父親の命日に偶然この曲を聴いた。
翌日、なんとなく聞き返し涙が止まらなくなった。
https://www.youtube.com/watch?v=f_M3V4C8nWY
7年経っているにも関わらず。
61,368時間以上経っているにも関わらず涙が止まらなすぎる。
止まらなすぎて困るので、父親の死を日常面と精神面に分けて考える。
【日常面】
日常面において、高校を出てから一緒に生活していないため、日常生活において変化はほとんどなかった。
法事・お参りや(月)命日に、思いを馳せたり、自身の現状と父親を重ね合わせる。
やりたい事が山ほどあっただろうな。
【精神面】
精神面において、父親の死を受け入れるのにとても時間がかかった。
良いことも悪いことも報告できない。
自分が頑張っている姿を見せられない。
言葉(思い)を交わしたり、一緒に食事をしたり、酒を飲んだり、喧嘩したり、感謝を伝えることはできない。
仏壇に向かって報告をする。
脳内で会話をする。
誰もいない実家に帰り、父親の座っていたソファに座り想像する。
時の経過に伴い自身の中で折り合いがついてくる。
目の前のことに注力して結果を出すことで、受け入れられているような気がする。
精神面において、父親の死をある程度受け入れている自信があった。
それでも今、涙が止まらない。
真夏の通り雨を聴いて涙が止まらないのは、父親の死を消化しきれていないからだと思う。
受け入れているという自信の中身は、自分を忙しくして目の前の事に心血注ぐことで、父の死を忘れようとしていた弱さなのかもしれない。
これ以上ないバランスで、美しく洗練された宇多田ヒカルの歌詞に、俺の心の底を全部掘り返されてしまった。
7年の時間が経っても通り雨は降ってくる。
親の偉大さ、自分の幼さ、感謝の不足を突きつけられて感服する。
そのおかげで恥じない(負けない)ように生きようと心底思う。
そう思わせてくれた宇多田ヒカル(とYouTube)には足を向けて寝られない。
宇多田ヒカルさん(とYouTubeさん)、本当にありがとうございます。