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はてなキーワード: 伝統とは

2008-04-16

http://anond.hatelabo.jp/20080415232005

ほんとにこの人は議論というものをわかってるのかね。一つの論点を挙げたらそれと心中しないといけないとでも思ってるんだろうか。

じゃあまず撤回するところからはじめろよ。くぐるまたぐらを激しく間違えてんだよ君は。

そういう意味でこの批判は文字通りナンセンス無意味)。「このような論点が存在する」という主張は「このような価値観こそが正しく、他は全て間違っていると信ずる」というものとは全く異なる。だいたい俺が一度でも「役に立つから良い」などと主張したか?「役に立つものだけが良いものだ」と思っている奴が相手だと想定したから、「ある特定の価値観を認めたしてもこういう論点が存在する」と言ったのだ。それのどこが、俺がその「特定の価値観」を主張したことになるのだ。

これだけ言ってもわからないとしたら、君は論理的思考というものが全くできないと言って然るべきだろうね。

なお、くぐるまたぐらを間違えたことは認めるが、それは君がどういう思想の持ち主だったかを読み違えただけだ。しかし、匿名でものを書いている君が「俺様のことを正しく理解しないとは無礼千万!」などという資格はまるでないぞ。

だいたい、文学価値社会経済的国政的有用性で測ろうなどというのがそもそも冒涜だ。

それもまた極端な価値観だな。文学は神聖にして侵すべからずというのか。芸術的にも価値があり、経済的に価値があるならなおのことよいではないか。

知的社会政治的有用性で芸術を測ってる段階で、俗物だと思うけどなあ。

じゃあ例えば君が美術館の館長で、「芸術なんて無駄なものに金が出せるかボケぇ」ってな思想の持ち主の市長によって予算が激減させられそうになったとき、彼にどう反駁するんだ?芸術に対して経済的有用性を云々するのは冒涜である、と主張して、その結果宗教論争に陥って君は解雇、職員も路頭に迷う、なんてのが理想なのか?それこそ勘違いヒロイズムもいいところだ。職員はいったいどうなるのだ。

俺、別に英語帝国でいいと思ってるけど。

これが「世に差別不正が溢れているとして、そりゃ一凡人に出来ることは少ないが、開き直って加担するような真似は俺には出来んね」といった人間言葉なんだからお笑いぐさだね。

欧米古典文化には、確かに今でも通じる知的、思想的、社会政治的意義はあるよ。

文芸的な、要は道楽としての価値は認めるが、それ以上のものはないだろ。やっぱぜんぜん違うよ。

文化を有用性で測るのは冒涜だとかおっしゃったのはどこの誰様でしたっけねえ。

日本は所詮アジアだよ。それが証拠に、自由主義民主主義もまるで精神的なところに根付いてなくて、簡単に前時代的な思想に転ぶじゃないか。

差別発言ですな。そう言い切ったあなたが19世紀の人間ならあなたはヘーゲルになれたかもしれない。だが今は21世紀なのでな。ヘーゲルの5693番煎じぐらいのことを言っても「事実関係に反する」と言われて終了。欧米先進国様にもキリスト教原理主義とか移民排斥とか悪しき伝統の宿痾はいくらでもある。

あんたがもしヘーゲルなら、あるいは丸山眞男でもいい、欧米先進国様の良い点だけに憧れを持って、悪い点を等閑視していたとしても、情報の不足として酌量された点はあるだろう。だが現代ではそうはいかないぞ。

アベレージをほどほどに高く保ちつつ、それで足りないようなエリート海外で一流の教育を受けて来い、って言ってるだけなんだが。

そんな極少数のエリートのために世界最高峰教育機関を整備するコストは、バカにならんと思うがね。

わざわざそんなことをしたってなんのメリットもないし、むしろデメリットしか想定できないと主張しているのがわからんのか。

えーと、それから旧帝大卒業生が世の中のどれだけの割合になるのか調べてからものを言おうね。

それを言うなら、そもそもFORTRANも知らんバカが情報工学を語るなw

Fortranを知らないなんて一言も言ってないのにねえ。天声でも聞こえたのかなあ。

実践的なことばっかやってんじゃねーか。お前がその実践性を理解できてないだけだ。

釈迦に説法。仮にも俺は工学修士だ。お前ごときがエラそうに言ってる話なんて学ばずとも勝手に覚えたわ。

工学は実践に直結しているに決まってるじゃないか。「実践」のレベルが違うと言っているのだ。誰が講義Emacsgrepの使い方なんか教えてるか、馬鹿馬鹿しい。時間を掛ければいつでも必要なだけ身に付けられることをわざわざ貴重な時間をいくらも割いてまで教えるわけがなかろう。

だいたい、線型代数微積も何も理解できないお前ががあのシラバスの内容を大まかにでも正確に理解できているわけがないんだがね。それのどこが君のいったような意味で「実践的」なのだ?え?

言っておくが、どっかで聞きかじったような言葉言葉として知っていることと、内容まで理解していることは天と地の差だぞ。誰かがあの内容に沿って作ってくれたライブラリを使ってコーディングすることは「情報工学」じゃないぞ。わかってんのかその違いが。

無知は罪ではないし、自分の無知を自覚できないことに同情の余地はあるが、自分が賢いと思い込むのは迷惑千万だな。

2008-04-13

http://anond.hatelabo.jp/20080413160350

昨日からやりとりしてた増田です。

なんだ、君、プログラマーだったのか。だったら話が早い。

例えば、JavaとかRubyとかVBとかPHPとか、そういう種類の言語一種類しか使えないプログラマがいたらどう思う?あまり難しい仕事任せられないって思わない?最低限、Cとかアセンブラとかできるだけ低レベルに近い言語はある程度使えてほしいし、できればLispみたいな関数型言語とかOSコンパイラ理論とか、そういうのを知識としてだけでもいいから知っておいてほしいと思うよね?

だったらどうして、古文や漢文勉強が自分には意味ないって思うかなあ?日本語で文章を書くのは、仕事上の重要スキルでしょ。まずその前提がよくわからない。

具体的にどんな古典教育強化でどこが「新たに」観光資源になるんだ?

日本は今でも十分歴史伝統的なものを観光ビジネスに利用出来てるが。

別に「新たに」なんて言ってないけど。ただし、資源ってのはメンテナンス要員が必要なんよね。現在教育は、その中から一握りの専門家とそこそこ多くのファンを再生産する役目は果たしてると思うけどな。

あと、日本の観光ビジネスはまだ産業として未熟だよ。ヨーロッパ行ってみるとわかるけど、日本の観光ビジネスは横のつながりが弱くて商売がヘタクソ。たとえば厳島神社なんて世界遺産になってるのに、宝物殿では大した物展示されてないし、宮島にある飲食店はろくなお店がない。

「楽しむ」という観点で言えば、古典漢文の題材がそれらよりも優先するようには思わない。

劣るとも思わないけどね。ただね、現代文学古典文学を下敷きにしてたりするから両方読めると楽しいことは知っておいた方がいいだろうね。

あと、古文とか漢文ってのは現代文と読み書きや文法の体系が少しだけだけど違うから、文法ぐらい教えておかないと、興味を持った人があとで独学たって難しくなってしまうことは理解できるよね。いまの高校教育はそういう目的で文法だけを中心に教えてるようなもんだよ。

それとさー、どうしてあれを教えたらこれを教えるのやめろって話になるわけ?両方教えたらいいだけじゃないの。ただでさえゆとり教育なんだからさ。たとえば俺は高校時代理科社会を全科目履修したし、数学も数III数Cまでやったし、古文や漢文だったら例えば岩波文庫の注釈付きなんかで訳なしで読めるよ。

俺も理系人間で、たいして出来がよくなかったから思うんだが、行列大学入試という重しがある高校生の間にある程度慣れておくべきものだ。

大学で習った偏微分とか周回積分とかいっこも覚えてない俺でも行列演算は一通り出来るし、プログラミングとかで使えるのは、高校でみっちりやったからだよ。

それは単なる君の不勉強でしょ。高校までで役に立つこと勉強したいんだったら高専とか工業高校に行くべきなんだし。普通高校ってのはジェネラリストを育成するところなんだからね。

それに、君はたまたま高校で習った行列計算だけで用が足りてるのかもしれないけど、行列の計算だけできても普通は何の役にも立たない。それに、大学線型代数やったんなら、高校でやるレベルの話なんて子供だましもいいところだってわかるでしょ。

というか、固有値ベクトル空間を理解せずにどうやって大学卒業できたんだ?力学も振動論も微分方程式統計学信号処理量子力学も、何一つ理解できないでしょ、それじゃ。

行列と比べてどうなんだと聞いてるんだが。

だから、本来比べるのがおかしいし比べられないと書いたんだが。

ただし、君が思ってるほど高校行列計算は一般には役に立たないし、観光は大きな産業になり得る。理由は上に書いたとおり。

そりゃ基礎技術力が高く工業力が強いほうが観光立国よりずっといいだろ。

とんでもないよ。オーストリア日本の一人当たりGDPを調べてごらんよ。

http://anond.hatelabo.jp/20080413104904

具体的にどんな古典教育強化でどこが「新たに」観光資源になるんだ?

日本は今でも十分歴史伝統的なものを観光ビジネスに利用出来てるが。

古典を理解できた方が人生楽しい」というのは決して無視できない理由だぞ。

文学をたしなむことが、人生を豊かにするという仮説を受け入れるとしても、まず現代語で書かれた文学をちゃんと読ませたほうがいいと思うけど。三島も太宰も漱石も芥川も鴎外も、せいぜい教科書に載ってるものくらいしか読んでない奴がいっぱいいるだろう。つーか、グッと読みやすく村上春樹でもいいよ。一冊も読んだことない奴がいっぱいいるぞ。今日本はそういう状況なんだ。

あと世界文学ね。「罪と罰」やら「戦争と平和」やら、名前だけしか知らない人ばかりだろ。

「楽しむ」という観点で言えば、古典漢文の題材がそれらよりも優先するようには思わない。

いやー、理系人間として言わせてもらうと、以前高校で教えてた程度の行列教えたって役に立たないよ。

俺も理系人間で、たいして出来がよくなかったから思うんだが、行列大学入試という重しがある高校生の間にある程度慣れておくべきものだ。

大学で習った偏微分とか周回積分とかいっこも覚えてない俺でも行列演算は一通り出来るし、プログラミングとかで使えるのは、高校でみっちりやったからだよ。

シェイクスピアはともか(引用者略

行列と比べてどうなんだと聞いてるんだが。

そりゃ基礎技術力が高く工業力が強いほうが観光立国よりずっといいだろ。

http://anond.hatelabo.jp/20080412232655

総論賛成、各論反対、かな。たぶんあなたとは考えの根本は似てると思うんだ。でも結論が違う。

現在使われている言語(つまり、英語国語数学、あるいは今後は中国語なども)を習得することは、それ以外の学科を学ぶ基礎になるでしょ。だから、優先的に学ぶ必要がある。まず、国語の読み書き能力が無ければ、数学理科社会も理解できない。

えーとね、俺はむしろ古文や漢文が「現在使われている言語」の特殊な一部分、あるいはその基礎を形成すると思うんだよね。数学理科と似たような意味で、ね。

で、どういう分野かというと文学とか歴史とか古典芸能。というと、そんなの一部の人趣味だろって言われるかも知れない。そこが俺は違うと思うんだ。この手の文化は観光資源というか国のPR材料だと思うのね。だから、どこの国も古典国民に教え込もうとしてるんだと思うし、それは戦略として正しいと思う。

たとえばイギリスシェイクスピアオーストリアモーツァルトでどんだけ金を儲けてると思う?世界中からファンが集まってくるし、関連製品を輸出することもできるし、専門家派遣して国に対する好感度を高めることができる。勿論、イギリスのその辺のオッサンはサッカーに夢中なんであってシェイクスピアなんてのは学校で一部分を抜粋で教えられた退屈な作品の作者にすぎないはず。でも、シェイクスピアの名前すら知らないってことはないはずだろ。俺たちが誰でも源氏物語存在を知ってたり、そこから「あさきゆめみし」なんて派生作品が現代でも生まれたりするように。そうすれば、シェイクスピアのファンはみんなイギリスシンパになるし、イギリス旅行をしたいと思うだろう。

というわけで、古典文化を学校で教えることは、商売のネタになると思うんだよね。少なくとも、「この国は伝統ある文化国家だ」と思ってくれれば、勘違いして敬意を払ってくれる人が増えるでしょ。それだけでも現在の商売に有利になるわけだしね。

ところで話は逸れるけど、国語数学を教えれば理科社会が独学でなんとかなるってのには賛成できないな。早い話、理科実験学校で絶対やらないといけないことだと思う。科学机上の空論でないことは体で覚えてもらわないとね。

「選ばれた人」は、ある特定の価値基準で「選ばれた人」なわけだ。ある特定の価値観競争したピラミッドの頂点にいる人が「エリート」。そういう人を生み出すための公教育なんて、くそ食らえだとおれは思ってる。

感情的には賛成。だけど、公教育も含めて国ってのは結局商売なわけで、国民に飯を食わせて安全を守る義務があるよね。特に日本みたいに資源もなく農業が弱体化した国は、外国にものを売って資源と飯を買ってこないといけないわけだし、国民を商売人として教育せざるを得ないのは仕方ないんじゃない?実際、日本を含めたアジア諸国で数学理科を頑張って教えてるのは、それが商売のネタだからでしょ。

もっといえば、俺は英語なんて大嫌いだから本当は勉強したくないんだけどさ。言語学的にも英語というのは世界言語の平均像と乖離した部分が大きいし外来語が多くて語彙体系が一貫してないしで、共通語としては日本語と同レベルに不適格だと思う。本当はラテン語(せめてイタリア語スペイン語)あたりを共通語にするのが一番合理的だと思うけど、そんなこといったって世の中はおさまらないでしょ。だから俺は仕方なく英語勉強するしTOEICの点数を上げようともするし、イギリス人子供シェイクスピアだのラテン語だのに苦しめられる。しゃあないんですよ。商売なんだから。

2008-04-09

SNSブログの差

そこそこアクセスはあるのにコメント一回もつかない。

スターやはてブはあるけど。

何故だ? これがはてな村

他のブログサービスだったらコメントつくのかな・・・。

もしもコメントが欲しいなら、mixiが良いのではないでしょうか。

同じく。書く動機として、あるいはコミュニケーションを求める意味で「コメントが欲しい」というのなら、最初の増田さんが必要としているのはブログサービスではなくてSNSだと思う。

今や区別する意味なんてほとんど無いかもしれないけど、『ブログ』と『SNS』は本来全く違うものなので、「コメント」に関する価値観伝統的に全然違う(この場合の「伝統」つーのは、期間にすればたかだか2、3年の話ではあるけれど)。ブログコメントに関する話については、この辺の議論とか参考にして貰うといいんじゃないだろうか。

http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2007/08/08/1765

だからホントは「他のブログサービス」よりもSNSを勧めたいところなんだけど、確かにはてなは他のブログサービスより理系の人が多くて、「本来ブログとは…」と考える人が多いせいで上記のような傾向が強い、というのはあるかもしれない。だから「他のブログサービス」ならもう少しコメントがつくかもしれない。また最初の増田さんも「SNSとは違ってもっと公共性のある場所で自分は物を書きたいのだ」と思ってはてなダイアリーを始めたのかもしれない。それならなおさら「他のブログサービス」に移行するという選択肢を考慮する意味はある。

個人的には『なれ合い』コメントとかほんとの『書き逃げ便所の落書き)』コメントとかは嫌いなので、はてな空気は心地よいんだけど、いわゆる「はてな村」の傾向というのとこれとは、また少し違うことなんじゃないだろうか、とこれは余談。

以下およびツリーへの返信

http://anond.hatelabo.jp/20080409063806

2008-04-08

古ーション

昔暮らしてた寮には、なんとも豪快且つ陰湿な伝統行事がいくつかあった。新入生歓迎行事でカルチャーショックを受けた新入生が毎年数名、間もなく退寮していた。

色んな行事があるけど、一番インパクトのあった行事の流れが大体こんな感じ。

  1. 同じ階に住んでる人みんなでどんちゃか酒を飲む。
  2. 宵になり酔いも回ってきた頃にみんなで外に出て、併設されたもうひとつの寮(男子なら女子寮、女子なら男子寮)の庭へ赴く。
  3. その庭で一人ずつ三十秒ほどの口上シャウト。その後日本酒を一気飲み。口上は入寮日から連日、夜八時頃に合同練習タイムを設けてみっちり仕込まれる。
  4. 日本酒を飲み終わったら、建物のすぐそばまで行って「おねがいしまーす!」とシャウト。
  5. 窓から見ている寮生達がその新入生に水をかける。水の量は一階(一回)あたりゴミバケツに四分の一から半分くらい。それを各階順番にこなしていく。
  6. 最後に「ありがとうございましたー!」とシャウト。おひねりとしてお菓子だのカップめんだの米だのが各階の窓から飛んでくる。
  7. それを新入生の人数分繰り返す。先に終わった人は濡れた体のままタオルにくるまれながら震えて待つ。
  8. 全員終わったら、階のみんなで肩組んで寮歌と階歌をアカペラで熱唱。
  9. 新入生は芯まで冷え切った体を共同浴場で温め、上級生のおひねり集め係がおひねりを収集、分類して各部屋に届けて終了。
  • 水をかけられるときの格好は、男子は半裸、女子はティーシャツにハーフパンツ
  • まだ雪もちらほら降る早春にやるので、毎年何人かが風邪を引く。近年になってお湯入りペットボトルを新入生に持たせるという生活の知恵が浸透したので、数は減ったらしい。
  • 水をかける過程は数人まとめて行う(水圧が和らぐため)、湯沸かし器のある階はバケツの水にお湯を混ぜる、等、女子は男子より多少甘めの進行になっている。
  • 女子寮では体質とか法律とかでお酒が駄目だという自己申告さえすれば、こっそり水に替えてもらうこともできた。男子寮は不明。
  • おひねりは泥まみれになるので、あらかじめビニール袋にくるんで宛先を油性マジックで書いておく。
  • 新入生のシャウト以外にも随所で合いの手的な掛け声がそこここから繰り出される。
  • かなり騒がしいので、行事の時期が近づくと、近隣の住民に「これから数日後迷惑をおかけします」というチラシをあらかじめ発行していたらしい。
  • 寮歌は合同練習の際に口上とともに仕込まれる。曲調も歌詞もかなり暗い。

毎年春になって入学の話題とかちらほら見かける度に寮のことを思い出す。行事のショック感とは別の理由で退寮して久しいけど、今でもやってるのかなあ。怒った親とかそういう外部からの圧力が存在してなければ、今年も誰かが今頃ヘークションってしてるんだろうなあ。

2008-04-07

仕事する

家族のために仕事する

主人のために仕事する

お家のために仕事する

会社のために仕事する

組織のために仕事する

恋人のために仕事する

食べるために仕事する

お酒のために仕事する

名誉のために仕事する

社会のために仕事する

自分のために仕事する

自然のために仕事する

お金のために仕事する

貯金のために仕事する

余暇のために仕事する

流行のために仕事する

勉強のために仕事する

権力のために仕事する

地位のために仕事する

神様のために仕事する

国民のために仕事する

他国のために仕事する

地域のために仕事する

故郷のために仕事する

死後のために仕事する

闘争のために仕事する

平和のために仕事する

安定のために仕事する

生活のために仕事する

現在のために仕事する

世間のために仕事する

健康のために仕事する

自由のために仕事する

権利のために仕事する

理想のために仕事する

芸術のために仕事する

技術のために仕事する

武術のために仕事する

真実のために仕事する

虚構のために仕事する

未来のために仕事する

歴史のために仕事する

遺産のために仕事する

学問のために仕事する

知識のために仕事する

宇宙のために仕事する

子孫のために仕事する

祖先のために仕事する

義理のために仕事する

伝統のために仕事する

人類のために仕事する

女性のために仕事する

男性のために仕事する

民族のために仕事する

贖罪のために仕事する

仕事のために仕事する

忘れるために仕事する

生きるために仕事する

笑顔のために仕事する

働きたくないでござる

2008-04-05

[][][][]「困難を分割せよ」デカルト

「困難を分割せよ」

1 私が明証的に真理であると認めるものでなければ、いかなる事柄でもこれを真なりとして認めないこと

2 検討しようとする難問をよりよく理解するために、多数の小部分に分割すること

3 もっとも単純なものからもっとも複雑なもの認識へと至り、先後のない事物の間に秩序を仮定すること

4 最後に完全な列挙と、広汎な再検討をすること

方法序説 - Wikipedia デカルト

不可知論(agnosticism)

ブライト運動の推進者でもあるリチャード・ドーキンスは『神は妄想である』の中で、

王立協会の会員へのアンケートの結果から

イギリス知識人集団では97%が無神論不可知

(あるいは家族伝統への忠誠心から宗教的観念否定しない、実質的不可知論)に属すると述べた。


語りえないことについては人は沈黙せねばならない。

2008-04-04

何の感情も伴わずに忘れ去られてゆく老兵、間接的に古い人間記憶キューから押し出している事にも気づかずに無邪気に笑う新人。

内部で絶えず流動し続ける集団の自意識とは何なのか。どんな規則、伝統がその集団を集団足らしめ、どんな寛容さ、考え方がそれに属する個人を個人足らしめるのか。

ある人は集団に属する事でメリットだけを都合よく享受したいだけでどうでもいいと思っているかもしれないし、別のある人にとっては個人のリソースを集団に費やしてまで活動に参加したいという思い入れもあるかもしれない。しかしその無視や寄付を受け入れてくれる集団とは何なのか。具体的に突きつけていくとどうしても掴み所のないばかりが目立って本当は何もない様にも思える。

2008-04-02

最近エイプリル・フールの盛況みて、しかし日本人はこんなにエイプリル・フールがすきだったかしらね、と思ったんだが、あれだな、ネットメールの普及と関係があるんじゃないかな。書き言葉、というのは話し言葉にくらべてウソフィクションを呼び込みやすいと思う。話し言葉リアルタイム性、表情や身ぶりと言った付加情報は嘘を言う事を難しくさせる。それにくらべて想像力に訴える書き言葉ウソをつくるのに有利だ。だから逆に伝統的な活字の世界は確実性や権威を過度なまでに重んじてきた。しかしネットメールといった個人的な書き言葉はそういった重さも持たない。カジュアルな嘘、を言うのにちょうどよいメディアネットメールなんだと思う。

2008-03-31

歴史修正なんとかを見て

http://ja.wikipedia.org/wiki/歴史修正主義 から引用

歴史学における「歴史修正主義」と世俗的な用法としての「歴史修正主義」があるが、

歴史学における「歴史修正主義」は

歴史学においては、歴史修正主義とは、新しく発見された史料や、既存情報の再解釈により、歴史を叙述し直すことを主眼とした、歴史学における試みのひとつを表わす。一般には、伝統的な歴史解釈に対し、別の可能性(仮説)や、可読性(読み方)を提示する試みをいう。

らしい。

たぶん批判されているのは「世俗的な用法としての「歴史修正主義」」なのだろう。

根本的な主義主張はもっともと言うより間違いではない気もするけど、

実際にやっていることをみるとなんだかな、そして主義主張まで全否定となっているのだろう。

何をやるにしても、集まってきた人を適切に振るいにかけておかないと、

根本まで汚染されてしまうのだろう。

ネット上でも自分が有利になればと思って清濁飲んだつもりが、逆に飲まれてしまって

絶賛砂漠中なブログがあったりする。たいそうな主義主張だったが、如何せん本人が痛かった。痛すぎた。

よくあることなのだろうが、また場所を変えて活躍されるとの風の便りを聞いたが、

本性がばれないようにがんばってもらいたい。

2008-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20080325154804

テコンドーモッシュウインドミル)が日本でも流行りだした頃はおっかなかったね。

警棒とか釘バット持ってピットに突入。しかも明らかに故意に相手めがけてフルスイングだし。

反撃しようもんなら、わさわさ仲間集まってきて箱の外に連れて行かれて海に捨てられるし

日本人なら、伝統サークルピットで激走すべし

2008-03-22

どこか遠い世界で起きた自分には関係のない事

 日本社会運動が今ひとつ盛り上がらない理由について考えてみる。日本の風潮のせい、ネットで話題になる偏向報道、またひどく深刻な社会問題がないということ、学生運動の失敗などなど理由はいくらでもあるだろう。それらが複合的に絡み合って今の現状がある。

 ところで日本人の風潮とは一体何だろう。色々な問題が出たときにとやかく日本人の風潮というものが問題視されるが、その実体は一体何なんだろう。最近読んだものには”表面的な付き合いしかしない若者”というものがあった。自己のメリットの範囲内でしか人間人間の付き合いをしないという若者コミュニケーションがそこでは問題視されていた。表面的な付き合いというのは日本の一種独特のコミュニケーションスタイルだと思う(それをコミュニケーションと認めるならば)。集団社会という点、自分の趣向をないがしろにできるという点、雰囲気を過剰に読むという点(KYというふざけた言葉があるくらいに)などが表面的な付き合いというものを可能にしている要因である。特に日本には以心伝心という言葉が古くからあるように言わずとも分かれという意識が非常に強い。これは日本人全体のコンセンサスにもなり得る程だ。

 あるいは古い時代なら何と言わないままでも分かり合えてたのかもしれない。しかし、現代の人間にはそんなことは伝わらない。むしろ言っても何も伝わらない時代なのだ。人間という生き物は確かなプロセスと結果を学習しなければ、何も得る事は出来ないのは自明の理である。子供精神や脳のシステムが発達していく段階に、親はしつけの名の下に何がどうしていけないかを教えなければならない。現実問題として親はしつけを放棄するようになっているし、大人が子供を恐れているという問題もある。挙げ句の果てにはアダルトチルドレン問題なんていうものさえあるのだ。少し脱線したが、私が言いたいのは想像力のない人間が増えているということである。人間包丁で刺したら死ぬということさえ理解していないように見える人間だっている。現代は人に対する想像力が決定的に欠けている人間が多くなっている。想像力のない人間に、”ダメ、絶対”という言葉だけで一体何が伝わるというのだろうか。しかし表面性を重んじる社会はこれを賞賛するのだ。全くもって素晴らしい国だ。説明する労力をみんながみんな省こうとするのだから。

 こうした表面性にも増して社会運動が盛り上がらない重要な要因はもう一つある。それは言うまでもなく日本的集団社会システムである。グループ組織の中で一人違った発言や主張をしただけですぐに組織からしめだされる。マイノリティを排除しようとする素晴らしい民主主義システムである。

 こうした事柄などから社会システムなんていうものはいくら頑張っても個人の力では何一つ変えられないと日本人が思うのは至極当然のことだ。そういう意識は勿論私にもあるし、日本全体のコンセンサスのようになっているかもしれない。社会運動学生運動などは時代が違うのだ。社会システムに歯向かうなんて馬鹿のすることだ、と多くの人は考えている。それでも立派な革命家思想家なら徹底抗戦するだろう。詩人小説家も同じかもしれない。とにかく少しでもいいから社会をいい方向にもっていきたい。それが理想であろうと幻想であろうと妄想の戯れ言であろうと彼らは頑張っている。それが例え最悪な結果を招いても方向性が著しく間違っていたとしても彼らを私たちが嘲笑うことなど出来ないだろう。私たちは何にもしていないのだから。

 民衆の結束力が弱くなった時代だと言う。人々は互いに無関心になって、国民意識とか郷土意識とかがなくなっているともいう。しかし、世界の裏側で子供餓死しようと、チベットで暴動が起きようと、そうした事が私たちの実生活に影響を及ぼさないのも事実だ。所詮対岸の火事なのだ。そんなことは私や君の生活には関係ないから、例えそれが心を痛ませるものだとしても、私達は自分達がどうやって明日の生計を立てていくかを考えた方が良いのだ。ではもし自分の住んでいる街に原子力発電所ができたら、ゴミの埋め立て場ができたらどうするだろうか。どうもしない。その街を出て行けばいいだろうと人は言うだろうし、反対運動に身を費やすよりは補助金でももらってさっさと新天地を求めた方が懸命だ。現代とはそんなもんなのである。

 では、例えばの話をしよう。  

 ある漁村ダム建設計画が浮上した。漁村が位置するのは珍しい泥海がある場所で、そこで漁師達は伝統的な漁を営み生活していた。またそこにはムツゴロウなどの珍しい生態系も住んでいた。その地域は毎年ひどい水害に見舞われていた為、ダムをつくって水の流れを止めてしまう事が切実に必要だった。しかし、ダムによって水がせき止められてしまえば、そこにいる生態系は全滅し、漁師達は職を失う。

 このニュースは直ちに全国に流れた。人々はそれを見て何て可哀想な出来事なんだと感じた。そして、様々な抗議運動が展開された。珍しい生態系を守らなければならないというのが特に人々の心を動かしたようだった。漁師伝統的な漁と、珍しい生態系は絶対に守らなければならない、と彼らは声高に叫んだ。だが、ダム建設しなかったら水害はどうなるということについて彼らは何も考えていないようだった。水害は毎年死者を出すほどのひどいものであったので、地域の住民はダムの設立を切望した。双方様々な運動をした。どちらにとってもダムは文字通り死活問題だった。

 結局漁師の抗議運動もムツゴロウなどの保全をうたう環境団体の運動も結局は何の効果ももたらさなかった。何故ならダムを作る事の優位性は明確だったし、地域の住民の数に比べて漁師の数は圧倒的に少なかった。そして誰もが仕方の無いことだったんだな、とニュースを見てひとしきり胸を傷ませた後、各々の生活に戻った。

 一つの季節が終わり、春が来るとほとんどの漁師は村を去ったが、ムツゴロウは元気に繁殖活動を続けていた。

 数年後、漁師ムツゴロウ達が消えた場所には「ここは昔海でした。」とだけ書かれた看板が立てられた。世間の人々は漁師ムツゴロウのことはもうすっかり忘れていた。何故人はすぐに忘れてしまうのだろうか。それは全ての事件に胸を痛ませて、憤慨し、悲しいことを忘れないように、理不尽なことを忘れないようにしていたら、人は疲れきってすぐに気が狂ってしまうに違いないからだ。誰もが何もかもを忘れていく。自分に直接関係のないことは所詮自分に関係のないことなのだ。

 昔、漁村があった街には今では味気ないダムと味気のない看板が立っている。その街の人々はとても幸せそうに暮らしている。

 私はこの文章を書きながらチベットの人々のことを考えた。難民のことを考えた。食べ物が無くなり、今にも餓死しようとする子供達のことを考えた。平和が訪れればいいな、と本気で思った。

 それでも寝て起きたら、私も全てをすっかり忘れて私の日常に埋没するかもしれない。それが良い事なのか悪い事なのか私には分からない。

 ただ、それが出来てしまう今の自分を好きになれないということだけは分かっている。

2008-03-14

大阪府から採用内定もらった人間が書いてみるよ。

とはいっても私は警察本部採用なんで府庁の中の人たちとは立場は違うけれど。

痛いニュース(ノ∀`):橋下知事「15分朝礼の時間も取れぬなら、勤務中のタバコなども×に」→女性職員「どれだけサービス残業してると…」反論

知事の言ってることは現実とかけ離れてる(笑)

昨日のニュース痛いニュースとかを見て思ったんだけど、橋下知事ベクトルが府庁の中の改革ばかりに向いている気がして仕方がないんだ。まあ、今までも裏金だのなんだの言われてよい意味でも悪い意味でも「伝統」に縛られている行政組織を変える意味ではいいのかもしれない。でも、橋下知事大阪府政についてきちんとわかった上で動いてくれるかなという不安が私は募ってくるんだ。大阪は治安が悪い、財政も逼迫している、生活保護需給率だって高い、おまけに緊急医療の問題まで最近は出てきている。財政も削減できるところまで削減できたとしてもそれは大阪府庁の中だけで納まること。このまま橋下知事と府庁職員という構図ばかりクローズアップされると、結局大阪府政は議会頼みになるんじゃないのかな。そうなると今までと変わらないよね、府民サービスは…

ということを心配しているのです。府民の中には福祉や府民サービスの充実を期待して橋下知事を支持している人もいるだろうし、パフォーマンス組織改革だけでなく府民サービス・府政にも反映してほしいのになというのが私の思っていることです。

でも、みんな、やっぱりサビ残や朝礼手当てのほうの話ばかりにむいているよな…公務員だからある程度待遇について民間勤務から非難を受けるのは仕方のないことだけれど。(私を含め今年の4月入庁の大卒枠の大半が民間からの転職フリーター無職からのステップアップ組だもんな)

2008-02-29

http://anond.hatelabo.jp/20080229153803

内容的には同意するけど、成功者はそうでない奴らから「ズル賢い」「人を蹴落とした」「人間的に問題有」と言われるくらいは引き受けなきゃと思うよ。そのくらいの懐の深さは期待したい。有名税みたいなもんだよ。そのくらい言わせてやれよ。魚を沢山捕ってきて、仲間を食わせてやって、それでもらった魚を食ってる奴から陰口言われるのが伝統的な人間社会のあり方だったと思うね。人間のこういう性はなかなか変わらんし、これに蓋をしようとするとカルト宗教のような状況に陥る。現代はなんでも自覚しろって言うけど、なかには見ない方がいいこともあるよ。能力もないのに能力の無さを直視して精神を病む人多いじゃない。そんなに追い詰めなくてもいいんじゃないか。能力が無いなりに地味に役立ったであろう人間を全く何も出来ない状況に追い込む効果しかないと思う。

2008-02-20

はてなより先に京都に来た俺の京都雑感

東京生まれで大学東京だった俺だが、4年位前に京都ベンチャー企業からオファーがあって転職した。ちょうど昔はてなオフィスがあったKRPオフィスで1年間働いていた。

社風が肌に会わなくて結局その会社は辞めたんだけど、既に京都で嫁さんも見つけて家も買ってしまったので、そのまま京都の別の中堅規模の会社転職して、そのまま京都ではたらいている。

あ、住まいは実は滋賀県なんだけど、これは東京で働く人が埼玉に住んでいるようなもんだから、気にしないで欲しい。

で、正直関東出身で京都に行くと、いろんな意味で悩んだりしんどかったりすることもあった。

関東ではあんまり聞かない、同和利権とかヤクザとかの話が結構多いし、最初は正直そういう話題にどう反応していいのか分からなかった。まあ、俺の周りだけかも知れないけど。

人間関係や取引先との関係も、関東出身の俺としてはすごく違和感があった。京都では言いたいことはあんまりスパッと言わない。取引先が固定していて入り込むのが容易ではない。全体的に湿っぽくて何事も言葉と真意が乖離している感じがして、結構きつかった。

京都シリコンバレーに対比させたような記事もよく見るけど、自分が行った事のあるシリコンバレーはもっとドライで明るいところだったと思う。自分の印象では未だに京都は湿っぽくて暗い街だ。ずっと前からいる人にとっては居心地がいいかもしれないけど、新参者には冷たい。どうでもいいところで京都伝統とか文化とか出してきていちいち反応するのが疲れる。京都の中にもヒエラルキーがあって、○条より南は柄が悪いとか、○○より北じゃないと京都じゃないとか平気で言う。練馬区東京じゃないとか言うやつと同じくらい不快だが、向こうでは冗談っぽいこうした話もこちらではかなり本気だ。

物価や家賃だってそんなに安くない。交通だって不便だ。来た当時、いろんな寺社仏閣を見て回るのが楽しかったけど、飽きた。

そんな俺も4年も京都仕事をしていると、ようやくだけどちょっと慣れてきた。時々東京の空が懐かしくなるけど、もうこちらに生活の基盤を移してしまったので容易には東京に戻れない。

はてなよ、何でこんなところに戻ってくるのだ。東京のほうが仕事やりやすいだろ。静かな環境がいいって、あなた方が引っ越してくる烏丸御池京都の中心街で静かでもなんでもないぞ。近藤、お前が京都に戻りたいだけなんちゃうか。理由なんて後付だろ。

でも、そんな京都からいろんなベンチャーが生まれているのも、事実だよね。本当に不思議

つまらない話スマソ。でも京都の好きなところもあるよ。しかしここ一連の報道で言われるほどいいとこじゃないかもって話。

2008-02-10

NARUTOいい加減にしろ

「幻術だ」を何回繰り返せば気が済むんだ。夢落ちの連打とかシリアスでやるもんじゃねーだろ。

BLEACHいい加減にしろ

「俺の方が強い」「俺の本気の方が強い」「いいやこれが俺の本気だ」を繰り返してばっかじゃねーか。

ジャンプ伝統とは言っても1つのバトルでそれ何度もやんな。

アイシールド21いい加減にしろ

今までの敵全部が帝黒学園の噛ませ扱いかよ。阿含とか進とか神龍寺とか王城とかなんだったんだ。なんだったんだよ。

いくら何でも唐突すぎだろ。

ONE PIECEいい加減にしろ

今更剣士+音楽家なんてものを仲間にするのに何十週使ってんだよ。もっと本筋に絡んだ話やってくれよ。

ヒゲとエースの戦いとか面白かったからさー。

勇者学面白いから頑張れ。

2008-02-03

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/national/update/0202/NGY200802020007.html

俺はトロフィーハンティングはアリだと思う。

伝統文化を延命したことや、肉体的あるいは経済的に優れていることの証明で

精神的な満足が得られるなら、それはアリだ。

大体、食えば許されるってのか?

この熊を鍋にしたところで結局「無益な殺生」には変わらん。

どうせ熊が可愛いから文句言うだけで、でっかい魚の剥製を壁に飾っていても何も言わねえんだろ。

2008-01-26

教委主催講演会に行ったら、講師が「つくる会」だった件。

 

前書き

ほぼ記事タイトル通りの出来事があったので思わず匿名ダイアリー

(厳密には、八木氏はかつてはつくる会会長だったが、今はつくる会とは無関係

 

書くの初めてなので、読み難ければ申し訳ない。

 

先に書いておきますと、私は公立校勤務です。

で、私が勤務する地域では、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書を採択しています。

 

この教育講演会教職員一斉研修会)は、教委が主催したもので、基本的に地区内の全職員(学校事務職員も含む)が参加しました。

 

講師は八木秀次氏(日本教育再生機構理事長)。

 

恥ずかしながら、誰だか知らなかったんですが。

 

忍び寄る何か

開会前、もらったレジュメを読んでいると、最初に出てきたトピック

“「不当な支配」の主体の転換”

という内容。

 

教育基本法の、

教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである(旧第十条)」

という規定が、

教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない(改正第十六条)」

と改められたことによって、服してはならない「不当な支配」の主体が、

 

before:政府の圧力

after:日教組などの職員団体

 

と変化しており、政府首脳部からもそのような見解に立った発言が相次いでいる……という鋭い指摘。

 

私としては、

「なるほどそうか……。これは大変だな」

と思ったわけなのですが、その先を読んだら

「……なんか違う?」

 

なにしろ、いざ講演が始まったら、この

政府=正当な支配」

「職員組合=不当な支配」

という立場を全面的に賞賛する論調でして。

 

日教組に参加してる職員が1%切ってる本地区でそんなこと言われてもな……。

(うちの地元には、「教職協議会」という、日教組とは別の組織があり、これが97%の組織率を誇っています。

方針としては、行政との対話路線。

私もそっちに入っています。

まあ、日教組の勧誘姿勢もアレだし。

新採の時、勧誘パンフが送られてきて。

ガリ版刷りの楽しげなパンフレットだったんですが、封筒に

「教え子を戦場に送るな!」

って書いてある。

言いたいことはわかるがちょっと引いた。)

 

内容は、なんというか、ツッコミどころ満載だったんですが、まず特に違和感を感じた点。

 

滅びこそ我が喜び。死にゆく者こそ美しい。 byゾーマ(DQ3)

講演の中で、エルトゥルル号の遭難とか、有名な“美談”がいくつも紹介されるわけですが、その中に真岡郵便電信局事件の話も出てきました。

 

第二次大戦末期、樺太ソ連軍が攻め寄せてきた時、最後まで電話交換所に残った女性達が、青酸カリを飲んで自決した事件です。

事件名とか知らなくても、

「みなさん、これが最後です。さようなら……さようなら……」

とかいう台詞は聞いたことある人は多いのでは。

 

で、八木氏は、自決した9人の女性電話交換手のことを、

日本人公共心の高さ、責任に殉じる態度が現れたもの」

とか褒め称えるわけです。

 

……ところで、これは教育講演会なんですが。

このエピソードを教育にどう生かせと?

 

彼女たちの行動こそ、日本人の鑑、責任に殉じる素晴らしい態度である。

お前達も、もし同じような状況に置かれたら……」

 

置かれたら?

 

自分の子どもになんと教えて欲しいかは、人によるかも知れませんが。

 

私としては、子どもたちには

「なんとしても生き残れ。命を大事にしろ」

……って、教えるべきなんじゃないかと思ったり。

 

ちなみに、八木氏は全然触れなかったことですけど、その時当直だった女性交換手は、全部で12人いたんです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%B2%A1%E9%83%B5%E4%BE%BF%E9%9B%BB%E4%BF%A1%E5%B1%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

で、死ななかった3人は、最初は押し入れとかに隠れててですね。

そのままソ連統治下で職員として再雇用され、日本にも無事に帰ってくるんですけど。

 

彼女ら3人は、「責任に殉じ」て死ななかった駄目な日本人なんでしょうかね?

 

少なくとも、八木氏の言う

ソ連軍は、刑務所から出てきたゴロツキみたいなのを最前線の兵士として送り込むわけですよ。だから、女性は陵辱されたり恐ろしい目に遭わされるわけです」

……というのは、この場合は事実に即してないと思います。

 

……まあ、ソ連軍がひどかったのはわりとかなり事実だと思うんですけど。

 

また、沖縄集団自決の件について、八木氏は、

沖縄というのは、長らく琉球王国という日本とは違う国で、その後は島津の統治下になり、近代化されたのが他の地域よりも遅れた土地なんです。

だからこそ、日本人的であろう、という責任感が逆に強くなって、それでああいう事件が起きたのではないかと思います」

 

という、目の覚めるような主張を展開します。

 

なんで目が覚めるかというと、すごいアクロバットだから。論理の。

危険なのでよい子はまねしないでください。

 

もし沖縄県民があの場にいたらかなり血圧が上がったんじゃないか、と思うんですが、あれはたぶん、戦わずして論敵を脳溢血で葬ろうという高度な戦術なんだと思います。

危険なのでよい子はまねしないでください。

 

ていうか、「集団自決」と「責任感」がどうつながるのかそもそも良くわからんのですが。

なんか、とにかく死ね責任感がある、みたいな話で、日本文化の奥深さを感じました。

 

「命どぅ宝」のお婆さんは、やっぱり駄目な日本人なんじゃろうかね。

近代化が遅れた地域だからな。

 

あとまあ全般に言いたいことは山ほどあるんですが、重箱の隅つつきは後回しにします。

 

本当の戦いはこれからだ!(打ち切り

とにかく、こういう歴史観のリビジョン促すような講演会に、公務として参加させられるのが、本地区の実態なわけですね。

開会が14:00でしたから、どの学校も特別日課で対応したと思います。

本校でも、当日は授業を午前中で切り上げて参加したわけですよ。

 

もちろん、講演聞いてる間にも給料が出てます。勤務時間内ですから。

なんという教育予算の有効活用

 

内容に疑問を感じたのは何も私だけではなくて、翌日の職員室では批判大会

 

「○○中学校社会先生も、あれはひどいと言っていた」

「○○小の先生に聞いたら、あれは有名な右翼だと」

「終わった後、あの先生と偉い人達とで飲み会があったらしいから、八木先生は急いでいたわけじゃないらしい。なのに質疑応答の時間を設けなかったのは、意図的なものに違いない」

 

……ええーっとですね。

つまり、「つくる会」の教科書採用した地域の学校だからといって、教員が唯々諾々と「つくる会史観に染まるわけではない、ということですよ。

 

このことは、左右どちらの論者にも覚えておいて欲しい、と思います。

我々はロボットではない。

 

いや、染めることを目的にした講演会だったんでしょうけどね。

 

本地区では、教育長はじめ偉い人が「つくる会」の支持者です。

その一存で採択が決まったようなもので。

 

しかし、「つくる会教科書を採択した、というだけで、かなり外部からの批判にもさらされてるし、学校現場にも不満があるのが実態です。

なので、教育委員会の方針に疑問を持っている教員を「啓蒙」しよう、というのが、この講演会趣旨だったんだと思います。

 

しかし、今どき、中学生ならネットくらい使いますよ?

真岡郵便局には女性交換手が12人いた」

くらいのこと、10分もかけずにわかっちゃうわけですよ。

 

授業で、“公共心ある日本人”の美談を得々と語って聞かせたら、生徒から史実に基づいたツッコミが入る可能性くらい容易に予想されるじゃないですか?

そういう意味では、都合のいいことだけ書いた教科書というのは、発行する側は気分がいいかもしれないけど、現場人間にとっては迷惑そのものなわけですよ。

 

……ああ、そうか、授業で質問の時間を設けなきゃいいわけですね。

さすが日本教育再生機構理事長

率先垂範を地で行っておられる。

 

で、その他、「作る会」教科書を使ってると高校受験に対応できないとかいう現場の苦悩をよそに、首長とか教育長とか、講演会場の最前列に座っていてですね。

で、講演会が終わった時なんか、立ち上がって喝采してるわけです。

 

スタンディングオベーションかよ偉い人。

 

とりあえず絶望した。

現場がなんとかしないとならん。

 

重箱の隅つつき。

以下、こまごまとしたこと。

 

*紀元は2600年。

八木氏は、聴衆に「日本の建国はいつか?」と問うて、「それは西暦600から700年前後である」とします。

 

なぜなら、「日本」という国号が成立し、「公」の意識誕生したのがその時代だからだ、というのです。

ちなみに、ここで言う「公の意識」とは、天皇を中心とした中央集権体制の確立のことを指します。

天皇独裁者ではなく、「国家の公的統治を究極において体現すべき地位」だというのですね。

 

……飛鳥時代象徴天皇制だったのか。

 

八木氏は、「皇室ニッチ産業」だ、という、寛仁親王言葉引用します。

政府行政の足りないところを補う。それが、皇室の果たす役割なんです」

 

確かに、障害者スキーへの支援とか、結構なことですね。

 

「このような皇室の在り方は、古代からずっとそうだったわけです」

いや……そうなの?

 

革命史観

八木氏は、他の教科書にある

平安時代貴族は贅沢な生活をしていた一方、庶民は貧しく、奴婢は売買の対象だった」

……とかいう記述を「闘争的だ」と評します。

 

これらが、マルクス階級闘争史観子どもたちを導くものだ、というのです。

 

君の教科書もまっ赤っか! これはレッドベアーの陰謀だ! 愛國戦隊を呼べ!

 

……別に教科書記述は、富裕層の打倒とかを呼びかけるものじゃないし、そもそも平安朝だって、階級闘争によって打倒されたわけじゃないんですが。

なんでマルクス

明治維新を含めて、日本には「階級闘争」とか「市民革命」とかいうものはないんじゃないですかね。古い見解でしょうか?

 

明治維新は、公のために働くことを自己の使命と考えていた武士たちによって実現した改革だった」(「新しい歴史教科書」。レジュメの孫引き)

うわ新しい見解だ。色んな意味で。

 

そんなに昔から日本人の自覚とか公共の意識とかがあったなら、もう少し早く戦国時代が終わりそうなものですが。

武田信玄「こうして同じ日本人同士が争っていても仕方がないじゃないか!」

上杉謙信「そうだとも! 天皇陛下の元にはせ参じ、一つの国を作ろう!」

……みたいに。

 

八木氏によると、現在学校教育では、歴史教育で闘争的姿勢を学び、公民教育で具体的な闘争目標を与えられている、というのです。

 

その闘争目標とは、電通経団連の打倒……ではなく。

「公民教科書には、夫婦別姓など、まだ法的に定められてもいないトピックが取り上げられている」

とかいうのが「闘争目標の提示」だと。

 

……ずいぶんせこいマルクス主義ですね。

 

歴史に学べ。歴史は繰り返す。

仮に、八木氏の言うとおり、飛鳥時代平安時代がそんなに素晴らしい時代だったとしたら、逆に言って、日本社会は1400年の長きにわたって大して進歩していないことになるんですが、それでいいんでしょうか。

 

奴婢の話とかって、私は

「私たちの社会は、昔より良くなっているのです」

って趣旨の話だと理解していたんですが。

人類歴史進歩と改良の歴史なのです。私たちも、もっともっと素晴らしい世の中を作っていきましょう。明日が今日より良い日であるように」

的な。

 

八木氏に言わせるとこれも「闘争的」なのかも知れませんが。

 

私としては、貴族平民に大きな差があったとか、事実なんだから仕方ないんじゃないか、と思うんですがどうでしょう。

八木氏も、それが「事実ではない」とは言わなかったし)

 

都合の悪い歴史事実は教えない、という態度の方が、むしろ我が国を危機に追いやる気がします。

それこそ、遺伝学におけるソビエトルイセンコ学説みたいに、学問イデオロギーに従わせようとした挙げ句、研究開発で西側に後れを取るような。

 

まあ、「歴史科学ではない」が、「つくる会」の立場なんだそうですが。

 

でも、望ましい思想を注入するために、歴史事実の方を改変する、っていうのは、それこそ共産国十八番なんじゃ。

ソ連生まれのくせに白頭山で生まれたと称する誰かさんとか。

 

日本の伝統を尊重しよう。祖先精神を大切にしよう。

基本的に「公共の意識」だけで日本の歴史・文化を語ろう、というのは、無理だと思うんです。

「恥の意識」とか「武士道」とかと同様、一言で語りきれるほど、日本人精神というのは浅薄なものじゃないんじゃないでしょうか。

 

そもそも、「公共の意識」が飛鳥時代から日本にあった、という主張自体いかがなものか。

確かに「公」という漢字自体は大昔からありますが、古文に出てくる、「公家」とかいうときの「公」と、「public」の訳語としての「公」を同一視するのは誤りだと思うんですが。

八木氏は、「公共」の意識が近代になって成立した、というのは誤りで、日本人日本人としての自覚はずっと以前から存在した、と言うんですが、それは逆に言って、国民国家建設のために尽力した明治の人々を愚弄するものではないでしょうか。

 

ちなみに八木氏は、中教審が、縄文時代記述を重視するよう議論しているのに不満を表明しています。

縄文時代は公共の意識が発生していない」=「日本ではない」

から、というわけですが、これは循環論法ではないですかね。

 

日本あけぼの」って言えば、普通縄文時代を指しますし。

逆に、明治憲法現行憲法の発布、あるいは江戸幕府なり鎌倉幕府なりを「日本」の成立、と見なす立場だってあり得るわけで。

 

縄文人だって一生懸命に生きていたのだし、彼らが苦労して稲作技術を会得していったからこそ、現代の日本があるわけで。

縄文人は日本人じゃない」という言いぐさは、縄文人に失礼だと思いますが。

 

八木氏は、チェスタトンの「伝統とは選挙権時間的拡大」「死者には墓石投票してもらわねばならない」なんかを引用して、伝統の大切さ、先祖の意思を尊ぶべきことを訴えるわけですが、縄文人は先祖じゃないらしいです。

……天孫降臨

 

ちなみに、八木氏が引用した中には、相田みつをの「自分の番 いのちバトン」とかまで含まれるんですが、相田さんってそういう主義の人だったのか。

走者がバトン渡す前に死んだらリレーにならなくね?

 

ところで、八木氏は「死者の民主主義」(チェスタトン)がお気に入りのようですが、私はむしろ、「地球は子孫からの預かり物」(ケニアのことわざ)の方が好きです。

死んだ世代の意思よりも、次の世代の幸せの方が重要だ、と、私は信じます(これでも学校関係者のはしくれですから)。

 

……ケニアのことわざの割に「地球」とか、かなり超訳の気配ですが。

 

*美しい日本語を守ろう。

八木氏、「屋久島の灯台守り」という、これまた美談を紹介してくれたんですが。

 

「顔は土気色」を「どきいろ」ってあんた。

一瞬、弥生式か縄文式か悩んじゃったじゃないですか。

 

自分で持ち込んだ資料が正しく読めないって、早稲田大学法学部卒が泣くぞ。

 

日本の文化がどうとか言う前に、八木氏はまず日本語くらいちゃんと読めるようにすべきだと思います。

 

返信欄

なんかあれこれコメントをもらってるようなのでここへ部分的に返信。

 

教育委員会主催講演会とかに行って何かを得たことがあるの?

ありますよ。

まあ、教育関係者の講演、というのは、聞いてすぐに教室で使える内容が多い一方、似たような話も多い……というか、教育界の通念を上手にまとめただけの、刺激に乏しい講演も多い、とは思います。

……ちょっと今回は刺激的すぎましたが。

 

>その場でぶつけてくれたら面白かったのに。

まあ、チキンなので。

 

偉い人が「つくる会」支持者で、しかも同席してるわけですから。

そこでこれだけのことを言ってしまうと、後々どんな処遇を受けることか。

 

それはもう、陵辱されたり恐ろしい目に遭わされるわけです。(流言)

 

それに、ここに書いた内容は、これでも推敲した内容です。

これをとっさに思いつける程度には賢くありたいのですが。

 

っていうか、偉そうなことを書いておいて恥ずかしいのですが、「女性交換手が12人いた」ということもその時は知らず、家に帰って調べてわかった次第。

 

でも、何か質問はしてやろう、とは思っていて、講演の間中必死で考えていたのも事実

古代以来、皇室ニッチ産業としての役割を果たしてきた、とのお話でしたが、私、不勉強でそういったことを存じませんでした。

そこで、例えば平安時代朝廷が、そういった役割を果たしていた、という実例を2・3ご教示願えるとありがたいのですが……」

くらいのことを聞いてみよう、と思っていたのですが、本文で書いたとおり、質疑応答の時間がなかったので不発に終わりました。

 

>自分のはてなダイアリーで書いたら?

少しでも匿名性の高いところで、と思ったのです。

何か使い方として問題がありましたら申し訳ない。

(ていうか、そもそもこの内容自体トラックバックで返すべきなのかも知れませんが、匿名ダイアリーに慣れてないので、返信があちこちにばらけるのが落ち着かないのです。なんでコメント欄がないんだろう)

 

こんなにブックマークをもらうとは思ってなかったのでちょっと動揺しています。

偉い人にばれたらどうしよう。

 

>「教職協議会」つーのは要するに「全日http://www.ntfj.net/tanidantai/」系団体だよね。共産党系の。

右寄りではないかも知れませんが共産党系とも思ってなかったのですが。「美しい日本人」がどうとかこうとか。どうなんでしょうか。

会員でありながら組織背後関係とかは知らないのです、申し訳ないです。(でもたぶんみんなそう)

 

>教師という連中が本当に馬鹿ばっかりでイデオロギーの固まりだということが良くわかった。

ククク、その通り。だが、気付くのが遅すぎたようダな……(ロシア訛り)

今や日本教育は、我がレッドベアーの(不当な)支配下にあル!

あと10年もすれば、この国はコミンテルンの軍門に降るだろウ……!(遅すぎる)

 

馬鹿冗談はさておき。

大学になるまで歴史教えるのやめちゃえば?自分で判断して学ぶまで教師の馬鹿どもから余計なノイズを入れないで欲しい

難しいところですね。

 

おっしゃるとおり、批判精神の薄い子どもに、イデオロギー教育をするのは禁忌だと思います。

 

その一方で、基本的な歴史知識は、全国民が持っているべき教養だとも思うのです。

そして、大学専門教育の場であるべきで、そういうことに時間を費やすべきではないと考えます。

だから、結局は義務教育に基礎的な歴史教育を盛り込まざるを得ないのではないかと。

 

その内容としては、重要歴史事実を教えるにとどめ、それをどう解釈するか、という思想的側面は、個々人に任されるべきだと思います。

 

……もっとも、「歴史事実」というのは現実にはほとんど無限存在するわけで、その中から何を「重要」として採り上げるかに、思想的問題が絡んで来ざるを得ないのも事実ですが。

エルトゥールル号を採り上げて奴婢は省くのか、その逆をやるのか。

 

でも、できる限り中立であろうとする姿勢は必要だと思います。

2008-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20080109093958

良くも悪くも、ベンチャー日本零細企業伝統を受け継いでいるんだなとおもった。

大蔵省財務省)の実質権力をめぐって

以下では、官の頂点にある旧大蔵省をとりあげ、行政権力の根を見ます。行政権の枠を決めるのは法です。法は国会が決める。国会議員国民が、代議員制度で選ぶ。

国民主権国民権力が至高だというのは、形式論です。実体論では、国民は統治される者であり、中央官庁が統治者であると言っても過言ではなかった。

国家公務員試験第1種とは何を試験するのか

キャリア官僚を選ぶ国家公務員試験第1種(上級公務員試験)には、昨年

38,841名が受験し、合格は1,228名。32倍の狭き門です。(試験は、隋・唐時代の、官僚選抜の科挙伝統を引く感じです)

約半数くらいは東大で、国公立、私立が続きます。毎年1200??1500名くらいのキャリア官僚生産され、現在5万人が在庫されていると見ていいでしょうか。

合格者の一次試験、二次試験の順位で、省庁への順列的な割り振りが決まります。各省庁は、競い合って成績上位者の確保を運動します。なぜでしょうか? ここに官僚生産する「商品」の特殊性が関係しているのです。

官僚の作業能力商品

1回のペーパーテストの成績が、能力やその後の仕事の成果と、どう相関するか?民間企業では、ほとんど無関係というのが結論でしょう。

企業が販売するのは「商品」であって、文書作成や言語能力ではないからです。

官僚商品とは?】

官僚の作業能力、そして行政権力のもとになるのは、文書作成と法の解釈能力、及び利害の調整能力です。それ以外に、商品はない。

官僚仕事では、

(1)論理付けを含めた「言語能力」、

(2)関係者の「調整能力」が必要であり、

(3)彼らが「生産する商品は文書」である、と言っていいのです。

(1)マスコミ野党から突かれる隙のない論理で武装した文書を作って、

(2)政治的な権力者関係者関係省庁に配布し、

(3)説得的に説明し、調整するのが官僚仕事であり商品です。

【上級公務員試験と入省年次】

ペーパーテストの上位者は、言語能力に優れていることが多い。

それで、公務員試験ではペーパーテストを重視するのです。

上級公務員試験の成績順位と、入省年次がその後付きまとい、事務次官候補のエース組みが選ばれ、将来のポジションの序列を決めます。その意味での「実力主義」です。次官競争での落伍者は、天下る。

成績トップクラスの入省先は、大蔵省です。大蔵省のみは官僚の中の官僚で、特殊ポジション

言語能力の優秀さで政治家と他の省庁を説得し、切れる頭脳で他を圧倒しなければならない。

(01年1月6日から、省庁再編で財務省になり、金融部分が金融庁に切り離されました。実態はさほど変わっていない。以下ではあえて大蔵省という、伝統的名称を使います)

大蔵の実質権

なぜ、大蔵省がこの国で特殊ポジションであったか、理由があります。

(1)80兆円の省庁の予算編成、配分権を持つ。(主計局)

(2)国債の発行権を持つ。(主計局)

(3)残高414兆円の財投の配分権を持つ。(理財局)

(4)民間金融機関の認許可、指導権を持つ。(銀行・証券・保険局)

(5)税を決め、徴収する権限を持つ。(主税局・国税庁

以上5つで、国家マネーの出入りの急所、及び民間銀行マネーの急所を、押さえていたのが大蔵省です。

他の省庁は、大蔵省に対して、一段低い予算申請団体の位置です。

信じられない位の、権限の集中です。

大蔵省官僚国税庁を含めると8万人。1%の800名がキャリア官僚。どの省庁でもノンキャリアは、1%のキャリア官僚の支配下にある。画然とした、不文律身分制度がある。

公式的には三権分立で、行政は法の執行であり、法と制度を決めるのは立法(国会)です。

ところが立法の実務、つまりほとんどの「法案、予算案の作成」は、各省庁のキャリアが行い、自民党の実力者との調整で決めますから、実質権力と言えるのです。

予算委員会という場の機能】

最も重要な「予算委員会」で、予算の中味の審議が行われますか?そこで、予算が変わりますか? 決まったことを通す、形骸化した儀式です。テレビ中継を見れば分かりますね。

質疑の内容は、マスコミが取り上げた問題や、大臣首相の発言の追求です。予算配分の調整が問題になった審議は、見たことがない。国会の各委員会は根回し、調整が終った後に、野党の顔を立て、国民マスコミへに対するガス抜きの場になっている。

野党が机を叩いて、口汚く叱責し正義の味方を演じる。

首相大臣は、その罵詈雑言に耐え、言い逃れをする。

▼ここで蛇足的な逸話:民間銀行に対する恐怖型支配

ある銀行の支店に大蔵検査が入った。検査官に混じって1人、入省2??3年くらいのキャリア組みがいた。銀行にとって、大蔵検査は鬼より怖い。次長が応対した。新米キャリア官僚が、銀行業務のイロハも知らないような質問をした。

次長は「これはどこの銀行でも同じでして・・・」と説明した。キャリア官僚は、「他行のことを聞いているのではない。この処理の説明をせよ」と、怒り始めた。無知をさらしたことを恥に感じたためです。そのキャリアは、怒りで手を震わせていたという。

次長は、思わず「こわっぱ役人が・・・」と小声でつぶやいた。それが聞こえたのか、後日、銀行に、「貴行の**支店で不穏当な発言があった」と伝えられた。その次長は、数日後に銀行退職した。

これに類する逸話は、多数です。当然、公式には明らかにならない部分です。法に基づかない、恐怖権力です。大蔵省銀行支配には、恐怖権力が根にあった。

省庁にタテをつくと、他の認許可や検査、指導のどこで仕返しされるか分からない。これが、民間企業が行政へ恭順を示す理由になっている。法や税法は、字義通りの執行を行えば、企業を潰すことくらいはできるからです。生殺与奪の権がある。

私の狭い経験からも、十分に首肯できる話です。

ソースは明かせません)

銀行の3分類

銀行頭取頭取含みの役員は、大蔵省系、日銀系、独立系に分けることができます。独立系に対する大蔵検査は、厳しくなる。(現在金融庁

大蔵権限の根は、銀行破綻した時、国家国民の預金を保証することです。つまり銀行は、民間企業として実態的には独立した法人ではない。真の株主は、大蔵省でした。

民間銀行天下りを受け入れるのは、行政指導と認許可で有利な取り計らいを受けること、行政のインサイダー情報の、取得のためです。

銀行は、箸の上げ下げに至るまで監視されていた。

大蔵権力に90年代後期から陰りが見えたのは、大蔵省銀行不良債権問題の深刻さ、巨額さを見誤ったことに起因します。

1997年の第一次金融危機が起こるまで、大蔵省不良債権の寡少見積もりをしていた。対策が後手に回り、銀行の信頼と民間の信頼を同時に失ったのです。

▼しかし今後の政策の、裏の意味を「憶測」すれば

ペイオフの裏】

2003年4月から開始される「ペイオフ」も、大和銀行NY支店の米国債ディーリングの巨額損失隠し事件が表面化した1995年から、事毎に、大蔵省に反発してきた銀行への、意趣返しといった面を含んでいると感じますね。

【95年の大和銀行NY支店事件】

大蔵省(西村銀行局長)は、大和銀行に<損失隠し>を指示していたことは明らかになっています。しかし、米国SECに叩かれると、大和銀行勝手にやったと押しつけた。行政のこうした時の指示は、口頭です。

この事件を契機に、銀行大蔵省関係にヒビが入った。

大和銀行NY支店の損失隠しは、象徴的な事件でした。

【ここまで言うと、危険でしょうか・・・】

2002年4月からのペイオフの実施では弱体銀行に預金引き出しが起こり、日銀特融、または政府資金投入、合併が必要になり、再度、世論マスコミバックアップに官の権力拡大をする機会を狙っているように思えるのです。

信用金庫地銀では、すでに、預金減少が現実に起こっています。

米国銀行でも、事実上ペイオフ金融システムの混乱の害が大きいので実施していない。米国情報は、選択的に利用されます。

不良債権問題の早期解決】

小泉内閣が掲げる不良債権の処理も、銀行自己資本利益での処理では不足することは、誰が見ても分かる。

金融システミック・リスクを避ける手段は、政府資金注入になる。分かり切ったことですね。

政府資金注入は、金融庁大蔵省日銀の権益、天下り先の拡大です。国民金融資産を守るために「やむを得ず」そうせざるを得ないというふうになるのが、一番望ましい。

こうして、時代、時代の世論マスコミ論調、学説を使い、予算をつけ権益の拡大を行うのが、省庁の自己肥大の基本手法です。

以上は「憶測」です。しかし憶測しか方法はない。

誰も、言わないからです。

世の中の事象は、実は、語られないことに重要なことがある。

ペイオフの後、不良債権処理の後、銀行の支配がどうなるかを詳細に見れば、憶測が正しいかどうかわかるでしょう。観察して下さい。

キャリア官僚の最終的な狙いを判断する時は、「推理小説の手法」が、役に立ちます。

「この政策と予算で、誰が、またはどのグループが最終的なゲインを得るか」との方法です。

現在の行政で生きている4つのイデオロギーを示します。

(1)高齢化社会に必要な「福祉」→福祉予算の拡大(極めて強い)

(2)国土の「均衡」ある発展→公共投資・公的事業の拡大(弱い)

(3)不況対策→公共投資・公的事業の拡大(極めて強い)

(4)社会資本欧米に遅れている(強い)

小泉構造改革では、以下のイデオロギーが加わります。

(1)金融システミック・リスク対策

(2)77の特殊法人、26000の公益法人の順次民営化

(3)地方分権

(4)失業者のセフティ・ネット職業教育

(5)郵政三事業の、公社化から民営化

(6)年金への401K導入

(7)証券市場での直接金融制度

これで、予算が動きます。具体策の起案は、官僚が行います。その時、世論マスコミガイアツをバックアップにした新たな公的セクターの、認許可、指導のための組織ができる可能性が高い。

現在、公的セクターでも就業人口が多い50代前半の世代の、今後の行き先が問題になっているのです。

組織拡大の技術者たち

(一部:30%)キャリア官僚は、組織拡大の戦略技術者であると認識したほうがいい感じですね。

構造改革合唱に乗り、構造改革での組織拡大が想定される。

今後3年間で、77の特殊法人、及び2万6000の公益法人から選択して民営化される<骨太の方針>は決まっています。

2000年12月、森内閣閣議決定で、民間への天下りが解禁されたのはご存知ですか?今後は、大臣が許可すれば、民間企業へ公然と天下りができるようになっている。

民営化された特殊法人公益法人のトップに天下るための決定でしょう。有力議員官僚に恩を売って、利権の範囲にあった特殊法人公益法人民営化をおこなうために、官僚との綱引き政治的取引をした結果と言われていますね。

加えて、今省庁が狙っているのは、官の文書のデジタル予算です。膨大な官の文書、図面のデジタルデータ化で、30兆円が見こまれている。当然そこには、民間会社の受注活動が絡みます。週刊ポストの「覆面座談会」で、キャリア官僚自身が発言している。<電子政府>の情報化予算無駄だと言う人は、まだいない。

民間会社なら、組織利権拡大は、英雄的な行動です。

官であることが問題ですね。官が食うのは<税>ですから。

2007-12-25

識者に聞く - 現代日本におけるクリスマスの真の意味 -

こんばんは、列島深層ダイヴ深夜便のお時間です。これからの15分、いつものようにグイグイと深層に迫ってまいりましょう。

本日ゲスト宗教伝統儀式にもお詳しいクリエイターの籠目さんです。

「どうも、ディビット籠目です。よろしくお願いします」

よろしくお願いします。

まず、もうイヴも終わりましてクリスマス突入したわけですが、日本のクリスマスのあり方について籠目さんはどう思われますか。

「たいへんおそろしいですね。ただならぬ束縛と閉塞感を感じます」

おそろしい、ですか?なげかわしいとか情けないといった定番の苦言ではなくて?

「ええ、おそろしいです」

それは今年特に顕著な、何か変化があったということでしょうか。

「いえ、特に恐ろしいことになってきたのはここ30年から40年くらいのことですね」

日本戦後豊かになってきたあたりでしょうか。クリスマス商業化などと関係ございますでしょうか?

「深い関係があります。商業化されたクリスマスにのることで、日本国民はそれと知らずに極めて稀有で大規模なことを団結して実践しており、それによって困ったことがおこっているのです」

困ったこと、とはなんでしょうか。

「その前にこの映像をご覧下さい」

クリスマスー粉砕ー!

クリスマスキリスト教徒の手に返せー!

清らかな夜を淫らな夜に置き換えているカップル共に鉄槌をー!

これはなんでしょうか。

「24日の正午に秋葉原で行われたクリスマス粉砕デモ映像です。本人たちは冗談で行っているつもりなのですが、じつはこれは非常にポイントを突いた主張になっているのです」

笑い混じりでしたし、そんなに真面目なものでもなさそうですが。

「いえ、この主張が訴えている2つのポイントは非常に重要なんです。古来、呪術儀式において性というものは重要な構成要素として扱われてきました」

まあたしかに、有名なところでインド中国にもそのような思想はありますね。日本新興宗教でもしばしば儀式に取り入れられて現代的な価値観との衝突を起こしています。

「また、クリスマス商業化され金や性と切り離せないものになりつつも、キリスト教由来であるという認識はどの日本人の中にも存在しています。この認知重要なのです」

クリスマスは実は聖書に由来していなくて、太陽神信仰が源流だという話もありますが、ほとんどの日本人は本来はキリスト教のものだと考えているのは確かですね。

「つぎに、この映像を見てください」

なんだか黒い中に光の点がたくさんありますが、これは星空…でしょうか?

「いえ、今現在アジア日本を中心に撮影した衛星画像です。ここが東京でここが大阪ですね。」

宇宙から見たクリスマスイルミネーションといったところでしょうか。

「確かに穏当に表現するならそうでしょう。しかし、先月の同じような時間帯との写真と比較してみてください」

これは…現在の方の写真には洋上にかなりの点が増えていて線のようになっているところが違っていますね。

「これ、漁船、海上保安庁の船、海上自衛隊の船からなる光点なんです。ちょっとフリップの上で線を引かせてもらいますね」

幾何学模様の中にくねくねした輪郭が連続していますね。昔の漢字、象形文字のようなものでしょうか。

「これは文字そのものです。陣の中に文字を書き、その陣の要所で大規模な性的儀式を行わせることで実践される、これは世界最大規模の呪術なのです!」

じゅ、呪術

クリスマスを『恋愛の要素』として積極的な商業化を行い、しかもキリスト教という観念とリンクさせたまま行うことで、ごく自然に性を取り入れた大規模呪術儀式をとりおこなわせる。これが日本のクリスマスの恐るべき真実なのですっ!」

そ、その呪術とやらが本当だとして、目的はなんですか?最初におっしゃっていた「困ったこと」とは結局なんですか?

目的一神教の神格の多神教への繰り込みです。毎年のこの儀式によって世界の唯一の神であるはずの『父』が多神教のうちの1柱に取り込まれてしまい、他の神々という概念の消滅への最終進歩が年々逆行の一途をたどってしまっているのです。『父』による単独の支配、神の国がこのままでは訪れない!なんということだ!」

うわ?照明が消えましたね?

文部科学省陰陽課だ!今すぐその放送を停止しろ!」「馬鹿!名乗ってどうすんだ!あとで始末書もんだぞお前!」

誰ですかあなた方?警察

「禁ッ」「籠目!今度こそ捕まえたぞ!」「うわははは今日はここまでのようだな陰陽寮の諸君!

皆さんご覧になりましたか、籠目さんが今、まばゆく光って消滅しました!

「ずらかるぞ安部!」「名前を言うな馬鹿!」

あ、国家権力の皆さんもいなくなりました。すみません照明つきますか?あ、はい、ありがとうございます。

視聴者の皆様申し訳ございません、毎度のことながら今日ゲストが暴走してしまいました。しかも逃走されるわ国家権力らしき方々が踏み込んでくるわでお見苦しいところをお見せいたしましたこと、お詫び申し上げます。

さて、来週も列島深層ダイヴ深夜便は深く深く、真偽を問わず面白いことが起こりそうなところへ潜ってまいりたいとおもいます。それではみなさん、ごきげんよう

2007-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20071218040329

そんなことは知っているが

それが日本文化なのだから

仕方ないんじゃないの。

外部からは何とでも批評できるが

実際そのシステムに入って自分がそれを

変えられるかなと思ったら無理な

わけでしょ。

変えられるなら変えてると思うよ。

日本の歴史伝統がそれを

許さないから問題なんじゃないの。

この太平楽の世の中で

どこからその限界をぶち破る

エネルギーが出てくるのか

分からん。

規則にそって合理的にする必要は

あるのかも知れんが

実現できないだろ。この眠くなるほどやる気のない今の時代に。

簡単なことだ。

2007-12-15

色々と考えすぎ

下のリンク先の実験した人、実験するならもう少しフラットに行い、かつまともな分析を行うべき。

また、結論を書いた後にその内容をぼかすような内容を加えると、結論の印象を完全に打ち消すことが出来るという点。これは非常に興味深かったです。

結論を最後に持ってくるという、日本語文の伝統的な書き方も有効ではないということを暗示しているように思います。やはり、結論は最初に書くべきだと思いました。

http://anond.hatelabo.jp/20071215040731

『暗示』とか意味不明なんだけど、そもそもあなたは文の最後に結論を書かなかったわけなのに、その結果をもってして「結論は最初に書くべきですね」とかいう結論がでるのがよくわからん。結論を最初に書いていたって、「後でその内容をぼかすような内容を加え」れば、結論の印象を打ち消すことはできると思ったりもするけど、まあ元増田もものすごく一所懸命で人柄の良いところも伝わってきたりするし後でフォローもしてるから、きっと悪意の間違いとかではないんだろうと思うよ。


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