はてなキーワード: 障害者手帳とは
両親は六十代前半、私は二十代前半。妹は3つ下だ。
朝、母の怒鳴り声がうるさい。
妹が着替えないからだ。
「迎えの人来ちゃうから、早く着替えなさい!」
「◯◯、はやく!」
「着替えなさいって、何度言ってるの!」
「何でまたトイレに行くの。さっきも行ったでしょ!」
妹は全裸に近い状態のまま、持った服をパンパンと叩いたり、唾をつけたりする。
ぶよぶよと太った身体が醜くて、汚らしくてうんざりする。
ひどいときは1ロールなくなる。
「かみ、かみ」
と妹が呼ぶと母が新しいロールをセットしにいく。
「そんなに拭かんでいい!」
また母がわあわあと怒り出す。
何故か実家ではトイレの電気を消さないルールになっているので、
「なんでいちいち電気を消すの!消すなって言ってわからんか!」
と、また怒鳴る。
作業所から迎えの人が来る。
まだ着替え終わっていないので、母が毎度、
「まだ着替え終わってないんよ。今日も1時間かかった」などと話をする。
だいたい毎日同じことを話している。
私の部屋は玄関のすぐ横だし、築三十年以上経っている実家は壁が薄い。
毎朝とてもうるさい。
母は高血圧で薬を貰っている。頼むから怒ったり興奮しないでくれと私が何度言ってもダメ。
吃音はともかく、話した内容を汲みとってもらえない、デリカシーがない(性器の名前を口に出して言ったり)、
テーブルの上に空き缶があったり、剥がした湿布があったり、洗濯物は畳めず積み重ねてあるなど。
父は昭和の頑固で偏屈な父親と言う感じで、機嫌が悪いと物凄く態度に出る。
テレビを引っくり返されたり、携帯を真っ二つに折られたこともあった。
妹を可愛がったこと記憶が私の中に全く無い。
「俺の前でメシを食うな」と今でも妹だけ別。一時期は妹が何かする度怒鳴ったり殴っていた。
18才から21才まで、私は他県で自立していたのだが、仕事の都合で実家へ戻ってきて、数年。
こんなにも私の家族は変だったのだと、やっと気がついた。
せめて出ていければいいが、現在経済的に厳しく、一人暮らしは当分出来ない。
私は、両親の介護が怖い。
晩婚で、私は父が40才のときの子どもだ。周りの同級生たちの両親よりも老けている。
介護しなければいけなくなる頃、私はまだ若いだろう。結婚を考えるとき、それが足枷になるかもしれない。
私は、妹の世話が怖い。
両親はきっと、妹を遺して死んでしまう。妹は偏食だけれど今のところ健康で、そして私よりも年下だ。
私は、妹を引き取らなければいけないのだろうか?姉には保護責任があるのだろうか?
怖い。怖い怖い怖い。
自分の将来だってまだ何の足場も出来ていない、そしてまだ楽しみたい。楽をしたい。
今から貯蓄を少しずつするにしても、何故私が今そのために我慢しなければいけないのか?
周りの子たちは「若い」と言われる間、人生を楽しむだろう。
何故、高齢の両親の元に生まれ、障害者の妹がいるという不運のために、
私がそれをしてはいけないのか。
しょうがない。分かっている。いや、分かりたくない。
我儘で自己中心的だということは分かっている。
でも、私は逃げ出したい。
地震と原発事故がおきてから、「いたわって!」という言葉をよくみかけます。
買いしめとか、デマの流布とか、的はずれな批判とか、いろいろなことが問題になっていて、当局のほうも「自粛を」要請したりします。
でも、ちょっと待ってください。
「みんな不安なんだ、いたわれよ!」って、「みんながんばってんだ、がんばれよ!」と似ていませんか。
「みんながんばってんだ、がんばれよ!」ってうつ病のひとに言っちゃいけない、というのは、わりと広く知られてきたように思います。
「みんな不安なんだ、いたわれよ!」って不安がるひとに言っちゃいけない、というのも、同じようには考えられないでしょうか。
「がまんしろ!たえろ!」って言われても、できないときがあるのではないでしょうか。
「控えて!」って怒られたら、かかえこんだ不安はどうすればよいのでしょう。
あるいは、それが不安だとさえ気づかない人々は、いったいどうすれば?
(そして、それが分かるひとは、そもそもこうした問題をおこしはしません。)
彼らは、暴れないし、自暴自棄にもならないけれど、それはもうパニックと呼ばれる状態なのです。
彼らには、彼らが「だいじょうぶだ!」と思えるように、あるいは、少しでも不安を忘れていられるように、不安という感情から遠ざけてあげてください。
楽しいことをしたり、美味しいものを食べたり、あるいはいっそ遠くへ旅行へいっても良いのです。
こんなに美味しいものがいつもどおり手にはいったじゃないか。こんなきれいな景色がいつもどおりあるじゃないか。
それと同時に、彼らががまんしなくても良いように、「しかたないかな」と思えるように、あるいはそれにすら気づかないように、周囲をくみたててください。
「健康保険証と障害者手帳の数だけ売ります」みたいに決めたら、少なくともなにも条件がないよりは、他人のことを考えられませんか。
子供たちのぶんは、お母さんが買いにくるしかないんだなあ、たいへんだなあって、自然に考えませんか。
+
あんな吐き出しを読んでくれた方がいたんだな。嬉しいよ。
って投稿しといてURL全部間違ってた件。申し訳ない。
http://anond.hatelabo.jp/20101005141818
なんか、すごく心強かったよ。ありがとう。
最終的には生活保護なんだろうけど、今あれを通過するのは難しいらしい。
障害者手帳支給って方向で考え始めてる。
http://anond.hatelabo.jp/20101005142217
http://anond.hatelabo.jp/20101005162036
年齢は関係ないか…。
どっちも原因かもしれないし、そうじゃないかもしれない。
結局は本人が超えてかないといけない問題で、それにしても俺は何の手伝いもできてないなって凹んだんだ。
今は改めて(再就職がうまくいくまで待つのを)頑張ろうって考えてる。
昨日の午後3時あたりから、30分にも満たない間、24時間テレビを視聴した。
多くの障害者の方々が液晶画面に映る。ブラスバンド(?)をしていた。全盲の女性がマラソンをしていた。
弟は3級の障害者手帳を持っている。数年前、統合失調症と診断され、家族が慄くほど狂った後に正気を取り戻した。
どちらも健常な人間であれば、多少の訓練機関は必要となるが、出来るようになることだと思う。
それをわざわざ障害者の方にやらせて有難がる(あるいは面白がる)のは、蔑視していることの現われではないのか。
障害者に対し、社会の一員と考えるか殺したいくらいの邪魔者と考えるかは、人それぞれなのでどうでもいい。
障害者を家族に持つ者の一意見に過ぎないが、私は常々こう思っている。「みんな普通に生きたい」のだと。
父はかつてこう言った。「障害者という言葉そのものが差別なんだ」
とある教授はこう言った。「他人の介助が必要なければ障害者ではない」
障害者という理由で、善意であれ悪意であれ過剰に介入されるのは不愉快だ。
障害者である故に、他人に迷惑をかけることがあるかもしれない。そのことについては謝罪するしかない。
だが、社会の中に上手い具合に溶け込んで、生活が出来ているならば、ただただそっとしておいて欲しい。
社会に出ている障害者は、身体であれ精神であれ問題をある程度克服し、日常生活が出来ると判断されて、その中にいるのだから。
(中には色んな人のエゴで何も出来ないのに社会に出ている人もいるけれど……)
障害者をお人形にして色んな変なことをやらせるよりも、障害者の日常を追ったドキュメントを作った方が
ずーっと理解がしやすいし妙な誤解も生みにくいだろうに、何で毎年おかしなことばっかりさせるのだろうね。
弟や父(書き忘れましたが、父も手帳貰うほどではないですが障害を持っています。ちなみに精神じゃないよ身体だよ)、
その他大勢の障害者の方々は、芸人やタレント、テレビの前の視聴者を感動させる道具とかそういうんじゃない。
普通の人と同じように、普通に暮らしたいと願って普通に暮らそうと頑張っている人たちだと私は思う。
だけど、普通の人たちはきっと、大抵は蔑視しているでしょう?
普通にバスに乗っていた前の人が、自治体から発行される無料乗車証を提示しているのを見たら、あいつは障害者なんだって思うでしょ?
普通じゃない人が普通のことを頑張って成し遂げようとするから感動して涙まで流すんでしょ?
内心でどう思うかは構わないけれど、迷惑を掛けていないのであれば、そーっとしておいて欲しいなあ。
好きでこうなったわけじゃないんだ。そのコトをウリにしてメディアに露出したいわけじゃないんだ。見世物になんてなりたくないんだ。
障害者手帳をもらうぐらい病んでしまったやつのリハビリにつきあってる。
ちょっとした計算をしてもらってたのだけど、どうも怪しいので確認してみた。
「10円で仕入れたものを100円で売るといくら儲かる?」
ここまでは90円と答えられた。
「じゃあ10円で100個仕入れて100個売れたらいくら儲かる?」
と、言ったら答えられなくなってしまった。
何がわからないのかひも解いてみると、100個が10円で買えるとおもったらしい。
つまり、9990円と答えったのかな?そこらへんからもうわからなくなってしまったようだ。
9万円とか答えてたけど。
とりあえず違うよと、言ったらあわわわわとヒューズが飛んだのでそこで終了。
「10円で100個」を「10円のものを100セット」といったら理解できたみたい。
わずかなギャップが超えられず、あっというまにメモリを食いつぶして脳がオーバーフローする。
そうだねえ、小学校低学年ぐらいかー。
ボケちゃったお爺ちゃんみたいな感じだけど、こういうのって戻るのかね。
「願わくば」はマチガイで「願わくは」な。
あと「発効」は当然「発行」な。
で、精神障害者手帳なくても入院はできるが、一生入れてもらえる精神科病院なんて今はないからな。
3ヶ月めから保険点数が極端に削られるから、追い出されるのな。
で、自分から望んで入院を希望すると、それは「任意入院」だから、「原則的に開放的な処遇」になるのな。
「原則的に開放的な処遇」というのは、「夜間を除いて出入りが自由な環境」なのな。
だから
ってことはありえないのな。
まあ中で大暴れして「厳重にロックされた個室」に入れてもらえることはあるけど、中に本を持ち込むなんてことは無理なのな。
あと誰にも顔を「合」わせず、と思ってるのは入っている人だけで、24時間監視カメラでモニターされてるけどな。
まあ
俺は愚か者以外の何者でもないな。
は正しいみたいだけどな。
外で悪口を言われたり非人間的扱いを受けて、「もう人とは関わりたくない。独りでいたい」と引きこもるが、引きこもってばかりではもちろん生活なんて維持できないし結局数日で外に出るハメになる。
だからと言って周りからの態度が変わる訳ではないし、間違っても「君が引きこもってしまう程酷いことをしてしまって申し訳ない」と反省が表れる事もない。
「ああ、またあいつ引きこもってたのか。馬鹿だな」と思われて終わるだけである。
ちなみに引きこもっている間は何をしているかと言うと、一日中俯いて「許さない、殺す」「あいつも殺して俺も死ぬ」「面倒だ今すぐ死のう」と考えている。ひたすら遊んでいてゲーム等を極めたという経験はない。
何もしていないから生活水準も落ちる一方でしかも楽しくない。こうして書いてみると俺は愚か者以外の何者でもないな。
世の中には精神病院という施設があるらしい。あそこに入院すれば、厳重にロックされた個室の中で誰にも顔を会わせず自分も表情を動かさずひたすら読書や物思いに没頭できるみたいだ。
http://anond.hatelabo.jp/20100707221911
ブコメを見ていると発達障害ではないかという意見が目立つ。自分も大学院卒でADHDなのだが、状況が似ているということもあり、真面目に分析してみることにする。
まず最初に、ADHDのことを理解するのに重要なこと提示しておく。ただしこれは当事者としての分析だ。医学的な証明がされているわけではないのでご了承を。
人間は言葉を理解するときに、一時的に言葉そのものを脳の一時作業領域に記憶して、前後の言葉の関係を組み合わせながら意味として理解し吸収する。
定型とADHD患者の違いはおそらく"一時作業領域"の性能だ。いわゆるワーキングメモリというやつだ。ADHD患者はワーキングメモリが少なく、言葉の意味を吸収する前に言葉の情報をワーキングメモリに詰め込まれると、吸収前の言葉の情報を追い出さざるおえなくなる。よって、話が右から左に流れていくのと同じ事になる。作業スペースの極端に少ないベルトコンベアというようなイメージかもしれない。
これを踏まえて、以下のことについて。
わたしの問いかけにも、黙ってうなづき続けるだけだった。ふとわたしは思うことがあり、話すのをふいにやめてみた。彼女はそれでも表情を変えず、一定の間隔で二、三度うなづいた。それから、はっとしたように、うなづくのをやめた。ああ、この子は、ほんっとうに誰の話も聞いてなかったんだな、と改めて思った。
これを読んで思うことは、多分途中から頑張って聞くのを諦めてるか、本気で聞こうとしてて理解できていない可能性があるんじゃないかと。だっておかしいと思わないか。聞いてる本人も時間を割いてるのに聞かないとミスをするのに、わざわざ聞いてるような仕草だけして聞かないなんて普通考えられない。向上心がなかったとしても自分の身を危うくするようなことは少なくともしないはず。
院卒の女性はもしかすると、相手の話を理解できないことも、相手に自分の症状について理解してもらえないことも理解しており、とりあえず頷いて理解したように見せその場を回避し、断片的に覚えている言葉を参考にあとで何らかの方法で勉強しようとしているのかもしれない。しかし、その方法では限界があるので結局ミスをしている可能性がある。
院卒の子は、人当たりはすごくいい。あいさつもはきはきできるし、個人的に話すぶんにはトークも面白い。口は達者だ。
この「雑談のような話は普通に理解して聞いているのに、仕事のことになると理解していない」というギャップがADHDの症状に似ている。普通の雑談なら全然問題なくても、ちょっと考えながら聞くような話だったり一方通行の話だったりすると吸収が追いつけなくなる。会話だと自分のペースで話しやすいし、言葉がとぎれとぎれになるから、ベルトコンベアを止めてゆっくり作業が出来るのと同じ事になって吸収が追いつくようになる。
もうひとつ、仕事はちゃんとやらないのに、関係ない会話は意欲的だということ。これも似ていると思う。先で書いたようにあまり複雑な話だとついていけないというのもあるし、ADHDにありがちな刺激があることを好むというのがある気がする。それを本人も分かっているか無意識に理解していて、刺激がある楽しい話を積極的にしている可能性がある。
人当たりがいいというのは、能力の違いを理解してるというのから来ている可能性があるもある。おそらく他人にすごい優しいはず。無理に厳しいことをあまり言わない。そんなことして自分にブーメランがきたときに困るから。
他にも思うことは色々あるけど、ADHDの症状と似ている主なところを話すとこんな感じかと。
ADHDって厄介で、周囲から見るとやる気がないとかサボってるとか人としての基本を問われるような理屈の筋が通ってしまいやすい。今回のもそうだけど、向上心というのも「そうかもしれない」と思わせるくらいの説得力はある。
自分の場合もそうなんだが、普段はできるだけ平気な顔するようにしている。真剣に話を聞こうとしていて、それこそ額に手をあてて眉間にシワをよせて聞いて、それでもどうしても聞き逃しが発生する。重要な話を聞いてる最中は不安で仕方ない。というのも、過去にも同じようなことを何度も繰り返してきていて、もう既に度胸みたいのもある。話を聞くたびに落ち込んでいるのは無理があるため、それをなんとかしようと自分なりに考えた結果がそれ。
ちなみに、自分がイメージしてるADHDと違うと考える人もいるかもしれないが、多動とか衝動とは確かに違う。不注意優勢に見られがちな、遅刻も多分ない。自分もそうだけど、その辺りは個人差があるのでなんとも言えない。でもどんな症状であってもワーキングメモリに影響するところはあると思う。ただここでその説明をすると長くなるので今回は書かない。
そういう部下がいる場合、腹が立つのも分かるし、どうしたらいいのか分からなくなるのも分かる。しかし、それをこの場に来て愚痴だけ言って終りにするのはあまりにつまらない話じゃないか。せっかくだから、もう少し困っていることを詳しく書いて解決策の提示をお願いしてみるくらいの方がいいと思う。
向上心がどうという話をしているけど、立場が指導者で部下がいるのであれば、部下を育てるのも仕事のはず。ここにきて愚痴だけ言って帰ったら改善する気があるのかと逆に指導者としての向上心を疑われかねない。
でも、全くその気がないと思っているわけではないので、改善策を書いてみる。よければ参考にして欲しい。
・伝えたいことをはっきりさせて短く話す
長い話を聞いてるとどうしても無理という可能性があるので、要点をまとめて短く話してみるのもいいと思う。一つ一つの理解が簡単であれば話についていけるようになるはず。
・反復して確認させる
前でも書いたように、理解速度が遅いという可能性がある。そういう場合は話していることをどこまで理解しているか確認しながらやるのはどうだろう。
・メモを取らせる
反復して確認させても、完全に理解できてるとは限らないし、しばらくしたらスッパリ忘れてしまう場合もあるかもしれない。そういう場合はメモを取らせる。そしてその時間を取る。なぜかというと、話を聞きながらメモをとるのはすごく苦手だったりするから。同時に複数のことをこなすというのはADHDだとしたら苦手なはず。
・精神論を言わない
精神論は多分言っても無駄。大学院に行ってる時点でかなり努力をしているはず。それでも追い打ちをかけるように努力だの言ってしまうと、モチベーションが下がってパフォーマンスがさらに落ちることになりかねない。
あと、これは注意して欲しいところなんだけど、社内で「ADHD」という単語を使ってはいけない。ADHDは障害として認知されてはいるけど、障害者手帳も発行されないし障害者として生きることは現時点ではほぼ不可能。それに、理解の難しい障害だし誰に伝えてもちゃんと調べてももらえない。自分の場合、親に伝えてもあまり調べてもらえていない。そのくらい関心の薄い障害ということ。本人が自分で気付かない限り知らない方が幸せだと思う。障害者だなんて言われるのはそもそも嫌なことだと思うし。難しいところではあるけど。
多分見てないんだろうけど、一個だけ言いたいことがある。それは聞いているフリをしてるように見られていること。微妙なところではあるんだけど、これは賛同できない。理解力があってもなくても、理解出来ているか出来ていないかは自分でも分かるはずなので、理解で来ていないことはできるだけ確認し直したほうがいい。そうすれば、一応聞こうとしていることは分かってもらえるはず。努力しても理解できないというように思わせることが出来る。聞いている途中でバカにされたり、教えるのを諦められたりするかもしれないけど、どちらかと言えばマシだと思う。
以上、あやふやな話で申し訳ない。
長文失礼しました。
私の兄は精神障害者である。3、4年ほど前に発症、障害者手帳を交付され、精神障害者となった。
病名は統合失調症。幻覚を見て幻聴を聞いて、異常なほどまでにあらぬ心配をする病気。
兄の場合、3年前がピークであった(恐らく急性期がその頃だったのだと思う)。
それから徐々にであるが、兄にだけ見えていた世界が見えなくなり、普通の人に戻りつつある。
ただ、心配をし過ぎる点のみが、家族の私にも異様に映る。それ以外は何もおかしな点はない。
兄が今現在に至るまで、精神的な支えとしていたのが、サイクリングである。
兄は昔から運動が好きだ。精神病院から退院し、しばらくはデイケアに通っていたが、兄には時間が余っていた。
それまで趣味と言える趣味を持たず、強いて挙げるならば勉強が趣味だと公言していた兄。
父はこれを良くない傾向と考え、勉強をして家に閉じ篭らずに、外に出て運動をするようにと言いつけた。
そうして兄はサイクリングを始め、昨年には大会でそこそこいい成績を残せるまでになった。
また、それと同じくらいの時期に就職が決まった。昨年は良いことが重なったので、良かったなと暢気に思っていた。
私も、家族も、そして兄も。
今年に入って間もない頃、兄に新聞社から取材のお願いが来た。
精神障害者がサイクリングを通じて元気になったという美談を書きたいんだと。
(美談、などとは言っていなかったらしいが、美談が書きたいとしか私には思えない、ので美談と書く)
兄は、匿名且つ顔を出さなければ、という条件付で引き受けた。
しかし、2回目の取材の際、顔も名前も出して欲しい、それが君のためになるから、と記者2人に諭され、兄は断ることが出来なかった。
いつまでもそのことを気にして、食事も出来ない有様。兄の様子がおかしいことに父が気づき、その理由を聞き出すと、
父はすぐに新聞社に電話した。結局顔も名前も出ないことになったけれど、記者はこのことを最後まで疑問に思っていたようだった。
顔や名前を出すことがためになるのだと、本当にそう考えているらしかった。
兄は障害者ではあるが、毎日真面目に仕事をこなし、精度も悪くないので、サポートしている人たちからの評判もいいらしい。
少なくとも、サポーターの人は兄を心配性だけれども普通の人と認識しているようだ。
そのように一定の評価を得ていることもあり、兄は彼らの飲み会に誘われた。
健常者多数に障害者1名の奇妙な飲み会は、楽しいものだったそうだ。兄以外の人間にとっては。
施設の幹部も交えての飲み会は、主に施設で働く障害者への愚痴で構成されていた。
勿論、彼らは兄のことは何も言わない。聞き分けの良い、真面目な、そして割と健常者に近い障害者だと認めているから。
それは、兄にとってはとても名誉なことなのかもしれない。しかし、兄は、こんなにも不愉快になった飲み会は今までになかったと語っていた。
不愉快になるばかりの会だったと。
誰も自分だけでは解決できない問題を抱え、そうなりたくてなったわけではないのに、
皆、ひたすら真面目に働いているのに、サポーターは障害者を儲けるための道具にしか考えていない。
帰宅し、苛立たしげに酒を飲みなおしながら、兄は語った。
障害者って何なのだろうな。社会に疎まれ、利用され、そして庇護されることでしか生きられないのだろうか。
その疑問の答えは恐らくイエス、なのだと思う。腹が立つし、納得は出来ない。
どうもこんにちは。ネット上には掃いて捨てるほどいるうつ病患者です。
うつでつらいとか自分語りは聞き飽きたと思うので、
メンヘラになって始めて知った具体的なデメリットなどを書きます。
・医療費がそれなりにかかる
私は1、2週に一度精神科に通院していますが、精神科の診察料が約2000円、薬代が2000円弱程(自己負担分)かかります。
1ヶ月に1万円かそれを超える出費です。結構痛い。(私の処方は比較的古い薬が多いので安いほうだと思います)
・薬の副作用が結構つらい
薬の種類にもよりますが、坑うつ剤の副作用は地味に苦しいです。
便秘、発汗、のどの渇き、頻脈、太る(やせる)、めまい、頭痛、などなど
・障害者手帳がもらえるが…
障害者割引を行っているところでも、精神障害者は除外されていることが多いです。
・献血ができなくなる
薬漬けの人の血液は断られます。
・生命保険に入れなくなる
一部のがん保険のようなすごく狭い補償の保険には入れることがあると言う話もありますが
・住宅ローンが組めなくなる
ただし、フラット35は団信なしで組める場合があるので、組めたという話も聞きます。
http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/osaka/091101/osk0911010237002-n1.htm
それに代わる呼称を一般公募しようという話のようです。
私は脊椎に先天障害がある、いわゆる障害者です。症状は排尿障害。
障害者になじみがない方の参考になればいいかなと、少し意見を書いてみます。
小学校のころ、学校で知らない女の子二人組に、こう話しかけられたことがあります。
「○○くんって、障害者なの?」
まだ素直だった私はその女の子たちに、自分が二分脊椎という先天障害であること、
どのような症状があるかなど、わかる範囲で丁寧に説明したつもりでした。
しかし、説明を聞いた後の女の子の一言は、私の予想外のものでした。
「じゃあ、やっぱり○○くんは障害者なんだ」
自分という個人ではなく、「障害者」というラベルで見られること、
これはとてもつらい体験だったので、30を過ぎた今でもはっきり思い出せます。
(数多あったいじめや何やより、よっぽどはっきり覚えています)
だから吹田市が「障害者と呼ぶのはやめよう」ということ自体は、理解できる面もあります。
例に挙げて悪いですが、本記事のブックマークコメントでid:A-xtuという方が、
b:id:A-xtu 身内に障害者がいる身としては、ちっともありがたくないどころかむしろ大迷惑。どうせ行政上の諸手続名称もいろいろ変更されるのかと思うとウンザリする。こういう当事者不在の施策はいいかげんにせよと申し上げる 2009/11/01
とまでおっしゃってますが、正直、身内の方の気持ちをほんとにわかってらっしゃるのか、
他人事ながら少し悲しい気持ちになりました。
(ただ言葉が足りないだけと信じたいですが)
追記:ブコメにご指摘あり、上記内容は重度障害者の身内としての立場を表明されたものとのこと。「当事者」という言葉が「障害者本人」を指すと勝手に誤読しておりました。大変失礼しました。
「障害者と呼ぶのをやめる」ことは結構ですが、
「それに代わる呼称を」というのは無意味なことだと思います。
「○○くんって障害者なんだ」が仮に「○○くんって元希者(げんきもん)なんだ」に代わっても、
ちっとも救われないどころか、むしろバカにされてる感がプラスです。
障害者だの障がい者だの元希者(これは高齢者のことですが)だの、字面の問題ではないんです。
何らかの総称で呼ぼうとすること自体が、障害者/健常者という二分論を産み、
総称を全くやめてしまうと行政上の不都合も生じる(障害者手帳とか)場合があるでしょうから、
そこは、個別により適切な単語に置き換えてもらえばいいと思いますが、
「イメージがよくてキャッチーな単語で総称しよう」というのは、
発想の方向が違うのではないでしょうか。
『障害』は個人ではなく社会の仕組みや街のあり方に存在する
については、心より賛意と感謝を送りたいと思います。
吹田市には、このスタンスを大事にしてあまり変な方向に流れないように、
と願いたいと思います。
b:id:quix_que 障害者, 言葉 一応障害者の端くれとして言えば、属性を示すラベルが必要な以上、カテゴライズからは逃れられない、と思っている。2009/11/01
b:id:tatsujik 障害者の親ですが、障害者というカテゴリーは必要だということは自覚されていると思います。カテゴリーはいるが、障害者とは言わないでほしいというと現実的にどう対応したらいいのかわかりません。2009/11/01
確かに行政上カテゴライズが必要なことは理解しているつもりですが、そのことと、
カテゴリに名前が必要かということは別問題ではないかと思っています。
以下に私見、というか、「こうだったら私は嬉しい」を書きます。
例えば、「障害者」という広いくくりではなく、なるべく各病名や症例名で呼ぶようにするだけでもいい。
病気したことない人はほとんどいない、つまり、ほとんどの人は何らかの病名や症例名を持っているので、
これだけでもある程度対等な立場で話をすることができるようになります。
その上で、一部の症例に関しては「障害者手帳」ではなく「障害明細手帳」を交付する。
いや手帳の名前はセンスある人が考えてくれればいいですが、言いたいことは、
と、ここまで書いて思ったのですが…。
私は四肢障害が出なかったので、見た目でラベリングされることはまずありません。
手術とかで治るんだったら治したいよなーとはよく思う。
また病気と障害については、例えばHIVはウイルス性の病気だけど、21世紀の技術ではまだ不治の病だから、罹患者は薬代等の援助のために障害者手帳を申請できる。確かに曖昧、言葉の選び方が悪かった。申し訳ない。
でも今回のエントリは、「不治の障害を背負ってカワイソウなワタシにみんなやさしくしてくれないの!」という主旨じゃなくて、口では都合のいいロミオなこと言っといて、実際はまったく理解もせずにデリカシーのかけらもないことばかり連発する(私はとっくに知ってたのに「ハイパーレクシアは治らない」などとしたり顔で『調べた俺思いやりある!』アピールしたり、喩え話を引っ張って「徒競争で手繋ぎ」などとあさっての方向で私のなけなしのプライドをえぐる発言をしたり)ひとりよがり「お前を好きな」俺大好き男に醒めた、という報告だったんだ。
別口で、健常者に近づく努力は続けるつもり。カウンセリング通ったり。より社会に参加できるようになるよ!話聞いてくれてありがとう。
生活板の該当スレに書こうと思ったけど、ちょっと事情が特殊だから増田に書くよ。
私は自閉。またの名をアスペ。知能は平均程度にはあるから、高機能自閉症という奴だ。行政から障害者手帳はもらっている。
ディスレクシアの映画俳優のことを調べているうちに、『ハイパーレクシア』という症状のことを知った。
ディスレクシアとは正反対で、極端に幼いうちから文字を覚えてしまう障害らしい。
実際はかなり違うだろうけど、サヴァン症候群に近いものだと考えれば理解しやすいと思う。
サヴァンと同様、その特性(能力?)自体は治療の対象ではない。他人より優れているものを治療するいわれはないしね。
私は子供の頃から無駄に字が読めて、幼稚園時代に新聞を読んでいたらしい。
自閉的な傾向とあわせて、どうも自分はこのハイパーレクシアに該当するかもしれない。
――ということを、交際するかもしれなかった人物に話した。
当初、私が何を言っているか聞き取れなかったようだが、ディスレクシアの反対と説明したら理解したようだ。
数日後、「ハイパーレクシアって治療の方法ないんだってね」と言ってきた。
……治療できるなら、それは『病気』であって、治療のしようがないから『障害』なんですが。
先述のこともあわせて、「足が速いからって遅くさせようとするようなことってないでしょ」と半ばキレながら返したら。
「そういえば、運動会の徒競争だと手を繋いで並んでゴールするらしいよね!」
あの『俺今面白いこと言った!(キリッ』みたいな顔!いまだに腹立たしい。
文字を読めると他の子に悪いから、読めないふりをしろと。つまりこいつは、認知に問題を持って生きづらい私の数少ない長所を去勢するようなことを冗談で言えるわけだ。私の障害のことなど理解する気すらない。