一部では「ミーはミーがどああああああああああああああ~~~~~いい好きデーーーーース!!!!」と10回叫べという話もあるようですが、自己肯定感が低い状態でこれをやるとあまりの嘘くささに自分の中から次々反論が来るのであまり効果がないです。自分の存在を自分が認め、今日を生きる許可を自分自身が出していることを再確認するだけでいいです。
認知療法ってやつですね。メモ帳とか付箋紙とか増田の画面とかでいいので「事実」と「認識」を書き出したあと、何故その認識になったかの間を埋めていきましょう。
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何故死ななければいけないのか
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一度注意を受けたのに同じ失敗を繰り返したので「学習能力が皆無であることは明白であり人間として存在価値が皆無もしくはマイナスなので死ななければいけない」
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「同じ失敗をしたら学習能力皆無」→一度で全てを覚えるだけの記憶力は普通の人にはありません。出来る人は超人です。超人ではないことが無価値であるとはなりません。
「存在価値が皆無」→特定の分野が苦手であることが存在価値皆無とはなりませんし、もしもそうであるならとっくにクビになっています。
「死ななければいけない」→もし万が一存在価値がマイナスであってもそうそう死ぬべきとはなりません。もしもそうならとっくに死んでいないとおかしい輩がテレビカメラの前に日々映り続けているではないですか。
こんな感じで。まあここまでやらずとも「あれ?途中から俺の類推でしか無くね?」と気づく所でも十分です。
あなたは「インターネットに書かれた3行以上の文章が読める」という非常に価値のある能力の持ち主です。
それを一部の人は「非合理的」「真面目なんだねwww」「時間の無駄」「私もう生徒会室についたよ」と笑うかも知れませんが、気にする必要はありません。
今日も女はめんどくさい
今日も女は男叩き
今日も女はめんどくさい
そんな事言われても俺にもわからないしね!
えっ働いたことがない人?
映画を見る際に通常ならノイズと感じるものを解禁する上映です。
ここからマナーの話になるんですけど、大体の応援上映で『過度な絶叫、他の観客の迷惑となる行為はお止めください』と注意があるかと思います。禁止じゃないし、個人の裁量に委ねられています。
私個人の感覚なのですが、応援上映はライブビューイングに近い感覚で見ているために、ライブでのマナーが元にあります。
なので作中でのキャラの台詞に過度に被ったり、まったく関係のないことを突然叫んで存在感を出したり、叫びすぎて台詞が全く聞こえなかったり、というのをマナー違反に感じるんですよ。
ただこれ、何を優先するかなんですよね。『周りを不快にしないこと』と『その場を盛り上げ、100%楽しむこと』のどちらを優先するかなんですよね。
まあね、もし過度に騒ぐのが友人だったら『今日も楽しそうだなぁ』で済ませてたかもしれないです。友人だけでの上映会だったらそうなると思います。
でも私とあなたは友達じゃないし、上映館と上映時間が同じだっただけの赤の他人です。
うるさい。没頭できない。私が聞きたいのは、映画のラストのシリアスなシーンで、あなたが登場人物の隣に座りたがってる叫びではない。
住み分けできればいいに越したことないんですが、上映館が限られているせいで他の選択肢がない。
行かなきゃいいと言われても行きたい気持ちは変わらない。
そもそもこちらはマナー違反している他人になぜこちらが気を使わなければいけないんだと思うし、万一注意したところであっちはルール破ってないのに絡まれてケチつけられたとしか思わんでしょう。
また毛の話してる…
以上を二回言うな