どこの誰がやってもしょうがない、なんてこと言ったの?
っていう論調が理解不能。
しょうがないっていうのは違うよね。それ言ったら、
轢き殺してもしょうが無い。」みたいなのと大して変わらない。
個人が簡単にアクセスできるっていう所が
話じゃないと思うんだな-。おそらく漏らしたやつ
金に困ったら、同じようにばら撒いてるんだろうし。
「~しなさいな」「~したらいい」などと他人に向かって発言するのはおかしいというか、余計なお世話でしょ?っていってるんだけど。
自由なら。
「根拠や前提の精査が出来ない、論証が成立していない主張」
例「私の発言は一般的だ」等が
これが何で「赦した方がいい」という話に繋がるの?おかしくね?
「赦す」以外には特に反論は無いんだけど、そういうロジックならむしろ「赦さなくていいから自分の道を歩んでください」とかの方が適当だと思うんだけど
意図的に殴ってきてるのかどうか判断が微妙なケースで一応言ってみる、とか
いろんなケースが想定できるだろ
まぁ思うだけなら増田の自由だけど。
暇つぶしがしたいにしても勝てるところにつっかかっていけばいいのに、
どこに「つっかかっていけばいい」かはつっかかる奴の自由でしょ?
バカかどうかを置いといても。
…つか、いったん「自由」って認めたのに、何をぐちゃぐちゃ言い募ってんの?
自由なんでしょ?
「暇つぶしがしたい」の?w
チビ・ハゲ・ワキガと三拍子揃った両親の特性を華麗に受け継ぎ、
あらたなる悲しみの感染源として生を授けられた事を今でも恨んでる。
俺は絶対に子供を作らない。
もうこんな惨めな思いをするのは俺たちの代で終わらせなくちゃいけないんだ。
「児童虐待はしてはならない?」って質問がひとつの踏み絵っていうか 基準になる気がした。
「絶対にしてはならない!」って人とは可能な限り関わりたくない。
「なるべくするべきではない」って人ともそっと距離を取りたい。
「虐待してもよい」「虐待を我慢する必要は無い」そこまで言い切れちゃう人は ちょっと微妙。
「絶対してはならないというわけではない」「参考として考慮する」の人とお友達になりたいです。
「児童虐待してはならない」なんて幻想、なんで信じてられるんでしょうねー。決められた過程も曖昧なら 遵守したときの効果だって曖昧。
もしくは「子どもは大切にしましょう」って”大きな声”に無頓着に流されてしまう人なのか。
「児童虐待しなかったから子どもがグレてもオレのせいじゃねー社会とか学校が悪い!」って責任転嫁したい人の可能性もあるのかな。
教科書だって法律だって先生だって政治家だって間違うときはあるんだよ。だって人間だもの。
話が噛み合ってないけどちゃんとその増田読んだ?それとも読解力ないのか?
これは道徳の問題ではなくて合理的判断として、あなたは親を赦した方が充実した日々を送れると思う。
子供にとっての親は長らく絶対的な存在だけど、大人になれば相対化できるし、していいし、した方がいい。
その上で自分の親は尊敬に値しないとか、むしろ軽蔑すべきとか、一人の他人として評価して下さい。
その親に育てられたおかげで自分の人生とか人格が理想的なものとほど遠くなってしまっていても、それは彼らの能力が足りないだけで悪意があってした事ではありません。
赦してあげて下さい。
そしてあなたは親とは精神的に決別し、自分の幸福を自分の能力によって追求して下さい。
ご多幸を祈ります。
about CGM
消費者って、ソフトウェア「初音ミクを」などの購入者、ユーザー。イラストレーターでもフォトショップでもいいんだけど。
消費者じゃないじゃん。製作者じゃん。そりゃ、大工もトンカチ屋さんからすれば消費者なんだけど、普通は製作者でしょ。
家とか作るんだし。
ミュージシャンも、楽器メーカーからすりゃ、消費者だろうけど、製作者ってイメージのほうがよっぽど強いよね。
飯が食えるかどうか、プロかアマかは別として、作ってるんだったら製作者だろ。
日曜大工が趣味の人間が製作者っていうイメージは弱いけど、単純な消費者じゃないよね。
ディアゴスティーニとかを買って作る人は製作者じゃなくて消費者だろうけど。
キットを作ってるだけなら消費者かもしれない。プラモデルとか。
そこに改造を加えていくような人は、単純な消費者っていうイメージが薄れていく。
アニメのワンシーンをジオラマで再現してるような人は、製作者じゃないかな?
たぶん、「『消費者』が作るメディア」っていう言葉の「消費者」という言葉。
そこに強く違和感を覚えて気持ちが悪いんだろうな。