都心に勤める人にとって長傘は不要なのでは、むしろ害になるのではないか。
そもそも、都心勤めの人のほとんどは長時間雨にさらされる機会が少ないはずだ。雨を避けなければならないわずかな時間だけのために、後生大事にあの邪魔な荷物をずっと持ち歩くのはなぜなのか。雨が降るときは長い傘が必要だというのは思い込みなのではないか。それとも、雨が降るとわかっているときや雨がすでに降っているときには何も考えないで長傘を持って行き、折りたたみ傘は別の備えという考えなのだろうか。
長い傘は満員電車ではとても邪魔だ。それに危ない。人混みの中でも邪魔だ。歩きながら手を振る動作と一緒に傘を振り回す人もいる。前後のスペースが大して確保できない場面で、はっきり言って邪魔だし危ないし迷惑だ。階段などでこれをやられると自分の機嫌によっては殺意すら覚える。
そんなに長い傘が必要なのだろうか。折りたたみ傘をたたむのが面倒だから?長い傘をずっと持ち歩くほうがよっぽど面倒ではないか。
折りたたみ傘なら、水を切って、折りたたんで、袋に入れて、カバンに収めれば両手も空く。電車の中などに置き忘れることも減るのではないか。煩わしい荷物に頭のリソースを取られることもなくなり、ほかのことに集中できる。
激しい雨が降ったら折りたたみ傘ではあまり役に立たないのではないか、と考えてる人もいるかもしれない。でも、激しい雨のときはどっちにしても濡れるのだ。折りたたみだろうと長傘だろうと。
とにかく、長傘にこだわるのはデメリットのほうが大きいとしか思えない。それなのにこの狭い日本の都心で長い傘を持ち歩く人がこれほどまでに多いことが、不思議でならない。
こういう風に騒ぐ人に限って、飼える環境になるとすぐ飽きて面倒見なくなる気がするんだけど気のせい?とりあえず猫を飼っている友達の家に遊びに行ってみるとか、保健所とかで里親を探している猫を見に行ってみるとか予行演習をした方がよろしいかと。可愛い時期の子猫ばっかり置いてあるペットショップはNGだと思う。
生で舞台見るまでは「顔ハッキリ映るしライビュとかDVDで充分」って思ってたけど、生の舞台を摂取してしまった今ではもう生じゃなきゃあまり興奮や躍動感を感じなくなってしまった
何か特別なパワーでも出てんだろか
交通費タダにならねーかな
はて
https://www.benvitec.be/sites/default/files/webform/job-cv/iwata-kawasaki-terebi-hoso-livestream.pdf
を
結局、「はてな村の精神科医」をみずから名乗りながら、精神医学とはまったく何の関係もないブログを書き続けていた人のせいで、はてなーのリテラシーが極度に低い状態が放置されてるんだよな。
どうにかならんかね、この現状。
障害年金の申請って結構めんどくさいのでそれなりにやる気が必要。
診断書は実際に就労困難な状態あるいは無職なら嘘にはならない範囲で重く書いてはくれるだろうけど、診断書の他に申請者自身が書く書類もある。
発症した年齢、その後の経過がどうだったか、どういう治療をしてきたか、現在の状況はどうかなどを書く。
自分の場合はトラウマになっている小学生のころのエピソードとか(自分の場合は最初の発症年齢が小学生ということになった)、過去にやった心理検査の結果だとか、ずっとやってきたカウンセリングの話とか、ずっと死にたい状態が続いているとかを結構詳しく書いた。医師の診断書と矛盾があってはいけないのでその辺はしっかりと話をしておかなきゃいけない。
でもこういうこと全部一人ではできなかった。そもそも区役所行って意思表示するってことが難しいし。区役所には母に行ってもらった。「難しいと思います」とかなんとか、申請を取り下げるように促されたみたいだけど、母はそんなの気にしない人なので押し切った形。自分一人で行ってたらそこで諦めてただろうな。
年金は1-5年更新で人によって違う。自分の場合は5年更新で今年がその年。ちょっと前から短時間バイト始めたので更新は難しいかなと思ってる。まあでも5年分はもらえたのでとても助かった。とくにカウンセリング料金が高いので。
私も似たような考えで、一度結婚しましたが離婚しました。歳を取ってくると、配偶者がいないということで肩身が狭い思いをするときもありますが、家事や義両親・義理親族との付き合いに無駄な時間を割かれるのが非常に苦痛だったので、まぁ何かを捨てればその代わりにあきらめなければいけないものもあるのだと思っています。
特に育児は自由やお金を奪われるという点で、私にとっては絶対やりたくないものでした。実際に子供がいる人の話を聞くと、「大変だけど楽しいよ」みたいなことを言われるのですが、一時的に機嫌が良くて人懐こい子供の相手をするならともかく、365日24時間ワガママいったりギャーギャー騒いだり親の望むとおりに動いてはくれない生き物の面倒を見るなんて想像するだけで頭痛がします。
あまり友達とかが多くないので、寂しいときはありますが、両親が健在で元気にしてくれていることもあり、お金や時間を自分の好きに使えるということはやはり贅沢だと思います。
結婚や子どももそうじゃんじゃない? 実際そうだって語る人もいれば後悔してる人もいるし。
元増田は少なくとも隣の芝を確認する程度には今の人生に迷いがあるんでしょ。
まぁあとは自分で考えたらいいとおもうけど。
根本的な問題は「発達障害者」に対する有効な支援体制が整っていないということなんだろうなというのは分かる。
本当なら精神障害者手帳でなく専用の手帳を作って最適化された支援をやればいいんだからなあ
より難しいのはその「最適化された支援」というものが当事者によって一人一人違うというところなんだよな…
どうすればいいんだ?
むさ苦しそうな誰得感あるな。
はて
いいじゃん言ってくれた人いるんだから