2010-03-22

障害者と健常者の狭間に立ち

私の兄は精神障害者である。3、4年ほど前に発症、障害者手帳を交付され、精神障害者となった。

病名は統合失調症。幻覚を見て幻聴を聞いて、異常なほどまでにあらぬ心配をする病気

兄の場合、3年前がピークであった(恐らく急性期がその頃だったのだと思う)。

それから徐々にであるが、兄にだけ見えていた世界が見えなくなり、普通の人に戻りつつある。

ただ、心配をし過ぎる点のみが、家族の私にも異様に映る。それ以外は何もおかしな点はない。

 

兄が今現在に至るまで、精神的な支えとしていたのが、サイクリングである。

兄は昔から運動が好きだ。精神病院から退院し、しばらくはデイケアに通っていたが、兄には時間が余っていた。

それまで趣味と言える趣味を持たず、強いて挙げるならば勉強趣味だと公言していた兄。

父はこれを良くない傾向と考え、勉強をして家に閉じ篭らずに、外に出て運動をするようにと言いつけた。

そうして兄はサイクリングを始め、昨年には大会でそこそこいい成績を残せるまでになった。

また、それと同じくらいの時期に就職が決まった。昨年は良いことが重なったので、良かったなと暢気に思っていた。

私も、家族も、そして兄も。

 

今年に入って間もない頃、兄に新聞社から取材のお願いが来た。

精神障害者サイクリングを通じて元気になったという美談を書きたいんだと。

(美談、などとは言っていなかったらしいが、美談が書きたいとしか私には思えない、ので美談と書く)

兄は、匿名且つ顔を出さなければ、という条件付で引き受けた。

しかし、2回目の取材の際、顔も名前も出して欲しい、それが君のためになるから、と記者2人に諭され、兄は断ることが出来なかった。

いつまでもそのことを気にして、食事も出来ない有様。兄の様子がおかしいことに父が気づき、その理由を聞き出すと、

父はすぐに新聞社電話した。結局顔も名前も出ないことになったけれど、記者はこのことを最後まで疑問に思っていたようだった。

顔や名前を出すことがためになるのだと、本当にそう考えているらしかった。

 

先日、兄は職場飲み会に行った。

兄は障害者ではあるが、毎日真面目に仕事をこなし、精度も悪くないので、サポートしている人たちからの評判もいいらしい。

少なくとも、サポーターの人は兄を心配性だけれども普通の人と認識しているようだ。

そのように一定の評価を得ていることもあり、兄は彼らの飲み会に誘われた。

健常者多数に障害者1名の奇妙な飲み会は、楽しいものだったそうだ。兄以外の人間にとっては。

施設の幹部も交えての飲み会は、主に施設で働く障害者への愚痴で構成されていた。

勿論、彼らは兄のことは何も言わない。聞き分けの良い、真面目な、そして割と健常者に近い障害者だと認めているから。

それは、兄にとってはとても名誉なことなのかもしれない。しかし、兄は、こんなにも不愉快になった飲み会は今までになかったと語っていた。

不愉快になるばかりの会だったと。

誰も自分だけでは解決できない問題を抱え、そうなりたくてなったわけではないのに、

皆、ひたすら真面目に働いているのに、サポーター障害者を儲けるための道具にしか考えていない。

帰宅し、苛立たしげに酒を飲みなおしながら、兄は語った。

 

障害者って何なのだろうな。社会に疎まれ、利用され、そして庇護されることでしか生きられないのだろうか。

その疑問の答えは恐らくイエス、なのだと思う。腹が立つし、納得は出来ない。

  • あぁ、わかる。でも、それは、健常者でも同じ目に合うことはあるよ。 にたようなシチュエーションでにたようなことを言われたことはあるし 過去の増田を見れば、女の人を年をとって...

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