2018年02月25日の日記

2018-02-25

anond:20180225232345

中途半端に衛生面を気にして、火で炙ったカッターを消毒液で消毒してから浅く切ってます

引っ掻いたみみずばれの痕が気持ちよかったからその延長にきてしまいました。

しもやけあかぎれリアルに痛いのでお大事にしてください…

anond:20180225233219

ただ乗って立っている男性と大声をあげて騒ぐ女性なら排除すべきは女性ですね

ここで男性のみを排除すると不当な差別になるので注意

父親の死から7年経った。

父親の命日に偶然この曲を聴いた。

翌日、なんとなく聞き返し涙が止まらなくなった。

宇多田ヒカル - 真夏の通り雨

https://www.youtube.com/watch?v=f_M3V4C8nWY

父親の死から7年経った。

7年経っているにも関わらず。

61,368時間以上経っているにも関わらず涙が止まらなすぎる。

まらなすぎて困るので、父親の死を日常面と精神面に分けて考える。

日常面】

日常面において、高校を出てから一緒に生活していないため、日常生活において変化はほとんどなかった。

法事墓参りの日が年に数日増えるくらい。

法事・お参りや(月)命日に、思いを馳せたり、自身の現状と父親を重ね合わせる。

自分の年齢の時に父親はどのような事を考えていたのかな。

自分可能性を病気に奪われるのは悔しかっただろうな。

やりたい事が山ほどあっただろうな。

精神面】

精神面において、父親の死を受け入れるのにとても時間がかかった。

良いことも悪いことも報告できない。

自分が頑張っている姿を見せられない。

言葉(思い)を交わしたり、一緒に食事をしたり、酒を飲んだり、喧嘩したり、感謝を伝えることはできない。




仏壇に向かって報告をする。

脳内で会話をする。

誰もいない実家に帰り、父親の座っていたソファに座り想像する。

時の経過に伴い自身の中で折り合いがついてくる。

目の前のことに注力して結果を出すことで、受け入れられているような気がする。

精神面において、父親の死をある程度受け入れている自信があった。

それでも今、涙が止まらない。

真夏の通り雨を聴いて涙が止まらないのは、父親の死を消化しきれていないからだと思う。

受け入れているという自信の中身は、自分を忙しくして目の前の事に心血注ぐことで、父の死を忘れようとしていた弱さなのかもしれない。

これ以上ないバランスで、美しく洗練された宇多田ヒカル歌詞に、俺の心の底を全部掘り返されてしまった。

7年の時間が経っても通り雨は降ってくる。

親の偉大さ、自分の幼さ、感謝の不足を突きつけられて感服する。

そのおかげで恥じない(負けない)ように生きようと心底思う。

そう思わせてくれた宇多田ヒカル(とYouTube)には足を向けて寝られない。

宇多田ヒカルさん(とYouTubeさん)、本当にありがとうございます

anond:20180225232013

?どこの先進国公道は国の許可私有地は持ち主の許可を取らないとデモも街宣も出来ないよ。これ本当だから。捕まるなよ。

anond:20180225233104

だって痴漢安心してネタに出来るじゃん

凶悪犯罪じゃないか病院で何年も苦しむような被害者はまずいなそうで気軽な話題だし痴漢自体犯罪者から避難していい

感情論論理結論矛盾したりしなかったりするテーマは盛り上がるし北朝鮮慰安婦がどうとかと違って身近で分かりやす

消費税とか福祉の話は素人が語るとぜんぜん的外れのことぉ語って詳しい人が着て恥をかく可能性が歩けど痴漢はそれが無いか安心して盛り上がれる

anond:20180225233310

匿名の場で議論なんてお笑いだよお

そんなん成立すると思ってるのお?

anond:20180225233210

たくさん売れたし感想も言ってもらえたけどお

それよりもpixivブクマされたりブクマコメされたほうが嬉しかったですう

私って次世代人間なのかなあ…

それよりさよ朝について感想討論会しようよぉ

私は男キャラが全員好みだった一方でストーリーとして完全に成り立ってないのではあ?と思いましたあ

おい

炊飯器でやっすい鶏胸肉炊くと、繊維レベルまでほぐれるように柔らかく仕上がるから試してみろ

味付けは、炊くとき適当パスタソースぶっかけるだけでいいぞ

それをご飯とかパスタにかけるとうまい

人間性について

人間性っていうのは「相手人間だと捉えてコミュニケーションできること」だと考えてみたのだけど、この定義でいうと自分には全く人間性が無い。

自分自身も確固とした理性や感情変化の基準を持って生きているわけではないのに、いざ相手コミュニケーションを取ろうとすると

相手はおおまかにどういう性格か」「何を言ったらどれくらいプラス(マイナス)の反応があるか」「こういう状況のときにどのように考えるか」というのを逐一自分の中の論理に当てはめて、いわば計算ずくで動こうとしてしまう。

そこそこ観察力と観察経験があるもんだから大きく外れはしないんだけど、相手にとって「この人は自分を数値で考えてるんだな」って印象を持たれてしまうのか、その場その場の些細な変化を読み取ることを放棄してるように感じられるのか、なんだかんだ他人といい関係を築けずに終わる。

会話というか、プログラムデバッグに近いんだ。デバッグされてる方はいい気がしないだろう。いざ相手立場になってどういう印象を持つか考えてみると、「頭でっかちなんだな」って感じてしまうと思う。

わりとどうでもいい人たち相手には何も考えず動物的な反応で適当に話をしてるのだけど、そういう相手に限っていい関係を築けてしまうもんだから、そこそこ的を得認識だと思っている。おかげで仕事は順調だが、プライベート人間関係はお察し。

結構から自覚してるとはいえ、そこから数年経ってもこの癖は直りそうにないので、自分に対してやれやれって感じだ。どうしたもんかな...

anond:20180225232135

横だけど、分からない?じゃねーよ卑怯

自分の言ってることに正当性があるなら説明して証明しろバーカ

所詮痴漢に過ぎないのに過度に差別する空気はよくないと思う

そのうち学校先生に「○○君のお父さんは憲法違反痴漢です」とか言って吊るし上げられて傷つく子供が出る

anond:20180225232951

あーんめっちゃわかるー!

今後女性車両問題話題が出たらその全ての記事にこれ書いておいてえ

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