はてなキーワード: 俗流若者論とは
https://twitter.com/bokukoui/status/1645815880281124864
後藤氏のブログは私の↓への批判ということですが、まったく頓珍漢としか言いようがありません。だって、私の記事は本文中で明記している通り、アラフォーの「オタク」を対象としています。おっさんがおっさんを批判している文章の、どこが「俗流若者論」なのでしょうか?
後藤の喚き散らしている『左派オタク』への非難は全部これなんだよな
性懲りもなく同じ失敗を繰り返している
https://twitter.com/kazugoto/status/1646271051767377922?cxt=HHwWhMDTyZOz3dgtAAAA
この書き込みなんか典型例なんだけど、一部左派って右派“オタク”や「普通の日本人」を批判するあまり「古い大人社会」「古い男社会」と見なされているものに過剰適応して(そして若年層を叩いて)いないかと思う。……
直接の批判対象であろう暇アノンが中年中心であることは羞恥のもとい周知の事実
実際若い男性が日曜大工に挑戦するパターンも過去に何度かあった。そして女性が料理に挑戦するときと同じように、大体滅茶苦茶なことをして出演者からあきれられていた。
このコーナーでは常識のない若者を年配者が笑いものにしているように見える。しかし実際は、若い世代に生活の技術が伝承されなかった現状を提示するコーナーではないか。
そこで後ろ指をさされているのは常識のない若者であり、それとともに非常識な若者を育てた年配の世代である。
年配の世代は快不快原則に沿った子育てを子供に行い、その結果小さい頃に料理や大工仕事といった基礎的な知識を教わることなく大きくなった。
もし年配の世代がきちんと子供に生活の技術を伝承していれば、そもそもこんなコーナーは成立しなかったであろう。
だからあのコーナーは女性を馬鹿にするコーナーではなく、若い世代に生活の技術が伝承されなかった現状を提示するコーナーだと思う。
若者の退廃はもちろん社会や若者自身にも問題があるが、それとともに年長者にも問題がある。
それを提示することに意味があるのだろうが、残念ながら俗流若者論の後藤某のように「若者を不当に貶めている」と脊髄反射的に批判を加える人がいるのも事実である。
素朴な疑問として、
誰が?
どうして若い頃に頑張らなかったの?
一般論で言えば、若い頃は結婚に向かう経済基盤が無いんじゃないのかな
相当下層な一部の男女だけだと思う。
男女の結婚の話かと思ってたけど
高校生のころ、ゲームとかマンガとかに逃げてて、生身の女子高生と向き合わなかったんでしょ?
自業自得だよ。
あのさあ、
昔の人は男女共にそういう逃げ場(少女漫画とか、萌えライトノベルとか)を持たなかったから、
早く大人になる傾向はあったね。
いったい少女マンガや萌えライトノベルがあんたに何したっていうの?
自分の不満をきちんと見据えて正しく問題に当たろうよ。
アホ過ぎる。多面化もくそもない、まっすぐも関係ない。あなたの指示伝達能力が皆無なだけだ。
くされ低劣ド無能が、いっちょ前に「社会人」気取りをかましているけれど
あなたがやっているのは、経済的に離婚できない妻に対して好き放題傲慢かまして
「分かってくれる」ことを要求し、それが満たされないとブチ切れる、くされマザコンDVパワハラ野郎と同じだよ。
権力関係を考えろよ。質問できるような”場”をちゃんと作れているのか?高圧的に無能扱いして
低レベルな指示とも呼べない「わかって」を傲慢に振り回し、さらにそれに答えられないと
ブチ切れる、部下は萎縮してさらに質問できなくなる、それを見てまた無能扱い・「まっすぐ君」扱いをする。
解決しません、だって癌は、原因はあなただから。
言葉で言えよ、言葉で。ちゃんと論理で考えろ、頭をちょっとは使ってみろ。
あなたのコミュニケーション能力は絶望的に欠けているんだ。
恋人じゃない、両親でもない。
いや、そうであっても
あなたのようなボンクラ頭の適当押し付け・適当診断(俗流若者論風)のおしめを取り替えてやる義務なんてないんだよ。
糞だらけのケツはてめえで舐めてやってくださいよ、ドカス低脳さん。
苛めという行為自体には同情の余地無し
それで恨まれることについては自業自得
だからと言って行き過ぎた復讐をやればお前も同じ人間になるというような話もあるかもしれんけど、俺はあまりそう思わない
躾と呼べる範囲での復讐ならむしろ推奨したい
放っておいて自然とまともな人間になっていくのならほっときゃいいと思うけど、そうでない場合甘やかすと馬鹿が図に乗る
第一次加害者の内に潜む問題点は行き過ぎない程度で痛めつけてやる必要がある
それと「精神的に弱い」という差別的表現を平然と使う奴は死んだ方が良い
何をもって精神的な弱さだとか強さなんて抽象的なもんを決めているのやら
いい加減なことを言うなよなと
個人的にはメンヘラや不登校みたいな連中になるかならないかの差には、そいつの性質の違い、神経質か無神経なんていう違いはあるんだろうなとは思うけど、それは種類の違いでしか無くて、簡単に強弱の判断をつけられるものでもないと思う
精神的な強さってのは単に無神経なだけだと思うけど、そういう性質の人に耐えられないことが神経質な奴には耐えられるなんてこともあるだろうし、一面的に見れば話は簡単だけど実際は簡単に比較出来るもんではないんじゃないかと
そもそもそういう性質なんて育った環境や運に影響される部分がでかくて本人の意思だけでどうこう出来るもんでもないし。メタ的に考えて
あと、そういう表現をやたらと吐きたがる人って居るけどそういう人の心理は、駄目人格者が頻りに甘え甘えと喚いたり、俗流若者論を振りかざすのと大差無いと思う
大人の苛めはもっと辛いぞ、と子供に対して話をしたがるとかそういう類いのもの。
私は辛い環境生き抜いてきました私は凄い人間です、と絶えず自分に言い聞かせておかないと気の済まない子供
あ、いや、言い聞かせること自体は別に構いやしないと思うけど、その為に周囲の人間を利用すんなクズと言いたい
そういうのは自分ひとりでやってるか、ママにでも聞いてもらってろ
醜い感情が原料のクソ文章を書いては自己嫌悪で胸糞悪くなる日々
もうこういうの止めとくか
死ねクソども
かくのごとき市場論気取りの俗流若者論が公言されるようになって久しい。
この記事によれば、今の若者が消費をしないのは学校で苛められたり就職氷河期でいい職にありつけなかったりした「劣等感」があるせいだとか。
白痴魯鈍の骨頂である。
はっきり言っておく。
物欲に任せた無軌道な消費を繰り返して環境汚染に代表される諸問題を発生させておきながら、彼らが倹約を求めたのは己ではなく子供たちであった。
「日本はものが豊かになった代わりに、心が貧しくなりました」
20代や30代ならば子供時代このような一文を見聞きしたことが一度はあるだろう。
消費の愚かしさを再三刷り込まれ、バブル世代の消費狂いを反面教師にして、いじましい節制と消費欲の抑制を肝に銘じながら育った子供たち。
それがバブル後世代であり、バブル世代が悪し様に言う“嫌消費世代”の中心核である。
若者は教育によって消費への志向を徹底的に萎縮させられ、バブル崩壊とこれに続く不況のツケを就職難という形で負わされて経済力を削がれた。
消費欲と消費力という車の両輪を断ち、その上で若者があれから離れた、これから離れたと言ってはその消費行動の慎ましさを嘆きあげつらうのが愚物の言行でなければなんであろう。
俗流若者論は論じたくないのであまり「最近の若者」というくくり方はしたくはないのだが、あえて「最近の若者」の共通点を一言で言うならば、これだろう:
だって、そりゃぁそうだろう。マトモな大学を出て新卒のチャンスを上手く使わない限り、正社員になることは難しい。正社員になれなければ、事実上、結婚も子供も持つことは難しい。今の若者にとって、結婚したり子供を持つことは、「普通の人が普通にできること」ではなくて、「一部の勝ち組ができること」のひとつになってしまっている。労働者の半分が非正社員、出生率も2人の親に対して、子供が1.3程度。乱暴な言い方をすれば、人口の半分は子供なんて夢のまた夢なわけだ。給料よりも、将来の希望の方が、人に大きく響く。非正社員でも、普通に結婚して子供を持つことができるのなら、希望がもてる。今は、そうじゃない。結婚や子供の前に、正社員の壁が立ちはだかる。
そりゃぁ、自分が必要とされていないと思うでしょ。めんどくせ、さっさと死んじゃえって思うでしょ。
みんなで死のうぜ、イエイ
ぼくはテレビが好きだった。それは確かなことで、特にバラエティ番組を見ている量では誰にも負けない時期があった。それは短い期間(約1年)だったけど、その時期にNHK以外で放送されたバラエティ番組は全部録画して見ていた。毎日だいたい8時間、日によっては16時間近くかかることもあった。今考えたら親にとっては迷惑な話だったかも知れない。また今みたいにバラエティがつまらなくなかったからできたことだ。しかしとにもかくにもバラエティ番組の知識だけではその時期はおそらく誰にも負けなかった。ヒキコモリだからできたというのもあるだろうけど。
だからどうというわけではないのだが、テレビを見なくなったのはやはり面白くなくなったからだと思っている。もちろん急に見るのをやめたわけではない。それは長い歳月をかけて徐々に見なくなったのだ。そうして、飽きているというのともまた違う。面白いバラエティ番組があれば、やっぱり今でも面白いなあと思うわけだから。それが「サラリーマンネオ」だったり「もやサマ」だったりする。長い割に内容がない、まるで昨今のバラエティ番組のような文章に疲れてきたのでこの先はちょっとはしょる。
だから、ぼくがテレビが面白くなくなったと感じるのは、いわゆる俗流若者論とも違うと思う。表現ジャンルというものには栄枯盛衰があって、そういう視点で言っている。ある時栄えていたジャンルがそれより下り坂になって全体的に面白くなくなるということは歴史的にはいくつもあって、例えばギリシアの時代の彫刻の技術はもう失われたし、ルネッサンスの頃の絵画の技術も失われた。中国の青磁の技術だって、いまだに再現できなかったりする。
だからそれは、いつの世でも老人が「最近の若者は軟弱になった」と言ったりしていることとは意味が違う。文化は栄えたり滅んだりするのだ。永遠に進化し続けるなどということはない。テレビがつまらなくなったというのはそういう視点に立ちながら言っているのであって、何もノスタルジーに浸っているわけではない。だいたいぼくは子供の頃に素晴らしいと思っていたものよりも、大人になってから素晴らしいと思ったものの方が印象深いものが多いのだから、そういうノスタルジーにとらわれるような俗流若者論的な考え方とは無縁である。
その上で、なおぼくの書いたことに反論があるのだとしたら、どうか面白いテレビ番組を教えてほしい。ちなみにこの前たまたま「篤姫」を見たらとても面白かった。なんだそんなものも見ずして最近のテレビは面白くないと言っているのかと言われるかも知れないが、それは実際その通りだ。
ぼくは今ではほとんど月に数本のテレビ番組しか見なくて今のテレビをつまらないと言っているわけで、それは前のエントリーでも書いたけど電車の中でテレビを見る人がいないからである。だから、乗ってる電車がたまたまそうかも知れないと言われれば、それは確かにそうかも知れない。それから、電車の中でテレビを見る人が少ないからといってテレビの衰退に結びつけるのは無理があると言う人もいるだろうけど、これに関しては無理はないと思っている。説得力はないけどね。だから別にそれで人を説得しようとも思わない。ぼくはただ坂田信弘のゴルフマンガに出てきそうな外国の頑迷なキャディーのように、これまでの経験と五感を働かせて、なんとなくグリーン上空の風の流れを予測しているだけで、そう予測する根拠を述べよとゴルファーに言われても、説明しようがないのだ。
それを傲慢だと言うのには異を唱える。ぼくはそれを誠実な態度だと言ってほしい。この種の誠実さがないと、真善美というものは突き詰められないところがある。それはid:aurelianoを見て「こいつこそキングオブうすらバカだ!」と叫ぶのにも似ている。その結果、ぼくはid:aurelianoやあるいはその取り巻きにdisられるかも知れない。しかしそれを自覚した上でなお、叫ばずにはいられないところがある。それを傲慢と呼ぶのなら、それはそれで仕方ないが、しかしそれをぼくは受け入れられない。
それからそういう態度だと議論や話し合いにならないという人も時々いるが、ぼくは初めから話し合いを求めていないどころかそれを回避している。なぜなら議論や話し合いはクリエイティブにほとんど寄与しないと考えるからだ。それにしてもテンプレートとして使うにはもう少し短い方がよかったが,どこを切り取っても内容がなく、全部がテンプレートに使えそうなのはさすがだ。
ぼくは人間が好きだった。それは確かなことで、付き合っている量でも誰にも負けない時期があった。それは短い期間(約1年)だったけど、その時期にうちの近くの学校で知り合えた少女以外の全ての学校の生徒に声をかけていた。毎日だいたい2時間、日によっては4時間近くかかることもあった。今考えたら世間にとっては迷惑な話だったかも知れない。また今みたいにネットやケータイも多くなかったからできたことだ。しかしとにもかくにも人間とのコミュニケーションだけではその時期はおそらく誰にも負けなかった。ヒマだからできたというのもあるだろうけど。
そういうぼくが今ではほとんど人間と付き合わなくなったのだけれど、だからと言ってテレビを見ているわけでも音楽を聞いているわけでも映画を見ているわけでもゲームをしているわけでもない。何をしているかというと仕事をしているか人と話しているか2chを見ているか増田を書いているかだ。この4つにほぼ絞られる。あと時々本を読んだり考え事をしている時もあるけど、それは空いた時間とか寝る前にしていることが多い。
だからどうというわけではないのだが、人間に関してはかつてはあれほど面白いと思ったのに、付き合わなくなったのはやはり面白くなくなったからだと思っている。もちろん急に付き合うのをやめたわけではない。それは長い歳月をかけて徐々に付き合わなくなったのだ。そうして、飽きているというのともまた違う。面白い人間があれば、やっぱり今でも面白いなあと思うわけだから。それが「近藤淳也」だったり「スティーヴ・ジョブス」だったりする。
ちなみにそれはぼくが面白さに鈍感になったからだと言う人もいるけどそれも違う。ぼくはだいたいにおいて面白がり過ぎるくらいで、それはこの増田にもいやというほど書いた。今でもルイ・ヴィトンに行けば面白いと思うし、遅刻をしない女の子を見ても面白いと思う。「百年の孤独」を読めば面白いと思うし、ドラッカーを読んでも面白い。友人のMとリナカフェでだべっているのも面白いのである。
だから、ぼくが人間が面白くなくなったと感じるのは、いわゆる俗流若者論とも違うと思う。コミュニケーション・ジャンルというものには栄枯盛衰があって、そういう視点で言っている。ある時栄えていたジャンルがそれより下り坂になって全体的に面白くなくなるということは歴史的にはいくつもあって、例えばアングラ時代のぁゃιぃの技術はもう失われたし、ルネッサンスの頃のnyの技術も失われた。中国の割れ厨の技術だって、いまだに再現できなかったりする。
だからそれは、いつの世でも老人が「最近の若者は軟弱になった」と言ったりしていることとは意味が違う。文化は栄えたり滅んだりするのだ。永遠に進化し続けるなどということはない。人間がつまらなくなったというのはそういう視点に立ちながら言っているのであって、何もノスタルジーに浸っているわけではない。だいたいぼくは子供の頃に素晴らしいと思っていたものよりも、大人になってから素晴らしいと思ったものの方が印象深いものが多いのだから、そういうノスタルジーにとらわれるような俗流若者論的な考え方とは無縁である。
その上で、なおぼくの書いたことに反論があるのだとしたら、id:y_arimさんがブコメで仰ってたように、どうか面白い人間を教えてほしい。ちなみにこの前たまたまはてなの「梅田望夫」とあったらとても面白かった。なんだそんな人と会わずして最近の人間は面白くないと言っているのかと言われるかも知れないが、それは実際その通りだ。ぼくは今ではほとんど年に数人の人間しか会わなくて今の人間をつまらないと言っているわけで、それは前のエントリーでも書いたけど電車の中で話をする人間が少ないからである。だから、乗ってる電車がたまたまそうかも知れないと言われれば、それは確かにそうかも知れない。それから、電車の中で話をする人が少ないからといって人間の衰退に結びつけるのは無理があると言う人もいるだろうけど、これに関しては無理はないと思っている。説得力はないけどね。だから別にそれで人を説得しようとも思わない。ぼくはただ坂田信弘のゴルフマンガに出てきそうな外国の頑迷なキャディーのように、これまでの経験と五感を働かせて、なんとなくグリーン上空の風の流れを予測しているだけで、そう予測する根拠を述べよとゴルファーに言われても、説明しようがないのだ。ただ経験からそう予測したというだけである。それでは信じるに値しないというのなら、それはそれで仕方のないことだ。それならどうぞあなたの予測するようにボールを打って下さいと言う。それでゴルファーの予測が正しくて、ぼくが間違っていたのなら、ぼくは潔くキャディーをやめるくらいの覚悟はある。
そうやって既得権益者同士が若者の溜飲を下げてもらうためにやってる興業なんだよ。
WIRED VISION / 小田中直樹の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」 / 第1回 気分はもう戦争・そのI
いやぁ、じつに(アダム・スミス的な意味で、だが)同感できる話だ。ぼくは既得権益をもった大人なので、ぜんぜん共感は出来ないが、31歳でフリーターだったら結構そう思うのかもしれないね。「閉塞感+リセット=戦争」かぁ、黄金の公式だね。ただし、この公式は、それこそ大学紛争にもオウム真理教にもみられたような気がするから、べつに新しいものじゃない。そういえば、大学紛争でも丸山は攻撃対象になったのだった。まこと歴史はまわるものである。
ところで暇な方、
不肖小田中がない頭をふりしぼって考えた、かの「気分はもう戦争」くんに対する個人主義的で出羽守的な回答……そのヒントは
「モロッコ」