2018-02-25

父親の死から7年経った。

父親の命日に偶然この曲を聴いた。

翌日、なんとなく聞き返し涙が止まらなくなった。

宇多田ヒカル - 真夏の通り雨

https://www.youtube.com/watch?v=f_M3V4C8nWY

父親の死から7年経った。

7年経っているにも関わらず。

61,368時間以上経っているにも関わらず涙が止まらなすぎる。

まらなすぎて困るので、父親の死を日常面と精神面に分けて考える。

日常面】

日常面において、高校を出てから一緒に生活していないため、日常生活において変化はほとんどなかった。

法事墓参りの日が年に数日増えるくらい。

法事・お参りや(月)命日に、思いを馳せたり、自身の現状と父親を重ね合わせる。

自分の年齢の時に父親はどのような事を考えていたのかな。

自分可能性を病気に奪われるのは悔しかっただろうな。

やりたい事が山ほどあっただろうな。

精神面】

精神面において、父親の死を受け入れるのにとても時間がかかった。

良いことも悪いことも報告できない。

自分が頑張っている姿を見せられない。

言葉(思い)を交わしたり、一緒に食事をしたり、酒を飲んだり、喧嘩したり、感謝を伝えることはできない。




仏壇に向かって報告をする。

脳内で会話をする。

誰もいない実家に帰り、父親の座っていたソファに座り想像する。

時の経過に伴い自身の中で折り合いがついてくる。

目の前のことに注力して結果を出すことで、受け入れられているような気がする。

精神面において、父親の死をある程度受け入れている自信があった。

それでも今、涙が止まらない。

真夏の通り雨を聴いて涙が止まらないのは、父親の死を消化しきれていないからだと思う。

受け入れているという自信の中身は、自分を忙しくして目の前の事に心血注ぐことで、父の死を忘れようとしていた弱さなのかもしれない。

これ以上ないバランスで、美しく洗練された宇多田ヒカル歌詞に、俺の心の底を全部掘り返されてしまった。

7年の時間が経っても通り雨は降ってくる。

親の偉大さ、自分の幼さ、感謝の不足を突きつけられて感服する。

そのおかげで恥じない(負けない)ように生きようと心底思う。

そう思わせてくれた宇多田ヒカル(とYouTube)には足を向けて寝られない。

宇多田ヒカルさん(とYouTubeさん)、本当にありがとうございます

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