名前を隠して楽しく日記。
嫌いな作家がいる。
嫌いと言っても、作品はひとつも読んだことがない。Xで本人の発言を見ていて人間として死ぬほど嫌いになっただけだ。
Xのポストを見る限りでは、この作家は日和見クソ野郎でしかない。
その時々で話題になってるネタに乗っかって多数派に媚びを売り、インプレを稼ぐことだけに特化したSNS運用だ。俺の見立てでは嘘松もかなりやってる。
こういう薄っぺらい人間が良い小説を書けるとはとても思えないのだが、驚くことに、作品の感想やレビューを見ると好意的な評価が多数並んでいる。特に最近出た新作などは、ジャンルの歴史を塗り替えんばかりの大絶賛の嵐である。
あの小狡い人間が?そんな傑作を?
どうにも信じがたいのだが、そこまで褒められてるとさすがにちょっと興味がわいてきた。書けるわけがない、メクラな大衆の過大評価だろうという意地悪な気持ちもある。
目標設定ってもっとざっくりしていて、「今年は売り上げアップ!」とか「新規プロジェクト頑張る!」くらいのノリでいいんじゃないかと思う。
でも、うちではそんな甘い考えは通用しない。
何が「売り上げアップ」だ、具体的にいくら増やすんだ? どのプロジェクトで、どのクライアントをどう攻めるんだ?
「頑張る」ってのは何時間かけてどんなアクションをすることなんだ? そう詰められて、気づけば目標設定のために一週間くらいかける羽目になる。
最初に草案を出すと、たいてい上司から「具体性が足りない」と返ってくる。
次に具体的な数字を入れてみると、「それだと達成可能性が低いから現実的に見直せ」と言われる。
ようやく数字を直して提出すると、今度は「この目標だと君の成長が見えにくいから、もっとチャレンジングな内容にしてほしい」と返される。
このやりとりを何度も繰り返していると、だんだん何のために目標を立てているのか分からなくなってくる。
しかも、目標設定のフォーマットがまた厄介だ。詳細なプロセスを書き込む欄があれば、達成可能な理由を書く欄もあるし、
途中で起こりうるリスクとその対策まで求められる。まるで戦略会議かのような書類を一個人がひとりで作るわけだ。
「このフォーマット、本当に必要なんですか?」と聞いてみたことがあるけど、
「社員一人ひとりが戦略を考えられるようになることが重要だ」とかいう、なんとも納得しがたい答えが返ってきた。
いや、それを考える時間で普通に仕事したほうが会社のためになると思うんですけど。。
しかもこれ、全社員がやらされるのだから、会社全体でどれだけの工数が目標設定に割かれているのかと考えると、
恐ろしくなる。会議室で「この目標のここの部分が曖昧だからもう少し具体的にしてくれ」と言い合っている間に、
もっと生産的なことができるだろうに。目標設定が業務の最優先事項と化している今の状態、明らかに本末転倒だと思う。
結局、目標設定が終わるころには燃え尽きたような感覚になって、実際の仕事に取り掛かるころには
「あれ、これ何のためにやってたんだっけ?」となる。これで年末には「目標にどれだけ近づけましたか?」と尋ねられるわけだから笑えない。
しってるけど背景の植え込みすら補完できてないし指いつまで6本かいてんの 足は2本でいいやで
ytv漫才新人賞を見てるとM-1予選と同じネタやってる組が多かった
尺の違いでほんの少しネタの足し引きはあれども、それがポイントになっているわけではない
よくよく考えると
という違いがある。細かい動きや表情が見えるか否か
ピンマイクも無いし拾ってくれるガンマイクも無いから、サンパチから離れると声が消えてしまう
そんなだから必要以上に声を張る。元々がなるタイプの芸人が更に声を張る。結果「うるさいだけ」という状態に
M-1に出る人は大体がプロだから、その辺考えてネタやってるだろうけど
それでも「テレビで見れば面白い」っていう残念な状態になっている芸人が割と居る
劇場っていうのは本当に難しいものなんだなと思う(その日の客層はもとより、天候だのなんだのまで関係してくるだろう。それらを総て考慮して漫才掛けないといけない。繊細な仕事だ)
だれでも歳をとるんやで