はてなキーワード: 伝統とは
http://anond.hatelabo.jp/20071215015206
えー。これなんですが。まず、ごめんなさい。これ、以下二つの点が知りたくて投入した、ちょっとした実験でした。
1)文体で性別を暗示できるのか。
あのエントリーでは、「わたし」あるいは「私」という主語を不規則に使ったわけですが、相手のことを書くときも、「彼」ではなく「あの人」という曖昧な表現に止め、最後まで自分の性別を明示しませんでした。その結果、4人中2人の方が筆者を女性だと思ったという点。
この主語はユニセックスなものだと思っていたのですが、ああいうコンテクストで使うと女性を印象づける、という点。恐らく、男性はあんなグダグダした文章を書かないという先入観があったのではないかと予想されますが、筆者が男性だという可能性を指摘しなかった点は興味深いです。
2)文章のどこまでを読むのか。
あのエントリーは、よく読むと完全に自己完結した独り言になっています。つまり、本人の結論は既に出ています。この部分。
> …今回は気持ちをぐっと抑えて、告らない。死ぬまで黙っていよう。…
言及してくれた4人のうち、2人がこの結論を読み逃していると思われます。つまり、あの長さのエントリーになると、最後まで読み切るひとはほとんどいない、ということを暗示しています。わかりやすく書きたければ長文エントリーは有効ではない、ということですね。
また、結論を書いた後にその内容をぼかすような内容を加えると、結論の印象を完全に打ち消すことが出来るという点。これは非常に興味深かったです。
結論を最後に持ってくるという、日本語文の伝統的な書き方も有効ではないということを暗示しているように思います。やはり、結論は最初に書くべきだと思いました。
…というわけで。あらゆる意味で、この方の反応が最も的確でした。
http://anond.hatelabo.jp/20071215024908
> ってかまじめに答えていいの?コレ…w
それに気づいたアナタは素敵ですw
どちらかが一人暮らしをする。一方が一方の所に、夜やってきて、翌朝そのまま出勤したりする。休日一緒にいたければ金曜の晩から泊まりに来る。まあ「生活をデートにする感覚」。一人の時間も確保でき、かつ一緒にいる時間も増えて、生活の一部を共にする感じが味わえる。やってくる側は相手の生活ペースを尊重できるので基本的に「相手の生活ペースに合わせることができるか」という良い実験になるし、やってこられる側は「自分の生活ペースに相手が入ってきたとき自分はそれを許容できるか」の実験になるね。
だが、世間体が悪いのと一緒に暮らす楽しさを味わえるのとで「じゃあこの勢いで結婚しようかな」という流れに弾みをつける可能性もある。相手との結婚がイメージできるなら、やってみるのも一つの手。これが日本の古き伝統「通い婚」。これって結構可能性有ると思うんだけどなあ。
小さいころ、通っていた歯医者は家から遠かった。電車を二回乗り換えて小一時間かかった。
近所にも歯医者があって、というか隣が歯医者だったんだけど、うちもその歯医者も当時でも珍しいくらい結構なボロ家だったので、日常的にドリルの音が聞こえてくるの。キィィィィィンギャーっていう音が。最後のギャーの部分は、言うまでもなく患者の叫び声。昔はどこもそうだったという話だけど、ついついギャーの部分に自分が阿鼻叫喚する姿を重ねずにはいられなかった。夕食の時間になると、キィィィィィンギャーが頂点に達し、決まって母は
「ね、ああいうのになりたくなかったら、ちゃんと歯を磨くんだよ」
と言い、あまり親の言いつけを聞かなかったわたしだったけど、歯磨きだけは毎朝毎晩続けた。しかし、残念ながら、虫歯になるかどうかというのは、歯磨きをするかしないかではなくて、体質が大きく関わるらしく、残念ながら、学校の歯科検診でC2(思いの軽いのかは不明だけど、少なくとも痛くはなかった)がどうのこうの言われて歯医者に行かざるを得なくなった。そこで隣の歯医者ではなくて、堀北(←仮名です。ごめんなさい)家が伝統的に通っている歯医者に行くことになった。祖母に連れられ、痛みもしない歯を治すために電車に揺られる。わざわざ痛い思いをしに行くという行為は、当時小学四年生だったわたしにとっては実に理不尽だったのだけど、「痛いのヤダ!」と正直に言えるほど素直な子じゃなかったので、さぞかし不服そうに電車に乗ってたんだろうと思う。
広い通りに入ったり横丁に入ったりして、目が回るほどグルグル歩いた先の歯医者はとても歯医者とは思えなかった。どう見ても民家。しかも建て付けが悪くてすきま風が吹いてそう。これじゃあ歯が治っても冬だと風邪になるんじゃないか?と心配になるくらいだったけれど、軒先に椅子が置いてあってそこに座って待っている人がいるほどの繁盛ぶり。子供だったので、よくわからないけど、歯医者というものは、それくらい混雑するものなのかも、と妙に納得し、小一時間ほど待ったら診察室に呼ばれた。看護婦もいなくて一人で切り盛りしているらしいのだけれど、すごく怖い声で呼ばれたので、歯がなくなるくらいまで削られるのではないかと不安になった。小四にして梅干しみたいな口になるのは嫌だと思った。
呼ばれて入るなり、祖母が
と、うれしそうに声をかけた。その大隅という歯医者は、白衣をだらしなく着ていて人相もよくなかったが、とたんに相好を崩した。どうやら常連だったらしい。娘さんがどうのこうのという話をしていた。つまり娘さんとはうちの母のこと。
「ああ、お嬢ちゃん久しぶりだねぇ。今日はお母さんいないの。覚えているかい」
と聞いてきたが、覚えているわけもなく、戸惑っていたら、抱きかかえられて診察台に乗せられた。小学四年といえばもう抱きかかえられる歳でもないので、赤ちゃん扱いされて気分が悪かったのと、タバコの匂いと口臭のひどいハーモニーは今でもよく覚えている。
うちの祖母は、さすがにわたしの物心のついた頃には衰えは隠せなかったけれど、なかなかの美人で、祖父が亡くなった翌年に、お見合いの話が何件も舞い込んでくるほどで、その娘である母も、祖母ほどではないが、どちらかというと美人、そしてわたしは残念ながら十人並みの顔立ちで、いまだに、かわいいと言われるのはわたしが誰かをかわいいと言ったときのお返しとしてだけ。人類というものは発展を繰り返すものだというのは幻想で、堀北家については退化の一途を辿っているようにしか思えない。それはともかく、大隅さんはわたしの方はあまり見ずに祖母の方ばかり見てデレデレと会話しながらわたしの口の中をいじくるので、虫歯の部分に当たったのか、あるいは虫歯ではないところを削ったのかわからないけれど、ひやりとする痛みがやってきて、たちまちわたしは泣いてしまった。
子供とか関係ないだろう。大隅さんが藪医者なんだと思うけど、と思ったが、口に器具を入れられて抵抗などできるわけがない。大隅さんはポケットから、細長い鉄の棒を取り出した。これって、「鍼」っていうのじゃない?
大隅さんはわたしの舌を軽く鍼で突いた。ひんやりとした鋭い痛みがゆっくりと熱さに変わって、その熱さが香ばしくて甘い味に変わった。
「おいしいだろ?これでがまんしなさい」
当時は、鍼ってそういうものだと思っていたのだけど、今振り返ってみると不思議な話だ。感覚というものが神経を伝わる信号というのであれば、舌の特定の部位に鍼を刺して、おいしい味を発生させることも可能なんだろうか。とにかく、今までにないおいしい味で、次の日に学校の友達に説明したのだけど、そのおいしさをうまく説明することはできなかった。この前、ベトナムに行ったのだけど、そのときに食べたデザートと同じベクトルで、それをもっとおいしくした味だった。一週間も、あまり仲のよくない女友達との旅で、最後はつまらないことで険悪になっていたのだけど、そのデザートを食べていたときだけは何も考えられず黙って味わっていた。同様に、小四のわたしも痛みそっちのけでその味に夢中になってしまった。なるほど、だからこんな汚い歯医者が繁盛するのか、と妙に納得した。大隅さんのところは、そのあと何回か通って、小六のときにも通った。
それから十年以上経った。去年の年末。祖母が脳内出血で倒れ、よくても半身不随だろうという話を聞いて急いで実家に帰った。久しぶりに親戚がみんな集まっていた。意識が戻ったものの、混濁しているらしく、何を言っているのかさっぱりわからなかった。ただ、大隅さん大隅さんと言っていて、あ、あの歯医者さんねと思ったのだけれど、なぜ生死の境をさまよっているときに、よりによってあの汚い歯医者を思い出すのかと思ったら、母が言った。
「そういえば、おばあさんは、歯をやられたことがないから、わたしやあなたを連れて行くばかりで、大隅さんに見てもらったことがないんだよね」
一番の心残りがあの大隅さんの鍼の味とは!と驚いたのだけれど、今もってあの鍼の味に敵うものはないと体験者のわたしが思っているくらいだから、たしかに死ぬまでに味わいたい味かもしれない。しかも祖母は年老いても女の子。甘い物に弱いんだろうなと思った。急いで大隅さんに電話した。ちょうど日曜日だったこともあり、すぐ来てくれた。
久しぶりに見る大隅さんは変わっておらず、というか、上下揃ったDJホンダと書いてある黒いジャージを着ていて、危篤なんだから空気読めよ、と思った。すでに祖母の意識はなくなっているようだったけれど、挨拶もそこそこに病床の祖母に近づき、ポケットから鍼を出した。久しぶりに見たけど、錆びているように見える。あの頃と同じ鍼じゃないかと思った。自由が聞かない祖母の口を乱暴にこじ開けて鍼を刺した。すると、祖母の口がモグモグと動いたのだった。「おいしい」と言ったに違いない。いや、実際おいしいから。その後数日して、祖母は亡くなった。すごく悲しかったけど、最後にあの味を体験してからでよかったと思う。
お葬式の時の大隅さんは一応黒いスーツを着ていて、やればできるじゃんと思ったのだけど、近づくといやな匂いがするのは相変わらずだった。近いうちにまた会えるよというような意味のことを棺に向かって話していたのだけど、一年くらい経ったときに予定通り(?)大隅さんも亡くなった。息子さん(といってもいいオッサンだけど)の話によると、亡くなる間際には、毎日のように自分で鍼を使って舌を刺していたらしい。
息子さんは、言っちゃ悪いけど大隅さんに輪をかけてマイペースな感じの人だったので、この巧みの技を引き継げたはずもなく、つまりわたしは、女の子だけど、最後の日に味わいたいあの味を体験せずにしななければならないということになる。残念でならない。大隅さんに生き返ってほしい。
理性的なタカヤスなら或いは、と思ったのだ。残念ながらわたしの期待は裏切られた。
「ジェニファー、わからないな。どうして幼女を獲ってはいけないのか、もう一度最初から説明してくれないか」
君ともあろうものが、という目でタカヤスがわたしを凝視する。本当に日本人という連中は度し難い。
「オーケー、いいわタカヤス。まず、幼女は絶滅の危機に瀕していないというあなたの主張は認めます。確かに近年、オーストラリア近海の幼女個体数は増加の一途を辿っていることが観測されているわ。そして、あなたの国の"幼女食"が長い伝統を持った文化だということも理解したわ。その行為に対する生理的な嫌悪感は別としてね」
「ご理解いただき感謝感激。そして感情論は理性的ではないよ。生理的嫌悪感なるものは風習によって育まれるものだ。ぼくの国の諺に曰く、"所変われば品変わる"、或いは"郷に入っては郷に従え"」
「感情ね。わたしは感情論をまきちらすつもりはないのだけれど、あなた方は他国の国民感情というものをどう考えているの? 幼女食が世界中から非難されている現実を知らないわけではないでしょう?」
「そこがむしろぼくたちには理解できないんだよ。それこそ感情的にわからない。幼女は動物だよ? 動物に関する食タブーは風習や宗教の分野じゃないのか? イスラム圏で豚が禁忌になったのは不衛生だったからという説を聞いたことがある。食タブー自体は善や悪とは別問題じゃないのかい?」
本当に理解できてないのだわ。わたしは若干の感動すら覚えた。異文化コミュニケーションとはかくも刺激的なものか。
「……とても基本的なところから話してみましょう」
「それ以前に。まず、幼女は人の姿に似ている。これはオーケー?」
「オーケーオーケー、果てしなくオーケー」
わたしがもう少し不寛容だったなら、ことさら"果てしなく"を強調した目の前の男を椅子で殴っていただろう。
「オーケー。じゃあ次、人は人の姿に似たものが傷つくのを嫌がる、これはオーケー?」
「うん、条件付きでオーケー」
「その条件は何?」
「中国人はサルを食べる。かわいい猫も食べる。韓国人は人類の友たる犬を食べる。これはオーケー?」
「話がそれるからそのテーマは次の授業で取り上げましょうね、タカヤス坊や。で、幼女食に嫌悪感を覚える欧米人がいることは想像できるのよね?」
「理論的には存在が予想されるね。欧米人は幼女食が文化として根付いている極東の一民族の存在を理論的に予想したりしないのかい?」
「予想するまでもなく実例として大量に現れているから、理論の方を合わせようか考えているところよ」
天の父なる神よ、日本人がここまで幼女食を擁護するのはどうしてなのでしょうか。わたしには幼女がそこまでして得たい魅力的食材だとは到底思えません。日本人はみんな幼女を食べないと入会できない秘密の宗教団体にでも入っているのですか?
「逆に聞くわ、あなたたちはどうしてそこまで幼女食を文化として守ろうとするの? 天然の幼女の体が生体濃縮で汚染されていることは知っているのでしょう? 高濃度の萌えを溜め込んだ幼女は食用には全く不向きだわ。味も特に美味しくはないというじゃない。どうして? なぜ幼女なの?」
「そのアプローチも君たち欧米人が好むやり方だね。でも、それは幼女漁を全面禁止する理由にはならないよ。分かるだろう? 汚染されていようが不味かろうが、ぼくらの文化なんだ。きみたちにそこまでして否定されるいわれはない。ぼく自身、幼女を食べることはほぼ全くと言っていいほどない。でも、長年幼女を獲って暮らしてきた人たちに"もう幼女を殺してはいけません"と告げるのはどうなんだ? きみらの文化にそれをする権利を誰が与えたんだ? きみたちの神様か? それは八百万いるぼくたちの神様とどっちが偉いんだい?」
「でも、幼女には知性があるのよ!? これは実験で証明された事実なのよ!? それでもあなたたちは幼女を殺して平気なの!?」
「幼女は幼女で人間じゃない。きみたちがそこまで幼女に感情移入する理由がぼくたちにはわからないんだよ。本当にわからない。何故だ? 幼女はどこまで行っても幼女じゃないか。賢いといったって所詮は幼女の浅知恵だ。その程度の存在を政治圧力をかけてまで保護しようとするのはどうしてだ? 世界中の幼女には神性でも備わってるのか? きみたちは幼女の背中に光り輝く十四枚の翼でも見えるのか!? 欧米人はみんな幼女を崇め奉る秘密の宗教団体にでも入ってるのか?」
わたしとタカヤスは何ともいえぬ渋い顔をして黙り込む。 TV からは幼女保護過激派団体が日本漁船を襲撃したというニュースが流れる。抗議行動に参加した女優のコメントが字幕付きで放映される。
『殺される理由も、捕えられる理由もありません。幼女とツンデレは多分この地球上で最も心優しい動物の1つです』
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第二回ファック文芸部杯 参加作品 (g:neo:id:xx-internet:20071203:p1)
いろんな決まり事について、どうしてそうするのか訊ねたときに、「伝統的にそうだから」「それはそういうもの」としか答えられない奴って底が浅いよな。つまり本当の意味で自分がその決まり事に納得してないってことだからな。
それはさておき、マナーを守らなきゃいけない状況にも、マナーを気にしないでいい状況にも、本来それぞれ理由がある。もし守るべき状況と気にしないでいい状況が同時に起こった時は…二つの理由が葛藤するから、どちらかを優先させて臨機応変に対応するしかない。礼儀作法とは結局、現在の状況に対する注意力、問題発見能力のことなのかもしれない。駄目だ眠い。あとでリライトするか。
これ名前言っちゃって良いのかな。
弟が寿司が食いたいっつうから、少ないバイト代でいける回転寿司にいったのさ。
安かろう悪かろうって言葉はあるから一応そこらへんは覚悟してたんだけどね。
まー、チェーン店なんでそれなりにおいしかった。
もちろん、職人が握ってるお寿司屋さんとは全然違うけど、普通にうまいなーっておもって食べてたんだけどね。
それで弟が店員に直接お寿司を注文したわけですよ、たしかアジだったかな、いや、それまでもしてたんですけど。
そのときは違った。
何が違ったって。
熱々のご飯に魚の切り身をのせて「お待たせいたしました」。
いや、待ってないけどさ。
そりゃあもう待ってないよ、熱々だもんねそのシャリ。
弟が「この寿司あったかい…」とか言うから触ってみたら普通にホットですよ。
それでさ、俺はクレームとか嫌いなんだけどさ。
さすがに、この寿司はないだろうとおもってその店員さんに。
「ちょっとこのご飯温かいんですけど……」って言ったんだよ。
そしたらさ、店員さん「はい、温かいですよ?」って、不思議そうに言ってくるんです。
ああ、そうなんだ………。
ごめんなさい、俺の家族は今まで寿司じゃないものを食べてたみたいなんだ、ごめんね店員さん変なこと聞いて。
いやね、日本の有名な伝統的な料理でも知らない人っているもんなんだよね。
そう言う人が、知らないまま変な料理の形で作って出すってことが起きるようになるんじゃないかな。
そして知らないままこれが○○って料理なんだーって食べる人も出てくるんじゃないかなぁ。
なんか、一部のご家庭の中ではそういうことがいっぱい起きてそう。
http://anond.hatelabo.jp/20071108025941
あれ? 二次創作には原作者と二次創作者の両方の著作権が発生するんじゃなかったっけ?
もちろん、ワンフェスでちゅるやさんフィギュアを発売するには、原作者の谷川流といとうのいじ(というか、版権窓口の角川書店)にお伺いを立てて、当日版権をもらえれば、って事になるだろうけど。
でも、原作者がどうのは置いといても、鶴屋さんをちびキャラ化した不条理ギャグ、という表現に関しては、えれっとさんのオリジナル。原作者のOKが出ても二次創作者のOKが出なければ、三次創作はグレーゾーンってわけで。
そんなわけで、えれっとさんにも、一応は請求する権利があるにはあるけど、ただ、元々ちゅるやさん同人誌は恐らくグレーゾーンだろうから、許可を出すにしてもタダで版権を出さないとモメそうな気はする。
・親/親戚一同が誰も喜ばない(年配の人に理解できない)
・社会的立場が向上しない(いわゆる立派な仕事ではない/伝統的ではない)
・儲かるイメージが無い(会社員として稼げない/稼げる人は入社しない)
・優秀な学生がそのまま優秀でいられる可能性が低い(学問が生かせない)
・三流大学や三流学科の卒業生が行く業種(対応する学部や学科が少ない)
・とにかく業界のハバが狭い(建築業なら構造、意匠、建築士から職人まで様々)
・オシャレじゃない、カワイクない、わかんなーい(女性に人気無けりゃ、男も)
・業界を調べてもネガティブイメージ情報しかない(OBすら誘わない)
・モテそうも無い、得する要素も無い、見栄もはれない、自慢もできない
中国(や韓国)に国として公的に謝罪するのは次で最後にすると宣言してはいかがか。
というのも、今、日本が謝罪することは両国にとって有害無益にしかならないからである。
あちらの人間は言葉を重ねない。一度の言葉にかなり強い意味を込める。
日本人のように感謝の言葉や謝罪の言葉を何度も重ねたりはしない。
言葉に重みがあるために、何度も繰り返して言うことは逆に言葉の重みを失わせてしまう。
だから、向こうでは、お礼の言葉も謝罪の言葉も繰り返し言わない。
一度感謝や謝罪を伝えた後は、言葉よりも態度で示さなければならない。
言葉の回を重ねるほど言葉が安っぽく、誠意がないように感じられてしまうのだ。
向こうの人らに会ったことある人なら何となく分かるだろうが、彼らは語調が強い。というより語調がきつい。
彼らにとってみればそれがデフォルトなのである。
だから、何度も重ねて言うと、弱い語調で言ってるのではないか、本心ではないのではないかと勘ぐられる
ここは感謝や謝罪の言葉を何度も繰り返す日本人とは対照的である。
大体、中国(や韓国)とはすでに講和条約を結んで国交を正常化させている。
講和条約を結んだ以上は不満が残るとしても戦争の責任は問わないのが現代の国際理解である。
いつまでも戦争の責任を問うのは古代・中世的な復習の発想である。
今の状況はとても国交が正常化した国の態度とは思えない。
一体そんなことをして両国民が喜ぶだろうか?
日本人側は「こんだけ謝ってるのにいつまでこんなことをしなきゃいけないんだ」とフラストレーションを高めていくだけだろうし、
中国人側は「中身のないことを一体いつまでしてるんだ」と、ますます怒りを募らせるだろう。
中国人は形だけの物を評価しない。実利・実質を優先する。言葉以外の物でもそうだ。
中国人は我々から見たらがめついと思うほどにほど商魂たくましいく見える。それは形式よりも実質を重視している表れである。
謝罪を繰り返すことはただの蒸し返しにしかなっていない。
謝罪を重ねるほどに、言葉を重ねるほどに、それがますます形骸化していくことになぜ気づかないのだろうか?
だから日本国としては「国としての公式な謝罪はこれを最後にする」と高らかに宣言すべきだ。
「我々は、過去の過ちを忘れない。だが今、謝罪は逆に両国に憎悪と悪意を増やしている。この悪習はここで断ち切ろう。」
これで最後だから心を込めて精一杯のごめんなさいをする。それから先はよき友好相手として付き合おう。
もちろんこれは個人的な謝罪を禁止する物ではないし、謝りたい者はこれからも謝ればいい。
でも、国としてはこれを最後にする。
そして謝罪を終わらせたとて、友好関係が崩れるわけではない。
これからも日本は中国の経済発展を支援していくだろうし、中国も良き貿易相手であり続けるだろう。
恨みが完全になくなるわけではない。でも恐らくのところ、誠意のない伝統だけの謝罪を100回繰り返されるよりも、一度きりの誠意がこもった謝罪の方が、向こうの人は歓迎するはずである。
そして、謝罪をやめても、「謝罪の伝統を復活させろ」なんてことは恐らく言ってはこまい。
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これが300年の伝統だ。文句あっか。お?あん?
おめぇらだって300年前からつい昨日までうちが作ったもちをうめーうめーって食ってたじゃねーか。
一回でも食中毒起こしたことがあるのかよ?もちが固かったことがあるのかよ?地鶏と廃鶏の味の区別も
つかねー愚民どもに、わざわざ無駄に高級あんこ使ってるだけでもありがてーと思えや。売れ残ったら子会社に
回して何が悪い。一日何十トンも捨てることになるんだぜ?トラック何台分もだぜ?
もったいないからご飯一つぶ残さず食べなさいなんて言うひまがあったら、あんこ食えや。
投げるぞ、投げつけるぞあんこを。ちぎっては投げちぎっては投げ!
だって、最近のアニメって男性向けで、女性のHな描写が多いんだもん。
って感じで頭の中で理論ができあがっちゃってる。
アキバ系オタクに嫌悪感を持つのもこの延長。同人にしろ、アニメやゲームにしろ卑猥な作品ばかりが目立ってしまったものだから、秋葉=エロ=公序良俗に反するというイメージを外部の人間は想起せざるを得ないのではないかと仮定してみる。
上記の仮定のもとでは、世間一般が抱く嫌悪感はほとんど、「エロ」に起因するものであると説明できる。Youtubeやニコニコ動画が非難されるのも、インターネットが非難されるのも、オタクが非難されるのも、そこに「エロ」が在るからである。これは18禁描写という意味ではなく、異性を強調するような描写という意味であり、その判断は曖昧で、誰か一人でも「これはエロい」と言えば、おそらくそれはエロなのだ。そして、少しでもエロが含まれていれば、その部分だけが強調され、「○○はエロいので、公序良俗に反する」とすぐにレッテルを貼られてしまう。
その点、エロ成分を含まない軍事マニアや鉄道オタクはアニメオタクほどバッシングが話題にならない。(が、オタクやマニアといった言葉が既にエロと関連づけられている上に、分類が非常に繁雑である。そのため、いろいろとまとめて「○○マニア/○○オタクはキモい」と誰かが言ってしまうことが多々ある。そのたびにオタクの分類についてもめる事件が後を絶たない。(仏教でもいろいろ宗派があるように、オタクにもいろいろと分類がある。))
ただし例外もいくつかあって、文化や伝統に裏付けされるような物事はエロが含まれていても許容される場合が多い。例えばスポーツマンである。スポーツや伝統という蓑に巧妙に隠されているのか、なぜかあまりエロい部分が話題にならない。フィギュアスケートや新体操で女子選手が着用するレオタードなどの衣装や、一部の技(イナバウアー等)は明らかに性を強調している。にも関わらず、これらの競技に対する非難を目にしない。(自分が興味ないだけなのかもしれないが。)
動画、静止画、文章、音楽といった著作物にはエロが少なからず存在する。最近、深夜アニメの台頭により、アニメのエロ化がますます進んでいる。それにともない、アニソンのエロ化が進み、初音ミクもTBSの報道によりエロとの関連が強められた。今後、これらのエロの部分が強調されていくようなことがあれば、それらを楽しむ人は全て公序良俗に反する趣味を持った人として扱われることとなるのである。
サラリーマンだった頃、会社で働いていたはてな村に超詳しいプログラマーが言ったことに納得してた。
はてな村文化は身内受けの凝り性文化だそう。
外国文化に負けまいとしているのではなく、
今ここにいる同じ価値観を共有する仲間からの喝采を浴びたいと考える。
その結果、同じものを志す者同士の「これすごいだろ、おもしろいだろ」合戦が始まり、
そこで生み出される物が自然と研ぎ澄まされていく。
でもその競争は、敵対的なものではなく、お互いを尊敬しあいながら、静かに深く進行していく。
そしてある日、偶然目撃した異文化出身の人間(はてなユーザー以外)から、
それがすごいものであることを知らされる。
ほとんどのはてなユーザーはその日が来るまで、自分たちが作り上げた物がすごいものとは知らない。
もろもろの伝統文化、人力検索はてな、はてなダイアリー、はてなブックマーク、はてなスター、他、みんな同じパターンで世界に広まっていった。
だから、はてな村がここまで発展してきたのも必然的なものだし、
お上から下々に「押し付けられた」のは欽定大日本帝国憲法も同じなのは置いといて、「国民主権」「政治・経済の民主化」「基本的人権の尊重」「男女平等」「教育の自由化」といった戦前の日本には無かった思想が米国から押し付けられたわけですが、これらのスウィート糞メリケン思想についてハッキリと「伝統的日本には相容れないので却下」と、断じてNoと言ってくれる人を見掛けないのが甚だ疑問です。実は本心は「ミンシュ?ジユー?ジンケン?ジョセーカイホー?ふざけんな下衆が」と思っているのを隠しているのか、それとも単にボケているのかが良く分からないので困惑するわけです。
憲法9条の戦争放棄は幣原首相が提出した例の「主権は天皇、基本的人権の項目は帝国憲法を手直ししただけ」の政府原案の第二章にあったもので、つまり日本の方から「不戦の誓いの本気度(米国への忠誠度とも取れる)を憲法で示すので、天皇主権だけは触れないでくれ(国体だけは護持させてくれ)」とGHQにお伺いをたてた形であった事実はスルーして、「憲法9条の戦争放棄も米国の押し付け」と言わんばかりの人だらけなのも良く分かりません。
自衛隊の前身の警察予備隊は(朝鮮戦争への出動で治安維持に不安が生じる為)GHQからの要請で創設された事も、(共産勢力に対抗する為に)日本は再軍備せよという要求を、9条と世論を盾に再三押し留めながらも米国からの援助を受ける形で徐々に強化されて今の自衛隊の規模になった事(つまり自衛隊は設立当初から現在に至るまで米国からの押し付け)も一切無視なのも良く分かりません。