20代後半になって婚活に踏み切り、生まれてはじめてまともにデートをしている
会っても中身のない会話しかできない
恥ずかしさのあまり死にたくて仕方がなくなる
されてきたしされてるからそんなことができるんだとおもうぞ
なんかちょっとなポイントで駄目なのはわかる。でも4人目みたいな分単位の旅行スケジュールとか価値観の不一致のようなものは結婚までも結婚しても数限りなく出てくる。それまで別々に生活してきたから掃除や洗濯の仕方、買い物の内容、食事や趣味や遊びに使うお金、実家との付き合い方とか違って当たり前。それを最初からクリアできてる相手は出てこないと思う。価値観の違いが分かった時に相手が違いをすり合わせてくれる柔軟性があるか確認できればちょっとなポイントから除外しても良いと思う。
嫁の兄の嫁が浮気したり金盗んだりして離婚、嫁の兄が病んで体壊してるので甥っ子(幼児)を預かってるんだけど
・猫を蹴る 注意したり優しくよしよししてねと教えても躊躇なく蹴る(現在は猫を守るため隔離)
・少しでも思い通りにならなかったら爆音で叫ぶ
・iPadを何度も何度もぶん投げる
・↑ので取り上げて隠すとまた出すまでずっと泣き叫んでる
・寝てたら普通に顔を叩いてくる
これってだいぶ育てにくいほう?それとも普通?
特に何も変わる気がないのに「一緒にいて幸せ」になれる人と出会いたいって流石に甘ったれてないか?
それ、自分のこと全肯定してくれる人と出会いたいって言ってるに等しいぞ
20代前半ならわかるけど、30代後半でそれだと流石によほど相性がいい人でないと無理だし、いくら相性が良くても違う人間なんだからちょっとした家事で揉めた時にすぐ別れそう
Appleさん、権利的に問題のない訓練データを用いているのはもちろん、「あなたの情報を利用することもない」と宣言していて、反AIさんたちでも安心して使えるAIなのに…
本人に直接聞けよ
当時はスマホなんてなかったし、小学生が携帯持つ文化もなかったから、みんな写るんですを持って行ったんだよね。
だから当然俺も持っていってさ、でも普段写真撮らないから撮るタイミングが分からなくてさ、
鹿児島に2泊3日だったんだけど、街中をバスで移動中に西郷隆盛像があったんだよね。俺は歴史好きだったし、これを撮ろうと思って、なぜか3回くらいシャッターを押して、バスの通り過ぎるタイミングで、左半身、正面、右半身の西郷隆盛が撮れた。
隣の友達はそんなの撮って意味あるの?みたいなこと言ってたんだけど、自分のなかでは修学旅行の貴重な思い出の一部?みたいに感じたんだよね、西郷隆盛が。
でもさ、そのあとにその撮った写真を見た記憶が全然ないのよ。家のアルバムとか探しても西郷隆盛のさの字もない。ていうか修学旅行の写真自体が無い。なんで?と思ったけど、多分現像してないんだよね。
ここからはだいぶあやふやな記憶、ていうかほぼ想像なんだけど、当時の俺は修学旅行が終わって家に帰ってから、魔法が解けたみたいに意味のないものばかり撮ったことに気づいたんだろうね。西郷隆盛どころかそこらへんの普通の橋とか撮ってた気がするもん。
で、俺もだいぶ飽きっぽいから、写るんですをそのまま部屋の棚とかに置きっぱなしにして、大掃除とか何かのタイミングで現像せずに捨てちゃったんだろうね。
だからあの時に撮った右半身、正面、左半身の西郷隆盛は永遠に見つかることはなくて、それを撮った記憶だけがこうして残っていると。
その時の修学旅行、鹿児島で何をしたかとか何も思い出せないんだけど、西郷隆盛とか変な記憶だけは残るものなんだなあって思った。
酒飲んで酔っ払って思い出したから、忘れないようにここに書き残しておく。
死んだのはニーチェ本人の方なので