わかる
超わかる
何で生きてるんだろ、もう今死んでよくない?って毎日思ってた時期があった
満員電車の中で、行き帰りに阿澄佳奈のラジオを聞いてなんとか命を保ってた
今は、当時そんなこともあったねってくらい割と楽しい
人によっていろいろ違うとは思うけど
社会人になって忙しくなって、新しい事しなくなるようになって
楽しみ方を忘れてたって気がする
どんどんとやってった方が良いと思うよ
どうせ死ぬのはいつか死ぬんだし、だったら楽しいと思えることを
たくさんしておかないと損じゃない?って考えるようになった
俺の場合、心の底から楽しめる最初の1つ見つけるまで大変だったけど
見つけてからはそこから派生して、どんどん楽しめることが見つかったなあ
ただ確かに当時、最初に動きだすまでが大変だったし、その気持ちもわかるから
なんだそれって思うかもしれない…
なんとかしないとって思えてるうちに、なんかした方が良いと思う
タイトルは釣り。
尊敬する東浩紀(id:hazuma)が、コロナ対策に関しては意見がおかしい(あるいは全てわかった上で相当過激なことを主張している)と感じたので、書いた。要するに「医療体制が拡充されないのはおかしい。そのせいで皆が苦しんでいるのだ」みたいな主張に対する違和感ね。
コロナ禍が始まって一年以上が経過し、いろんな国がいろんな対策をやって、その結果もはっきり見えてきた。結論から言うと、日本は「感染対策」と「自由」を両立させた唯一の国だ。日本以外の国は、
のどれかであって、日本のような「自粛」でやり過ごしている国は存在しない。このことを日本のリベラルは喜ぶべきだと思う(皮肉ではなく)。日本以上に自由を大事にした国は存在しない。
(自粛であっても不自由を強いられているという人もいるかも知れないが、強権的ロックダウンと比べてマシなのは議論の余地がない)
なぜ、日本だけがそんな事が可能だったのか? それは、日本という国が「強権的なことができない国」だからだ。
もちろん、(アジア諸国と同じように)生活習慣のおかげか、あるいは未知の要因(ファクターX)のおかげか、感染拡大のスピードが比較的ゆるいことも重要な要素だ。しかし、一番の要因は、「日本は良くも悪くも強権的な事ができないから」だ。日本だろうが世界だろうが、「もっと強権的にロックダウンすべき」という意見は、(リベラル知識人も含めて)たくさん出てくる。が、日本ではそれが実行されない。なぜか? それが制度的にも文化的にも無理だからだ。もちろん、これは良いことばかりではない。「強権的なことはできない」おかげで、医療体制を急に変えたりはできないし、ワクチン接種のスピードを劇的には早めることもできない。しかし、それが「日本という国」なのだ。
「ロックダウンは嫌だ」でも「1年もあったのだから、医療体制を欧米並みに組み替えるべきだったし、ワクチンももっと早く打てるような体制をつくるべきだった」というのは、明らかに矛盾しているのだ。この矛盾を回避する論理があるとしたら、それは「医療従事者は強権的に従わせるべきだが、他の一般人は自由にやらせてくれ」ということに落ち着かざるを得ない。そんなことが許されるだろうか?
もしも仮に、このコロナをきっかけに、「医療体制が一年で組み換えられる」ような国になるような奇跡が去年起きていたとしたのなら、日本という国がうまれ変わっているのであれば、強権的なロックダウンも可能になっているし、またすでに実行されているはずなのだ。
仮に、日本がずっと「強権的にロックダウンをするのに、医療体制が全然変わらない」ような国であれば、「なぜ医療体制が変わらないのだ」と批判されるべきだろう。だが、実際には日本という国は「自粛で感染抑制。医療従事者の自主性でコロナ治療。」なのだ。
以下は蛇足。
(例えば中国やニュージーランドのように)強権的にロックダウンして、感染を抑制できた国のほうが自由なのでは? と思った人もいるかも知れないが、それはその通り。実は、新型コロナ対策は、「感染対策vs自由」の綱引きではない。実際には、「短期的で強い不自由vs長期的で弱い不自由」の綱引きである。日本という国は短期だろうが長期だろうが「強い不自由」の状態を実現できない国だということ。
また、仮に医療体制を拡充できたとしても、それによって稼ぐことができる日数は驚くほど少ない。感染拡大は指数関数的事象だからだ。もしも日本の医療が今の数十倍の感染者数に耐えられる様になったとしても、それで持ちこたえられる余分な時間は、甘めに見積もってもせいぜい一ヶ月。それも一回きりしかその効果はない(ロックダウンの回数分だけ得すると思っている人は勘違いしている。実際には最初の一回しか時間を稼ぐことにならない。結局増えた分を減らすのにも時間がかかるため)。しかも、その一ヶ月は所詮「感染に怯えながらの一ヶ月」だ。(追記:https://anond.hatelabo.jp/20210104123854 が図付きで、これらの点をわかりやすく説明してくれている。)
さらに、仮に、医療体制を拡充した場合、(一見直感に反するが)、犠牲者の数はむしろ増える。これは、日本を含む非ゼロコロナの国(欧米など)のコロナ対策が「医療崩壊するかどうか」を基準にしているため。要するに、「医療崩壊しそうになったら、強権的ロックダウンや、国民の自粛・忌避感によって感染を抑え込む」というサイクルを繰り返しているので、コロナの犠牲者数は大まかには、医療キャパシティの大きさに比例する。
悲劇的な死を迎えたホームレスの女性がどんな人生の果てにホームレスになったのかよりも、路上のホームレスを殴る46歳男性がどのような人生を送ったためにそのようになってしまったのかの方が調べられるべきではないのか
弱者男性だって年収1,000万、身長170㎝以上、大卒、キレイ目の30代男性になって介護が必要な両親ぶっ殺したら結婚できるよ
確かにオンラインで実録漫画を描いてる発達女性のこともあるけど
実社会で接する発達障害の子を抱える親の暗黙の了解ってやつなんだな
男の子の就業についてはそうとう頑張らないとヤバいしいい人もできないとものすごいシビアに考えてる
女の子の親はこの点全体に甘い
たしかにその一面はある。人気のある私立大学は入試をうけられる会場を用意するのにも費用がかかる。
とはいえ、コロナでそういった「人が集まる」系の行事は軒並み中止されて、授業だってオンライン化されているのに、今まで通り金を取るのはおかしいというのも一理ある。
さらにいえば、
そもそも日本全体が貧困化して少子化しているのに入試受験料も高く、
アカデミズム全体の首を締めているということにもなる。
その第一歩として入学権利保管料としての入学金制度はやめて、必要な費用はしっかりと授業料なり国への補助金に転嫁していくべきだとおもう。