TikTokなどの動画サイトで時々目に入るので、総集編の映画を見に行っただけだし、
それが思ったより面白かったので、総集編の後半の映画を声優舞台挨拶のチケットを取って見に行っただけだし、
たまたま近くでぼざろ展をやっていたので、平日に休みをとって見に行っただけだし、
総集編の予習をするために原作1巻だけ買っていたのを、残り全巻買い揃えて一気読みしただけだし、
Apple Musicで結束バンドのアルバムをダウンロードして聞いているだけだし、
子供が熱を出して早退したりする時に、「仕事の代わりはいくらでもいるけど、親の代わりはいないんだから」って言われるとモヤモヤする。
大前提として、この言葉は育児しながら仕事してる人間に対して最大限の配慮を伴ったものであり、感謝してるし、言った本人にとやかく言う気は全くない。
でも、モヤモヤする。それって「私はあなたの子供の『親の代わり』はしませんよ」という表明じゃないか。
なんとなく、私はうす〜〜〜〜く広く、全ての人の親でありたい、という気持ちがあるんだと思う。
この気持ちは、めちゃくちゃな家庭環境で育ったことが起因していると思う。
いろんな人が、薄く広く「親の代わり」をしてくれた。
小学生の頃、私の家の状況を心配して優しく見守ってくれていた友達のお母さん。
高校の頃、保健室に入り浸っていた私の話を聞いてくれた保健の先生。
新卒の頃、どうしようもない新人だった私を育ててくれた周りの人たち。
親が教えてくれなかったこと、教えられなかったことをいろんな人から学んだ。
それでなんとか今、こうして社会的な生活を送ることができている。そういう気持ちがある。
だから「親の代わりはいない」という表現に納得ができないし、逆に「仕事の代わりはいくらでもいる」というのも、しっくりこない。たぶん仕事で関わる人に対しても「薄く広く親」の意識なんだろう。今この人のプラスになるために何ができるか、考えて仕事しているから、「代わりがいる」と言われると残念なのだ。
荒川区や台東区とかの山手線駅に歩いてだっていける距離の場所に下町の労働者クラスの老人達が既得権益面で居座っているのが腹立たしい
じゃあボクを女にあてがってください
ここ
https://youtu.be/Nw_XzGZ35As?si=6UlijofWUShbJ4Yj&t=44
みなぎってゆく何だか
↓
えんやーこーらやっと
どっこいじゃんじゃんこーらや
元増田みたいな男って
「自立した」妻が稼いで家事育児介護から夫の精神的フォローや性処理までやってくれる結婚が理想、そういう「自立した」妻が欲しい、といいがちだけど
それこそ妻側からしたらそんな結婚する必要性はない、って認識はしないんだよな
妻側にも何か足りないものがあってそれを夫が補うから結婚生活が続くのであって、
でも穴の空いたパンツだったらやじゃん?
家にいれば何着て何重ねてもいいし脱いだり着たりできるけど、外出するとなるとそうはいかず
けどまあ今の格好は我ながらちょうどよく満足
下着の上に化繊の薄手のシャツ、その上にワークマンのシャカシャカするパーカー
暑くもなく寒くもなく
足せるし引くこともできるしバッチリ
何を与えたら病気で働けない女が養ってもらえるの?