純烈とかもネタは前々から上がってんのに紅白出るタイミングで週刊誌に売られてたのに、
スキャンダルがって話じゃなくて。
Adoが清廉潔白で、スキャンダルが何もないのは別にいいのよ。
でも「1人の人間」としての足跡がなにもないって事はないやろ?
友人が卒アル垂れ込んだりとかさ。
こちらこそ
「ロックリー氏も日大准教授なわけですし、大学教授=学者は必ずしも成立しないと考えます。」
という文書を
「トーマスも活動家なのに大学教授やってるし、大学教授=学者だとは言えないよねぇ」
というニュアンスで拾って頂けてなかったという事が理解できて何よりです。
こちらとしては攻撃の意図はありませんでしたので、いきなり反撃が始まったので驚きました。
いつも土日はスーパーで食料を買い込む日にしてる
けどなあ
暑いんだよなあ
だるいんだよなあ
たまには1つ向こうの新しいスーパーに行きたい
安いし品揃えも良い、いつも賑わってる
ただほんの少し距離がある
そして日が暮れても暑い
品揃えは新しいスーパーには勝てない
あと土日はクーポンでほんの少し安くなる
どっちに行こうかなあ
カチカチ山ってどういうこと?
なんでそんなこと言うんですか!やめてくださいよ、本当に不快です!(迫真)
毒親育ちのひとことだと思う
なんかもう10歳くらいの頃から15年近くひたすら「人はパンのみにて生きるにあらず」的な事を考え続けてる気がする。
意味がない事には絶望してないけど、意義を見出すに足るほどの情熱を感じられるものがないのが恐ろしくてたまらない。
思春期が終わらない。このまま終わらせてはいけないような気がしてならない。
それでも一応の区切りというか、パンにありつくための営みに追われる中でも腐らずに生きてればいつしかそういうものも見つかるだろうって淡い期待を抱いてた。
でもやっぱり現れなくて、それなら自分から心揺さぶられるものを探しに行かないとっていう焦燥感があるけど、なんかそれも面倒臭くなってきた。
そういう探求の原動力になるような、自分に心からの喜びをもたらすものが存在するかもしれないって期待がもう風前の灯火の如く弱々しくなってきた。
日々の生活を送る活力の糧にする気晴らし程度のものはいくらでもあるけども、さらに一歩踏み込んで「ああ、生きていて良かった……」と思えるほどの感動はない。
いやまあ本当の本当はそういう可能性を感じるような心が震えをたまに感じる事もあるけど、深追いするのが怖い。
最初は自己満足から始めて、それが本物だと確信出来たらそこに没頭する生き方を考えたっていい。まずは始めたらいいじゃん。と理屈では分かっていても、「こんな事やってる場合か?」って気持ちになってくる。どっちつかず。結局そこなのかもしれない。
そういう無力感の中で諦めに近い思いに浸って、深い感動がある訳でもないけど深い絶望がある訳でもない。それでいい。それ以上を求めるのは贅沢じゃないですか。
donovantree
donovantree 2024/07/21
ここ十数年まともに賃金上げられない労働組合なんだから普通の労働者から批判されるのは当たり前だろう。「政治活動よりも実利を取ろうとするタイプ」なら共産批判ばっかりしてるなよって話だろ。
こういうコメントにスター集まるのが「活動家」と揶揄されるところ。
増田にもあの白黒の気味が悪い顔が表示される奴を設置してほしい