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はてなキーワード: リットとは

2007-05-09

まともな人間が集まるオープンな場所をネットにはもっと作るべき

増田2ちゃんねるブログのように流れていく形式が多いネットの世界では凄い奴がネット上で有益なことを出来ない。

彼等は時間が無く、お馬鹿さんを相手にしている暇などない。毎日のようにログに眼を通す事も出来ない。

そんな彼等がネット上で有益なことをするためにオープンな場をはてなは提供すべきである。

mixiヤフーグループでは足らず、掲示板ブログでは早すぎるしわざわざ着いて行かねばならない、メールスカイプでは狭い。そこを補うものをはてなは提供すべきである。必要とあらばリアルすらもその場に結び付けていく。

そしてはてなは全世界の知をまとめあげ、プロダクティブなグローバルコングロマリットとして君臨するのである。

まさしくはてなの名に相応しいではないか。

それが、はてなの名でやるべきことなのだ。

2007-04-30

仏教は心の科学」はニセ科学

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50815759.html

書評および『仏教は心の科学』はトンデモ仏教学への冒涜でしかない。

まず,

ブッダ言葉は実に「実に単純で明快で痛快」

ではない。どれが「ブッダ言葉」なのか確証を持つことができない現状では,「ブッダ言葉」は単純でも明快でも痛快でもない。

スマナサーラ氏が自分にとって都合のよいものを「ブッダ言葉」として選び出しているだけ。

そもそもパーリ語はブッダが使っていた言語ではない。パーリ語は西インドスリランカプラークリット方言みたいなもん)。「ブッダ言葉」は現在では半マガダ語もしくはそれに類似するものといわれている。

スマナサーラ氏はスリランカ言葉であるパーリ語へ翻訳された「ブッダ言葉」(それもブッダの死後200年以上を経過して)を「ブッダ言葉」として決めつけているにすぎない。

次,

以下の下りなんて、「それってどこのGeek?」ではないだろうか。

天界は快楽を食べて生きる次元

みなさんは天界に生まれ変わったら、遊んだり、音楽を演奏したり、踊ったり歌ったり、性的な行為を思う存分やったり、お腹いっぱい食べたり、そういうイメージで「楽しそうだな。天界に行きたいな」と思っているのではありませんか。

でも本当は天界では、そういうことをしないと死んでしまうのです。彼らは楽しんでいるわけではなくて、必死で生きているのです。遊ばなくては死ぬのです。音楽波動で生きている神々は、ちゃんと定期的に、決まった時間にその音楽波動を食べないと死んでしまうのです。我々は楽しくなるために演奏を聞いたりしますが、天海の場合は、生死の問題です。死ぬか生きるかの大問題なのです。それでも皆さんは天界に生きたいですか?

仏教は仏界を目指すものであって天界のような縁起の内側の世界はフル無視で当たり前。こんなので「どこのGeek?」って驚いてたら,弥勒菩薩の世界(トゥシタ天ね)なんかは子供がひざの上から産まれてくる。しかも三歳児の姿で。Geekどころではない。無知すぎ。

次,

ブッダの教え」は、「つるむ」、すなわち組織をまとめるには本当に向かない。

いやブッダはつるんでます。ブッダサンガには多くの仏弟子が集まっていました。それから三宝って知ってますか?仏法僧。仏と法とサンガサンガって僧団ね。それに帰依しろと。ブッダがそういって死んだと書いてあるのは,ほかならぬパーリ仏典です。

同じく

生のブッダの教えは、組織人にはヤバすぎるのである。

パーリ仏典には組織の長であるクシャトリアの帰依の記述がいくらでもあります。

また,

出家根本にある限り、ブッダの教えは組織とは相容れない。

ブッダの教え」の根本に「出家」なんかない。勝手に決めないように。

次,

ブッダの教えの寛大なところは、こうした「ブッダインスパイヤ教」を邪教として糾弾しなかったこと。

パーリ仏典の記述によれば,ブッダ自身が行なっています。デーヴァダッタの仏教を。

勝手なことを言わないように。

最後,

仏教科学的な教えです。「科学的」とは、どんな人間にも当てはまり、なおかつそれを自分でも確かめられる、証拠があって証拠に基づいた話が出来る。そういうことです。

と思うならば,どうかご自分で原典なり研究書なりを当たって勉強してください。

スリランカタイミャンマー仏教は,日本仏教と同じく,ブッダの教えをいくつかのフィルターを通して伝えている仏教です。

そうではなく,我々現代人には西洋人文科学の方法論に基づく,実に科学的な仏教学というものがあります。それに基づいて話をしてください。そのフィルターを通して理解する仏教が,科学的な「ブッダの教え」というものです。

2007-04-01

TBSはつぶれました

不二家吸収合併されました。

そして山パンはメディアコングロマリットになりました。

めでたしめでたし

2006-11-17

いじめっ子を後悔させる7つのテクニック

企画アイデアが浮かばない時とか、英単語が覚えられない時とか、新しい環境での人間関係に馴染めない時とか、お金がないけどモテたい時とかは、それぞれ一見関係のなさそうなものを繋げて考えろとか、対義語とセット記憶しろとか、とりあえず挨拶だけしろとか、一週間着回しのできる服20とか、実に具体的なテクニックが様々な書籍雑誌で紹介されている。それなのに、いじめられた時にどうすればいいかという話になると、逃げずに戦えとか、強くなれとかいう一切役に立たない精神論、あるいは親や先生に相談しろとかいう何十年と繰り返されてきた型通りの返事ばかりが答えに挙がるのはなぜだろう。

youkoseki.com | 日記 | 2006/11/16 (木)

小学生雑誌を買わないしネットも見ないから」ではないだろうか。人の目を引くような見出しやちょっとしたライフハック情報は、雑誌ネットブラウジングするような、大量の情報に囲まれている人間を対象として、そういった人間の興味を何とかして惹こうとする動機がある場合に生み出される(雑誌ウェブサイトなど)。小学生を対象とするそういった記事を提供しても小学生雑誌を買わないしネットも見ないので、金銭的メリット(もしくは名声)がないからではないだろうか。

でもネットに関して言えば、最近小学生ネットを見るようになってきているし、「2週間でいじめられっ子を脱するための10のメソッド」とか「登校拒否になったときのためのリンク集」などの記事を載せるサイトがあったら、やりようによってはアクセスを稼げるんじゃないか。小学生クレジットカードを持ってないのでネットで物を買えないから広告がつきにくいというのがネックかもしれないが。

2006-11-12

タイトル以外にURL入れても言及側メリットは同じじゃない?

複数記事にトラバ送るなら別だけど、そういうのは珍しい……ような気がする。

http://anond.hatelabo.jp/20061112135404

http://anond.hatelabo.jp/20061112134159

過去にも何度か同じことを言われたけれど、慣習として根付いている。

タイトルに記事名を入れるとどんな言及か分かりやすくなることで、「非言及側」にメリットがある。対して記事名にURIを入れた場合、どの記事に対する言及か分かりやすくなることで「言及側」にメリットがある。

恐らく、更新時間で昇順ソートされている現在のアノニ増田の場合、新着記事から興味があるのをつまんでいく…という読み方をする人が多いと思われるので、「言及側」のメリットの方が大きい為に、慣習が変わらないのだと思う。短文スタイルが多いためにタイトル名として書くことがないというのもあるか。

2006-11-10

当てにならない筆者に代わって読者にタグを付けさせ分類を促すとして、分類する行為がユーザーにこれといったメリットを及ぼさない限りはすぐ廃れるんじゃないか。

あと、全く関係無いタグと記事を紐付けしてしまうタイプ荒らしに弱そう。

2006-11-05

Wiiコン

ローンチテニスとかゼルダとかの辺りは、アナログ操作が可能というメリットがほとんど生かされてないよな。剣を振る、ラケットを振るというというデジタルな操作を、電圧から加速度センサでの検出に変えただけにしか見えん。体感できる面白さは分かるんだけど、それ自体は業務用で使い古されているから、「新しい体験」にはならないというのに同意。やはり「どうラケットを振ったのか」というアナログ入力が生かされるようになって、Wiiコンのメリットが生きてくるんじゃないだろうか。

いまんとこ一番Wiiの可能性を感じたのは、リモコンを紙飛行機に見立てて画面上の飛行機を動かす、ってやつ。

訂正。

テニスボタンを置き換えただけというのは事実誤認だったようだ。実物見るまでなんとも言えないが。

 
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