強硬な脱原発派は「自民党は原発推進派」って思い込んでるから、なぜ負けたのか本気で疑問に思ってるんだろうけど、自民党はあくまで「原発ゼロは約束しない」と言ってるだけで、「どんどん原発を作る」とも「調査なしで再稼働を実施する」とも言ってないんだよな。
護憲派って、「憲法を守る」とか言いながら、国民統合の象徴である天皇を軽視するわ、改憲条項に明記されてる国民投票法には成立そのものに反対するわ、到底「護憲」なんて言える連中じゃないよね。
大学出たての新入社員じゃあるまいに、あれだけ「最近の若者はー」と偉そうに講釈を垂れてる60超えてるような連中が「甘えんな。即座に実績を出せ」としか言えませんね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%B3%E6%9C%9F%E9%96%93_(%E5%A0%B1%E9%81%93)
ハネムーン期間(ハネムーンきかん)とは、政治において、政権交代直後100日は新政権に対する評価を避けるアメリカ合衆国の慣習。発足したばかりの新政権と国民・マスメディアの関係を新婚期間(蜜月)の夫婦になぞらえて名付けられた。1933年のフランクリン・ルーズベルト大統領が就任後100日程度でニューディール政策を導入して以来、政権交代に伴う大きな政策転換に必要な日数の目安として、キリが良いこともあり定着した[1]。アメリカでは2大政党による政権交代が幾度も行われた経験上、新政権が軌道に乗るまである程度の時間を要することを国民が理解し、容認していることからこうした伝統がある。[2]
日本では2009年の民主党による政権交代に前後して、新政権に対する厳しい評価を避けるハネムーン期間の存在がマスメディアによって幾度も指摘されている。また政権交代時の首相であった鳩山由紀夫は、政権発足後100日以上経過した2010年の首相年頭所感で「ハネムーンの期間は過ぎました。温かい目で見てくれとは、もう申し上げません。」と言及している。[3]
ま、有能・優秀な人材が集まるといいですね
東京都港区のホテルに設けられた民主党の開票センター。立候補者の名前が書かれたボードが用意されたが、あまりの惨敗からか、当選者名の横にバラの造花を付けるセレモニーは見送られた。
幹部らは代わる代わる壇上に上り、テレビの中継に臨んだが、政権交代の熱気に包まれた前回とは異なり、疲れは隠せなかった。細野豪志政調会長は代表選に質問が及ぶと「個人でどうこうというレベルではない」と厳しい表情。輿石東幹事長は会見で口を真一文字に結んだ。午後11時20分には、野田佳彦首相が会見し「痛恨の極み」と代表辞任を表明。その後は予定されていた幹部のテレビ出演もキャンセルされ、カメラが次々に撤去された。【長谷川豊】
前半太字部分、苦戦を知りながらも投票したり立候補した人達に対してこれほど失礼な事って無いと思うんだよね。
当選者にとって、自分の名前の横に飾られるバラの花は最も待ち望んだ光景だったはずなのに、みっともないからやめます、じゃああんまりだよ。
後半太字部分、敗北する自分達の姿をカメラから遠ざけようとするのも、端から見れば「しっぽを巻いて逃げた」としか受け取られない。
惨めな姿を敢えて晒し、歯を食いしばって捲土重来を期する、という事が出来ない。
思えば民主党政権はこの三年間、一事が万事こんな調子だったし、だからこそいざ政権与党になった直後、郵政選挙よりも無様な姿を晒す羽目になったんだろう。
総選挙の投開票日(12月16日)の夜にTBSラジオで放送された選挙特番(津田大介さん司会)を録音しておいて、1日後に聞いてみたら、社会学者の鈴木謙介さんが「ネット選挙解禁」論に関して興味深い話を、とてもわかりやすく語っていたので、それをテキストにしてみた。以下の文章は、「この国を動かすには?」というテーマに対して、鈴木さんが答えた収録メッセージを書き起こしたもの。
今回の選挙でも「ネット選挙解禁」の話題が取り沙汰されましたよね。「ネットで選挙活動をすることは公示後にできない」というのを解禁しようということで、いろんな動きがあったんですけど、今回も解禁はされなかったということですよね。
これについて思うことなんですけど、そもそも必要なのは、「公示後」にかぎらず日常的に政治の話をする環境作りじゃないか、と僕は思っているんですよね。要するに、もっと政治の話をしたり、もっと政治のことを考えたりする「足し算」の発想で政治を考えていくということが、重要だと思っているんです。
ところが、現状の選挙の規制というのは「引き算」の発想、つまり、「これはしてはいけない」とか、「ここまでやっていい」というような形で「引き算」で考えていくんですよね。
「これ、なんでなんだろう?」と考えると、背景にあるのは、情報が増えすぎてしまうと有権者が選挙や政治のことを判断できなくなるから、適当に間引いて情報を提供していかないといけない、という考え方があるんじゃないかと思うんですね。
でも、たとえば、TPPにせよ、財政にせよ、社会保障にせよ、もはや間引いた情報では判断できないくらい、複雑なものになってしまっている。だから、難しいからできるかぎり情報をシンプルにしてわかりやすくしよう、ということではなくて、逆に、ふだんから政治のことを考える、その情報を「足し算、足し算」していって考えるということが、大事なんだろうと思うんです。
具体的には、たとえば、オンラインで演説したり、政策討論をおこなったり、あるいは、政策解説をする人がふだんからたくさんネットの中にいる、というような状況を作っていくことのほうが、実は「公示後」にネットの選挙活動を解禁するだとか、それを見て有権者が判断するだとか、ということよりも重要なんじゃないかな、ということを感じました。
まあ、かなり頭は回るのは文章読めばわかるし、はてサと同列に扱うのはとても失礼だよね。