はてなキーワード: けもの道とは
おまえがどれだけ有吉の穴に突っ込みたいかの意気込みは充分に伝わってくるがもうすこし整理してくれ
まず千原ジュニアが多幸感というところから有吉が与えてくれる笑いが多幸感と繋げているようだが
千原ジュニアの例は「自分が笑いを人に与えている例」で有吉の例は有吉が与えている本人として得ている感覚ではなくそれを観た一般人の「笑いを得ている」反応予測だろ?
全然違う事だろ?
次に基本的にあっていることを可笑しくとか言ってるが基本可笑しいこととはありえない事を言ってるわけじゃないだろ
「熊がうしでピンクで道路の井戸が平原に繋がる花火の境界線に」
とか少しも面白くないだろ 今敏なら面白くしてくれるかもしれないレベルだろ
豚が空を飛んだら とか 飛ばないことを前提にしている 知っている あたりまえ あっていること を面白くするためにありえない話をつけている
有吉だって 「それってありえないことじゃないですか」とかいう 仮想のありえない話や それを自分にあてはめたときといったありえない話をつけるだろ
つまりchikirinが ありえる話 をしていて面白いと思っているならそれはあたりまえの風な顔をして言っている事が「ありえないこと」だと感じていて
それをさもありえるようにしていることが多幸感を感じるってことだろ?
トイレットペーパーの代わりに一万円札つかうんだよねー みたいな話は紙であることその価値があることをしっていてなおかつありえないシーンをつくる
それがふつうに言えちゃうって立場を想像する 想像できることをツボにしてるんだろ
未開の土地にすむ民族に一万円札わたしたら紙にされたって話と 根本的に違うだろ 結果が同じでも違う話だろ
自分の書いたことに隙を突かれると致命的だと自覚してコメント封鎖してるような人間の正論は楽しみ方としてそうあるべきだろうけど
反論が存在しないからこれは正論だって導き方はおかしくないか?
おもしろい話をしている人間っていうのは 基本的に話が聞きたいっておもわせる人間の話は「わかっていることを組み合わせて解らない形にしてくれている」事だろ
「あっていることをおもしろく短く言う」と感じるということは 基本的に大手メディアが流している潮流をかいつまんでるだけ その前後に俺はとか奴はとかつけたら論者っぽいってだけだろ
けもの道や道なき道を踏みしめて道にしていったり途中で怪我をしたり命を落としていった先人は「バカなやつだ無茶しやがって」といいのけ自分はその先人がつくった道の真ん中で正論らしきものを唱える
たしかに今ある道がどれだけ安全で安心かって宣伝するにはそれは充分な効果だしいま恩恵を受けているやつはそれに金をはらっても惜しくないと思うだろうよ
思考実験とか データに基づいた予想 とかいうのが面白いって話をする人間がいたとしたら その周りにいる人間の笑いのツボって 宗教に近い意味不明な欲求を持ってるじゃないか?
まわりを良く見てみろ
最後に政治家とか引き合いに出しているが 多人数が意見の集約として代表を選出する比喩だろうけど それはなにか代表や自分達のなにかを取りまとめてくれているという点がどこにあるんだ
たとえば
「連日の夜更かしで無免許運転したやつが子供を何人もひき殺すなんてのはどんな言い訳があっても許されるものじゃない」
とかいうのは誰がどういっても そのとおりだろ 俺がいっても俺に票があつまらないのはなんでだよ
それは先頭に「俺が思うに」が付いてないからだろ
その「俺」がどこのだれだか 明日はちがうハンドルネームになってたりとかしない 固定的なだれかであることが必要なんだろ
経歴や個性で変えよう変わりようがない人間 デブとかテレビの命令になんでも従ったことがあるとかいう固定的なキャラだからだろ
つまり言論のバックボーンをイメージで補正してるんだろ 保釈金みたいに「ここまで出したらさすがに逃げないだろ」って担保を感覚的に持ってるだけだろ
人が人を好きになるのはしょうがないことだしそれは個人差のあるもので どれだけ好きで何を貢いでもそれは個人の自由だし 好きにしたらいいと思う
この二年で、私の生まれ故郷は大きく変わった。
平たく言えば、完全に崩壊した。
もう戻ってこない。復興しない。
私の生まれは津波で被害を受けた。とはいえ、陸前高田市のような中心部ではなく、ギリギリの周辺部だ。
私も陸前高田市でボランティアをしていたから、あの惨状とは比べようもない。
物事が移り変わることは止めようがない。
いつも学校へ行くために通っていたけもの道、海辺の最早ひと気のない公園は津波に飲まれ、道は寸断した。
もうこれらに人が戻ることはないだろう。
私の生まれは古い古い集落で、番地より後ろの住所がないくらいだ。
新しい住人には古い祭りが受け入れられなかった。夜中に大太鼓を持って歩くような祭りは、今の感覚からは受け入れ難いものなのは理解に難くない。
そして人が死んだ。
しかし、その後の失業、家の立て直し、あるいはその後の人生に絶望したのだろうか、自殺する者、生きる気力をなくした者がちらほらいた。
連綿と続いた集落は失われた。
復興、という言葉があるが、これら失われたものを取り戻すことができるだろうか。
私にはできるとは思えない。
皆がもう昔ながらの村の付き合いはできないと感じていた。
私が懐かしむべき故郷はもう帰ってこない。
生まれ故郷に帰ると、涙が出てくる。景色は何もかも色褪せ、ゆっくりと死んで行くように見え、人にも気力がなくなった。
なのに懐かしさと悲しさを覚えるのは何故だろうか。
私は生まれ故郷にもう一度活気を取り戻したい。
元に戻す、ではなく、新しくつくる、が必要ではないだろうか。
私には何ができるのだろう。
二人とも「中卒のニート=役立たず」って前提は共有してるみたいだけど、はっきり言って「なめんな!!」って感じ。
この複雑で巨大なインターネットを粛々と動かしてるのはだれだか考えたことがあるのか?
少なくとも大多数の一般層や、一部のプロではないだろうし、けもの道を突っ走る夏の厨房でもないだろう。
匿名掲示板やSNSを動かしていくためには面倒なネット巡回や、粘り強い張り付き、創造性とは程遠い単純作業が必要とされる。
それを名もな中高卒のニートたちが黙々とこなしてきたらこそ、今のネットと言うのが成り立っているのだろうが。
現状に問題があり改善の必要があるのは確かだし、それは中卒のニートには出来ないことで、新しいタイプの人間が求められるというのはその通りだ。
かといって、歯車となる中卒のニート自体が不必要になるわけではないだろう。
人気コピペブログの管理人になった先輩は色々と制約があるなか、配られたアフィでうめぇ一杯の最善を実現しようと頑張っているし、いずれは飢え死んだり犯罪者になるであろうネトゲ大好きなニートの友人達は、それほど創造性は無いだろうが、しかしネットにとって決定的に大事な仕事を粛々とこなしていくのであろう。(一日何千回もの書き込みを行ったりね)
そのことをもう少し意識しても良いのではないかと俺などは思うのだがどうだろうか?
二人とも「高卒の低所得者=役立たず」って前提は共有してるみたいだけど、はっきり言って「なめんな!!」って感じ。
この複雑で巨大な現代社会を粛々と動かしてるのはだれだか考えたことがあるのか?
少なくともYouみたいな山師や、Youみたいな騒ぎ屋ではないだろうし、けもの道を突っ走るお調子者のYouでもないだろう。
コンビニ弁当や自動車工場を動かしていくためには面倒な肉体労働や、粘り強い折衝、創造性とは程遠い単純作業が必要とされる。
それを名もなき高卒の低所得者たちが黙々とこなしてきたらこそ、今の社会と言うのが成り立っているのだろうが。
現状に問題があり改善の必要があるのは確かだし、それは高卒の低所得者には出来ないことで、新しいタイプの人間が求められるというのはその通りだ。
かといって、歯車となる高卒の低所得者自体が不必要になるわけではないだろう。
ホームレスになった先輩は色々と制約があるなか、配られた配膳でお腹一杯の最善を実現しようと頑張っているし、いずれは派遣社員や期間工になるであろうパチスロ大好きな低所得者の友人達は、それほど創造性は無いだろうが、しかし社会にとって決定的に大事な仕事を粛々とこなしていくのであろう。(一日何千本ものビスを打ったりね)
そのことをもう少し意識しても良いのではないかと俺などは思うのだがどうだろうか?
没落エリートの出現―ビジネス社会から疎外される高学歴就職難民たちー - 女。京大生の日記。
404 Blog Not Found:学校ってバカを治療してくれんのか
二人とも「旧来型の学校秀才=役立たず」って前提は共有してるみたいだけど、はっきり言って「なめんな!!」って感じ。
この複雑で巨大な現代社会を粛々と動かしてるのはだれだか考えたことがあるのか?
少なくともDankogaiみたいな山師や、梅田みたいな騒ぎ屋ではないだろうし、けもの道を突っ走るお調子者の京大女でもないだろう。
行政や大企業を動かしていくためには面倒な事務仕事や、粘り強い折衝、創造性とは程遠い単純作業が必要とされる。
それを名もなき優秀な学校秀才たちが黙々とこなしてきたらこそ、今の社会と言うのが成り立っているのだろうが。
現状に問題があり改善の必要があるのは確かだし、それは学校秀才には出来ないことで、新しいタイプの人間が求められるというのはその通りだ。
かといって、歯車となる優秀な学校秀才自体が不必要になるわけではないだろう。
官僚になった先輩は色々と制約があるなか、配られたカードで精一杯の最善を実現しようと頑張っているし、いずれは弁護士や会計士になるであろう勉強大好きな学校秀才の友人達は、それほど創造性は無いだろうが、しかし社会にとって決定的に大事な仕事を粛々とこなしていくのであろう。
そのことをもう少し意識しても良いのではないかと俺などは思うのだがどうだろうか?
さあ語りなさい 見たものすべてを
怒りと悲しみ 表と裏を
明日はけもの道 この世の痛み 荒野に一人叫ぶ
この鼓動に名前を付けてくれ
待っているだけの 明日などいらない
忘れることで 生きていけるなら
寂しいじゃない 悲しいじゃない
あの時代に誰もが夢を
あの憧れに届くと信じてた
あの笑顔に囲まれていた
あの幸せにあなたの鼓動を聞いていた
巡り巡る四季の唄に耳を澄ませば
「帰れない」
この鼓動に名前 名前を
あの時代に誰もが夢を
あの憧れに届くと信じてた
あの笑顔囲まれていた
あの幸せに
あなたの鼓動聴いていた
人の世ほど悲しく
人の世ほど切なく
人の世ほどおかしい
人の世ほど愛しいものはない
読んだ。
この本に限らず、一貫して、もちおたんは優秀で勤勉な若者に向かって語りかけているのであって、この本で書かれているけもの道とかの話も勤勉で優秀だが大企業向きではない若者が大企業に依存せず軽やかに生きていくにはどうしたらよいかという方法論なのである。そこに当てはまらない、たとえばおれのような頭が悪くて怠けてばかりの若者に対しては何一つ提示してくれていないのであり、おれにはちょっと違うんだよな、というのが一読しての感想だった。
頭が悪くて怠けてばかりという若者は日本に沢山いるのであるが、この階層におけるもちおたん的存在というと誰なのだろう。「下流社会」の三浦展のようなひたすら分析してるだけの人は沢山いるけど違うし、「年収300万円時代を生き抜く経済学」の森永卓郎とか? でもそれも何か違う気がするのだな。「SPA!」でも読んでろって感じなのかしらん。まあいいや。