はてなキーワード: 行商人とは
○調子
はややー。
が、滅茶苦茶人がたくさん並んでてて、美味しそうなのはどこも長蛇の列だった。
並んでまで食べたいとは思わなかったので、空いてるところの「焼肉ハンバーグ」を買った。
が、さすがあれだけ人がいて並んでないのには理由があるクオリティだった。
一応擁護すると、お題目の焼肉部分はとてもよかったと思う、ただパンが、もう、こう、ストレートに言うと
その後、歩いて2時間ぐらいかけて、リンガーハットまで行ってきた。
ヘットヘトになったが、歩いて運動をして、野菜をたっぷり食べて、これで後はお風呂で瞑想すれば、もはや健康の権化といってもいいぐらい健康になれるのでは?
いや、1日だけしても意味なくて、習慣にしないと意味ないんだろうけどさあ。
帰りは電車でさっさと帰った。
○お便り返信
sugimurasaburo ナポリタンはベーコンですか?ソーセージですか?私はソーセージを薄く輪切りにしたのが好きです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/305425581/comment/sugimurasaburo
と衝撃を受けました。
いや、じゃあお前は今までどんなナポリタンを作ってきたんだよ? と聞かれそうですが、
http://www.nisshin.com/products/detail/4902110367348.html
これでパスタを炒めるだけの簡単なお仕事しかしてなかったのです。
なるほど、これはNQ(ナポリタンクオリティ)が低いと言われても言い訳のしようがないですね。
というわけで、ベーコンとソーセージを買ってきて、両方を試します。
ケチャップ味のベーコンって美味しいですね、薄いから味がよくしみてうまうまです。
Netflixで一期を全話視聴。
面白いね!
行商人の男の人と、豊作の神様的な狼の女の子が、イチャイチャしながら行商をするお話。
ラノベってこう、バトルとかど直球ラブコメとかばっかりなイメージがあったけど、こういう作品もあるんですね。
いろいろと日付で解禁されるイベントがあるらしいので、定期的に起動はしよう。
ノー課金。
○ポケとる
ふひひ、これを昔手に入れなくて辞めたので、今更ながら嬉しい。
こんだけEXを揃えてるだけに、楽勝だなあ。
http://himasoku.com/archives/51769232.html
この記事に寄せてちょっと書いてみる。
知り合いに対するインプレッションがかなり入っているので、あえて増田で。
親日国と言われるが、日本人というだけで親切にされるというのは流石に嘘らしい。
トルコ人的には、ヨーロッパの仲間入りをしているつもりで、「イスラム」や「アラブ」という言葉でくくると嫌な顔をする。
「政教分離してるし、そもそもアラブって「アラビア人の」って意味だからトルコと関係ないし!」
と。
自分の国だけが近代化=西欧化に成功して、他国は現代でもなお宗教に縛られてる全時代的な国家、と思ってる節がある。
トルコ国民という意識は強いが、トルコ民族という意識は弱い感じがする。
その悪魔合体が、オスマン人もトルコ人も何人もかに人も、みんなトルコの旗の下に団結したんだからっていう理屈。
「単一民族単一国家なんか古いよ。トルコ国民として団結しよーぜ。クルド人、いい加減にしろ。」
反米国家として有名だが、国民感情として一人ひとりがアメリカを嫌ってるというわけでもないらしい。
そもそも親米すぎることに宗教学者と軍部が先導してクーデターが起こして反米国家になったという経緯なので、好きと嫌いが入り混じった不思議な感じ。
公の場での宗教的な締め付けを厳しくしたゆえに、お楽しみはホームパーティーでっていうアメリカ的な文化。
国費留学生で日本にくるような人たちは敬虔なムスリムで、国費以外でくる人たちはその真逆の、ほぼアメリカ人て感じの「コカ・コーラとピザが大好きさ。ホームパテーティしてれば酒は当たり前だし」って感じの人。
なんで麻薬の売人として捕まるのはイラン人ばっかりなんだよ!って聞きたいけど、流石に面と向かっては聞けない。
イスラム以前のオリエント文化圏というのは、ほとんどペルシャ、つまり全部自分たちの功績!くらいに思ってる。
古代ギリシャすら、ペルシャの猿真似で、ヨーロッパもアジアも、期限はペルシャ、くらいに思ってる。
(たしかに世界史の教科書はギリシャをヨーロッパの文化的なオリジン扱いしすぎてると思う)
一緒にしないでくれ。」
「コーランって聖書とかと違って現地語に翻訳してなくて、当時のままなんだよね。1000年以上前の本で、しかも外国語だもん。寺の和尚さんだってサンスクリット語すらすら読めるわけじゃねーだろ。あんなもん一般人が読めてたまるか」
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
なぜならば、これは、いかなる仕事においても、成功するための最大の秘訣だからである。
腕力は楯を打ち砕き、人を殺すこともできるが、人の心を開くことはできない。これができるのは、目に見えない愛の力だけである。この愛の心をもって、顧客に接しえぬかぎり、私はただの行商人の域をでることはできない。私は愛をもって、私の最大の武器としよう。私に呼びかけられた客は、私の愛の力の前では、結局は、商品を買わないではいられなくなるにちがいない。
あるいは客は、私の説明に納得しないかもしれない。私の話をのっけから信じないかもしれない。私の着ているものを感じの悪い服装だと言うかもしれない。私の顔つきが気にくわないかもしれない。私との売買契約が、疑わしいと思うかもしれない。
しかしながら、どんなにかたく凍りついた地面も、やがては太陽の熱には溶かされてしまうように、私の愛は、人の心を暖め、開いてしまうであろう。
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
では、どのようにして、それを成しえるのか?
これより以後、私は、すべてのものを愛の心をもって見ることにしよう。そして、私は生まれ変わるのだ。
私は太陽を愛する。それは、私の骨の髄まで暖めてくれるがゆえに…。また、私は雨を愛する。それは、私の心を洗い清めてくれるがゆえに…。私は光を愛する。それは、私の行く手を照らしだしてくれるがゆえに…。また、私は、暗闇さえ愛する。それは、私に星の輝きを見せてくれるがゆえに…。
私は喜びを歓迎する。なぜなら、それは私の心を広げてくれるからだ…。しかし、また、悲しみにも耐えよう。なぜなら、それは私の魂を開いてくれるからだ。
報酬は当然、私に支払われるべきものだから、私は喜んで、それを受け取ろう。しかし、障害も、それは私がその仕事に挑んだゆえに、生じたことだから、同じく喜んで迎えいれよう。
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
しかし、どのような言葉を持って話しかければよいのか?
私は私の敵をたたえよう。これによって、彼らは私の友となろう。私は友を力づけよう。そうすれば、友は私の兄弟となる。つねに、私は、彼らをたたえるべき理由を探すべく努めよう。けっして、彼らの悪口をかき集めるようなことはするまい。
他人を非難したくなったら、私は自分の舌を噛もう。その反対に、人を褒めたくなったら、私は屋根の上から大声で叫ぼう。
鳥や、風や、海や、そして、大自然のすべてが、彼らの創造主を褒めたたえる音楽を奏でているではないか。そして、人びとも同じく、創造主が創りたもうたものである。その創造主の同じ子らに向かって、私も音楽を奏でることができないはずがない。
これ以後、私は、この秘密をけっして忘れることはない。そして、この秘密が私を変えるのだ。
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
それには、どのように振るまえばよいのか?
私は、人びとの行為をすべて愛する。人の行為には、たとえ表面からは見えなくても、すべての人に、褒めたたえられるべき性質のものが秘められている。
私は、愛の力をもって、彼らが心のまわりにはりめぐらした不信と憎しみの壁を崩し去ろう。そして、その場所へ、私は丈夫な橋をかけよう。そうすれば、私の愛は、そこを渡って、彼らの魂の中へ入っていくにちがいない。
私は野心家を愛する。なぜなら、彼らは私を勇気づけてくれるからである。私は失敗者を愛する。なぜなら、かれらは私に教訓を与えれくれるからである。私は王様を愛する。なぜなら、彼も等しく同じ人間だからである。私はおとなしい人を愛する。なぜなら、彼らは神のように謙虚だからである。私は富める者も愛する。なぜなら、彼らは孤独であるから。私は貧しい人も愛する。なぜなら、彼らは、この世の中にいちばん多くいるからである。私は若者を愛する。なぜなら、彼らは若々しい信念を抱いているからである。私は老人を愛する。なぜなら、彼らは歳月のもたらしてくれた知恵をもっているからである。私は美しい女を愛する。なぜなら、彼女らの眼には、悲しみがたたえられているからである。私は醜い人を愛する。なぜなら、彼らの瞳に宿る平和と静けさのゆえに。
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
しかし、私は、人々の行いに対して、どのように対応すればよいのであろうか。
その答えは、ただの一語をもって答えられる。「愛をもって」この一語である。ありは人の心を開くための武器である。同時に、他人からの憎しみの矢や、怒りの槍をはね返す楯でもある。災難や失意が激しくこの楯を乱打しても、やがては、春雨のように力を失ってしまう。この楯は市場では私を守ってくれ、一人いるときは、私の心の支えになってくれる。失意のときは泰然、得意のときは冷然とさせ、心の乱れを鎮めてくれる。
楯は日を追うごとに強力になるが、やがては、その楯さえ、私は必要としなくなる。私は、その楯をかたわらへ放棄し、あらゆる武器を持たないまま、世間の人びとの中へ入っていくことができるようになる。そのときこそ、私の名前は、ピラミッドより高くたたえられることだろう。
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
しかし、私は、はじめて出会う人びとに対し、どのように接すればよいのであろうか?
方法はただ一つである。無言のうちに、心の中で、私は彼に近寄り、そして、「私は、あなたを愛している」と呼びかける。この言葉は、沈黙のうちに語られるが、しかし、それは、私の眼の中で輝き、私の額のしわをぬぐい去り、私の唇に微笑をもたらし、私の声の中にこだまする。そして、この時、はじめて彼の心が開かれるのである。
心がすでに、私の愛で開かれているのに、私の商品を拒みえる者がいるだろうか?
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
私は、何にもまして、自分自身を愛する。
そして、つねに私自身を知りつくすべく努めよう。私の肉体の一部と化した、精神、魂、心のすべてを知りつくすのだ。
私は、自分の肉体の要求に、そのまま溺れることなく、清潔さと適正さをもって、その要求にやさしく応えよう。私は、私の精神が、邪悪なるものや絶望的なるものに引きつけられることをけっして許さず、むしろ、それらを、長い間に培った知識と叡知をもって、高い境地にまで昇華させよう。
私は、独りよがりな自己満足に陥ることなく、瞑想と祈りによって、自らの魂を高めていこう。
私は、自分の心が狭く、冷酷になるのを許さない。人々と、愛を分かちあい、寛容の心を成長させ、世界が暖かい友情で包まれるのが、私の望みである。
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
今より、私は全人類を愛する。今この瞬間より、すべての憎しみは、私の血管から除かれる。なぜなら、もう私には、愛する時間はあっても、憎む時間はないからである。今この瞬間より、私は男の中の男になるべく、その第一歩を踏みだす。私は、愛をもって、売り上げを百倍にも増やし、偉大な商人になってゆくのである。
たとえ、私には何の長所がないとしても、案ずるには及ばない。愛さえあれば、成功への道は必ず開けるのである。愛がなければ、あらゆる知識や技術をもっていようと、きっと失敗することだろう。
今日この日を、私は、心からの愛をもって迎える。
そして、私は成功する。
1匹のきつねが、ある高級葡萄畑を見つけました。
その畑には、大粒でつやつやした、いかにも高級そうな葡萄がたくさん実っていました。
あまりに美味しそうだったので、空腹だったきつねは、立ち入り禁止の柵をくぐり抜けて畑にこっそり忍び込みました。しかし、実がなっているのははるか上方で、どれだけ頑張って跳んでも全く届く気配がありません。
きつねはそう自分に言い聞かせて、諦めて畑を出ました。
しばらく歩くと、また別の葡萄畑がありました。
近寄ってみると、さきほどの畑ほど高級ではないものの、それでも十分熟して美味しそうな葡萄がたくさん実っていました。
しかも、それほど背丈の高い木ではないため、跳べば簡単に届きそうです。
「いらっしゃいませ、どうぞお入り下さい、入場料は1000ペリカです」
と係員が声をかけてきました。
きつねが自分の財布を確認すると、ちょうど1000ペリカ持っていました。
しかし、さきほどの高級葡萄を見てしまったあとでは、どうもこの畑は見劣りします。平凡な葡萄のために全財産をはたく気にはどうしてもなれず、中に入るのはやめました。
次第に空腹感は我慢できないほど強くなり、大変イライラしながら歩いていました。すると、声をかけてくる行商人がいました。
「お客さん、葡萄いらんかね?」
見てみると、かごの中には傷がついたり虫食いの跡があったりする葡萄が入ってました。
「見た目は悪いけど、味は美味しいよ。傷ものだから300ペリカにまけておくよ」
きつねは、「俺をバカにするな」と行商人につばを吐きかけ、その場を去りました。
きつねの空腹感は、もはや限界に達していました。
このままでは、もはや長距離を歩くこともできず、死んでしまいそうです。
すると目の前に、さきほど通り過ぎた1000ペリカの葡萄畑が現れました。
空腹感も手伝って、最初の高級葡萄ど比べても見劣りしないほど美味しそうに見えました。
ところが、なんということでしょう。
あまりにも空腹すぎて身体に力が入らず、跳ぶことができません。
元気な時だったら間違いなく美味しい葡萄にありつけたはずなのに、手を伸ばしてももう少しのところで届かないのです。
それでも、力をふりしぼって跳ぼうと何度も試みましたが、体力を消耗するばかり。
やがて、手を伸ばすことすらできなくなりました。
薄れゆく意識のなかで、きつねは思いました。
ああ、やっぱりこれもすっぱい葡萄だったのだ、と。