両親は六十代前半、私は二十代前半。妹は3つ下だ。
朝、母の怒鳴り声がうるさい。
妹が着替えないからだ。
「迎えの人来ちゃうから、早く着替えなさい!」
「◯◯、はやく!」
「着替えなさいって、何度言ってるの!」
「何でまたトイレに行くの。さっきも行ったでしょ!」
妹は全裸に近い状態のまま、持った服をパンパンと叩いたり、唾をつけたりする。
ぶよぶよと太った身体が醜くて、汚らしくてうんざりする。
ひどいときは1ロールなくなる。
「かみ、かみ」
と妹が呼ぶと母が新しいロールをセットしにいく。
「そんなに拭かんでいい!」
また母がわあわあと怒り出す。
何故か実家ではトイレの電気を消さないルールになっているので、
「なんでいちいち電気を消すの!消すなって言ってわからんか!」
と、また怒鳴る。
作業所から迎えの人が来る。
まだ着替え終わっていないので、母が毎度、
「まだ着替え終わってないんよ。今日も1時間かかった」などと話をする。
だいたい毎日同じことを話している。
私の部屋は玄関のすぐ横だし、築三十年以上経っている実家は壁が薄い。
毎朝とてもうるさい。
母は高血圧で薬を貰っている。頼むから怒ったり興奮しないでくれと私が何度言ってもダメ。
吃音はともかく、話した内容を汲みとってもらえない、デリカシーがない(性器の名前を口に出して言ったり)、
テーブルの上に空き缶があったり、剥がした湿布があったり、洗濯物は畳めず積み重ねてあるなど。
父は昭和の頑固で偏屈な父親と言う感じで、機嫌が悪いと物凄く態度に出る。
テレビを引っくり返されたり、携帯を真っ二つに折られたこともあった。
妹を可愛がったこと記憶が私の中に全く無い。
「俺の前でメシを食うな」と今でも妹だけ別。一時期は妹が何かする度怒鳴ったり殴っていた。
18才から21才まで、私は他県で自立していたのだが、仕事の都合で実家へ戻ってきて、数年。
こんなにも私の家族は変だったのだと、やっと気がついた。
せめて出ていければいいが、現在経済的に厳しく、一人暮らしは当分出来ない。
私は、両親の介護が怖い。
晩婚で、私は父が40才のときの子どもだ。周りの同級生たちの両親よりも老けている。
介護しなければいけなくなる頃、私はまだ若いだろう。結婚を考えるとき、それが足枷になるかもしれない。
私は、妹の世話が怖い。
両親はきっと、妹を遺して死んでしまう。妹は偏食だけれど今のところ健康で、そして私よりも年下だ。
私は、妹を引き取らなければいけないのだろうか?姉には保護責任があるのだろうか?
怖い。怖い怖い怖い。
自分の将来だってまだ何の足場も出来ていない、そしてまだ楽しみたい。楽をしたい。
今から貯蓄を少しずつするにしても、何故私が今そのために我慢しなければいけないのか?
周りの子たちは「若い」と言われる間、人生を楽しむだろう。
何故、高齢の両親の元に生まれ、障害者の妹がいるという不運のために、
私がそれをしてはいけないのか。
しょうがない。分かっている。いや、分かりたくない。
我儘で自己中心的だということは分かっている。
でも、私は逃げ出したい。
釣りかもわからんが。 俺も弟が知的障害だな。増田のとこよりはだいぶ軽いが。あとは癲癇持ちFラン卒の弟とかもいる。父親は会社倒産して母は癌になった。 前にも増田に書いたこと...
そうだよ、明るい未来なんて過ごせるのはほんの一握りの人たちだけだよ。 戦国時代を生き残った超勝ち組の徳川家康だって「人の一生は重き荷を背負うと遠き道を行くが如し」と言っ...
それは程度問題でしょ。
だからその、程度が甚だしく悪いのでしょう。
30こえたら今よりもっと動きづらくなるぞ。 20代前半ならまだ間に合う。 家族は捨てて水商売かなんかで自立するんだ!
俺の従姉妹も兄が知的障害者で作業所行ってて その母(つまり俺から見て叔母だが)は 「あの子は兄のことがあるから結婚できない、 だから良い会社入って自分を養えるような仕事...