしい。
どうも長くなってすみませんでした。
この手の血統による選民意識を擽る歌って昔からあったよね。「東京生まれヒップホップ育ち」って部分だけが切り取られるあの曲だって、実際には「父と母に感謝」「日出ずる国に生まれ育ち」みたいな事が歌われてる。
HINOMARUが他の同類の曲よりもなんか気持ち悪いのって、身の回りの人への敬意とか土着的な愛国心とは離れた、フワフワしたネトウヨ史観というか、都合良く編集・抽象化された「ぼくのかんがえたかっこいいにほん」っぽさが拭えないから。そして、幼稚で自己肯定感が低い人ってこういうのを好みそうだから。「例のラノベ」に近いものがある。