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はてなキーワード: 紙飛行機とは

2014-09-27

妹が科学コンテスト飛行機を飛ばすテストをだされ、全くできなかったとぼやく。

勝ったのは主催中学校の人たちで、コツを知っていてズルい、だとか。


飛行機を飛ばす科学ってのは、中学生レベル理解できるようなものではない。

コツを知っているということと科学を知っていることは違う。

悪問だと思った。


それでも、科学を利用しているモノに興味をもっているかをみるという点では面白い問題ではあると思った。

どんな飛行機を使ったのかしらないが、今の子たちはたぶん、紙飛行機でも模型飛行機でも遊んだことがないんじゃないか。


そんなことを考えていると、自分はそういう経験はたいていのことに対してあるようだ、と気づいた。

そして、なんていうか、自分は、ある意味最高の教育をきたといえるんじゃないかって思った。


模型飛行機飛ばしたことがある。

凧も揚げた。

砂鉄も集めた。

電子ブロックもやった。

簡単なロボットプログラミングもした。

たくさんの電子機器をバラした。

家にはDOSパソコンがあった。

しか昆虫博士だったし、河川敷秘密基地みたいなものだった。


はいかなかった。

特別教育をうけたこともない。

それでもやっぱり、自分は最高の教育をうけてきたといえるんじゃないか、

そう思った。





#追記

自分環境はよかったけど妹の環境はよくなさそう、で終わらせたくはない。

妹には最高の環境で育ってほしいと思っているし、そのためにできることはしているつもりだ。

例えば自分高校理科3科目、社会3科目はセンター9割得点できるぐらいにはたたき込まれたから、

その知識からいろんな解説をしてあげるなど。

もちろんモノだって必要だと思ったら与えている。

そういうわけで早速、駅前模型屋でライトプレーンを買ってきた。

2014-09-22

子供がなぜ救急車の音が変わるのって聞いてきたら

自分の子供がおおきくなって、なぜ救急車は通り過ぎると音が変わるの?って聞いてきたらおもいっきり頭をなでてあげたいし、できうる限りの説明をしてあげたい。すくなくとも波の話と波が長くなったり短くなったりする実験キッチンで見せてあげたい。



なぜ信号が赤だったら止まらなきゃいけないの?って聞いてきたらおもいっきり頭をなでたあとで、自動車のなりたちとまだ自動車最初のころ町でどう扱われていたか自動車がどうやって増えていって生活の中に浸透してきたか、そしてさまざまなモノゴトは生活を円滑に進めるために「トリアエズ」決まるってことと、そもそもその「トリアエズ」は「人間が二人以上いる」ことに起因しているって話をしてあげたい。



なぜボールを投げると落ちてくるのに飛行機や月や星は落ちてこないの?って聞いてきたらおもいっきり頭をなでたあとで、折り紙紙飛行機を折ってみせてボール紙飛行機の違いを話してあげたい。そして地球儀を見せながらものすごいピッチャーボールを投げたらどうなるか、人工衛星って何か、ロケットって何か、ボールと月ってどう違うのか、太陽系地球関係、そして空にまたたく星々と銀河系の話をしてあげたい。




そしてどの話をするにしても、今の話の中には間違いがあるかもしれないからきちんと勉強するともっといろいろわかるよ?っていって頭をむちゃくちゃなでてあげたい。




はいえ、そもそも自分にそんな質問をしてくる子供がいるっていう前提からして間違いを含むのできっちり考えないといけない。子供云々のまえにまず相手が必要だね。弱ったね。

2013-07-28

風立ちぬ」は男版の「恋空」だね!(ネタバレバレ)

次郎という「風立ちぬ」の主人公は、まるで、レイプされても清々しいままの新垣結衣のようだった。

映画の「恋空」ではレイプシーンは、新垣結衣ボタンが1,2個外れるだけで描かれてるんだけど、「風立ちぬ」の戦争シーンも、次郎の帽子が1,2回風に舞うくらいの描写で描かれている。

あと、あれだね、好きになった相手が重い病気死ぬってのも同じ。

あの巨匠がね、携帯小説とおんなじルートを辿ってたよ。

飛行機作りも葛藤があんまない。何回か落ちてましたけど、まあ落ち込んで、あと恋とかしてるうちに、あれまあれまとできて、まあ、飛ぶんですけど。なんていうのかな、葛藤っていうかな、「僕の作った美しい飛行機が、その飛んだ先で殺戮をしている」みたいな葛藤がね、あるかと思いきや、なんかね、「まあ僕は作るだけだ」みたいなね。驚くぐらいのスルー力を見せつけてくれるわけです。女子でいえば「結婚してる人を好きになったわけじゃない、好きな人結婚してただけ!」並みの思考停止力を発動して、で、次郎の帽子が2~3回舞ったりしたかと思ったら「ゼロ戦は綺麗だけど、1機も戻ってこなかったわー」みたいなこと軽く言って空を眺める次郎に、とっくのとうに死んでましたヒロイン三浦春馬かしら?ってくらいのドヤ顔で空の向こうから「生きて」って言うわけ。いやいやいや、次郎はさ、この2時間結構ずっとイキイキしてましたけどね。自分の好きなことを好きなだけやって。美しい病気の嫁の唇を貪って、美味しいご飯を食べて。「わかさ生活」のサプリメントでも飲んでるんじゃないかってくらい至って元気そうでしたよ。なのに次郎はさ、もう涙を浮かべてね、「生きねば!」とか言うのね。いや、おめぇ超生きてたから。

それからもう、恋しくなったらアタシ空をみるね、空にはヒロがいるから、BY恋空。みたいな感じになって、で、ユーミン紙飛行機が流れてました。

次郎、ハゲろ!

この物語は全編が、「美しさ」と「ものづくり」のエゴを、究極にシンプルにして描かれてるんだなと思いました。

ただ「美しさ」の下には醜さが、「ものづくり」の下には破壊があることを、私たちは知っているけど、そこの部分については一切描かれないので、私は気味が悪かったです。

宮崎駿は、あえて描かなかったのだと思います。それには色々な意味があると思うけど、駿だから許されるし、駿だからみんながそこを読み取ろうとしてくれるし、駿だから仕方ないってなってるけど、「恋空」くらい何が言いたいのかわかんないし、あと若干中年白昼夢を見せられたような気持ち悪さがあった。

しかし一方で、「新垣結衣」くらいメガネの次郎には萌えたし、むしろ棒読みAV女優の演技みたいで逆に生々しかったし、キスシーンだって恋空くらいあったので、プラマイ0。

2013-02-03

GIGAZINEはもうディズニーに訴えられろ

これはひどい

ディズニーのすごさがその高いクオリティと完成度ではっきりわかる短編アニメーション「Paperman」 - GIGAZINE

http://gigazine.net/news/20130131-paperman/

スクリーンショット貼りすぎなんだよ。数えてみたら70枚以上あるぞ。

ディズニー側は動画で見せたいんでしょうに。どうして意図を汲んであげられないんだ?

しかも無声アニメーションなのに、てめえのチンケな文字説明のおかげで台無しだよ!

しかサムネ用の一番上の画像は、「キスマーク紙飛行機行方」の結果が出ちゃってるじゃん。

GIGAZINEはもうディズニーに訴えられろ。

2009-11-23

劇場版マクロスFはクソ映画。犬も食わんね.

以下、『劇場版 マクロスF 虚空歌姫 ~イツワリノウタヒメ~』のネタバレを多分に含みます。

映画の流れに沿っての雑多な感想・気づいたこと。


正直、駄作だと思うんだが周りで褒められすぎだったので、

ひねくれて欠点ばかりあげつらうような真似をしてみた。

根拠無く言ってるつもりはないので、反論あったらかかってこい。


前半、ランカとの出会いを丸々カット

アルトランカは最初から友達というのは時間を削る面で妥当な改変。

マイクローン状態のクランがちょっと大人びた体型と声になってた?

というかミハエルと同じく学生やってたんだっけ、年齢的におかしくないけど、

アニメ版では多分そんな描写無かったよね。


シェリルライブは圧巻のCGステージ

力入れてるんだろうなと言うことがヒシヒシと伝わってくる。

シェリル衣装、生尻、ボンテージエロさ惹かれた人多いと思う。

しかし、演出面を考えると正直微妙

全体的にライブしてますと言うよりも、上映してますっぽくて、

シェリルが生身で歌ってる感触が薄かった。

演出過多と言っていいかもしれない。


一瞬で着替えのところは超科学でいいとして、

二人同時に登場はおかしい。片方が偽物・CGであることが確定するということ。

これで片方が、シェリル影武者あるいはクローンとかなら、

イツワリノウタヒメ」ってサブタイトルに絡んで面白い展開と思ったけど、

全然そんなことはなかったぜ!


あとは、シェリルの初回ライブ裏で繰り広げられるバジュラとの邂逅では、

やっぱり「もってっけー」を使って欲しかったのが素直な感想

新曲も悪いとは思わないけど、やっぱりそこは見せ場としてね。

音楽に関しては全編通してやっぱりよかった。


その後、ライブ中のバジュラ襲撃では新しい展開。

アニメ版では観客おいてトンズラしたシェリルだけど、

今作では飛行するアルトに抱えられて、

バジュラの段幕をかいくぐるアクションを見せる。

命を救われたことで一気にデレが早まるし、これは映画版として納得の展開。


次のシーンについてはかなり疑問。

アルトSMSに加入するかについての病室での論議は、

アニメ版に比べて展開はしょりすぎでわざとらしい、不自然

「また逃げるのか」のあたりとか上手く意味が通らないんじゃないかな。

あと、俺もバルキリーに乗せろ→調子こくな→パンチのシーンは欲しかった。


この後がランカシェリルの出会いだったかな。

ここで「あなたもアイモを知ってるの」と入り、映画オリジナルの展開感が濃くなる。

これについては後編を見ないとイイ改変だったのかどうかは判断つきかねる。

ランカをたきつけるシェリルはいいとして、その時のシェリルが変だと思う。

なんというかこんなキャラだっけと疑問になる感じ。

グレイスとの電話のシーンとか割と顕著。


ランカデビューシェリルデートは割と原作通り。

ランカ紙飛行機勇気を出すシーンは、

実物を投げさせてもよかったと思うけどな。

幻にする理由はそんなにないと思うけど。なんで幻の飛行機にしたんだろうか。

あと、周りのミュージシャン演奏入れてくれるシーンはもっと描写してもよかったんでない?


シェリルスパイ疑惑からのアルトとの不仲のシーンは……。

アルト馬鹿だとはいえあの展開は正直どうなの。

何かのインタビュー監督が自信満々にこの展開を言っていたけどさ。

ランカアルトに対する本気の気持ちに触れたシェリルは、

アルトから距離を取るって感じでもよかったと思うけど。

あんまり気分いい展開じゃないなぁ。


シェリルイヤリングの片方を届けに行くシーンで何より疑問なのは、

今作におけるグレイスの立ち位置

アニメ版で行けば完全黒幕で、脳内会議とかで割とその片鱗は見せてるわけだけど、

その一方でギャラクシーの救援養成を無視したフロンティア感情的になじるあたりは、

新しい要素であるとともに疑問のキャラ設定。

計算ずくの黒幕っぽさが薄れて、割と普通に助けて貰えなかったのを恨む人みたいで、

上手い言い方が見つからないけど、俗っぽさ、人間くささが増した?

黒幕として扱うなら、こういった感情的な表現は避けた方がしっくり来ると思ったけど、

その辺については次作の完結編でのグレイスの扱いで変わってくるから保留。

ただ冒頭でしっかり黒幕っぽい発言はしてるんだよなぁ。


ギャラクシー救出作戦で、三隻が沈んだ意味ってのは何だろうな。

アルトを「ちっくしょー」と突撃させるのが目的なんだろうけど、なんか後味悪い。

あとは終盤の「あなたも私も、できることをやっただけ」のセリフに繋がるんだろうけど、

うーん、この辺は深く考えるところではないか、ただあんまり好きくない。


ランカの声がバジュラを呼ぶシステムとかに何も説明がないまま、

いや回想シーンで歌ってたらバジュラが来た、逃げろってのはあったけど

ランカがおとりになるつもりだ」って展開は正直どうなん?

とくに、一作完結だと思ってた当方としては、

残り時間的にもランカとバジュラの関わりについて掘り下げるつもりはないんだろうな、

説明不足だろ感が湧き上がってきていたり。

これはアニメ版みた側の意見だけれど、逆に見て無い側はこれで納得できるのかな。


最終決戦の盛り上がらなさが異常。

いや、次作があるから事実上の最終決戦ではないのだけれど、

その時は一作完結と思ってたわけで、

そうでなくても2時間クライマックスとしてこの出来はどうなんだ。

ミシェルが撃たれて生きてたけど、むしろクランを守って死ぬって展開無しにくたばることは無いだろう。

もしこれで死んでたら迷わずスクリーンにポップコーン投げてたね。買ってないけど。


うーん、次作を見て無いからストーリー面ではまだ判断を下しづらいんだけど、

正直もう河森監督脚本には期待できないというのが率直な感想

じゃあ誰ならいいんだって言われても困るけどね。

各所に見所ってのはあったからばっさり斬り捨てたりはしないけど、

期待してたのよりはだいぶ斜め下だった感は否めない。

あとファミマコラボと、オズマの「突撃ラブハートだ」は寒いと思うんだ。

2009-09-27

読んだ事がある絵本など一覧

はらぺこあおむし

モチモチの木

ぐりとぐら

力太郎

ノミのピコ

おおきなおいも

すてきな三にんぐみ

しずくのぼうけん

木に自分秘密基地を作る話

14ひきのねずみ(引っ越しの話)

11ぴきのねことあほうどり

ある幼稚園の話(「もぐらの基地」だったかの遊び場を他の組と取り合った話があったような)

ズッコケ3人組

夢水清志郎シリーズ

ある大家族の男3人が紙飛行機や紙の船に乗って旅をする話(ハッカ入りのおかゆって何だろうと思った記憶

三びきのやぎのがらがらどん

ぼくは王様シリーズ

だるまちゃんとてんぐちゃん

おだんごぱん

しろくまちゃんのほっとけーき

ねないこだれだ

おおきなかぶ

スイミー

わたしのワンピース

おしいれのぼうけん

どろんここぶた

となりのトトロ

あーんあん

ノッポとチビの犬の話(ノッポもチビもどっちもいいところあるという内容)

おばけのバーバパパ

さるかに合戦(臼、牛の糞、ハチ、栗)

かいじゅうたちのいるところ

記憶にあるのはこれくらい

2008-06-23

http://anond.hatelabo.jp/20080622033714

反響が思ったよりあって(無視されるか、せいぜいブクマが3つくらいつく程度かと思っていた。無駄に長いし)今日は驚いた。

私はあんな事を書いたけれども、そこまで悲観的になっているわけでもない。今は。あくまで今は、だが。

高校生のときは一番酷くて、小中はほぼ皆勤だったにも関わらず、高校生時は積もり積もった何かがあったのか、突然鬱状態になり学校を休んでしまったことがあった。2ヶ月ほど。電車に乗り、学校が近づくにつれ逃げたしたい思いでいっぱいになり、途中下車して科学館などへ足を運び宇宙のでかさを目の当たりにすることにより「現実なんてこまっしゃくれたもんだぜ」「私の存在なんてちっぽけもいいとこだぜ。皆宇宙から見ればとるにたらないものよ」と現実逃避を決め込みまくったりした後、ついに学校へ行けなくなった。親は心配し、私を精神科へ連れて行った。鬱じゃないかと医者には診断されたものの個人的にはしっくりこなかった。ぶっちゃけ今でも鬱じゃなかったと思う。「何もできない」わけじゃなかったし。実際ネットとかやったり図書館行ったりしてたので、自分では単なる思春期によくある登校拒否ぶっちゃけいうと甘え、現実逃避、だと思っていた。しかし親は「本とかネットで調べたけど、鬱の人ほどそう思うらしいよ。とりあえず医者へ通いなさい。お母さんもついていくから」といい、仕方なく薬を飲んだり「最近気分はどうかな」と医者と軽く話したりしていた。しかし精神科病院はやはり考えられているのか、内科や外科と違って部屋の中がしゃれた喫茶店のようになっているのには驚いた。クラシックなど流れたり、いかにも病院椅子ですよ!といった感じの椅子ではなく木で出来た椅子が並べてあり、診察ルームではまた、アメリカ考古学者の部屋的な(意味不明だが)感じで後ろには木の本棚が並んでいた。少し話して薬をもらったり血液採取したりして終わるのだが、正直、たいした話もしていないし効果なんてあるのかどうか期待はしていなかった。何より自分が「てーか鬱じゃなくないか。医者も気使って鬱ってことにしてくれてるだけじゃね」と思っていた。その中年の優しげな女医さんと話していると気分は晴れたため病院へ行くのはそれなりに楽しみだったものの、親に無駄に労力をかけさせているようで悪い気もした。薬屋の人も「鬱は脳の風邪ですからね。薬を飲めばちゃんと治りますから大丈夫ですよ」とやけに医者と薬屋の人たちが優しかったのは幸いだと今では思う。

その成果かやはりもともと鬱ではなかったのか分からないが、2ヶ月ほどした時先生から「そろそろこないと、出席日数的に厳しくなってくる」と告げられ、「……じゃあ行くか」とあっさり復帰した。後に医者先生が言うところによると「登校拒否の子が2ヶ月ほどでしかもあっさり復帰というのは珍しいパターン」だそうだがやはりそれは私が鬱ではなかったからであるように思う。

で、そんなこともあったが今では案外平気だ。

恋愛結婚に関しては、ハナから期待も自分がそうするという想像すらもしてこなかった(諦めているとかいうより、本当に考えた事が自然となかった、という感じである。ほとんどの人が「石油王になる」ということを考えもしないような感じに)ため今でも考えていない。ほとんどの女性が仮に結婚することを当然のように考えているとするなら、私はその逆で、当然のように一人で生きるだろうと予測していたため、そのように動いている(つもりである)。大学もだから医学部にした。食いっぱぐれないためである(まあ医者だからといって食いっぱぐれないとは限らないのだけども)。最悪世界が崩壊しても、医者という技術を持っていたらその技術を売りにし生き延びれるのではないか…と人からすれば大げさな事を考えこうした。何の映画だったか忘れたが、強盗の親分が瀕死で、主人公か何かが医者で、「おい、そこのお前医者なんだろ。じゃあ親分を助けろ。親分を助けたらお前だけは逃がしてやる」的な事を言い、主人公は治した後も殺されない為「まだ様子を見ないと危ない。俺がいないとヤバい」的なことをいいなんとか切り抜けるという図が記憶にこびりついている。何故か。あの影響もあるかもしれない。「暴力知的技術で回避する」というところに私は大きな憧れを抱いたのだ。まぁ現実はそううまくいかないだろうが(ていうかそんな状況があまり無いだろうが)。

近頃は将来美容整形外科医になりたい気持ちもある。技術を磨き、私のような人をうまく変えられてあげたらばと思う。何か新しい技術が入ってきたとき自分で試すこともできる(実際それをしている医者はいるらしい)。元が酷いからこれ以上酷くなることはないので大丈夫だ。

私のこれからの希望としては、一人でもなんとかなる仕事につき、なんとか一人で暮らしていける生活を確立させ、時々ニ次元に浸り、そのままひっそりと死ぬといった感じである。一人で生きていけるよう、とりあえず今は家事を身に付けている。一人暮らしではないが、家族料理大学入ってから全て担当するようにしている。もう二年ほど経ったのでそろそろ脱初心者ができたと、料理は一通り自炊できるようになったと思う。甘いか。最近は「いかに早く・栄養バランスのよい料理をするか」を研究中である。

そして更に贅沢を言うなら、最期は長野の山奥で天気のよい日に川の近くで寝そべりながら眠るように逝きたい。これが出来れば最高だ。そしてそのまま山、ひいては地球と同化していきたい。なぜ長野の山奥かというと小さいころそこへ遠足だったか何だったかで行った際、陳腐だがその自然の素晴らしさに感動したからである。あれはキレイだった。昼ご飯を川沿いで食べたのだが、あまりに自然が美しく、寝そべっていると地面と山とどんどん一体になっていくような気がして感動して泣きそうになったものだった。川が本当に「光っている」。まあ単に太陽の光を反射しているといえばそうなのであるが、それにしても美しすぎるのではないか。こんなところで屍になれたらば、それはどんなに幸せな事かと思った。私の屍は鳥等の栄養分となり、残った分は雨が降ったときなんかに川に飲み込まれて細分化していき、土に流れ着いたり、川底へ沈み川底の土と同化したり、そうして山と一体化していくのだと考えると初めて「死んでもいいな」と思えた。それまでは死が怖かったのだが。まあ……実際には、燃やされ、葬式を開かれてしまうのかもしれないが……いや、待て。一人身だと葬式はどうなるのだろう?この辺もその内調べておかないとな。宇宙葬なんかもあこがれるところではあるが…宇宙にばらまかれた私の灰がどこかの星に着陸したらと思うとワクワクしてしまうな。私を構成していた原子から、他の星で何かが生まれたらと思うとゾクゾクする。というかそれはまるで「生まれ変わり」のようだ。

出来れば最期には井上陽水氷の世界などを聞いて死にたい音楽をあまり知らない私が唯一好きな歌手だ。傘がない、帰れない二人、紙飛行機など何度中学生時に聞いたか知れない(といっても、詳しいわけでは全くない。陽水オタからすれば失笑ものレベルである)。高校生のとき、一人で陽水ライブにも行った。陽水と席が近かった。嬉しかった。「ああ井上陽水って人は幻想ではないんだ。本当にいるんだ。今触れようとしたら、係員に止められるだろうけどもしかしたら触れられるかもしれないんだ。実体があるんだ。陽水もこの後何かを飲んだり食べたり、排泄したり、眠ったりするんだ。陽水って概念上の存在じゃなくて、実体が存在してたんだ。タンパク質脂肪カルシウムその他もろもろで出来た有機物という実体があったんだ」と当たり前の事をしみじみとかみ締めた。と同時に、その単なる一有機物であるはずのものが、井上陽水という名前を初めとした色々な概念がまとわりつき、下手をするとひょっとしてニ次元のものなのではないかと思わせるほどにイメージ化というか、偶像化したという事のギャップになぜかゾクゾクした。これだけ有名でファンも多く名曲も多い陽水だが、しかし同時に睡眠や排泄等を他の哺乳類と同様に行う、単なる人間、単なる有機物なのだ。その同時に成り立たないようでいて成り立ってしまっている、その二つを含めた「井上陽水」というものの(陽水に限った話ではないのだが)不思議さ、面白さに頭がクラクラした。それはCDなどを聞いているときには余り気がつかないけれど、ライブに行くと「実体」がそこに存在しているのに、観客は皆どちらかというと概念の「陽水」をそこに見ている、という不可思議さを目の当たりにできてしまう。実体のはずなのに、あの実体はあくまで概念陽水を伝える媒介物でしかない、主体のはずなのに、サブで終わってしまっているという本末転倒さというのか……自分でも何を言っているのかよく分からなくなってきた。いまだ私の中で整理しきれていない感覚なのだ。

そういえば、女子の友達はいなかったのか、とかいてあった気がしたが、友達と知り合いの間のような子ならいた。しかし、私とつるんでいると可愛い子であっても一緒くたに「ブサイク死ねwwww」と罵られてしまうので、妙な距離は常にあいていた。それで女子を恨む気は全く無い。私が逆の立場であれば、私もそうしていたように思う。なかなか学生レベルで、「でも敢えて友達になるよ!」という勇気を出せる子は少ないだろう。しかもそれだけのリスクを介して得られるものは何かといえば、私という友達である。んな、リスクとリターンが全然つりあってないよって話だわな。寧ろ女子からのイジメは特になかっただけでありがたいことだ。まあ、「ブス視ねw」といってくる男子彼女とか、その周辺の子は、一緒にクスクス笑ったりはしていたが、その程度ならば中学時代でも既に「その程度の重力……」のベジータ感覚でいられた。それに如何せん下手にそんな男子と私なんぞのために対立して、殴られたりなどしたら洒落にならんし、まあクラスの女子が私を放っておいたのは本当仕方ないことだと思う。気の毒そうに見てくれる子もいたしそれで十分だ。

綺麗な女性を妬ましく思った事はあまりない。嘘だろといわれるかもしれないが、羨ましくも特にない(モテるという観点では、の話だが)。自分に持っていないものを持っている、という観点で「羨み」や「妬み」が生ずるとするならば、美人だけでなく私は際限なく誰かを妬まなければならない。何もその対象美人だけではない。金持ちや、運動神経のいい人、頭のいい人。キリがない。というかほとんど全ての人は私より何かは秀でているわけで、少しでも自分より上回ってるなら妬むという理屈だと、もうこっちの身体がもたない。妬むのも面倒になるのだ。

私は、恋愛をしたいけどできないというよりも(奥底ではそうなのかもしれないが、無意識レベルの事など意識では判断不可能なのでとりあえず意識レベルの話をする)、恋愛心などが生まれる前に、既に恋愛結婚なるものを「私の人生には関係の無いことだ」と学習してしまったため、美人女性モテたりしていても、関係があまりに無さ過ぎて、ピンとこないのである。妬むも何もないといった感じ。大食い選手権に出るような人を見て、その凄さに感心はしても、でも別にほとんどの人がああなりたいとか羨ましいとか思わないのとおそらく似ていると思う(思う人がいたら申し訳ないが)。「ブスとか言われないで済む」という点では、「美人」が羨ましいというよりも「そう言われないで済む人たち」が羨ましいので、その中には勿論美人は入っているが、かといって特別美人だけが羨ましいわけではない。

寧ろ私が一番羨ましいのは金持ち(の強いて言えば子供)である。金があれば何もせず暮らせるのだから。嫌な事を言ってくる男と会うこともなく環境の(自然的な意味で)いいところで本を読みふけって暮らす、そんなことが可能になるのだから。

美人じゃなくていい。それより金持ちになりたい。

私の今までの人生では男、というと前述した彼らしかいないので、美人になったとしても男にモテたところでしょうがない、嬉しくない、という気持ちにしかなれないのである。悪口等を言われない、という点では嬉しいが、モテても嬉しくはない。ま、ブスがこんな事を言ってるのだからお笑いだが。美人が変な男と付き合って、DV被害にあったなどと聞くと心が痛む。あんなに美しい人であるのに、せっかく歩いていても何の悪口も言われず、平穏に過ごせる人なのに、何故自ら火の中へ飛び込むようなマネをするのか……と勿体無く思ってしまう。まあ、しかし、他人の事。向こうには向こうの考えがあるのだろうし余計なお世話というものだろう。

そんなわけでモテない事に特に苦悩はしていないので(多分)、心配してくれた方には大丈夫ですと言っておきたい。

ただ罵倒等されなければそれでいい。何か辛い事があっても宇宙図鑑があるとどこかすっきりする。ま最初言ったとおり現実逃避なんだが。銀河だのなんだのの話をしていると、自分の悩みなどあまりにちっぽけで笑えてくるというもの。地球歴史などもいい。所詮ぽっと生まれたちいとばかり頭のいい哺乳類の、その中のほんの一部の時代の、更にその中のほんの一部の地域の人間たちがあれこれ騒いでるなど、地球にとってはカスに等しいものだ。地球がちょいとばかりプレートを動かしたりちょいとばかり温まってみたりするだけで人間など瞬殺なのだ。大体人間歴史という地球に比べたら大分コンパクトなそれであってもまだ私の苦悩などに比べるとでかい。なんだかんだいって、ブスというだけで殺されないだけでまだおそらくマシな時代なのだ。今の世の中不満足な事ばかりだけれども、それは理想の、あるべき世界を想定し、それに比べ不満足な部分ばかりを見ているからで、やはり過去に比べれば、現代というのはそこそこマシな部類に入るのであろう。ブスや未婚の女が冷たい視線を投げかけられるといっても、殺されたりはしない。殴られれば警察がある。私にも人権が与えられているし、こうして自由にネットで発言できる。だからといって「これで満足」ってわけじゃ全くないが、まだマシな方ではあるはずなのだ。ちょっと時代や国を間違えて生まれていたら、そもそも嬰児殺しにあっていたかもしれない。今その気になれば、車を走らせ、コンビニへ行って、じゃがりこサラダ味を買ってきて食べることができる。それだけでも全然マシではないか。車など庶民の乗るものではなかった時代も、そもそも発明されていない時代もあった。車は好きだからそれは嬉しい。最近ガソリン高いけど。

全くだらだらとした独り言で申し訳ない。こうして書いてみると、色々私にも思うところがあったのだなあと気付かされる。

2006-11-05

Wiiコン

ローンチテニスとかゼルダとかの辺りは、アナログ操作が可能というメリットがほとんど生かされてないよな。剣を振る、ラケットを振るというというデジタルな操作を、電圧から加速度センサでの検出に変えただけにしか見えん。体感できる面白さは分かるんだけど、それ自体は業務用で使い古されているから、「新しい体験」にはならないというのに同意。やはり「どうラケットを振ったのか」というアナログ入力が生かされるようになって、Wiiコンのメリットが生きてくるんじゃないだろうか。

いまんとこ一番Wiiの可能性を感じたのは、リモコンを紙飛行機に見立てて画面上の飛行機を動かす、ってやつ。

訂正。

テニスボタンを置き換えただけというのは事実誤認だったようだ。実物見るまでなんとも言えないが。

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