midomiを使え。勿論マイクは買ってこいよ
ぱよぱよちーん?の時に共産党から日当が出たと書いた人がいたが、
それをシールズの誰かがツイッターに書き込んだ時点で事件になる。
目先の利益に釣られて、日当出したら間違いなく終わる。
ちなみに日当が出ないとシールズの大半は間違いなく消える。
ここが難しいところだ
今すぐ死ね
常識で考えれば最初のこの発言は責任転嫁を悪とみなすもの以外の何物でもない
常識を放棄することによってはじめて論理を今の段階まで進めることができたのに、今からまた「常識で考えて」しまってはせっかく登った一段目を自ら崩すことになる
やはり「常識で考えろ」は常識で考えろという意味ではなく、単に常識で考えろという命令に過ぎないと理解するのが適切だろう
○「(その解釈が正しいか間違いかについては一切の意見を述べないので、とにかく)常識で考えろ」
ということだ
これは冒頭の「(その行為が正しいか間違いかに関係なく)今すぐ死ね」の用例とも一致する
求められているのは死ぬことであって、自分の責任転嫁行為が悪だったと認めることではない
同様にいま求められているのは常識で考えることであって、今の解釈を破棄することではないというわけだ
それは書いてあることを文字通りに解釈することによってのみ成立する
「間違ってる」という文字は「間違ってる」という文字であって代わりの正解の存在を示唆するものではないし、「常識で考えろ」という文字は「常識で考えろ」という文字であって間違いも正解も示していないというわけだ
この資本主義の世界だと、「成長率が低い下位の30%くらいは、上位の30%に儲けを上納してください」みたいなルールになってるのを忘れるべきじゃないよ。グローバリズムの波の中で、世界がそうなってる。
まあ単純労働者のルーチンワークという意味でのプロなら1度した失敗を繰り返すのは学習能力がないと言われてもしょうがないが、スポーツや芸術じゃ1度として全く同じ場面ていうのはないからな。
そこで失敗を責められるなら何もできなくなってしまうし、自分の能力も向上しない。
命がけで最期までプロとしてやり続けてそこで不幸にして命を落としたというのは、不謹慎かもしれないが人の死に方としてはこれ以上ないくらいに崇高のような気がする。
パターナリズムっていうのは、他人が自己の責任において選択すれば良いだけのものを、端からいやそうしたらこうなる心配があるから俺が決めてやる(道を踏み外さないような規則を作ってやる)ってやいのやいの言うことを指してる。権力構造を伴うお節介って感じ。各人が自分の判断で「面倒だから慣習に従っておくか」って決めるならそれはそれで構わない。(パターナリズムのpaterは父親が語源。パターンじゃないよ)
覚悟の上で、っていうのは、例えば「男/女らしい服装」っていう文化があるところで、そこからはずれた服を着ることって、全く個人の選択の問題ではあるけれど、とやかく言う人がいるだろうってことは予想できるでしょ。選択の重みは同じであるべき、って理想ではそうかもしれないけど、やっぱり既存の観念と違うことをしようとすると逆風があることは覚悟しないとならない。その程度の意味。
そこで、「男が女の恰好したり女が男の恰好してたらいろいろ言われるだろうから、ルールで異性装を禁止しよう」って言い出したら、それは余計なお節介というものでしょう。それと似た感じを受けるんだよな。「別姓で揉める可能性があるから禁止しとこう」っていう意見には。
失敗するのが怖かったら一生家の中にこもって人の努力の揚げ足だけとってろ!
失敗したらプロじゃないと思う。
サッカースタジアムじゃ死なないかもしれんが、選手生命は断たれた…みたいなことはあるんじゃないかい?
山ではそれが直接死につながるだけのこと。
単純に1つの刺激が複数の感覚を生じさせる現象を共感覚と定義しています。
http://ist.ksc.kwansei.ac.jp/~nagata/synesthesia/explain/explain.html
「みなさんよく乗れますね。私が他の人のライブ行っても棒立ちで何していいかわからないのに」
って言ってたアーティストさん知ってる。