「俺って優しい」自己満足じゃん?
星も4も天国も私は好きだけど
過激派がアレなだけだけど
金になるように
考えて会社がやってるわけだ
全てが自分の思い通りにはならない
それで利益はきっと上がらないだろうし
その中でまた荒れるだけなんだ
別のことや些細なことでも
話変わって
星のひとびと
とても良いように話すし振る舞う
まぁそれはどこでもそうか
自分たちが一番、良く見えるし良く言いたい
だけども、いつでも言動やグッズ交換で
レート低すぎ、とか、要らないって
そこかしこで言われてる
それって、マナー悪くないのか
推しがそう言われてて
気分よくはない
そこは受け止めるし
推し以外ばっかり出たら
悪夢なのもわかるが
交換の時に飛びついて取り囲むの
やめてほしい
怖いし、気持ち悪いし
これ買い取りませんか?は
くっっっそ失礼すぎて
怒りを通り越して悲しいので
やめてくれめんす!
日本語をよんで
交換の時は話しかけてね!
別にタダでくれるなら貰うけど
売りつけてこないでほしいですわ
どこでもそういう事は起こってるし
それはとても悲しいことなので
私は好きに、好きして生きてます
みんなも好きに生きて、息して
_(:3 」∠)_
損得というか、コミュニケーションに苦手意識があると、話が合う人を望むことはあるんじゃないでしょうか。話題が合わないと話が続きませんからね。
恋人がいなくて本当に苦しんでいるタイプは、どちらかというと誰でもいいから付き合ってくれ的な発想になっている印象があります。友達作りと同じなのか分かりませんが。
紅白歌合戦、誘致合戦、雪合戦……と「○○合戦」は今も普通に使われるけど、同じような意味を持つ「○○くらべ」を見ると、たけくらべ、かけくらべ、せいくらべのように、文学や童謡の中にしか見当たらない。
大人も為す「合戦」に対して「くらべ」はそのほとんどが子供の遊びだったのだろう。その相手は兄弟だったり近所の子供だったりした。けれど「くらべ」遊びは、一度やればその大小関係は代わり映えしないものだ。「くらべ」遊びはそれが楽しかったからというよりも、それくらいしか遊びがなかったのだ。
そこにやって来たのが雑誌文化であり、決定的になったのがテレビという文化なのだと思う。同じ番組を見ている日本中の子供たちとの「くらべ」遊びが始まったのだ。いわんやネット社会においてをや。
「○○くらべ」は廃れたが、誰かと比べて云々という文化は廃れることはないのだ。
そう!あのジャンルはすごく好きです。
自分が興味のある話だけをして欲しいと思っている
流行っている物や共通の話題になりそうなコンテンツは全く追いかけていないため
そういった話になると不快感を表す
相手が忙しくない時に話しかけようと気を伺うので話しかけられない
「すいません今忙しいんで」と言われることにかなり傷つく
まずスペックで圧倒したとしてもNEW任天堂3DSのような上位機種が出る可能性があるのであまり意味がありません。
そもそもVitaは据え置きモードがないため据え置き機並の価格では売れにくいと思います。
本体価格をswitch並に高くできないためスペックを上げにくいというデメリットになるかもしれません。
仮にswitchよりスペックが高かったとしても本体1台だけで(画面分割など)協力、対戦プレイができないのはデメリットです。
据え置き機モードをパクったとしてもPS4と競合してしまいます。
ただ、ハードが増えてもお互い特はしないので携帯ゲーム機はswitch、ハイスペックゲーム機はPS,Xbox,PCの住み分けがベストのような気がしています。