というのが自明じゃないんだよなぁ。
そこを説明するためにわざわざIf文/Switch文に置き換えているんだよ。
掛け算足し算の順序の入れ替えは(暗黙的に)交換法則を用いることで行われるんだから、
交換法則を教えていない段階で生徒が勝手に交換法則を用いるのは、
Switch文を教えていない段階で生徒が勝手にSwitch文を用いるのに等しい。
result = ans + 1;
result = 1 + ans;
最初の例なら○で、後者の例を☓にしてるんだから、全プログラマー全員が保護者同意以外の選択肢は無い。
(「正解ではあるが、最初の書き方の方がプログラミングスタイルとして望ましい」とかはあり得るが。そもそも☓にしてるのがありえない)
あえてif文に置き換えたいなら
if (a == b) { /*hogehoge*/ }
if (b == a) { /*hogehoge*/ }
この2つが違う、というレベルの話だから。それを教え方、教える順序としてという説明で納得するのか?
△にして、正解だが授業のやり方で無い、なら百歩譲ってアリだろうけど、☓は間違いの意味で実際に間違い扱いされてるのが問題なんだろ。
鳶が鷹を生むってあるけど父親の種が違っただけなんじゃ
子連れにあんま席ゆずらねえなあ。2席ならんで空いてないと意味ないイメージあって。
1席でも譲ったほうが楽なら今後は譲っていくわ。
読書にたいしてお金を使う習慣のある方、書店を日常行動の経路に含んでいる方、読書家という人種はある意味非常に高尚で「紙の書籍を手にとる楽しみ」「装幀を愛でる楽しみ」という点に価値を感じて下さっています。
んなわけねー!年間20万以上本を買ってるが、装幀を愛でなんかしない。デカくで重いだけだ。
「文庫で出たら買おう」と思って素通りしてる本がどれだけあると思ってるんだ。
if(A==B){ XXX; }
こう書くと「AとBが同じ値の場合」にだけXXXが実行されるんだ。
よし、じゃあ簡単なテストをしよう。
条件を「AとCが同じ値の場合」に変えてみてくれ。
switch(A){ case C: XXX; break; }
いまは教えたとおりIf文で書いてみてくれないか。
(突然ドアが開き保護者が入ってくる)
「どうしてそれが間違いなんだ! Switch文でもちゃんと動くだろ!」
「やり方は一つじゃないというのがプログラムの楽しさだ! 子供から自由な発想を奪うつもりか!」
ごもっともですが、まずはIf文から教える予定でして、Switch文は後から…
「そんな教え方だと子供もプログラムを書くのが嫌になるに違いない! Switch文でも正解にしろ!」
……
先生の方を支持する人も多いと思うけどなぁ。
この方法を使うと、XVIDEOSの動画をPC またはスマホのブラウザ上から10秒でダウンロード開始することができます。
1. XVIDEOSサイト上の、ダウンロードしたい動画のページに行く
例: http://jp.xvideos.com/video1955046/hvw_anime_047
2. ブラウザのURL欄にフォーカスをあて、URL のドメイン「jp.xvideos.com」の部分を削除して「dl-xvideos.zebbix.com」に変更入力し、エンターキーを押す
例: http://dl-xvideos.zebbix.com/video1955046/hvw_anime_047
(先ほどの1.のURLをdl-xvideos.zebbix.comで置き換えた状態)
3. ダウンロードページが出るので、ダウンロードボタンをクリックしてダウンロード開始
(終わり)
仮にURLが「jp.xvieos.com」で始まらず、「www.xvideos.com」 で始まっている場合:
同様に「www.xvideos.com」の部分を「dl-xvideos.zebbix.com」に変えてエンターキーを押す。
例: http://www.xvideos.com/video1955046/hvw_anime_047
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/110879/111900149/
東芝不正問題、第三者委員会も骨抜き調査の証拠を日経ビジネスに突きつけられたな
サイバーにかかわるとニコ生で誰と誰がセックスしたみたいな話までバラされたり公開で足が臭いだの痩せろだの言われるしメメに関わると二人きりの時の女々しいそぶりも全部バラされるし青二才に関わるとストーキングに迷惑してるといった二人きりの話もバラされるしおどれらがどれだけ公開露出大好き失うものがない無敵の人かしらんが喋っていいこととそうでないことの区別つかなさそうなやつに近寄る無理だわー絶対に無理だわー
嫁さまが子ども(2歳)連れて電車に乗ったんだけど、だれも席を譲ってくれなかったそうだ。
俺は譲ってるよ。子どもにも譲るように教えるつもり。
みんなはなんで席譲らないの?
子どもにはどう教えてるのかな?
やーい、おまえんち、おっはなばーたけー!
とある人気大学生ブロガーの記事を見た。死ぬほどつまらない。戦慄するほど面白くない。自分が面白いと思っているらしいのが、ことさらタチの悪いことだ。しかし人気である。あんなにも中身がない、何も残らない記事なのに。
オタクたちに「ウェイ系」と蔑まれる人種だろうか。しかし俺は知っている、本当にグループの中心にいることが出来る人間は話が上手いことを。また、閉じたコミュニティで満足し必死で線引きをするネット引きこもりよりも、あのブロガーのように各地を飛び回り様々な人と接する方がより人生の厚みを持っていることを。
だがあの記事群には微塵も面白さがない。伝わらないのではない、存在しないのだ。
自分よりもよほど素晴らしい体験をしている人間がどうしてつまらないのだろう。自分の方がユニークな存在だと思い上がるつもりはないが、いくらなんでもあれは酷すぎる。もしかして今まで感じてきたウェイ系の「面白さ」というのは、単なる表現力の問題だったのだろうか。そんなはずはないと信じているが。