はてなキーワード: エラいとは
今日はちょっと早めに会社出て在宅に切り替えようと思ったんよ。定時1830だけどどうせ残務あるし。
1830からは電車混むのはわかってるので、16時台に会社出た。で、電車空いてるんだろうなーと思ってたら朝の通勤ラッシュ以上の混雑ぶりでした。
え、みんなもう仕事終わったの?
学生は言うほど乗ってないのにこの混みよう。
17時台になると更に酷いのね。
で、最近20時ころは前より混まなくなってきてるのも感じた。前はこれくらい混んでたのに。
みんな9時5時なのかな?残業も無しで。
残業するほうがエラいとは言わないが、仕事量減らせばその分見返りも少ないよね。
何か、平均年収450万は高くないけど、今の日本人の労働の対価には正当に思えてきた。寧ろ働き方改革(笑)前より下がらないだけマシじゃないの?
三重交通の件で改めて思うのが、実世界でこれやったら「ちょっとこれは今時どうなんすかね〜」という話になりそうなジェンダー的または性的な記号を過度に強調した表象(表情・体型・服装・姿態など)の形式が、二次絵であれば/あるから許容してよい、という考え方が、我々の社会で一定の定着を見つつあるのかもしれないな、ということ。
実世界における表象と、萌え絵・二次絵という表象に対する捉え方を、我々自身が切り替えて鑑賞している。モードが変わっている。俺はふとした瞬間…たとえば改札前で唐突に駅娘の立て看板に遭遇した瞬間に、「なんでこの絵はこんなにオンナオンナした記号性を振りまいてんのかな」という思いが脳内をよぎったりもするけど、その違和感は一瞬で消え去ってしまう。
このとき俺の脳はたぶん、「二次絵はそもそも『そういうもの』だから、疑問に思わなくてもよい」という判断停止によって、よけいな思考のエネルギーを節約している。楽しんでいるわけではないけど、俺の中の常識との衝突を避けて、平穏な気持ちでその異物感を見過ごすことができる。文楽で後ろにいる黒子をいないことにして鑑賞するように。ミュージカル映画でそれまでシリアスなシーンで唐突に歌と踊りが始まることにも驚かずに鑑賞するように。「二次絵鑑賞のモダリティの一般化」という風に言ってもいいのかもしれない(意味的にはモダリティよりリテラシーという言葉のほうがふさわしいのかもしれないけど、リテラシーには「身についてるほうがエラい」というニュアンスがあるから、使わない)。
海外でもオタク層などでこういうモダリティを持つ人々が一定数出てきているのは伺えるんだけど、では今後そういうモダリティがそういう国々でも一般化するんだろうか?ということを考えてしまう。