2019-01-21

議論優越感は必要か?という疑問

よく議論だったはずのものが、途中から口論になり挙げ句罵詈雑言の諍いに変化するやりとりを目にする。

元は議論で答えを出していくような流れが、いつのまにか言葉マウント取りをしようという目的に変わっていて

最終的に優越感を得るために相手中傷しはじめる様は、なんか違うのではないかなと感じた。

その手のやりとりを何度も見ているので、自分不介入でいることを心がけているのだけれど、

第三者観点で見ていると、誰も彼もが諍いに発展した途端に優越感を得ようという姿勢に変わっている事に気づく。

正当に議論として相手を屈服させるのなら、優越感を得るのは間違いではないのかもしれない。

だけど、どう見てもほとんどが誹謗中傷を繰り返し、とことん相手侮蔑言葉をぶつけ傷つける事で

優越感を得ようとしている人が多い。

議論をそこまで変化させてまで優越感を得ることは必要なのだろうか。

というか、むしろそんな勝利に何の意味があるのかなという疑問。


結局、議論の内容では相手を黙らせることが出来ずに中傷言葉をぶつけ続けることで

相手が黙ったら勝利という意味のわからない考え自体おかしいのではないかなと。


議論には優越はいらず、そんなものを得る事よりも答えを出すほうがよっぽど必要だと思うのだけど。

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