この間、綺麗で対応も最高な病院にいってきた。通院しているんだ。
そこに給水機が置かれている。
「下のレバーを下にさげ、手前に引いて上のレバーを下げる」みたいな旗上げゲームみたいな暗号が書かれていた。
もっと複雑だったと思うけど、撮影もスマホもあまり良くないから記録してない。ごめん。
「え、体調悪いの?大丈夫?甲状腺専門病院だけど、大丈夫?一気に具合悪くなったん?」
そう思いつつチラ見してたら、
リュックからボトルを出したんだ。500ml以上は入りそうな、透明な水筒。
それにジャボジャボ注ぎ始めて、満タンになるまで注いでた。
ビックリした。
都内の全域でそうだってんならともかく増えてるのは新型店舗からだし、
それまではわざわざ成人コーナーを作ってまで成人雑誌を置いていたんだから、
その売上は推して知るべしでしょ。
なにムキになって否定しようとしてんの。
よく議論だったはずのものが、途中から口論になり挙げ句に罵詈雑言の諍いに変化するやりとりを目にする。
元は議論で答えを出していくような流れが、いつのまにか言葉のマウント取りをしようという目的に変わっていて
最終的に優越感を得るために相手を中傷しはじめる様は、なんか違うのではないかなと感じた。
その手のやりとりを何度も見ているので、自分は不介入でいることを心がけているのだけれど、
第三者の観点で見ていると、誰も彼もが諍いに発展した途端に優越感を得ようという姿勢に変わっている事に気づく。
正当に議論として相手を屈服させるのなら、優越感を得るのは間違いではないのかもしれない。
だけど、どう見てもほとんどが誹謗中傷を繰り返し、とことん相手に侮蔑の言葉をぶつけ傷つける事で
優越感を得ようとしている人が多い。
議論をそこまで変化させてまで優越感を得ることは必要なのだろうか。
というか、むしろそんな勝利に何の意味があるのかなという疑問。
結局、議論の内容では相手を黙らせることが出来ずに中傷の言葉をぶつけ続けることで
社長が、専門学校をでて技術者試験を持ってる志望者を「技術者試験を持ってるくらいでいい気になってる」とか言って落として、まったくの未経験を「こいつはやる気がある」とか言って雇ったけどまったく物にならなかったということがあった。
社長に対して猛烈に腹がたったけど↓こういう話を見るたびに思い出すわ。
セブンって雑誌自体を殆ど置かない(超メジャー誌だけで後は取り寄せで対応)店舗どんどん増えてるけど
御茶ノ水駅にエスカレーターが新設されたんですよ。1人乗りタイプが2台並列で、両方とも昇りのエスカ。
今日の夕方見に行ったら、左側が歩かない人、右側が歩く人の運用されていた。
3年付き合った彼女と別れた。
しかも初めて出来た彼女だったもんだからそりゃもうへこんだの。
自己嫌悪の嵐、自分がしっかりしてないから、せっかく好いてもらえてたのに、応えられないから…とか。
ただある日ふっと、自分は「好かれてるから応えなきゃ」と義務のように考えてしまっていたことに気づいた。
知り合った頃は自然に相手に興味を持っていたのに、いつのまにやら将来結婚することになったら、とかそんな責任ばかりに目がいって、楽しいよりキツいが上回ってしまっていた。
別れてしばらくしたある日、肩の荷が降りたような気分になって、そこから毎日マイペースに過ごせるのがむしろ楽しくなってしまった。
もしかして自分、他人と生きるの向いてねーな?と自覚するようにしてから、自由な感じがたまらない。
金属臭さは想像できる(最近増えたペットボトルなら問題ない?とかは思う)けど、あの苦味の塊のコーヒーのなかで「エグ味」って分かるの?(いや、「エグさ」って匂いのこと?)