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子供の頃弟が頻尿で医者に罹ったとき少し意識して我慢してみろと言われてまぁまぁ改善したよ。今も一緒に出かけると店ごとにトイレ行くけど。
人によるかもしれんけど尿意を感じたらまず我慢してみれば?でも膀胱炎という線もあるから一度医者に診てもらうのが一番いいと思う。
先進国じゃないのでセーフ
pon pon shit
なるほど。金がないとな。結局お前はなにもせずにチヤホヤされたいだけなんだな。
なんだかんだ言って理由つけて行動もせず僻んでるだけ。
🦍『・・・・・・』ブォン!(←気を悪くして増田に糞を投げた)
トイレが近くて困っている。
飲み物を飲んだらそのまま体からすり抜けているかと感じるほどに即トイレに行きたくなる。幸い寝ている間は尿意に襲われないが、それでも朝昼はけっこうな回数トイレに行くことになる。お茶(麦茶と烏龍茶)を飲むのが好きなのに……。
・「飲み物を飲む頻度を落とす(体に悪くない程度に)」
たしかに少し飲みすぎかもしれない。
・「尿道を鍛える」
…………はい…………。
いろいろと思い出すととにかくなにか声を出さないと死にそうになる瞬間というのがあって、今でも時々自室の布団であーとかうーとか叫んだりしている。
ただなんとか立ち直ってちょっとづつ他人と交流できるまでメンタルが回復して、今年修論を書けた。
今では上記の悪癖も月1程度におさまってくれた。
やったことは簡単で、自分にとって不都合な人間関係を全部捨てて逃げた。これだけである。
入っていたサークルで後輩と同期のごたごたやそもそもちょっと態度の悪い後輩への応対をなんとかやっていたが、
結局それで得られたものは同期からの「面倒ごとの引き受け役」というレッテルとめちゃくちゃどうでもいい後輩からの「頼れる先輩」が大半だったのだ。ただただそいつらの顔色をうかがう日々だった。
それらへの応対であたふたしているうちに助けられたはずの別の後輩一人がその人間関係に悩んだ末に大学を休学してしまったのだ。具体的な経緯やらは誰も興味がないだろうし本質ではないので割愛する。
要は、自分がおかれた状況がその中で頑張れど頑張れど自分への利益が全くない環境で、気づいたころには自分とその後輩の二人、鬱病患者が出来上がっていた把握していただければいい。
そもそも人間関係で利益を考える時点で頭がおかしいのだ。誰しも人のためになんぞ動くものではない。
そもそも自分が率先して動かなければ、なんぞ考えた時点で馬鹿なのだ。誰もあなたのことなんぞどうでもいい。
それがいわゆる「友達」というもので、自分と退学した後輩の二人は休学してからも時々一緒に遊んだ。一緒にうまいものを食いに行った。
その人のために動きたいから動く、そこには利益の計算はないではないだろうが、その人のためにしたいことをしている時点で自分にも一定の利益が保証されているのだ。
では、このような感情は上述のサークルにいたときはあっただろうか?
当然なかった。だから捨てた。
一年とたたずにどうでもいい輩はこちらに連絡をよこさなかった。やはり「そこになんか適当に都合のいいのがいるから使ってやろう」であって、「この人でないと」ではなかったのだろう。
友達に含めそうなサークル内部の人間以外との連絡方法は今では一つも残っていない。
それからは、気心知れた友達とだけ会い、院ではあまり人に会わない実験系の研究室に入った。なんなら最後の年にコロナが流行って他人と無理に対面しなくなってよくなったのもこちらには追い風だった。
じゃあ最初からそうすりゃいいじゃんという話である。おっしゃる通りで。
ただなかなか内側からは自分がアリジゴクの真ん中にいることはなかなか気づきにくいらしかった。
なので、簡易的に自分がいる集団に本当にいたがっているのかをチェックするための基準を考えてみた。
・まず自分がその集団に入れる前に戻れたとして、もう一度この集団に入りたいと思うか
・その集団の人間は本当に自分を必要としているか(なにも自意識過剰などではなく、例えば上述の自分の例だとトラブルの緩衝材はあった方がいいだろうが、それは必ずしも自分でないといけないわけではないはずだ。苦しいが誰かがやらないと、というのであれば「誰か」でいい。自分である必要は微塵もないはずだ)
とりあえずぱっと思いつくのはこの2点である。ただそうでなくても正直自分がなにかしらの集団にいることで精神的につらいと感じるならやめちまえと思ってしまう。
でも……とかではない。あなたの心の健康の前に何を優先せよというのか。友達とかいうなら優先するに値するかもしれないがそれは本当に友達なのだろうか。
あなたの心より自分を優先せよなんぞ言ってくる人間が友達だというのであれば友達の定義を見直したほうがいい。
あなたと一緒の悩みがある人ならばともすればよっしゃ一緒にやめようとなるかもしれない。
とにかく自分を優先して生きろ。波長の合う人間とうまくやっていけばいい。
あなたを人間関係で苦しめる人間がいたとしてそういうやつはたいてい他に友達がいるのだ。そいつから見て都合のいい人間を一人減らしてやれ。
人間関係が減ることなんぞ恐れなくていい。そもそも人間最初は父母以外に誰とも知り合いではないのだから。
そもそもそんな最低なやつらと人間関係続けたくないだろ。損切りというやつだ。
案外世の中は広く、自分のことを本当に必要としてくれる集団は存外こちらが礼を払い尊重の意志を見せればいくつかいるらしい。少なくとも幸運にも自分は見つけられた。
これが必要としてくれる人に届いたら僥倖である。誰にも届かなくても自分の気は収まる。
人は他人のために自分から苦しむ必要なんてない。自分が好きな人間のためだけに……ただし嫌いな人間にも自分からは害を与えずになりふり構わず生きよう。言いたかったことは主にこれだけだ。