子供の頃は大人になれば嫁と子供に囲まれた幸せな日々が来ると想像していたが、気が付けば待っているのは間近に迫った親の介護だけ。
ウチの母は、40年前に産休育休取るだけ取って辞職したよ。最初からそうしなさいって言われてたらしい。
そもそも子供が病気になったり、保育園に入れなかったり、年単位休めば環境が変わって当たり前だ。
申し訳ないと思いこそすれ、責められる謂れはないし、引け目に感じることもないだろう。
まあ、筋は通した方がいいと思うけど。
どうも最近気づいたのだが、私には母の愛は無償の愛だという強烈な刷り込みがあるらしい。
なんでそんな刷り込みがあるかと言うと、母から十分に愛情を注いでもらえなかったからだ。いや、そう言うと的を外すか。母にもっと自己犠牲的に尽くしてもらいたかったし、それを実際に口に出して言ってしまったくらい酷い子供だったからだ。
しかし、無償の愛だというものは幻想なのだろう。あたしおかあさんだけど、と語る人たちを見ているとよくわかる。彼女らが語るのは、子供のために自分を犠牲にすることはできないという現実である。
それだけのはずなのに、あたしおかあさんだけど、が見せてくる現実が怖すぎる。
小学生の頃、毎年運動会が父の趣味に関するイベントと日程が被るからと嫌な顔をされたこと。
高校受験や大学受験の時、自分の進路については何も聞いてくれないくせに友達の子供の進路や現況を逐一報告してきたこと。
家族揃って行ける最後の旅行にその友達一家と行くことを勝手に決めたこと。
もうとっくに消化して気にならないことになっていたはずなのに、口論になった時や父への不満が溜まった頃にふっと嫌な気持ちが蘇ってくる。
記事を見る限り有能さは伝わってくる。が、修士になった途端研究室で馬車馬のように働かされて学部生よりも研究に対する指摘をたくさん受けるようになる研究室もあるし、「自分が非難されているように感じる」という部分をどうにかできなければ、修士行ってもただただつらいだけな気がするぞ。
真正面から離婚を切り出したら、相手に逆上されて刃物を突き立てられそうだし黙って距離を取るしかないだろうな。
でも上手く逃げられたとしても「あいつがいつか自分を殺しに来るかも」と一生怯えて生きなきゃいけなくなるな。
妻がこの世からいなくなってくれないと完全に安心はできないだろう。
だから「あー、妻を誰かが×してくれないかなー、勝手に自分から×んでくれねーかなー」って感じのことをよく呟いてるんだと思う。
最近上司から結婚相手探さないのかとか見合いするのかとか茶化されることが増えた。
すごくめんどくさい家なので、なかなか見つかりませんね〜はは〜と誤魔化してやりすごしていた。
そしたら今度、好きになった人が条件を飲んで結婚してくれない人だったらどうするの?と言われた。これには困った。
私は、今までの人生、好きになったというのか…?いや、友達とはちょっと違う感情を抱いたのかもしれない…?みたいな人間が数人いた事はあるが、恋愛感情というものがよくわからない。性欲もない。ノンセクシャルかアセクシャルなのかと悩んだこともある。ただ、生きていく上で結婚はしたいし出産もしたいけどプラトニックでいたいという、超絶わがままな人間である。
なんというか、恋愛感情を誰かに抱くのが普通で当たり前ことであるというのを見せつけられ、お前は異常なのだと突きつけられ続けるのがつらい。どうしたらいいのだ。プラトニックな関係で結婚してくれてめんどくさい親戚と付き合ってくれる神のような存在なんかいるのだろうか。
眞 子 さ ま 結 婚 延 期