どうも最近気づいたのだが、私には母の愛は無償の愛だという強烈な刷り込みがあるらしい。
なんでそんな刷り込みがあるかと言うと、母から十分に愛情を注いでもらえなかったからだ。いや、そう言うと的を外すか。母にもっと自己犠牲的に尽くしてもらいたかったし、それを実際に口に出して言ってしまったくらい酷い子供だったからだ。
しかし、無償の愛だというものは幻想なのだろう。あたしおかあさんだけど、と語る人たちを見ているとよくわかる。彼女らが語るのは、子供のために自分を犠牲にすることはできないという現実である。
それだけのはずなのに、あたしおかあさんだけど、が見せてくる現実が怖すぎる。
「母親に無償の愛を注がれなかったから母親の愛は無償の愛だと刷り込まれた」って なんか怖いね。 え、逆じゃないんだ?って…。
もっと愛して欲しい、だって母の愛は無償の愛のはずでしょう?という問いかけばかりしていたのでそう刷り込まれてしまったのです。
なんか…その感覚のままで親になっちゃうと、良かれと思ってしたことに子供が逆らったら 「なんで母親の無償の愛がわからないの?子供は親の愛が欲しいはずでしょう?なんで嫌がる...
そうなってしまうんですかね。 たとえ子供が逆らってもそれを受け止めることが愛情だろう、くらいの気持ちはあるんですが。 ちなみに、あと2週間もしないうちに母になる予定です。