はてなキーワード: 教育長とは
神奈川訴訟も原告敗訴確定 起立、斉唱の義務なし確認
神奈川県立学校の教職員ら130人が県を相手に、学校行事で日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱する義務がないことの確認を求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は22日までに、教職員らの上告を退ける決定をした。「具体的な権利、義務に関する争いではない」として訴えを却下した二審東京高裁判決が確定した。
一審横浜地裁判決は、訴えそのものは適法としたが、入学式や卒業式で国旗を掲げ、起立して国歌を斉唱するよう教職員への指導徹底を求めた県教育長の通知に基づく校長の職務命令は「思想、良心の自由を侵害せず、教職員は従う義務がある」と請求を棄却。
しかし二審東京高裁は、この訴訟は事実上、教育長通知の無効確認を求めるものだとし、「通知は教職員との間で具体的な権利義務を定めたものではなく訴えは不適法」と判断。一審判決を取り消して訴えを却下した。
一、二審判決によると、教育長は2004年11月、各校長に通知を出し、「教職員が従わない場合、厳正に対処する」とした。
(共同)
大阪で、君が代斉唱時に起立しなかった教員をクビにする条例がもうすぐできるらしい。
例によってはてブでは公教育への介入だ、思想統制だ、という話になってるらしいが。
問題は、公立学校の教職員が式典に出席した上で君が代斉唱を拒否していて、
その後の校長・教育長の指導や業務命令にも従わない、ということだ。
それを思想・表現の自由としているのなら、彼ら個人の思想の表現のためにやっている、と考えられる。
これは「公務員が勤務時間中に、自らの政治的主張のために業務をサボタージュして示威行為している」、
「判断能力が未熟な児童・生徒に、教員の立場を利用して自らの政治的主張を宣伝している」ということになる。
つまり問題は日の丸・君が代だけではなく、「公務員が思想を理由に業務をサボタージュするのは認められるか」、
「教員が児童・生徒に自身の政治的主張を宣伝するのは認められるか」ということだろう。
これらを認めてしまえば、極論すれば「教員が教えたくないこと・教えるべきでないと思うことは(指導要領に載っていても)教えなくて良い」
「教員が教えたいこと・教えるべきだと思うことは(指導要領に載っていなくても)教えて良い」ということになりかねない。
公民の教科書を放り出して毛沢東語録を教えても教員の自由、歴史の教科書を放り出して歴代天皇の諡号を暗唱させるのも教員の自由、
生物の教科書よりも旧約聖書の創世記を読ませたい、国語の教科書の代わりに団鬼六を読ませよう、という教員が出てきたらどうするのか。
児童・生徒がどんな内容の教育を受けるかは、その時に出会った先生次第で構わない、と思う人がどれだけいるんだろうか。
教科書の内容も式典の式次第も、文化祭や体育祭などの学校行事も、社会が期待する一定の水準に達するために教育委員会が指導してるんであって、
その内容は法律に則っていたり文部省の指導要領に則っていなければいけないのは当たり前のことだ。
当日券組と当選券組が照蓮寺に集まっている (1:30くらい)
正門に集まる。
そこに今日の声優が乗ったバンが駐車場に止まり(2:00くらい)
皆集まってる中ガードされながら正門から中に声優が入っていく(そのとき皆写真撮りまくる) ※ガードされてるので映ってるかどうかは知らないが並走して写真撮ってる奴もいた。
当日券組の整列が始まる(正門)(2:30くらい)
当選券組は後でゆっくり入れるので喫茶店でも行ってと勝ち組アナウンス
ここでリハーサルの中島の声が聞こえる。正門が開いたままなのでここでも写真を撮られる(遠目に見てたのでよく分からないがたぶん写真を撮られたと思う)
そしてすぐに正門が閉じられ歌のリハーサルが行われた。スピーカーから歌が聞こえ良いBGMになっていた。
開始時間が近くなると正門ではなくもう一つの門(東門?)に当選券組が移動され、整列が始まる(3:00くらい)
先に当日券組(立ち見)が入り、後からゆっくり当選券組(パイプ椅子用意)が入る(ゆっくりとあるが整列から30分以上待たされてる)
当日は天気も良く日が当たると少し暑いので待つのはちょっと辛かった(待たされた場所が階段というのもあるかも)
結局開始が遅れる。
席番号は前から横に番号がふられてた。
一番前列が1~15ぐらい?(5,6,7が正面ベストポジションぐらい)
階段があって少し下から見上げるのだが一番前列から5メーターぐらい?近い(余裕で顔をガン見だった。)
席は空席がなかった(確認した分だけだが)
さて、イベント開始
儀武ゆう子の足がピンクのタイツでドキドキしてよく覚えてないが、煽ったりして空気を暖めてた。
んでキャスト登場をあやちー、かなちー、ゆかちー、さとじゅみちーのかけ声で登場。(登場するまで時間が掛かり拍手が長かった) ※時間が掛かったのは、登場場所が境内なので離れから歩いて出てきていたため。
左から
儀武、竹達、阿澄、井口、監督 ※監督は和尚の法衣を着て登場。
一人ずつ自己紹介、竹達から右順。
で、竹原市で5人は1日役職を貰った事を話題に。
竹達は1日竹原市長。 ※実際に市役所に行って認定式(?)をしたらしい。阿澄井口も同様。
阿澄は1日教育長。
内容は
・たまゆらは竹原前市長(イベント当日は1日市長の竹達なので)がノリノリで市をあげて協力したらしい(実際に竹原市役所の外壁にたまゆらの絵がラッピングしてあったり、町の中にポスターがいっぱい張ってあった)
・ほり川のたまゆら焼き(お好み焼き)とデザート(アイスの盛り合わせ)についてはキャストが考えて考案したらしい。たまゆら焼きは竹達と儀武。アイスは最初阿澄だけだったが、井口は他にも考案してあったのがボツになり名前を井口が考えたらしい(名前はラブリーなんとか(すいません忘れました))、ちなみにたまゆら焼きは松来未祐監修。
・たまゆら上映会の椅子並べを手伝ったのは儀武で、「ここを中央にしましょう」と仕切っていたらしい
・監督と儀武が色んな所でイベント行ってる事を他のキャストは知らないらしく、阿澄がそうなんですかと聞くと監督が儀武とユニット組んでるんだよと言い「ユニット名は、たまゆLIPS」と言ってLIPSをネタにして、阿澄が弄られてた
・監督が、儀武と行動するといつも雨なので、今日は晴れて良かったと言った、儀武はそれに対して、「もし今日雨だったら土下座しなきゃ」と言ってた
など。
トーク中の事など
野外なので蚊がいてトーク中に、竹達や阿澄が蚊と戦っていた
あと、始まる前に水を持ってきた人がこぼして机が水浸しになり儀武がそれをネタにしてうまくフォローしてた。(竹達もトーク中に水をこぼしたが儀武がフォロー)
トークする所に逆光が入り阿澄が「まぶし」と言ったが儀武がそれも「後光が差してますよ」とネタにする。(この後も後光ネタがたびたび出てくる)
次はお絵かきコーナーで、
キャストと監督で竹原市のイメージキャラを考えようというコーナー。(実際ラジオでこの企画をやったがどうやら手違いで白紙になったらしい(井口の作成したキャラ))
最初に竹達がキャラクターを発表した。内容はまぁ普通だが山をモチーフにしたキャラでロボットのように中に入れるらしい。(つまり山をくりぬいていると他に突っ込まれフォローしてた。市が森林とか大切にしていると言う事で)
2番目が阿澄で、某万博のキャラに似たキャラクターを書いてた、本人はインスパイアしたと言ってたが井口から総突っ込みだった。しかし竹原の良いところをインスパイアした今回の内容と合ってるらしく最後には納得してた。
3番目が井口で、萌が竹原市にも取り入れるのが良いと言って、萌絵を描こうとしたが画力が足りないキャラになった(前回は井口の作成したキャラにしたため、気合い入れたが今回は最後には諦めてた)
4番目が儀武で、竹原コブラと言うキャラを書いたがやはり画力が足りない(ラジオで前回書いた悪い所を直して改良?したらしい)
ラストが監督で本気で書いて、キャスト陣から大人げないと言われてた
今回書いたキャラはたまゆら写真館(笹井邸)に展示するらしいので、ぜひ行って見てほしい。(キャストのサインやキャストや監督スタッフが撮った写真も展示してます)
トークとお絵かきコーナーが終わって、
まず、中島が登場。中島と言っても中島ノブユキの方。ピアノが置いてあり、そのピアノで伴奏した。
そのころには丁度夕方近くになり雰囲気が出てきて良い感じだった。
特別版と言うことでピアノを中島ノブユキが弾き、中島愛が歌った。ダブル中島ですねと儀武がネタにする。儀武ェ(褒め言葉
これも夕日が沈みかけの良い雰囲気で良かった。ちなみに中島愛の足にドキドキしてたのは内緒(曲はメロディと夏鳥の2曲)
そして、寺での使用された機材は照蓮寺の物らしい、立派な音響セットで普通にライブが出来る。(寺でライブ出来るとかどんな和尚だろう)
地方イベントなのに人がいっぱいで、人気声優の力はすごかった。
イベントのスタッフはあまり慣れてないようなので現地の人だったのかなと言う印象(開始も遅れたし)
それでも、問題なのは時間ぐらいで全体としては良イベントだと思う。
帰りに、アンケートが入っていたので出して帰りました。
竹達がお疲れ気味なのは前日のイベントの影響?とツイッターの方にもありましたが、疲れてる印象はあった。
たとえば他の声優が喋ってるときなど。(蚊がいてテンション下がってた、だけかもしれないが)
あと、儀武のMC能力の高さに吃驚。
色々とアクシデント(水こぼし、逆光、蚊(虫)など)もネタに変えてがんばってたし、客弄りも上手だった。
最後の挨拶時に井口がぜひTVシリーズもと言ってた、それに対して監督はTVシリーズも一応視野に入れて作ってる的なことを言ってたが、
やはり売れないと難しいみたいなので皆買ってください、そして竹原市に行って竹原の空気に触れてください。
以上レポでした、長文乱筆失礼。
様々な教育改革にチャレンジしてきた某自治体の教育行政が、危機的状況にある。
そもそも、現場出身の教育長の強力なリーダーシップのもとに進めてきたこれらの改革。
現場からは無理とは思われつつも、語る言葉には説得力があり、子どものためにとみんなで作り上げてきた。
やるからにはより良いものを。と、現場はシステムを懸命に作りあげ、ようやく軌道に乗ってきたと思われていた。
ところが今年度に入り、教育委員会の動きを懸念する声が上がっている。
教育長の下に新たに職をもうけ、教育長に近い退職校長がその任に当たった。
もう一人は各方面の評判が芳しくない。
好き嫌いで十分な環境を与えない教科があったり、
そんなお方が、ある全国的な発表会の席上で、
「すべての方針は私が決める。校長会で議論する余地はない」
という旨の発言を行い、物議をかもした。
これから何が始まるのかと、現場は戦々恐々としている。
そして、学校ごとに行う研究でも、周囲が首を傾げる事例が起こった。
研究の途上で提唱者の校長を転任させ、その研究の内容を別の学校のものとして、全国大会で発表したというもの。
元の学校で中心的な役割を担っていたベテラン教員は、様々な理由をつけてその立場を外されつつあるという。
さらに、月に一回どの自治体でも、各教科ごとに分けられた研究会が行われている。
そこで急に講師を呼んで、全員参加の講演会が開かれることになった。
その内容は、国や都道府県から配布される資料のおさらいとも言うべきもので、
なぜ緊急にそのような講演会が開かれたのか、詳しく知るものはいない。
研究といえば、教育改革に関わるカリキュラムを、教科ごとに検討する委員会があるのだが、
今年度になってその動きが途絶えている。
来年度の国の指導要領改訂に合わせて、自治体独自の要領も改訂する大詰めの時期であるにも関わらず、だ。
また、現場の教員の指導・監督にあたる「指導主事」が一新された。
そのため、様々な事務が滞っているようだ。
ある事業の年間計画が出されなかったことを質問すると
「例年一緒なんで、だいたいそれに合わせてください」
とのことだが、
重要な連絡会や提出物の通知が3日前に出されるということもあったそうだ。
指導主事の指導に関しても疑問を投げかける声が上がっている
事業の目標や実行までの行動サイクル、数値による評価など、
肝心の授業や指導法など、本来指導すべきことは最近耳にすることがない。とのことだ。
教員は保護者や評価委員、さまざまな所から見られ、プレッシャーが与えられて、自らの仕事を改善している。
それはどの仕事でも同じである。
総理大臣や市長でさえ、世論というプレッシャーは無視することができない。
しかし、教育委員会というものは行政からも独立した存在であり、その動きに問題がある場合に、誰も有効なプレッシャーをかけられるものがいない。
組合は自らの要求とイデオロギーに走り、その機能を果たしていない。
この自治体は、どこへ向かってゆくのだろうか…
(1)
客 「そんなことじゃなくて、これ交換しろよ。」
店長「私がしたことじゃないですよ。交換はできません。責任は取らせますから。」
(2)
客 「修理をしてもらった車にキズがついていたよ。」
店長「あの車は新人がやったんですよ。すみませんね。工業科卒のくせにだらしない。」
客 「タダで直してよ。」
(3)
支店長「窓口のことまで私は知りませんよ。お気の毒ですが、銀行に責任はありません。」
(4)
顧客「あなたが責任者ですか。納期遵守率と不良率のどちらも水準以下ですよ。」
顧客「それでは説明になっていない。改善できなければ、取引を打ち切りますよ。」
部長「・・・。(俺の責任じゃないのに。次の担当者次第だな。)」
(5)
警部「あんたの組員がやった事件だ。来てもらうよ。」
組長「たしかにアイツはウチの新入りだが、不始末を起こしたからには組のものではない。」
警部「あなたが指示をした証拠もある。ご同行を。」
組長「組長だから命令はするさ。やったのはアイツだ。ワシは知らん。」【※1】
トラブルが起きたなら責任は組織が負うものだ。上のような話は常識的にありえない。
商品もサービスも、店(組織)に依頼をしたのである。担当者の能力、外部の状況に関わらず、店は依頼を履行する責任がある。店長に当然責任があるし、謝罪した上で相応の責務を果たすものだ。さらに上位の組織(会社)が対応する場合もあるだろう。そもそも組織のトップが逃げていては部下はついてこない。
最高裁の決定から1ヶ月が経とうとするが、あまり話題にならない。
京都市に納税をして子供を学校に通わせる親として、これでは不安が募るばかりである。
京都市立小学校で2004年4月から1年間の条件付きで教員採用した男性(36)について、「指導力不足」を理由に分限免職とした市教育委員会の処分の適否が争われた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は27日までに、市側の上告を受理しない決定をした。男性の処分を取り消した一、二審判決が確定した。決定は25日付。
2008年2月の一審京都地裁判決は、男性が受け持ったクラスが「学級崩壊」状態になった点に触れ「指導が不十分な面はあったが、適格性に欠けていたとはいえない」と指摘。「市教委の裁量権行使は誤りで違法」として処分を取り消した。
昨年6月の二審大阪高裁判決も「分限免職を検討する際には、将来成長していくだけの資質や能力があるかどうかとの観点から判断すべきだ」として、一審の判断を支持した。
二審判決によると、男性は04年4月に採用され、5年生の担任になった。市教委は「指導力が著しく不足しており、保護者の信頼を喪失した」などとして05年2月、男性本人に同3月31日付の分限免職処分を通知した。
http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010022701000596.html
2010/02/27 17:55 【共同通信】
この事件をまとめるとこんな感じ。
他の自治体で講師経験を積んだひとが、2004年に京都市の小学校教員として採用された。どの組織でも同じことだが、新卒より中途採用の門戸は狭い。水準以上の能力は見込まれて採用されたはずである。
ところが、最初に担任をした5年のクラスが学級崩壊が進む。学校と教育委員会もこのクラスに効果的な支援ができずに、クラスを立て直すことに失敗した。先のたとえ話で言えば、学級崩壊はこの学校組織の責任であるが、上司である校長は、教育委員会に担任教師に全責任があると報告。教育委員会はこの教師に自主退職を勧告。その後「分限免職処分」、つまりクビにした。
この教諭は前の職場では日教組(社会党→民主党系)に加入していた。京都市に日教組はないので組合未加入だったが、免職後に京都市教組(共産党系)の支援を受けて分限免職の取り消しを求めて提訴。
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公判中に京都地裁が和解を勧告。(行政裁判で和解勧告って?市側の敗訴が見えていたから、裁判所が配慮したのでは?)
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市教委が主張する複数の免職理由が「免職理由に当たらない」「事実でない」「管理職に客観性がない」と京都地裁が認定して、さらに管理職の責任も問われて、市側の全面敗訴。
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大阪高裁で京都市側に不利な認定を付け加えられて、市が全面敗訴。
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京都市が上告。
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労働法規の常識から考えてこの裁判、京都市が勝てるはずがない。日本は末端の担当者をクビにすればいい国ではないからだ。【※2】
教育委員会は「主張が認められず残念」とコメントしたらしいが、最高裁を相手に反省がないのは立派なものである。教育委員会が無能な職員を免職するという立場をそれほど強硬に主張するならば、無能なこの校長と教育委員会の裁判担当者と労務担当者をまとめて分限免職にしたほうがよい。自分たちは特別だから、法規を守らなくていいと考えているのだろうか。学校を社会の中で特別に位置づける態度があるならば、それ自体がひどい慢心である。
京都市はなぜこの勝てない裁判を強硬に続けたのだろうか。この裁判のようなケースは京都市にとって(特殊事例ではなく)良くあることなのだろう。裁判になったのは氷山の一角で、同様のケースをすべて法令遵守するとおそらくは体制が維持できないのではないか。この裁判からは上司が部下を追いつめるだけという、京都市の惨めな職場環境【※3】が想像できる。教育を担う組織が、部下・後輩の人材育成に興味がないなんて異常事態である【※4】。学校組織を活用するという考え方があるなら、教育の質を教員個人の資質に偏重して求める「スーパーティーチャー」なんて制度を市が作れるはずがないし、この裁判の流れからは、京都市教育委員会における人材の払底ぶりが見えてくるのである。
学級崩壊は担任教師の資質だけで起こるものではない(これはあきれた幻想である)。仮に「頼りない教師」であっても、組織(校長、教頭、教務、主任、学年団)で対処できるし、しなければならない【※5】。もちろん、児童集団の性向は重要な要素である。小学校のクラス分けは、学級運営が上手くいくように慎重に割り当てすることが常識になっている。例えば1年生をクラス分けするために、近辺の保育園や幼稚園への聞き取りだって広く行われている。児童の質を見極めて、適切な教員を配置するのは給料が高い管理職の仕事である。
しかし、学級運営を学級担任個人の責任に負わすことができるならば、問題児童対処の「悪魔の方法」が管理職の手に入る。学校で手に負えなくなった学年ができたとき、問題のある児童(軽いADHDとかね)を集めたクラスを編成して、新任教師を担任に付ける。新任教師は他府県からの中途採用者でであれば、うってつけである。学校の状況をよく知らないこの教師がうまく運営できればしめたもの。失敗した場合は、新任は試用期間中だから仕方がないと、保護者と教育委員会に報告して、年度終盤で教師に退職を迫る。退職しなくても、その教師を指導力不足として免職すれば、犠牲者一人で学校は丸く収まる。保護者も納得する。校長に責任もない。問題は1年先送りできるし、いったん崩壊したクラスであれば、後任担任も言い訳がつく。
民間企業では考えられないが、採用経費が潤沢にあって、顧客に対して責任が無くかつ組織と自分の体面を重視する公務員であれば十分にありうる仮説である。
さて、ここまで読んで頂いたかたには、「タイトルの阿久根市長は釣りだよね」と思われるむきもあると思う。
この裁判での京都市側責任者は当時の教育長 門川大作氏だ。門川氏は、教育長としての手腕を買われて、安倍内閣時の教育再生会議のメンバーに唯一の行政出身者として選ばれている。その後、この裁判のさなかに京都市長になったお方である。京都新聞(Web版)は、この裁判の経過を高裁判決以降黙殺した【※6】。国の委員や市長までなった人を、非難することはいけないのである。たとえ高裁や最高裁の指摘であっても、行政長であれば反省する必要もないということなのだろう。
裁判の結果からは、京都市の教育について少なくとも組織での対応は期待できないので、子どもには良い担任とその人が処理可能なクラスメイトに当たることを祈るだけだ。
京都の私立小学校が繁盛しているのは、公立小学校の低レベル・オペレーションへの失望の現れである。
※
君が代不起立元教員、二審も敗訴 東京高裁
卒業式の君が代斉唱時に起立しなかったのを理由に、定年後の再雇用を取り消したのは違法として、東京都に対し都立高の元教員10人が再雇用の確認や慰謝料などを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は23日、請求棄却の一審東京地裁判決を支持、元教員側の控訴を棄却した。
起立や斉唱などを指示した都教育長通達や校長の職務命令が思想・良心の自由を定めた憲法に違反するかどうか、都の処分が裁量権の乱用に当たるかどうかが争点だった。
奥田隆文裁判長は、通達や職務命令について「起立や斉唱の外形的行為を求めるのは特定の思想の強制や禁止に当たらず、思想・良心の自由を定めた憲法に反しない」と指摘。
都の処分についても「不起立は職務命令違反や信用失墜行為に当たる。『勤務成績が良好』との再雇用の要件に欠けるとした都の判断は不合理とはいえない」とし、裁量権の逸脱はないと判断した。
判決によると、原告10人のうち9人は2004年1月、再雇用などの合格通知を受けたが、同3月の卒業式で起立・斉唱しなかったのを理由に取り消された。残る1人は翌05年に合格通知を受けたが、同様に取り消された。
再雇用しても言う事聞かないのは分かりきってるんだから雇用する義理も義務も無いと思うけどな。
当人が「反省してます。次からはきちんとやります」と言うのであれば話は別だろうけど。
ほぼ記事タイトル通りの出来事があったので思わず匿名ダイアリー。
(厳密には、八木氏はかつてはつくる会の会長だったが、今はつくる会とは無関係)
書くの初めてなので、読み難ければ申し訳ない。
先に書いておきますと、私は公立校勤務です。
で、私が勤務する地域では、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書を採択しています。
この教育講演会(教職員一斉研修会)は、教委が主催したもので、基本的に地区内の全職員(学校事務職員も含む)が参加しました。
恥ずかしながら、誰だか知らなかったんですが。
開会前、もらったレジュメを読んでいると、最初に出てきたトピックが
“「不当な支配」の主体の転換”
という内容。
旧教育基本法の、
「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである(旧第十条)」
という規定が、
「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない(改正第十六条)」
と改められたことによって、服してはならない「不当な支配」の主体が、
before:政府の圧力
↓
after:日教組などの職員団体
と変化しており、政府首脳部からもそのような見解に立った発言が相次いでいる……という鋭い指摘。
私としては、
「なるほどそうか……。これは大変だな」
と思ったわけなのですが、その先を読んだら
「……なんか違う?」
なにしろ、いざ講演が始まったら、この
「政府=正当な支配」
「職員組合=不当な支配」
という立場を全面的に賞賛する論調でして。
日教組に参加してる職員が1%切ってる本地区でそんなこと言われてもな……。
(うちの地元には、「教職員協議会」という、日教組とは別の組織があり、これが97%の組織率を誇っています。
方針としては、行政との対話路線。
私もそっちに入っています。
新採の時、勧誘パンフが送られてきて。
「教え子を戦場に送るな!」
って書いてある。
言いたいことはわかるがちょっと引いた。)
内容は、なんというか、ツッコミどころ満載だったんですが、まず特に違和感を感じた点。
講演の中で、エルトゥルル号の遭難とか、有名な“美談”がいくつも紹介されるわけですが、その中に真岡郵便電信局事件の話も出てきました。
第二次大戦末期、樺太にソ連軍が攻め寄せてきた時、最後まで電話交換所に残った女性達が、青酸カリを飲んで自決した事件です。
事件名とか知らなくても、
「みなさん、これが最後です。さようなら……さようなら……」
とかいう台詞は聞いたことある人は多いのでは。
とか褒め称えるわけです。
このエピソードを教育にどう生かせと?
「彼女たちの行動こそ、日本人の鑑、責任に殉じる素晴らしい態度である。
お前達も、もし同じような状況に置かれたら……」
置かれたら?
自分の子どもになんと教えて欲しいかは、人によるかも知れませんが。
私としては、子どもたちには
「なんとしても生き残れ。命を大事にしろ」
……って、教えるべきなんじゃないかと思ったり。
ちなみに、八木氏は全然触れなかったことですけど、その時当直だった女性交換手は、全部で12人いたんです。
で、死ななかった3人は、最初は押し入れとかに隠れててですね。
そのままソ連統治下で職員として再雇用され、日本にも無事に帰ってくるんですけど。
彼女ら3人は、「責任に殉じ」て死ななかった駄目な日本人なんでしょうかね?
少なくとも、八木氏の言う
「ソ連軍は、刑務所から出てきたゴロツキみたいなのを最前線の兵士として送り込むわけですよ。だから、女性は陵辱されたり恐ろしい目に遭わされるわけです」
……というのは、この場合は事実に即してないと思います。
……まあ、ソ連軍がひどかったのはわりとかなり事実だと思うんですけど。
「沖縄というのは、長らく琉球王国という日本とは違う国で、その後は島津の統治下になり、近代化されたのが他の地域よりも遅れた土地なんです。
だからこそ、日本人的であろう、という責任感が逆に強くなって、それでああいう事件が起きたのではないかと思います」
という、目の覚めるような主張を展開します。
なんで目が覚めるかというと、すごいアクロバットだから。論理の。
危険なのでよい子はまねしないでください。
もし沖縄県民があの場にいたらかなり血圧が上がったんじゃないか、と思うんですが、あれはたぶん、戦わずして論敵を脳溢血で葬ろうという高度な戦術なんだと思います。
危険なのでよい子はまねしないでください。
ていうか、「集団自決」と「責任感」がどうつながるのかそもそも良くわからんのですが。
なんか、とにかく死ねば責任感がある、みたいな話で、日本文化の奥深さを感じました。
「命どぅ宝」のお婆さんは、やっぱり駄目な日本人なんじゃろうかね。
近代化が遅れた地域だからな。
あとまあ全般に言いたいことは山ほどあるんですが、重箱の隅つつきは後回しにします。
とにかく、こういう歴史観のリビジョンを促すような講演会に、公務として参加させられるのが、本地区の実態なわけですね。
開会が14:00でしたから、どの学校も特別日課で対応したと思います。
本校でも、当日は授業を午前中で切り上げて参加したわけですよ。
もちろん、講演聞いてる間にも給料が出てます。勤務時間内ですから。
内容に疑問を感じたのは何も私だけではなくて、翌日の職員室では批判大会。
「終わった後、あの先生と偉い人達とで飲み会があったらしいから、八木先生は急いでいたわけじゃないらしい。なのに質疑応答の時間を設けなかったのは、意図的なものに違いない」
……ええーっとですね。
つまり、「つくる会」の教科書を採用した地域の学校だからといって、教員が唯々諾々と「つくる会」史観に染まるわけではない、ということですよ。
このことは、左右どちらの論者にも覚えておいて欲しい、と思います。
我々はロボットではない。
その一存で採択が決まったようなもので。
しかし、「つくる会」教科書を採択した、というだけで、かなり外部からの批判にもさらされてるし、学校現場にも不満があるのが実態です。
なので、教育委員会の方針に疑問を持っている教員を「啓蒙」しよう、というのが、この講演会の趣旨だったんだと思います。
くらいのこと、10分もかけずにわかっちゃうわけですよ。
授業で、“公共心ある日本人”の美談を得々と語って聞かせたら、生徒から史実に基づいたツッコミが入る可能性くらい容易に予想されるじゃないですか?
そういう意味では、都合のいいことだけ書いた教科書というのは、発行する側は気分がいいかもしれないけど、現場の人間にとっては迷惑そのものなわけですよ。
……ああ、そうか、授業で質問の時間を設けなきゃいいわけですね。
率先垂範を地で行っておられる。
で、その他、「作る会」教科書を使ってると高校受験に対応できないとかいう現場の苦悩をよそに、首長とか教育長とか、講演会場の最前列に座っていてですね。
で、講演会が終わった時なんか、立ち上がって喝采してるわけです。
スタンディングオベーションかよ偉い人。
とりあえず絶望した。
現場がなんとかしないとならん。
以下、こまごまとしたこと。
八木氏は、聴衆に「日本の建国はいつか?」と問うて、「それは西暦600から700年前後である」とします。
なぜなら、「日本」という国号が成立し、「公」の意識が誕生したのがその時代だからだ、というのです。
ちなみに、ここで言う「公の意識」とは、天皇を中心とした中央集権体制の確立のことを指します。
天皇は独裁者ではなく、「国家の公的統治を究極において体現すべき地位」だというのですね。
八木氏は、「皇室はニッチ産業」だ、という、寛仁親王の言葉を引用します。
「政府や行政の足りないところを補う。それが、皇室の果たす役割なんです」
「このような皇室の在り方は、古代からずっとそうだったわけです」
いや……そうなの?
「平安時代、貴族は贅沢な生活をしていた一方、庶民は貧しく、奴婢は売買の対象だった」
……とかいう記述を「闘争的だ」と評します。
これらが、マルクスの階級闘争史観に子どもたちを導くものだ、というのです。
君の教科書もまっ赤っか! これはレッドベアーの陰謀だ! 愛國戦隊を呼べ!
……別に教科書の記述は、富裕層の打倒とかを呼びかけるものじゃないし、そもそも平安朝だって、階級闘争によって打倒されたわけじゃないんですが。
なんでマルクス?
明治維新を含めて、日本には「階級闘争」とか「市民革命」とかいうものはないんじゃないですかね。古い見解でしょうか?
「明治維新は、公のために働くことを自己の使命と考えていた武士たちによって実現した改革だった」(「新しい歴史教科書」。レジュメの孫引き)
そんなに昔から日本人の自覚とか公共の意識とかがあったなら、もう少し早く戦国時代が終わりそうなものですが。
武田信玄「こうして同じ日本人同士が争っていても仕方がないじゃないか!」
上杉謙信「そうだとも! 天皇陛下の元にはせ参じ、一つの国を作ろう!」
……みたいに。
八木氏によると、現在の学校教育では、歴史教育で闘争的姿勢を学び、公民教育で具体的な闘争目標を与えられている、というのです。
「公民教科書には、夫婦別姓など、まだ法的に定められてもいないトピックが取り上げられている」
とかいうのが「闘争目標の提示」だと。
……ずいぶんせこいマルクス主義ですね。
仮に、八木氏の言うとおり、飛鳥時代や平安時代がそんなに素晴らしい時代だったとしたら、逆に言って、日本社会は1400年の長きにわたって大して進歩していないことになるんですが、それでいいんでしょうか。
奴婢の話とかって、私は
「私たちの社会は、昔より良くなっているのです」
って趣旨の話だと理解していたんですが。
「人類の歴史は進歩と改良の歴史なのです。私たちも、もっともっと素晴らしい世の中を作っていきましょう。明日が今日より良い日であるように」
的な。
八木氏に言わせるとこれも「闘争的」なのかも知れませんが。
私としては、貴族と平民に大きな差があったとか、事実なんだから仕方ないんじゃないか、と思うんですがどうでしょう。
都合の悪い歴史的事実は教えない、という態度の方が、むしろ我が国を危機に追いやる気がします。
それこそ、遺伝学におけるソビエトのルイセンコ学説みたいに、学問をイデオロギーに従わせようとした挙げ句、研究開発で西側に後れを取るような。
まあ、「歴史は科学ではない」が、「つくる会」の立場なんだそうですが。
でも、望ましい思想を注入するために、歴史的事実の方を改変する、っていうのは、それこそ共産国の十八番なんじゃ。
基本的に「公共の意識」だけで日本の歴史・文化を語ろう、というのは、無理だと思うんです。
「恥の意識」とか「武士道」とかと同様、一言で語りきれるほど、日本人の精神というのは浅薄なものじゃないんじゃないでしょうか。
そもそも、「公共の意識」が飛鳥時代から日本にあった、という主張自体いかがなものか。
確かに「公」という漢字自体は大昔からありますが、古文に出てくる、「公家」とかいうときの「公」と、「public」の訳語としての「公」を同一視するのは誤りだと思うんですが。
八木氏は、「公共」の意識が近代になって成立した、というのは誤りで、日本人の日本人としての自覚はずっと以前から存在した、と言うんですが、それは逆に言って、国民国家建設のために尽力した明治の人々を愚弄するものではないでしょうか。
ちなみに八木氏は、中教審が、縄文時代の記述を重視するよう議論しているのに不満を表明しています。
から、というわけですが、これは循環論法ではないですかね。
逆に、明治憲法や現行憲法の発布、あるいは江戸幕府なり鎌倉幕府なりを「日本」の成立、と見なす立場だってあり得るわけで。
縄文人だって一生懸命に生きていたのだし、彼らが苦労して稲作技術を会得していったからこそ、現代の日本があるわけで。
「縄文人は日本人じゃない」という言いぐさは、縄文人に失礼だと思いますが。
八木氏は、チェスタトンの「伝統とは選挙権の時間的拡大」「死者には墓石で投票してもらわねばならない」なんかを引用して、伝統の大切さ、先祖の意思を尊ぶべきことを訴えるわけですが、縄文人は先祖じゃないらしいです。
……天孫降臨?
ちなみに、八木氏が引用した中には、相田みつをの「自分の番 いのちのバトン」とかまで含まれるんですが、相田さんってそういう主義の人だったのか。
ところで、八木氏は「死者の民主主義」(チェスタトン)がお気に入りのようですが、私はむしろ、「地球は子孫からの預かり物」(ケニアのことわざ)の方が好きです。
死んだ世代の意思よりも、次の世代の幸せの方が重要だ、と、私は信じます(これでも学校関係者のはしくれですから)。
……ケニアのことわざの割に「地球」とか、かなり超訳の気配ですが。
八木氏、「屋久島の灯台守り」という、これまた美談を紹介してくれたんですが。
「顔は土気色」を「どきいろ」ってあんた。
自分で持ち込んだ資料が正しく読めないって、早稲田大学法学部卒が泣くぞ。
日本の文化がどうとか言う前に、八木氏はまず日本語くらいちゃんと読めるようにすべきだと思います。
なんかあれこれコメントをもらってるようなのでここへ部分的に返信。
>教育委員会主催の講演会とかに行って何かを得たことがあるの?
ありますよ。
まあ、教育関係者の講演、というのは、聞いてすぐに教室で使える内容が多い一方、似たような話も多い……というか、教育界の通念を上手にまとめただけの、刺激に乏しい講演も多い、とは思います。
……ちょっと今回は刺激的すぎましたが。
>その場でぶつけてくれたら面白かったのに。
まあ、チキンなので。
偉い人が「つくる会」支持者で、しかも同席してるわけですから。
そこでこれだけのことを言ってしまうと、後々どんな処遇を受けることか。
それはもう、陵辱されたり恐ろしい目に遭わされるわけです。(流言)
それに、ここに書いた内容は、これでも推敲した内容です。
これをとっさに思いつける程度には賢くありたいのですが。
っていうか、偉そうなことを書いておいて恥ずかしいのですが、「女性交換手が12人いた」ということもその時は知らず、家に帰って調べてわかった次第。
でも、何か質問はしてやろう、とは思っていて、講演の間中必死で考えていたのも事実。
「古代以来、皇室はニッチ産業としての役割を果たしてきた、とのお話でしたが、私、不勉強でそういったことを存じませんでした。
そこで、例えば平安時代の朝廷が、そういった役割を果たしていた、という実例を2・3ご教示願えるとありがたいのですが……」
くらいのことを聞いてみよう、と思っていたのですが、本文で書いたとおり、質疑応答の時間がなかったので不発に終わりました。
>自分のはてなダイアリーで書いたら?
少しでも匿名性の高いところで、と思ったのです。
何か使い方として問題がありましたら申し訳ない。
(ていうか、そもそもこの内容自体トラックバックで返すべきなのかも知れませんが、匿名ダイアリーに慣れてないので、返信があちこちにばらけるのが落ち着かないのです。なんでコメント欄がないんだろう)
こんなにブックマークをもらうとは思ってなかったのでちょっと動揺しています。
偉い人にばれたらどうしよう。
>「教職員協議会」つーのは要するに「全日教http://www.ntfj.net/tanidantai/」系団体だよね。共産党系の。
右寄りではないかも知れませんが共産党系とも思ってなかったのですが。「美しい日本人」がどうとかこうとか。どうなんでしょうか。
会員でありながら組織の背後関係とかは知らないのです、申し訳ないです。(でもたぶんみんなそう)
>教師という連中が本当に馬鹿ばっかりでイデオロギーの固まりだということが良くわかった。
ククク、その通り。だが、気付くのが遅すぎたようダな……(ロシア訛り)
今や日本の教育は、我がレッドベアーの(不当な)支配下にあル!
あと10年もすれば、この国はコミンテルンの軍門に降るだろウ……!(遅すぎる)
>大学になるまで歴史教えるのやめちゃえば?自分で判断して学ぶまで教師の馬鹿どもから余計なノイズを入れないで欲しい
難しいところですね。
おっしゃるとおり、批判精神の薄い子どもに、イデオロギー教育をするのは禁忌だと思います。
その一方で、基本的な歴史知識は、全国民が持っているべき教養だとも思うのです。
そして、大学は専門教育の場であるべきで、そういうことに時間を費やすべきではないと考えます。
だから、結局は義務教育に基礎的な歴史教育を盛り込まざるを得ないのではないかと。
その内容としては、重要な歴史的事実を教えるにとどめ、それをどう解釈するか、という思想的側面は、個々人に任されるべきだと思います。
……もっとも、「歴史的事実」というのは現実にはほとんど無限に存在するわけで、その中から何を「重要」として採り上げるかに、思想的問題が絡んで来ざるを得ないのも事実ですが。
エルトゥールル号を採り上げて奴婢は省くのか、その逆をやるのか。
でも、できる限り中立であろうとする姿勢は必要だと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20070829162845
つい先立って行われた社会科教育に関する委員会も酷かった。みんな教授とか教育長とかそれなりに肩書きは付いてるんだけどさ。
「世界史よりは日本史を必修にして『欲しい』。日本史の方が『重要だ』。」
「大学教育をする場で考えると世界史の方が『圧倒的に重要だ』。」
「授業時間を削減して『欲しい』」
お前らふざけてんのか、って思わない?欲しいとか重要だとかさ、何を根拠に言ってんのって思わない?お前らの主観で国家政策決めんなよ、と。日本史を必修にしたらどういう教育効果が出るとか、世界史を学んでいるのといないのとでは大学での教育や研究にどれくらい違いが出るとか、授業時間を少なくしたら学力がどうなるとか、一切そういうデータがないんだぜ?根拠の無い意見同士がぶつかったらただの水掛け論になるに決まってる。
んで、増田で水掛け論に成るのももちろん根拠がない場合もあるけど、根拠を出してもそれを信用・理解されない(特に理解されない)ことが多いからだろう。
■[政治] 各地で暴かれる共産党の実績横取り/ウソ、デマ宣伝に行政から批判の声
2月から3月にかけて全国で開かれた地方議会の定例会で、公明党議員が質問に立ち、日本共産党が機関紙「しんぶん赤旗」やチラシなどで医療費助成などを同党の実績であるかのように宣伝していることを取り上げ、行政当局の見解をただしました。これに対し、当局は「共産党から提案されたから実現した政策は一つもない」「予算に反対した者が実現したとは言えない」などと答弁。同党の実績“横取り”“デマ宣伝”が次々と暴かれています。
東京都が今年10月から子どもの医療費助成を中学3年生まで拡充することについて、2月22日の都議会で公明党の中島義雄議員は、共産党がチラシなどで共産党の実績であるかのように宣伝していることを指摘し、都の見解をただした。山内隆夫福祉保健局長は「(助成拡充は)自民党、公明党の申し入れなどを契機に検討に着手し、2007年度予算案に盛り込んだ」と説明。石原慎太郎知事は「(共産党は)事実を覆い隠し、自分たちに都合のよい理屈ばかりを、あげつらっている」と厳しく指摘した。
3月2日の世田谷区議会で共産党議員が、子ども医療費無料化の拡充は共産党の主張が実ったなどと強調したのに対し、熊本哲之区長は「共産党から提案されたから実現したという政策は一つもない」と反論した。
少人数学級
2月28日の埼玉県議会で公明党の、はたけやま清彦議員は、共産党がチラシで、不採択になった「30人学級実現の請願」によって少人数学級が実現したように書いていることを糾弾。島村和男教育長は不採択になった請願によって少人数学級が実現されたという共産党の言い分は「正しくない」と答弁。上田清司知事は「(共産党は)調子いいなと思う」と述べた。
若者の就労を支援する千葉県のジョブカフェ事業が4月以降も継続されることについて、3月6日の県議会で公明党の高崎照雄議員は、「しんぶん赤旗」(2月26日付)が、共産党の実績として報道したことを取り上げ、県側の見解を求めた。飯田耕一商工労働部長らは「以前から事業を継続する方針を固めていた」として、共産党の実績ではないと指摘した。
エレベーター設置
3月8日の大阪府四條畷市議会で公明党の、そだ平治議員は、共産党四條畷市委員会の「なわて民報」が、JR四条畷駅と忍ヶ丘駅へのエレベーター等の設置を、共産党の実績であるかのように宣伝していることを取り上げ、「共産党はエレベーター設置を含む市予算案に反対している」と指摘。田中夏木市長は「予算に賛意を表することなく事業を推進したという(共産党の)主張は、一般的には理解し難い」と答弁した。
グラウンド整備
3月1日の東京都杉並区議会で、区がNHKから借り受けたグラウンドを整備して遊び場に転用する事業について質問した公明党の西村文孝議員は、共産党が同グラウンド整備費が盛り込まれた2006年度の補正予算に反対しておきながら、自分たちの実績であると宣伝していると指摘。山田宏区長は「予算に賛成した者が実現したと言えるのであって、反対した者が実現したと言えない」と答えた。
介護ベッド購入助成
3月13日の東京都昭島市議会で公明党の赤沼やすお議員は、市の介護ベッド購入助成制度について、共産党がチラシで同党の申し入れや同党系市民団体の請願署名などが「市の姿勢を変え」て実現したように記述されていることを取り上げ、「事実とかけ離れている」と指摘。新藤克明保健福祉部長は「市として(実施を)判断したのは、それ(共産の申し入れなど)以前」と説明。共産党の申し入れや市民団体の請願署名などは“あと出し”だったことが明らかになった。
地域巡回バス
3月13日の名古屋市議会で、公明党の江口ふみお議員は、同市千種区内を走る地域巡回バスについて、共産党千種区委員会発行の「ちくさ民報」が同党の提案や署名で実現したかのように宣伝していることについてただした。吉井信雄交通局長は「これ(共産党の運動)によって(市政が)動かされたとは思っていない。(地域巡回バスは)私ども(市)の判断で実施させていただいた」と答えた。
国保料引き下げ
3月14日の大阪府茨木市議会で公明党の河本光宏議員は、市が来年度から実施予定の国民健康保険料引き下げについて、「しんぶん赤旗」(2月23日付)が共産党と市民団体の署名で実現したかのように宣伝していることについてただした。今村二郎健康福祉部理事は「引き下げに関する署名を添えた要望は受けていない」と答弁。共産党がウソの宣伝をしていることが明らかになった。
【公明新聞 2007-03-26付】
教育再生会議というものがあったが、何をしているのだろうか。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%b6%b5%b0%e9%ba%c6%c0%b8%b2%f1%b5%c4
こちらに一覧されているが・・・
劇団四季代表・資生堂相談役・エッセイスト・日本学術振興会理事長・立命館小副校長・JR東海会長・京都市教委教育長・国際日本文化研究センター教授・
スポーツコメンテーター・東大総長・教育ジャーナリスト・東洋大教授・トヨタ自動車会長・国際教養大学長・理化学研究所理事長・横浜市教委教育委員・ワタミ社長
一体何の集まりなのだろうか。
エッセイスト とか、 副校長 とか、 教育委員長 とか、 ジャーナリスト とか、
必要に思える人も多い。
何?
でも、僕は別に誰を推したわけでもない。
そんな人たちが、僕達になんのいいことを与えてくれるんですか?
政府とか、大人が選んだ人たちの考えを、子供に押し付てるってこと?
安倍内閣にいる人は、"国を作るために大人が選んだ人"であって、"教育を作るために教育現場の人が選んだ人"じゃないでしょ?
いじめてる人が、何か罰を受けて止めるのだろうか。
かえって、僕達いじめられてる人をさらにいじめる原因になるんじゃないだろうか。
てか、そんな風に罰を作って、人と接するのが怖くなったりしないのだろうか。
もっと現場を知っている人に選ばせて、
もっと現場を知っている人に考えさせて、
もっと現場を知っている人に決めさせて欲しい。
僕がこんなことを言っても、どうにもならないのだ結末だが。