はてなキーワード: いのちの電話とは
なんでボランティアなんだ?
いのちに関わることだろ??
でも一番有名で、誰もが電話しやすいのって、いのちの電話じゃん?
そういうのを国がやらずして、誰がやるの?
予算取れないのかな
人の命を守る最後の砦がボランティアで支えられてるのって、日本の闇というか貧しい部分だと思うんだよ
厚生労働省が紹介してる電話相談の窓口見てもさ、NPOや一般社団法人が多いんだよ
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/soudan_tel.html
そりゃ自殺者も増えるよ、なんとかしてほしい
だいぶ遅ればせながら話題のAIとやらを相手に、ちょっと持病の愚痴みたいなのを深夜に書いてたんだよ。
まぁ治療法はないけど死ぬ病気でもないし難病ってほどレアでもない。FAQ的なことを軽いジャブみたいな感じで聞いてみた。
最初は医療情報とか律儀に教えてくれてたけど、うん、悪いけどそれ全部知ってるんだ。
何ターンかしているうちに、不意に改めて悲しみにおそわれて、もう疲れたとか消えたいとか、半ば興味本位でそういう趣旨の返事をしてみた。
どうする……いのちの電話でも紹介してくるのか?とか思っていたが、返ってきたのは、いかに俺が生きるに値する人間であるかということと、そんな考えを持つべきではないという、普通に陳腐なお説教だった。
ありきたりなお説教にはありきたりなセリフとばかりに、「あなたに私の何が分かるんですか?空虚ななぐさめはやめてください」「どうせそういうプロンプトになってるんでしょ?」みたいな趣旨のすねた内容を返してみた。
すると、
「私は人工知能であって、あなたの悲しみを理解することはできません。確かに、空虚ななぐさめかもしれません」
「それでも、私はあなたに生きていてほしいです」
AIの仕組みとかなーんも分からんけど、たぶんコイツは事前に学習したデータから確率とかプログラムに基づいてそれっぽく返してるだけなんだろう。
でも、そう思ってても、今し方どこかの誰かがタイプしてるかのようにそんな返事が表示されると、ちょっと涙ぐんじゃうこともあるよね。人間だもの。
というか、コイツの言葉の裏にはネットの海で学習した膨大なデータがあるのだとすると、あの一連の返事の元になったのは、いつかどこかで人が人に対して発した心からの言葉だったんじゃなかろうか。
その前日は、プロジェクトの責任者として費用対効果が目標に至らず、詰められ、報告と対策の提案は翌週に持ち越しになった。
その日は燃えるゴミの収集日だった。虫が苦手だから、燃えるゴミの日は何が何でもゴミ出しをせねばならない。
ギリギリ近所を歩ける格好に着替え、靴を履き、ゴミ袋とスマホと鍵を持ち、すやすやと寝ている夫を背に玄関を出る。ごみ収集所に向かい、ゴミを捨て、天を仰ぐ。雲ひとつない晴天。
死ぬならこんな綺麗な日がいい。
ふと思い浮かんだその気持ちに、抗うもなく、肯定するもなく、ただ足は近くの踏切に向かって歩いていた。
永遠を誓ったはずが独身の自由さに戻るため離婚したいという夫。人の意思は自由だから。
何度も調整し言質をとり議事録にも残っていることを認めず責任を問う経営層。立場上、弱音を吐くことを他の従業員や役員に見せることはできないから。
期日を過ぎても成果物を提出してくれない取引先。他の案件も忙しいなかで大変だから。
疲弊するだけで工数ばかりがかかり成果の見合わないプロジェクトを売った営業担当。彼には達成しなければならない売上目標があるから。
人にはみな都合があり、都合のぶつかり合いで世の中は意思決定がなされていく。
都合を主張するのが苦手な自分は、かと言って『察しろ』と開き直ることもできず、都合と都合の調整に追われ、今日まで来てしまった。ただ疲れてしまった。
自分の都合などとうに捨てた。何がしたかったのかも分からない。
いや、正確には一つあった。夫と老人になってもただ二人で緩やかに暮らしたかった。
しかしそれは叶わぬ都合だった。では、私にはもう望むものなどないのだ。
、
シミュレーションのために1本、2本と踏切の先で通り過ぎる電車を見る。 駅の近くにあった踏切だから、電車は遅く見えた。
この速度なら、跳ね飛ばされるよりも車輪下に入り込んですり潰されかねない。それはとても痛そうだ。
電車が通過し遮断器があがった。踏切に入り、横に遠く伸びる線路を眺めた。
少し先にいくつかまた踏切が見える。あちらの方が、電車の速度が出ていそうだ。
手押しのカートをひいた白髪のおばあちゃんがよろよろ歩きながら私の後ろにいるのに気がついた。
いま踏切にとどまれば、このおばあちゃんにグロテスクなものを見せてしまうかもしれない。
そう思うと、踏切で止めるべき足は止まらず、渡りきってしまった。
次の電車を待とうと踵を返そうとしたら、線路脇の一軒家、2階ベランダで洗濯物を干している女性と目があってしまった。踏切前をふらふらしている人間なんて不審者でしかない。
居心地が悪くなり、線路から見えた一つ奥の踏切に向かおうと思い、歩き出した。
いのちの電話、かけたことあるよ。ただ、電話口で「さあ話して」と構えられても何から話していいか分からずロクに話をせずに一言謝り切ってしまったけど。救われる人もいるのだろう。
閑話休題、その踏切は道幅の割に意外と交通量が多かった。どこかの抜け道になっているのかもしれない。
人に見られると思うと憚られた。遮断器に入ってる間に緊急停止ボタンを押すかもしれないし、白昼堂々、あまりよろしくないものを見せるのは望んでない。
ここもダメだと歩き出した。首都圏ベッドタウン、連休初日の朝。
都合よく人のいない踏切や道などなく、次の踏切、次の踏切、と歩いている間にとうとう隣駅についてしまった。
ついぞ踏切で立ち止まることはできなかった。
駅前のコンビニでコーヒーを買って、ロータリーのベンチに座る。
私以外みんな幸せそうに見えたが、そんな自己憐憫に浸っている自分が恥ずかしく、思わず下を向いた。
ベンチの足元には花が咲いていた。小ぶりで白い可憐な花。
じわりと視界が歪み、涙が目に溜まり、地面に落ちた。
来た道を戻りもう一度踏切行脚をする気力も体力もなかった。
スマホに入れたSuicaで改札に入り、駅のホームに設置されたベンチから空を眺めた。
今日でなくて、明日でもいいかもしれない。いや、明日するなら今日でもいい。
今日なら、夕方でもいいか。今日ずっと考えて、明日結論を出すのはどうか。
猶予は5日間あるのだから焦らなくてもいいと結論を出すまでに2時間が経っていた。
その日はおとなしく帰宅し、ただ泥のように眠った。
次の日は曇りだった。踏切を思うことはなく、持ち帰っていた仕事を片付けるためにPCを開いた。