はてなキーワード: メサイアコンプレックスとは
苦しんでる女性に寄り添おうとして酷い言動ばかりしてる男性フェミニストはメサイアコンプレックスの一種にも見えていて(偏見)
困った人を助けるのにメサイアコンプレックスにならないように気をつけないとと思う
ああ。
なんか、ちょっとだけ分かった気がする。
僕は、低能先生の行動原理の一つにはマッチョ思考とメサイアコンプレックスがあると考えている。
(煽りにのってしまったのが、まさにそこを見抜かれてハマったのか、煽った方はそこまで考えて無くて困らせてやろうってだけなのか分からないけど)
http://kyoumoe.hatenablog.com/entry/20180625/1529897639
他の人は死ねとか殺すとか言われてたけど、俺はなぜかずっと羽虫とか低能拗ね男と言われてたのでそのせいもあるのかもしれない。
【羽虫】【低能拗ね男】って言葉は自分の中の嫌な部分の投影なんだろう。
(いやその言葉で罵倒された方は堪ったモンじゃないんだけど。いくら本人に突き刺さろうが、これはとばっちりなんだから)
実際いつだったかこのブロガーは、サッカー選手が叩かれた件で、記事のブクマ追ってって、ブクマカ相手にメタブクマで罵倒してたよ。
すんごく似たような活動してるんだから、シンパシーを感じててもおかしくない(しかしよくアカウント消されないな、同じ基準で消されててもおかしくないか?)
あ〜〜〜〜わかる、わかるよ
あんまり母娘関係には関係ないんだけど、自分も似たような性癖でさあ、異常な努力とか無理しまくってる女性がドストライクなの。あまりに巨大な目標を立てそれに邁進し、自分で自分を殺してしまいそうな子がほんとに好きなんだわ。
別にメサイアコンプレックスではないんだよな、救いたいとも思わないし救えるとも思ってない。
ただ現実とか不条理にこれ以上ないくらい必死に抗ってるところに本当に憧れてしまうんだよ。こう書くと嗜虐的なアレかとも思うんだけど、それも違うと思っていて、別に苦しんでる表情が好きなわけではないく、ただ自分に異常な格律や呪いを課しながら、それでも生きていこうとする姿が好きなんだと思う。僕もそういうところがあるので同病相哀れむ的な何かだと思っている。
趣味良くないってわかってるし、後ろ暗い性癖だってのもわかる、僕だって朗らかで健全な女性を好きになれる人間ならよかった。だから最近はそういう子に会っても意図的に遠ざかるようにしてる。付き合っても往々にして幸せになれないことが多いしな。
でも好きなんだよなあ。元増田は仲良くやれてて何より。
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「メサイアコンプレックス」という言葉がある。
実際はモラルハラスメントなどに通じる考え方であるが、ここではちょっとネット向けにアレンジした理解として、「個人の問題や悩みを解決するために、わざわざ社会を変えなければならないと考え、それを呼びかける人」のことを指すこととする。「スラクティビズム」という言葉と親和性持たせる感じね。
例えば、自分がオタクとして十分なアイデンティティの充足が得られない人が、「今のオタクは間違っている。正しいあり方に直さねばならない。私が主導する」といい出したり、例えば、左翼やリベラルとして十分なアイデンティティの充足が得られなかった人が、活動の場を求めて、他に誰も問題視していないことを大げさに騒ぎ立てて自分の存在感をアピールしたりtogetterまとめなどを使って拡散しようとしたりする事案などがそれに当てはまる。
そういう人たちが、自分の問題と社会の問題を「リンク」はさせつつも「別の問題」として扱えるのであれば問題はない。当然のようにつながりはあるが、それでも自分の問題は自分の問題、社会の問題は社会の問題として、それぞれの課題を分離できるならいいのだ。
だが、大抵の人はこの2つを混同してしまう。というか、そうでもなければ、わざわざ社会の問題なんて考えようという人はそうそういないだろう。
だけど、これはわざわざ難しい事をやって、わざわざ行き詰まるように自分を追い込んでいる。セルフハンディキャップよりタチの悪い、約束された失敗に向かって飛び込む破滅願望のようなものだ。自分に酔っているだけで何の役にも立たない。
いわゆる「心の贅肉」というやつだ。
そういう贅肉がある人は羨ましい限りだ
それにしても学歴が高い人に有りがちな「自分のことだけ考えていてはいけない」という強迫観念があるのかもしれない。
最近はそうでもないと言われるが、やはり良い大学に行った人や、
本人はそうでなくとも親が良い大学に行っていたり医者だったりする人は、
多かれ少なかれエリート意識と言うのはまだ残っている人が多い。
そして、エリート意識というのは、正しく扱わないとその人間を蝕む毒になる。
数十年前の学生運動というのは当初、東大や京大などの人間が真面目に考えすぎた結果、こじらせてしまったところが出発点だった。
せっかくいい大学に通わせてもらったののに、他人より恵まれた立場にいたはずなのに、自分は何をやっているのだろう、自分だけ幸せになっていいのか、社会はこのままでいいのだろうかと余計なことを考えて、ふわふわした感覚のまま社会を変えなければならないという気持ちだけが先行してああいうことになった。
彼ら彼女らはとにかくクソ真面目なのだ。クソ真面目すぎて、背負う必要もない責任を抱え込んで、それをどう扱っていいのかわからないまま混乱してしまったのだ。
最近はてなブログでこれに近い、クソ真面目な人が混乱しながら書いたんだろうな、という記事を読んだ。
東大に次ぐ日本で二番目に難しい文系大学を出たあとニートになったりすれば、その鬱屈した感情は非常に強いことだろう。
ああ、エリート意識を持て余し、メサイアコンプレックスに取り憑かれているなと感じる。
だが、タイトルに革命、のような言葉をつけているわりに記事の内容は幼稚としか言いようがない。
自分に酔っているなとすぐわかる。
大学卒業したての人間が、雇われずに生きていくと言っているのと近い。
願望を述べるのは良いが、具体性が足りない。そこに本気を感じない。
この人はシャドウ・ワークという言葉を知らないのだろうか。 良い大学を出ていても、あまり勉強してこなかったように思われる。
自分の問題から逃げるために社会の問題を論じているだけのようにしか感じない。
自分の現実から逃避するために適当に論じている人を見ると少し腹が立つ。
そういう人間が、私は社会の問題をちゃんと考えてます、というツラをされると私としては大いに腹が立つ。
今の社会はそりゃ間違っているかもしれないが、それでもとりあえずギリギリ成り立っている。
それを支えるために結構な労力を費やしているわけだ。
ブラック企業を支持する奴隷と言われるかもしれないが、すくなくともこの社会において
別に私でなければ回らないようなオンリーワンの仕事なんかしてないが、
与えられた仕事で毎日踏ん張って、自分だけでなくて家族を養って生きてるのだ。
他人から見たらつまらない人間に違いないだろうが、そういうことを蔑ろにされたくない。
そういうことすらろくに出来ないやつが、社会の変革みたいな大げさな話をしても鼻ホジでしかない。
メサイアコンプレックスだと思うんだよね。他人のことほっといてまず自分が幸せになろうとしようぜ。
自分が「救世主」かのように無自覚で周囲に振舞うのです。その背景には「実は自分が救われたい」感情が無意識に隠れています。本当は自分が救われたいのに自分が救われる為には自分が「救世主」かのようになり承認されなければ自分は救われないものだと言う悲しい思い込みがあるのです。
「多く人を救わなければ、自分の価値はない」と思い込んでいるかのように苦しんでいるのです。
ですので、親切の押し売りをしてまでも自分が救世主になれる場面作りを無自覚で行うので、ターゲットにされると説明をしにくいレベルで不幸へと誘導されていく
まあ私も親の金を頼って生きてる身で人に文句をつけることはできないのだけれど
人から金をむしり取ることに特化した人間になってしまったことの、罪悪感みたいな、
そういうのを感じない文章で腹が立つ。すげーなってなる。
親の望まない大学に進もうとして「浪人しろ」といわれ、せざる負えなくなったり、
俺たちが返すといっていた奨学金を、結局こっちで返さなきゃならなくなったり、
お前より姉が生まれてきた方がよかったと怒鳴りつけられたり、
物心ついてから最初の記憶が母の「(母方の)祖母が嫌い」という話だったり、
お前が生まれたせいでリウマチになって、お前がいるからリウマチがひどくなったと責められたり、
行き場所がなくて、鬱になって、山手線に乗り続けて一日中ぐるぐるしたり、
そんな風ではないじゃない。どうせ周りに誰かいてくれたんでしょうに。
別に金には困ってない家族だし、弱らすだけ弱らして、もう嫌なことも少なくなったから、
それはもう済んだことにしているのだけれど
例の増田読んで絶対解消できないルサンチマンを植え付けられて不快。滅却滅却。
それで、派遣で溜めたお金で、学生やり直して望みの職にもつけて
親を死んだことにして、恋やら結婚やら、愛を紡いで楽しく生きようと思っていたのに。
己の醜さに潰れそうな日々を送る私は、解消しえないルサンチマン抱えて道徳的になっちゃって
あんな欺瞞に溢れた人間の方がよっぽど誠実で誠意のある人として愛されて、
愛してほしいと訴える私は一生汚泥の中でもがくのでは?という不安にさらされる。
なにが言いたいって、誰か手を差し伸べるのてくれる人がいるなら、
もはや勝手なメサイアコンプレックスだとしても、是非受けてみたいっていうこと。
言うほど怒ってもないので、増田の海に流して寝る。布団が温い。