はてなキーワード: 障害者手帳とは
今まで生きてきて生きずらいと思うことはなんどもあった。その理由を統合失調症と診断されたこともある。こんな大袈裟な書き出しだが、何のことはない。今日私の住む寮に来たセールスを追い返すのに大声で叫んでしまったのである。どうにか入れた会社、もちろん統合失調症であることは告げていない。その寮で、こんなことがあれば、すぐに噂は広がり、私の部屋に精神薬が置いてあるのが知れれば、この会社にいることもできないだろう。
私は、自分とのシンクロ率が低いことに常に悩んでいた。何かをしている時ふとその姿が鏡に映るとそこに映る私と、それが本当にこの私なのかと疑いがよぎることがある。統合失調症の人のことを普通の人より傷つきやすいというのを聞いたことがある。それを聞いたときは病気でない人にも傷つきやすい人はいるのにと思った。その本質的な違いは、傷ついた時の対処法が極めて限られているということだろう。自分で自分をどうしようもなくなってしまうことがある。シンクロ率の低い自分に、責任を持てない感じがある。
今日の自分の取った行動は、セールスを追い返すのにどうしたらよいかわからず、狂人を演じようとしてしまったといえる。今ちょうど町田康の「告白」を読んでいたのも影響しただろう。主人公は自分の思いを言葉で表すことが苦手でつい自分の思っていることと違う言動をしてしまう。そして、窮地に追い込まれると、わかっていながら狂人を演じてしまう。まだ途中までしか読んでいないが、この話は史実をもとにしているので、この主人公が人殺しをしてしまうというラストは決まっている。今置かれている自分の立場を考えると、最後まで読み進めてよいのかという恐れもある。
それ以上にこれから私はどのような人生を送っていけばよいのかという大きな問題がのしかかってきた。そんな今日を迎えてしまうことは、今までも考えてこなかったわけではない。大学4年の就職活動で何社も面接で落とされるたびに、この私には普通の人のような人生を送ることはできないのではないかと悩むことは多かった。それでも少しの希望を持って4月から仕事をしている。それもこのことがきっかけとなって失われてしまったら、今後の私はどうなってしまうのだろうか。
冷静に障害者手帳を貰って生活保護で生きていくしかないという考えを持ったこともあるが、それが現実になるというのはまた違ったものだろう。
そりゃ確かに私は無職失業精神病行き遅れ三十路処女独身持病持ち二年熟成ニートだが、それは自業自得であって、いちいち不幸だなんだと批評される筋合いはない。
人のことどうこういうなら、私の条件で人生やってみろっつうの。ドブス近眼毒親持ち持病つき(不治いずれ障害者手帳いき)だぞ。それでも借金持ちや虐待よりマシな条件なんだ。単に私の努力と根性がたりてないだけじゃないか。
それが不幸だ、災難だなんてふざけんな。
不幸な星に生まれついてるとか、不幸の代名詞にすんな。
私は私の努力でこういう結果になったんだ。確かに他人からみたら不幸かもしれないね。だけど私はそうおもってない。馬鹿な男にひっかかったり、借金つくったり、犯罪やったりはしていない。人の彼氏横取りしたこともないし、二股かけたことも、人を貶めたこともない。
これからどうしようか仕方なく考えて、資格取りの勉強して、フリーターから始めて、少しでも貯金ためていこうって人生設計もたてている。いつまでもフリーター出来るとでも思ってるとか言われるけど、それしかないならえり好みする自由なんかないじゃない。
とりあえず持ってるカードに不服をいっても仕方ないんだから、恋愛とか結婚とか昇給とかボーナスとか子供とお風呂とか両親に小遣いとかそういうものは高望みというもんだ。せいぜいが、なんとか屋根の下で死んで、棺おけ代残すの目標にして生きるしかないじゃない。自殺する勇気もないんだから(自殺は迷惑かかるしな)。
後は好きな紅茶が飲めて本が読めればそれでいい。
自分の幸せの尺度を他人に当てはめないでくれ。私はしかたないと思っても不幸だとは思わない。それが普通だから。
頼むから運をかえる寺社仏閣とかジンクスとかお払いとか真面目な顔して勧めないでくれ。昔っからそうだったんだよ。これで普通なんだってば。学生時代のカーストでは最下層じゃなくてそれ以外の人、言うなら不可触選民というだけで枠外にいる人、それなんだよ。だからファーストフードや喫茶店で友達としゃべることもなく弁当も一人で食べてきたけどそれが普通だからもうなれたよ。
私は幸せじゃないかも知れないけど、不幸といわれたくはない。余計なお世話だ。
だけどせめて一回でいいからボーナスがもらいたいというのが本音。千円でいいから。一度でいいからボーナス時期にボーナス買いというのをしてみたい。千円で文庫本カバーでも買う。
一応、検査を受けて診断されたのだが、釈然としない。
疑問を医者にぶつけても、はっきりした答えが貰えない。
他のアスペルガーだと診断された人はどんな検査を受け、病気についてどのように説明されているんだろうか。
ネットを見る限り、アスペルガーの人の集まりはあるが、本人たちに自分や、あるいは自分の配偶者がアスペルガーであることへの疑いの念は微塵もない。
一方、それ以外のところでは、自称アンスペルガーとアンチアスペルガーの戦いが繰り広げられている。
釈然としない。
(追記)
別にアスペルガーの存在を疑うわけではない。
たぶん、困ってる人はちゃんと実在する。
その他の発達障害に関しても同様に考えてる。
ただ、診断や対処がどの程度きちんとなされているのかが疑問。
というか、基準が曖昧であるがゆえに、乱用されてる感じも気にいらない。
たとえば、
「私病気だから」と錦の御旗にするヤツとか。
「あいつはキチガイだから」となんでもかんでも患者に責任を押しつけるやつとか。
誰も病気自体をろくに理解しないまま、
単に「KYでわがままな怠けモノ(に見える人間)」へのレッテルに利用されるとか。
虐待でおかしくなってるのに、
親が「まあ、先天的なものだったの!道理で……」となるとか。
こういうことがあると救われるものも救われない、と感じる。
というか、そういうのやってる奴らこそ、病気じゃねーのか、とw
(再追記)
別に障害者手帳が貰えるわけでもないし。
病名つけられてもなんのメリットもない。
自分を知ろうってことか?
今まで、かなり自己分析をして、上手く生きようとしてきた。
みんなそうじゃないの?
http://anond.hatelabo.jp/20090415074829
これの続きようなモノ。
大学を「学校に行けない病気」で退学した私は学校で学んだことを生かせる仕事を探していた。ただ、学んだ分野が環境化学というあまりメジャーじゃなく仕事も少なそうな分野だったので探すのにかなり苦労した。
それでも農薬を作っている会社の研究所に潜り込む事に成功した。
仕事は元々興味ある分野だったし、残業も殆ど無いような負荷も少ないもので学校で学んだ知識と新しく学んだ事でのびのびと仕事することができた。幸いなことに評価も良く順風満帆な日々を過ごすことができた。
しかし、半年ほどして異変が訪れる。
「学校に行けない病気」が再発したのだ。いや、増悪したとも言うべきだろうか。
当時、通勤は電車とバスを利用していたのだが、バスから降りられなくなったのだ。
降りるべき停留所が近づくと段々呼吸は速くなる。動悸もして息苦しく頭が真っ白になる。それは停留所に近づけば近づくほど強くなり、停留所を超えると段々収まり今度は自責の念が私を責め立てる。
「死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ死ねゴミ…(以下延々繰り返される)」
と云う言葉で頭の中が支配される。
始めのうちは先の停留所から引き返して遅刻、ということで処理はできていたのだけど、それも数が増えると話は少しややこしくなった。程なく上長から注意を受けた。怖いタイプの人ではなかったので大したことは言われなかったとは思うけど、それが自責の念を増長させた。
注意後は引き返すことすらできなくなり、途中の停留所で降りて、音のしない場所を必死になって探して勤務開始ぎりぎりくらいに休む旨の電話を携帯からした。なぜか解らないけど「音のしない場所」というのを必死になって探していたのを覚えている。
そんなのが一週間くらい続いて、また上長から注意を受けた。今度は上長の上長もやってきて注意を受けた。
いわゆる厳重注意に当たるものだと思う。同時に何か精神的に何か問題は無いか、とも聞かれ初めて精神科を受けることになる。
薬を飲むようになってからは少し落ち着き二ヶ月くらいは普通に出社できた。
このまま何事もなければ今頃私はその研究所で正社員として活躍していたかもしれない。
だけど現実はそんな風にはさせてくれなかった。
年が明けてすぐ再び「病気」は再発した。また一週間くらい行けなくなった。
二度目はなかった。
程なく無理矢理呼び出され、所長と上長の上長と上長の3人と面談となりその場で「今日付で自己都合で辞めてくれ」と言われた。
当たり前と言えば当たり前。でも当時の私には裏切られた思いでいっぱいだった。あんなに評価してくれて良くしてくれたのにあっさり辞めさせられるんだ…って。
「病気」とは別の形で頭が真っ白になりつつその場で辞表を書かされた。
その後、ふと思い立って辞めた大学に復学したけれどこんな状態じゃ学業もできるわけもなく、元々辞めた理由の「学校に行けない病」も再発し半年で再び辞めた。
入学金諸々200万をドブに捨てた。
大学復帰の道も閉ざされた私は仕事を探しては何とかどこかの会社に潜り込み
朝起きる→朝食食べる→着替えて外出る→電車乗る→漠然とした恐怖・不安→目的地駅で降りられない→どこかで降りて休みの連絡を入れる→休み多くなる→呼び出しの電話→クビ
と言うプロセスを面白いように繰り返していた。
そこに休養という文字はなかった。なぜなら家族が「病気」に対しての理解がなかったから。
父曰く「サボってるだけじゃないのか?」
とナチュラルに言うのだから休養なんてできるわけがなかった。
この辺で「社会は、会社は誰も私を救ってくれない。絶望した!」みたいなことを思うようになっていた。
派遣で潜り込んだ会社で宇都宮の世界の誰もが知っているメーカーの研究所に派遣された。
派遣先に上長が私をえらく気に入ってくれたらしく「5年以上の長いスパンで働いて欲しい」とまで言われ、場合によっては正社員雇用も…みたいなことまで言われた。
仕事は化学とはあまり関係のない分析評価の仕事だったけど、仮に在籍していた5流大学を新卒してでも入れなさそうなメーカーで正社員も夢じゃない…みたいな話だったので殆ど二つ返事でその仕事を受けた。
宇都宮はさすがに通勤できないので転居して一人暮らしをすることになった。
初めての一人暮らしは不安だったけど、恐怖の対象であった父や口うるさい母もいないのでむしろ好都合だったし、住環境も周辺環境も恵まれていたし、仕事場まで車で10分。車がないと不便な場所ではあったけど日用雑貨からPCパーツまで車で20分も走らない場所で揃えられたので今思っても最高の環境だった。
そんな中で最近(2009年現在)世に出た製品のさらに次の製品に向けての技術の研究という最先端中の最先端の仕事ができた。職場環境も居室が機械だらけで動作音がうるさい以外はまさに最高。言うことがなかった。
そんな最高の環境の中で多少の休みはあったけれど半年くらい仕事をすることができた。
しかし、そんな最高の環境の中でも異変は起きた。
トリガーはなんてことのない物だった。簡単に言うと部署間での私の取り合い。
私がいた居室は3つの部署が共有していた。
一つは私がいたところ、もう一つは私たちの一つ前、最近世に出た製品の技術関係を手がけていた部署。もう一つは良くわかんないけど別の事していた。
その最近世に出た製品の技術関係を手がけていた部署の係長が「ちょっと最近忙しいから一月くらい手伝ってくれないか?」と言ってきたのだ。今所属している部署の係長もOKしているみたいなことを言われたが、正直行きたくなかった。
と言うのもその係長が生理的に受け付けられないタイプでその部署もあまりいい空気ではなかったからだ。それでも「一ヶ月くらいなら」と、言うことで異動することに了承した。
そこで話が終わればもうちょっとそこでの仕事が長続きしたかもしれない。
いざ異動してみるとその係長から「ここに来たからにはもうずっとここにいてもらうからね♪」みたいなことをナチュラルに言われた。
話が違う!
抗議した、猛烈に抗議した。その抗議は部長を引っ張り出す騒ぎになったが、その決定を覆すにはさらに上の役員を引っ張り出さないといけないらしく、覆すのは事実上不可能だった。
元いた部署で一番お世話になった主任は「あの人はそういう人なんだよ。」と自嘲的に言っていた。結局決定は覆らず、「なんか語弊があったけどこういう事だから頑張ってね♪」みたいな係長二人のサイン入り書面を差し出された私はその日早退した。
そして一週間休んだ。
「ちょっと精神科行こうか」
当時、すでに近所のメンタルクリニックで投薬治療を受けていたけど、それは会社には隠していたので通っている病院とは別の精神科になんとか行くことになった。
そこで「鬱状態」と診断された。
翌日、派遣元の支店長から「支店にちょっと来いやと」いう連絡を受け、宇都宮駅前の支店事務所に向かった。そこで支店長から言われたのは「派遣先から撤退する。お前会社辞めろ」と言う事実上の解雇通知だった。
は?
なんで?
確かに「病気」の事は隠していたけど、事情が事情だし…というかなんで休養とかそういうのもすっ飛ばして辞めろとかになる訳?
抗議した。そんなのおかしい、何で辞めなきゃいけないんだ?
猛烈な言い合いは4時間を超えた。
で、痺れを切らしたのか支店長はこう言った。
「精神障害者は使えないんだよ!!!」
あぁ…。
何かが崩れ落ちた気がした。
支店長がどういう意味でそういったのかは知らない。でも、その言葉はあまりにも無情で残酷で…世間の正論過ぎた。
程なく辞める旨を伝え、それから数日で宇都宮から実家へと帰還となった。
それから仕事を探しては数日でいけなくなってクビになると言うのを何年も繰り返した。
一番行くところまで逝ったところだと、静岡の某宇都宮で居たメーカーの同業他社で、そこはお世辞にもいい職場環境ではなく仕事をした時は2週間くらいで会社に行けなくなった。
で、また数日会社に行けなくなって派遣元から「これ以上休んだらクビにします」と言う最後通告の電話を受けた直後殆ど自動的にアルコールで抗うつ剤その他100錠近くを一気に飲み込んだ。
結果は…今ここに私が居るわけで未遂に終わった。
友人と家族は…多分許してくれたと思う。そう思いたい。
46万円。
退職金という名目だったけど、書面を見ると事実上の手切れ金だった。
「46万円やるからさっさとここから消え失せろ」
コンプライアンス事業部のえらい人が放った言葉は穏やかだったけど実質そんなものだった。
労基とかそんなの以前に服薬の影響で記憶も曖昧な状態でろくな判断能力もあるわけが無く46万円押しつけられて派遣元会社をクビになり、再び実家へと戻ってきた。
その後も会社は行ってはクビになるを何回も何回も繰り返していた。
「休養しろ」とか言われると思うけど、当時金銭的な問題で月に10万以上金を稼がなくてはならない状況で何が何でも仕事をしなければならなく、その上家族も多少の理解は得られたとはいえ病気に関してはまだ「怠けだ、甘えだ」と思っている節があるらしく家にいても正直休まらなかった。
そんな感じでこじれにこじれて今に至り、前述の「会社に行けない 」のエントリーに繋がるわけです。
ちなみにこの会社もクビになりました。
熱意はWebエントリーで落とされても社長に直訴の手紙を出すほどにあった。
技術も気がつけば新入りではずば抜けてあったらしく、赴任先事務所でも即戦力になるほどだった。
でも、会社に行けない、と言う社会人として当たり前のことができなくてクビになった。
結局何やっても、どんな事しても「会社に行けない病」をどうにかしない限り私は社会生活を送ることができないらしい。そもそも社会が私を受け入れてくれないようなのだ。
最近になって金銭的な面が法的にどうになるようになり、少し休養する時間ができるようになった。精神科に通院投薬治療は続いているし、障害者手帳も取得することができた(ただしあまり役に立ってない)
ただ、家庭経済面で休養、はできないらしく、父母からは「最低アルバイトはしろ」と言われてしまった。そんなわけで今アルバイトを探している。なるべく負荷の少ないコンビニとかそんな仕事をいくつか面接入れている。
三十路過ぎて大学中退、しかも職歴むちゃくちゃな私をどこが雇ってくれるだろうか?
しかもフリーターという身分。結婚以前に恋愛もできやしない。そして何より、この先這い上がるチャンスという物が事実上ゼロだという現実に直視しなければならない。
この状況で社会という物に希望を見いだすことができるだろうか?
正直今の私には無理だ…。
会社に行けない。
会社に行けなくなってクビになるのをもう何十回も繰り返している。
気が付けば10年20社以上、クビと言われた。
プロセスとしてはこうだ。
朝起きる→朝食食べる→着替えて外出る→電車乗る→漠然とした恐怖・不安→目的地駅で降りられない→どこかで降りて休みの連絡を入れる→休み多くなる→呼び出しの電話→クビ
最近はもっと酷く
朝起きる→朝食食べる→部屋に戻る→布団に蹲る→出社時間を過ぎる→漠然とした恐怖・不安→休みの連絡を入れる→休み多くなる→呼び出しの電話→クビ
何が不安で、怖くてわからないがいつもこうなってしまう。
仕事に対しての意欲はある、だけどココロがついてこない。そんな感じ。
精神科に行き、鬱だかなんかの診断を貰い、あまりに酷いので障害者手帳も貰った。
齢30を過ぎ、就職活動も厳しくなってきた。
今年1月から就職活動して、50以上に会社からお祈りの言葉を貰い、自分の趣味と実益を兼ねそうな会社にエントリーするもお祈りの言葉を貰った。
嬉しかった。今までの職種とは違い、営業的な要素も含まれるけど、趣味と実益が仕事になると言うのが嬉しかった。
だけど、恐怖と不安はやってきた。
出社二日目に休んだのに始まり、4/1入社から2週間で10日も出社できていない。
もうすでに一度「やるきあんの?」みたいなお叱りを受けた。
「やります、ごめんなさい!!」みたいな感じでその場はやり過ごしたけど、病気の事は言えなかった。
なぜなら、以前働いていた会社で
「精神障害者は使えないんだよ!!!」
みたいな事を当時の所長に言われたから。
その後も面接で鬱の事を言うと露骨に扱いが変わって追い出されるような事ばかりだった。
だから鬱の事はかくして就職活動をしている。
どうしてこの会社辞めたかも嘘ついている。所属していた会社の数ですら嘘ついている。
嘘だらけの人生。
事実を知る人は殆どいない。
話は今の会社に戻る。
昨日会社を休んだ。その時は特に何も言われなかった。
「うん、わかった。休んで」みたいな感じ
でも、今日休んだらどうだろう、そう思ったら今リアルタイムに恐怖と不安に襲われている。
不安消し紛れにこんなもの書いているけど、会社行けるか非常に不安。
多分今日も行けないと思う。
そしてクビになると思う。
父親には度々説教受けるし、母親は味方と見せかけて度々言い合いになる。妹は表面上無関心だけど軽蔑していると思う。
もう生きるのがイヤになってきた。
もう疲れた。
いや、そんなこと言われたって
俺は君が障害者であることを知らなかったし、一見してわからない。
それは俺の責任なの?
「ああ、この人はこういう理由で空気が読めないが、障害であり無理からぬことなんだな」
と理解せよとおっしゃる?
「空気の読める人」はそういうことができるんでしょ、だからやれよという話?
発達障害を抱えているので、直観力というものが全く働きません。
CTスキャンでくっきり造影されるほどの「真性」障害は300人に一人だそうですが、“気質障害”“形質障害”といわれる比較的軽度な人は、日本の場合「人口の約5%」程度だそうです。
「私」を含めてこういう人は、“空気を読む””直感的に良好な人間関係を築く”能力を持ち合わせていません。
これは、そのほかの様々な身体的特徴と同様その人固有のもので、多かれ少なかれこういった障害を持つ人物に、
「空気を読め」「勘を働かせろ」と要求する事は、
※目の見えない人に『よく見ろ』という
※耳の聞こえない人に『話をよく聞け』という
このような要求と同様に「物理的に無茶な話」です。
日常的に、それなりに勘働きをして生活をしているように思われていますが、それは星の数を超えるほどの膨大なパターン認識を繰り返す事で“学習”し、不測の事態に熟練する事で補っているだけなんです。
「知らない事は理解しようがない。理解できていない事は実践できるはずも無い」
これが事実であり、真理です。いくら精神論や常識論を振り回してもらったところで、生まれつき動いていない器官が正常に動き始めるわけでは有りません。
手足を失った、あるいはそれらをもって生まれてこなかった人に、
「五体満足でないのは自分が悪いのだから、健常者のように手足を生やして来い」
とおっしゃるのでしょうか?
先年、思うところあって障害者支援・不登校支援に参加して、そこで報告される事例に心当たりがありすぎるから診断を受けたら、冒頭のように宣告されました。35歳のときです。
『誰の理解も、何のケアも受けられないで、良くこの年齢まで生き延びてこられたものだ』
そう言って驚かれたものです。無かった事にしたいほど屈辱まみれだった半生を思い起こすと、類稀な精神力を持って生まれたらしき事を果たして喜んでいいものかどうか判断が付きません。
迎合してヘラヘラ笑っていたり、納得のいかないことで謝罪を要求され続けていると、今でも心臓が止まりそうなほどの不整脈が出ますが、リスクとメリットを天秤にかけて、あえて障害者手帳は取っていません。
一見しただけでは分からない、脳や精神に関する障害をもって生まれた事が、本人だけの責任と言い切れるのでしょうか?
いつ何時、些細な差異を理由に命の危険にさらされるような、そんな不寛容な世界に、果たして「あなた」は暮らし続けたいと思うのでしょうか?
普通人・常識人のつもりな「あなた」の“無知と無理解と無関心”が、今も誰かを死に至らしめているのかもしれませんよ?
4/3追記1
その度に宣言してレスつけて歩くのも面倒なので、ここで追記する事で代えよう。
変な誤解が発生してるようなので宣言しておくが、
「空気読め」(http://anond.hatelabo.jp/20090401235551)の元増田とは別人。ついでだからもう一つ宣言、本IDはこっち⇒http://d.hatena.ne.jp/cambrian/
本IDからリンクをありったけ辿って貰えば分かる事だけれど一応書いておく。零細だけれど一応会社役員の末席で、他にも2つのNPO団体から乞われて理事や事務局を勤めさせていただいている。最初に書いた内容は、全て“id:cambrian”という立場から見てきた現実であり、あるいは経験してきた事実に過ぎない。
それがどうして“分かってちゃん”だとか“自己憐憫”だとかっていう話に転がってっちゃうのかわかんねーよ。
「正論を正論として突きつけるのは控えてくれ」と言われる事もあるけどね。今もって「迎合してヘラヘラ笑っていたり、納得のいかないことで謝罪を要求され続けていると、心臓が止まりそうなほどの不整脈が出る」のだから、「道理は道理、正論は正論」というスタンスしか摂りようがない。
対人関係で衝突が増える事なんかとっくに織り込み済みで、「志半ばで命を落す事もありうる」覚悟は完了してるがそれがどうかしたかね?改めて振り返ってみれば、命を落していたかもしれないような危機の連続を、およそ全て力ずくで踏み潰して乗り越えてきた形になっているのな。どれもこれも、「十人十色であり、みんな違っていてみんな良い」のだと信じてきたから。打たれ強いか、弱いかというなら、抜群に打たれ強いんだろうさ。
「知らない事は理解しようがない。理解できていない事は実践できるはずも無い」でしょ?
知らないのも理解できていないのも、知覚・判断能力に個人差があるのも止むを得ないじゃないか。知らなかった事、理解できていない事を理由に吊るし上げられてもどうにも出来ないし、誰かをそのような理由で吊るし上げたりする事に何の価値も利益もない。
「誰の力も手も助けも借りられなかった」からこそ、「力ずくで踏み潰して」でも生き延びてこなければならなかったのであって、そのこと自体を今更どうこうは言わない。だけれども、
もし、只ひたすら助けを求めて泣き叫んでいるだけだったらどうだったんだろうか?
とか、
もし仮にここまで生き延びてこれずに途中で命を落していたとしたら、「人間一人の命の危機をただ眺めているだけだった」自称普通人たちはどうしたんだろうか?
とか思わなくも無い。
それだけの事なんである。