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はてなキーワード: 真理とは

2009-01-28

http://anond.hatelabo.jp/20090128135029

単なる主張をもっともらしくしただけのものなのに

永遠不変の真理であるかのような装いをしているところがな

それでも

真実というのはどこかにあると思ってはいるのだがね

寓話ってのは安い安すぎる

2009-01-25

雑文

死にたくないなああ最近。そして恐ろしいところは!死にたくないと思いつつ自分が死ぬとは全く思っていないところです!!あれだよねーなんか色々言うけれど、なんかそれ死なない前提で言ってないかお前みたいなときあるよ。いや死ぬよ!どうすんの! ただ、なんだかんだ言っても、みんなは死ぬけど俺は実は死なないんじゃないか説が今のところかなり有力らしい。俺の中では……。考えると発狂しそうなんだよねえー全く発狂はしないんだけど、発狂しそうと書くことによってしか表すことの出来ない感情ってあるじゃん

それはそうと、ウタダヒカルの曲に「誰かの願いが叶うころ」って曲があるでしょ。俺はあの歌詞の論理がすごい好きダ!!!!!!!!!私の願いが叶うころ、誰かが泣いているけど、自分幸せ願うことはワカガマじゃないでしょってさ。そりゃそうだよ!!!!!この、かといって開き直っているわけではなくて、っていうこの感じは真理だよ。

要はイエモンの「ニュースキャスターはうれしそうに乗客に日本人はいませんでした」も同じ論理なわけだよ。糾弾してるとかそういうわけじゃなくて、そういう事実があったときどう思えばいいだろうっていうね。もうよくわかんねえからそんな夜は君に会いたいっすっていう単純かつ素敵なラブソングなけわけじゃん?それを捕まえて偽善だとか勘違い甚だしい時代遅れ解釈を晒しているバカはしんでくれ!!!!

以上です。さようなら

2009-01-23

Re:ニット乳はなぜエロい

まず第一に論じておきたいのは、ニット破壊力がどこから創出されているかという点である。これは、誤解のないように確認しておきたいが議論の余地無く、『おっぱい』から来ているに他ならない。

ニットおっぱいを強調するからニット存在価値があるのであって、おっぱいおっぱいによるおっぱいのためのニットなのである。決して、「体のラインが出る」からではない。「おっぱいのラインが出る」からなのである。そこを間違ってはいけない。これは歴史を紐解けば自明真理であるから、今回は議論を割愛する。

さて、ニットで何故おっぱいが強調されるのか、これについて考えてみよう。

ニットの素材は伸縮性に優れている。ニットおっぱいにぴったりと密着することがうらやましいのはおいておいて、おっぱいのラインを強調し可視化するのは見逃せないニットの特徴だ。

さて、ここで、おっぱい、いや、ニットにもう少し近づいてよく見てみよう。何かお気づきになることはないだろうか。そう、ニットは生地の方向性を際立たせるのである。毛糸やその他の素材が、多くは縦方向にラインを形成して上から下におっぱいをなぞらえている。おっぱいの豊かな隆起部分では、そのラインは大きく引っ張られて彎曲し、おっぱいの形に添って神々しいばかりの曲線を描いている。

そう、このラインこそがニットの最大の武器なのである。

隆起に沿って彎曲を形成するラインは、まるで等高線のように視覚的に隆起を強調する。これによりおっぱいの隆起を視覚的に認識しやすく、かつ、目の錯覚も伴って存在感を否が応にも増大させるのだ。この効果によりおっぱいは水を得た魚のようにニットの下で自己主張するのである。

おわかりいただけたであろうか。

おっぱいは偉大であり、ニットも偉大であることが。

http://anond.hatelabo.jp/20090123154237

2009-01-21

毎朝読対訳:就任演説(9)

http://anond.hatelabo.jp/20090121155728

 Our challenges may be new.

(M)我々の試練は新しいのかもしれない。

(A)私たちの挑戦は新しいものかもしれない。

(Y)我々の挑戦は新しいものかもしれない。

 The instruments with which we meet them may be new.

(M)それに立ち向かうための道具も、新しいかもしれない。

(A)立ち向かう手段も新しいものかもしれない。

(Y)我々がそれに立ち向かう手段も新しいものかもしれない。

 But those values upon which our success depends - hard work and honesty, courage and fair play, tolerance and curiosity, loyalty and patriotism -

(M)我々が成功するかどうかは、労働と誠実さ、勇気、フェアプレー、忍耐、好奇心忠誠心愛国心にかかっている。

(A)だが、成否を左右する価値観は、勤労と誠実さ、勇気と公正さ、寛容と好奇心、忠誠と愛国心、といったものだ。

(Y)しかし、我々の成功は、誠実や勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心忠誠心愛国心といった価値観にかかっている。

 - these things are old. These things are true.

(M)古くから言われていることだ。だが、真実だ。

(A)これらは古くから変わらない。そしてこれらは真理だ。

(Y)これらは、昔から変わらぬ真実である。

 They have been the quiet force of progress throughout our history.

(M)それは歴史進歩させた静かな力だった。

(A)私たちの歴史を通じて、これらは前に進む静かな力となってきた。

(Y)これらは、歴史を通じて進歩を遂げるため静かな力となってきた。

 What is demanded then is a return to these truths.

(M)今求められているのは、こうした真理への回帰だ。

(A)必要なのは、こうした真理に立ち返ることだ。

(Y)必要とされるのは、そうした真実に立ち返ることだ。

 What is required of us now is a new era of responsibility -

(M)責任を果たすべき新たな時代だ。

(A)今私たちに求められているのは、新たな責任の時代だ。

(Y)いま我々に求められているのは、新しい責任の時代に入ることだ。

 - a recognition, on the part of every American, that we have duties to ourselves, our nation, and the world, duties that we do not grudgingly accept but rather seize gladly, firm in the knowledge that there is nothing so satisfying to the spirit, so defining of our character, than giving our all to a difficult task.

(M)我々米国人一人ひとりが、自分自身や国家世界に義務を負っていることを認識し、こうした義務を嫌々ではなく、喜んで受け入れることだ。私たちにとって、困難な仕事に全力で立ち向かうことほど、自らの性格定義し、精神をみたすものはない。

(A)それは、一人ひとりの米国人が、私たち自身や我が国、世界に対する責務があると認識することだ。その責務は嫌々ではなく、むしろ困難な任務にすべてをなげうつことほど心を満たし、私たち米国人を特徴づけるものはないという確信のもとに、喜んで引き受けるべきものだ。

(Y)米国民一人ひとりが自分自身と自国、世界に義務を負うことを認識し、その義務をいやいや引き受けるのではなく喜んで機会をとらえることだ。困難な任務に我々のすべてを与えることこそ、心を満たし、我々の個性を示すのだ。

 This is the price and the promise of citizenship.

(M)これが市民であることの代償と約束だ。

(A)これが市民であることの代償と約束である。

(Y)これが市民の代償であり約束なのだ。

 This is the source of our confidence - the knowledge that God calls on us to shape an uncertain destiny.

(M)これが私たちの自信の源泉だ。神が未知の運命を自らの手で形作るよう、我々に求めたものだ。

(A)これが、不確かな行き先をはっきりさせることを神が私たちに求めているという、私たちの自信の源でもある。

(Y)これが我々の自信の源なのだ。神が、我々に定かではない運命を形作るよう命じているのだ。

  This is the meaning of our liberty and our creed - why men and women and children of every race and every faith can join in celebration across this magnificent mall, and why a man whose father less than sixty years ago might not have been served at a local restaurant can now stand before you to take a most sacred oath.

(M)なぜ男性女性子供たちも、どのような人種宗教の人々も、こうして就任式に集まることができるのか。なぜ約60年前なら地元レストランで給仕されなかった可能性のある男の息子が、こうして皆さんの前で宣誓式に臨むことができるのか。これこそが、我々の自由、我々の信条意味なのだ。

(A)これが、私たちの自由と信念の意味だ。なぜあらゆる人種信仰男性女性子供がこの広大な広場に集い、共に祝えるのか。そしてなぜ、60年足らず前だったら地元レストランで食事をさせてもらえなかったかもしれない父を持つ男が、(大統領就任の)神聖な宣誓のためにあなたたちの前に立つことができるのか、ということだ。

(Y)これが我々の自由と信条意味なのだ。なぜ、あらゆる人種信条の男女、子どもたちが、この立派なモールの至る所で祝典のため集えるのか。そして、なぜ60年足らず前に地元食堂で食事することを許されなかったかもしれない父親を持つ男が今、最も神聖な宣誓を行うためにあなた方の前に立つことができるのか。

2009-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20090120171016

そうか!『朝日小学生新聞』は『朝日小学生(が書いてる)新聞』だったのか!

やべー真理に到達してしまった。

2009-01-12

創価学会の罰論はよくできている

創価学会をやめると「不幸になる」とか 「地獄に落ちる」とか、言われます。では、実際に何が起こったのか、書いてみます。ちなみに自分は、ばりばりに学会活動をして、担当部員さんを持っていた時期もありつつ、ある日学会をやめることにして、約3年経ったところ。

罰論がなぜ存在するのかというと、活動の指針となっている御書にそう書いてあるそうで、周りにその理由を深く考えている人はいませんでした。現在は、組織の都合上、脱会ストッパーという役割を果たしてしまっているかもしれませんが、言い出しっぺの人は、そういう深い理由も無く、これと決めて、一生懸命信じている人生の全ての真理から、外れるなんて外道だろ、当然。という意識でそういう言及をしただけです。

で、実際に生活の大きな部分を占めていた活動その他を、全てやめてみました。

何が起こったかというと。。

1,精神的に不安定になった

そこまでのめりこまずにやってたはずなんですが、刷り込みの効果って、意外なほどにすごかったです。唱題をあげないことで生命力が落ちるんじゃないかとか、今考えたら、何言ってるんだお前はという感じなのですが、当時はほんとに落ち着かなかった。頭で否定していても、あぁこれ罰論なんだ。みたいな。体の調子が悪くなったりとかする度にやっぱり活動したほうがいいのかなと、何度も頭をよぎりました。もう一つ、より不安定になる要素として、自分が必要とされ、人間関係の多くを依存していたコミュニティから去るということが、自分をより精神的に孤立させました。これもなかなかきつかった。。創価大学を出ていたこともあり、自分の身の周りにこの状態をきちんと相談できる人がいないことに、活動をやめてから気がつきました。このダブルパンチで、最初の半年はなかなか大変でした。

2,両親、兄弟と疎遠になった

自分は3世で、両親ともに学会員、地区よりもう少し広い単位の、圏の幹部をしていて、つまりかなり積極的な活動家です。姉と弟も、大学創価大学で、いわゆる一家和楽というやつでした。自分がやめると決めてから、実家で何度か言い合いになることがあったのですが、それからは余り連絡を取らなくなりました。取っても事あるごとに本部幹部会に出たかどうか確認されるので、少し疲れました。。兄弟も同様なので、普段は離れて暮らしているので、どうってことないんですが、家族とも相容れないものができてしまうというのは、最初は戸惑いました。

3,しつこく家庭訪問されるようになった

学会員でまともに活動しているのは、全体の3割程度ですが、7割の非活動家の中でも、たぶん有望視されて、しつこいくらいに毎週末、家庭訪問を受けました。本当に面倒。。仕事で疲れて眠っている土曜の午前中を狙って家に来るのはやめてほしい。今は適当にあしらえるようになりましたが、まだ不安定期だった頃は、いちいち精神的にかなり揺さぶられました。あの人たちはそういうのを狙っているのだろうか、とにかく悪びれる様子が一切無いので、少し常識に欠けています。昔は自分も訪問する側だったから、どんな心理だったかというのは、よく分かるんだけどさ、、朝に来たり、家の前で待ってたりするのは、やめてくれ。いい大人なんだから、ぷちストーカーだよ。

という感じで、学会で活動しているほど、また家庭環境や、属している人間関係依存が強いほど、揺り戻しの負荷が相当強くなるということが分かりました。今まで活動に積極的で、依存していた人がパタッとやめたときに潰れてしまったり、活動に戻るパターンは本当にあり得る話だと思う。とても孤独になるからね。

自分が、これに対して取った行動は、、

1,新しく、自分が必要とされていて、コミットメントできる場所をつくる

職場以外にも、自分の居場所、帰れるところ、仲間をつくった。小さなボランティア団体だが、目的に向かっていい雰囲気で活動できていて、人として魅力のある人が多い。専門にしている能力も活かせるので、必要としてもらえるし、居心地が相当良かった。

2,仕事に夢中になる

平日はとことん仕事にのめりこんだ。必要とされる成果は早出しして、チームに具体的に貢献できる余裕を多く持つようにすることで、職場人間関係がとても良くなった。

3,時間が解決する問題に固執しない

揺り戻しが強い時期は、1の団体にも仕事でも、成果が出しづらかった。ただそういう時期は、行動しないことが行動だと信じていた。要は開き直って、時間が経てばこの不安感は抜けるからということで、そういう状態のまま放っておいた。そして、実際に3年近く経ってみて、本当に抜けたので、特に悩まなくて良かったと思う。

3年経った今は、最初の頃の不安定さは無くなり(ほとんど活動してた時のことを思い出さなくなった)、職場も、プライベートでも、人間関係は良好。家族との仲も前よりは良くなって、程よい距離感という感じ。ここはもう少し努力が必要か。。

学会活動していた分の負担が取れたので、勉強や調査できる時間が増えて、仕事でも成果が出しやすくなったし、居心地の良い人たちと過ごせる時間が増えて、より満足のいく生活に近づけることができてきた感じ。なかなか大変だったけど、自分の場合はやめて良かったパターンのようです。

活動をやめた後に、これからどういう人生を選択して、どういう利益を得るために、何のリスクを取るのか、きちんと自力で考える力があれば(また考える余力が残っていれば)先ほどの苦しい状態は抜けられる。

苦しい状態から脱するまでの期間としては、約2年。これは積極的に活動をしていた期間と重なります。だからたぶん、5年やってた人は、普通に戻るのは5年近くかかるし、20年くらいやった人は、20年不安定になるくらいなら、学会の中で認められて頑張る、という選択をするのも、ありかもしれない。

2009-01-11

血液型性格判断っていうのは、科学的根拠なんて無くて良い。

女性脳内メーカーとか喜んでるのを見てると分かると思うけど、血液型性格判断とか、基本的に根拠なんてどうでも良いのよ。

結局「あなたはこういう人です」って出た、それを話して、そうだよねー、いやちがうよねー、って言われて相手が自分をどう認識しているか、

それを確認したり、相手への認識オブラートに包んで伝えるためだから。

科学とか持ち出す人はそれはそれで、そう言う人だという認識をするわけだし。

その話題の元になる、「あなたは○○!」を出すのが、神でも科学でも変数でも何でも良いのよ。

結局、その存在に有る程度権威認知度があれば。

「あの○○がこういった、で、あなたはどう思う?」だから。

だから、血液型性格判断科学的根拠を持ち出す人はそもそもずれてんのよ。

どうでも良いの、結局世間一般には通用して居るんだから。

血液型性格判断っていうのは言い換えれば、理系版の「確信犯」。

間違ってるけど、それがまかり通ってるからそれで良い。

専門家とか厳しい人は目くじらを立てるけど、一般人は問題なく使ってる。

だけど、言葉は変わるからで確信犯は許容されるけど、

科学宇宙真理で動かせないものだから。ってことで意固地になる人が居る。

そこら辺は中世の頃から変わってないと思う。

地球の周りを太陽が回ろうが、太陽の周りを地球が回ろうが、一般人は変わらない訳ですよ。

専門家が変わって、そのうち世界技術に影響は出るけど。

確信犯新聞小説家が使うようになって、そのうち辞書も変わるでしょう。

血液型性格判断は、科学とは違ってるから世界を変えることはないでしょうけど、

でも、とどのつまりは、一般人の生活は変わらないんですよ。法律血液型占い禁止とかしないと。

結局、血液型には目くじら立てず「B型だと思った。」「うんA型にもこんな奴居るんだよ。」ですませておけば良いんですよ。

とどのつまり、犯罪率の増加は景気の影響だ。

金銭が人の心をこれ程までに蝕むと言うことを否定したいのであろうか。

詰まらぬ理由をつけて、自分以外の愚かな人の心理を語り、得意げになっている。

精神的、哲学的に深いところに真理存在していると語るだけで、人類そのものの価値が向上すると信じているのだ。

2009-01-10

セックスしたい人、可能な人、絶対無理な人

http://anond.hatelabo.jp/20090110181359

こ、これは、とても重要なことが書かれている気がする。「その人の生命を体内に受け入れることができない」は名言。これはある。すごくある。

わたしの場合、30年以上生きてきて、セックスしたい人は1人しかいなかった。ちなみに、出来なかった。したい相手とはそんなものなのかもしれない。

絶対無理な人というのもいる。そういう人は5パーセントくらい。ただ、後述するように、なんらかのきっかけで性愛対象として意識したときにしか分からないので、実際はもっと多いのかもしれない。

そして、その他9割以上の男性は可能な人だ。きっかけがあれば可能だけど、きっかけが無かっただけ。こういうのもビッチと呼ばれるのだろうか。わたしの場合は、この9割の中にはあまり差がない。イケメンだろうが高収入だろうが、(わたしに)親切だろうが不親切だろうが、あまり関係ない。ただ、そういう機会があるかないかだけ。受け身の性だからこんなもの。

そして、絶対無理な人。

もう絶対無理、無理無理無理無理カタツムリ級に無理。

この男とするくらいなら舌噛み切って死ぬ!って勢いで無理。

そして、そういう人が近くにいると、なんというか、他の人に対しては全くそんなこと思わないのに、その人の場合だけ性的イメージでいっぱいになることがある。その人と接しないといけない期間中は寝付きが悪く、その男の子供を孕む悪夢みたいなイメージで汗びっしょりで目覚めることすらある。近くにいる間は一瞬も気が休まらず、神経がピリピリしている。本能が全身で警告を発してる感じ。

心配性な男性のために言っておくと、ここまで嫌な反応が出るのは、なんらかの性愛を予想させるアクションをした人に対してだけで、ただの仕事仲間とかの間は全然思わない。

さらに心配性な男性のために言っとくと、そうなったら相手本人に対しては嫌ってることは隠しませんが(社交辞令で期待させて実力行使に出られたら嫌だから)、必要な会話はするし、女性同士でキモいと言い合ったりもしないし、感情の激しさの割に表面的には穏やかです。

そしてここからが不思議なのだが、無理な理由は全く説明不能。どんだけイケメンだろうが評判が良かろうが駄目な人は駄目だし、逆もある。理由を強いて言語化すれば「不健康そうに見える」ことだと思うのだが、自分から見て絶対無理でも他の女性が受け入れた(それも渋々ではなく積極的に)例も見ているので、自分にだけ不健康そうに「見える」のではないかと思う。全く本能としか言いようがない。このことを自覚するとき、自分子宮で生きていると思う。この言い回しは女性には評判が悪いようだが、一面の真理があると思う。これだけ強く本能ドライブされてコントロールが全く効かない、「無理なものは無理」から一歩も動かせないのは、この件だけだからだ。

なお、絶対無理と思ってしまった相手については、その後の言動から、やっぱり駄目な人だったと思うことが多いのだが、その意味自分の勘は正しかったと確信するケースばかりなのだが、しかし、嫌いという感情が先にあってその理由を無意識に探しているのかもしれず、慎重に受け止めるように心がけている。本能に基づいた個人的な感情を社会的な場面に持ち込まないように注意している。

これは本能としか言い様のないもので、本人には変えようが無い。また、自分が絶対駄目だと判定した人でも、他の女性にとっては好ましい相手であることもある。自分にとって駄目だからと言って、その男性普遍的に駄目なわけではない。ネットなどで男性が特定の相手とセックス出来ないことを嘆いているのを見ると、さらに特定の相手が受け入れてくれないことを普遍的に駄目だと解釈しているのを見ると、理由のないことで拒絶されている男性と、生理的嫌悪感と戦っている女性の両方に(勝手に)感情移入して、胸が苦しくなる。努力では変わらない。さっさと次行け。としか言いようがない。

最近恋愛の成立を、なんでもかんでも努力普遍性に帰する風潮があるが、何割かはこのように努力のしようがないものが混在していると思う。それは生物としての相性なのかもしれない。しかし男性にとっては殆どブラックボックスで、理不尽さが募るだけだろう。数をこなせば、このような構造が見えてくるかもしれない。とりあえず理由無く拒絶する側としては心苦しく、たった1件の事例で落ち込んでないで数こなして下さいと思っている。

2009-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20090109152059

ヒトが生きる目的遺伝子を残す以外に有り得ない、遺伝子を残せなければ敗者なんだといったって、

で君は実際のところ、遺伝子を残すためだけのために、色々な事を犠牲にして、そのことだけに本当に人生を費やせるのかい?

君が女ならば、遺伝子を残すだけの事は容易だろうが、君が男ならばちょっと難しいことになるぞ。まず産んでくれる誰かを見つけてその人に許可をとらなければならないわけだからね。

もともと結婚願望が強かったり、子供を持つことが夢の人間ならばいいだろうが、そんな人だったらわざわざこんな事を書かずにとっくに「やったー、自分の願望とヒトの生きる目的が合致したー」と喜びとっとと家族を持ってハッピーエンド、だろう。

こんな事を苦々しく切々と書いている時点で、要するに君は本当はそんなの信じたくないが、でもヒトが生きる目的はそうとしか思えないという苦しみの中にいる、ってだけなんじゃないのか。そして更に穿った見方をするならその苦しみを、おそらく結婚願望等が無さそうなお前らにもぶちまけてやる、というルサンチマンの塊なんじゃないのか。

それにしても仮にヒトが生きる目的遺伝子を残すことだとしても、せっかくそう分かったのにそれに従おうとする意味が全く理解できないwなんでそこまで分かって尚、自ら遺伝子奴隷になろうとするのか?バカみたいじゃないか。

また「敗者」という表現もあやふやだね。勝ち負けなんて概念からして、単なる人間価値観に過ぎないじゃないか。遺伝子は勝っただの負けただの思うことはないし、そう判別することもないよ。遺伝子を残せなければ敗者っていうのは、既に実は遺伝子なんて関係なく、単なる一部の人間による「子供作れなきゃ負け組」という価値観に則っているだけの話だよ。子孫を作らねば自分遺伝子は残らないという事実を、価値観の理由付けに使っているだけ。いわば言い訳みたいなもの。子孫を作らねば自分遺伝子は残らない、というところまでが科学事実であって、そこからは、どういう価値観の味付けをするかっていう、人間それぞれの解釈の問題に過ぎないよ。それらを一緒くたにしたって意味がないね。「ヒトの生きる目的」なんていうのもそれで、子孫を作らねば自分遺伝子は残らないからって、「ヒトの生きる目的がそれ」というわけではない。というか「勝ち負け」と同じでそもそも「ヒトの生きる目的」なんていうのが既に曖昧で、人間解釈に溢れた言葉なんだよね。もっというと「目的」という言葉が。それは、遺伝子擬人化しすぎているとでも言うべきか。目的もクソもないんだよ。科学事実はただ科学事実としてそこに在るだけ。そこに色をつけて解釈をしているのが我々人間。そしてその色の付け方で散々争ってる。

敗者だとしてそれが何なんだろうか?君は要するに「子供を残さなかった奴って敗者だよねw」と他者から言われるのが嫌だから、子孫を残したいといっているに等しいんだよ。別にそれを責める気はない。それはそれで一つの価値観だし他者の視線を全く気にもしないなど、ほとんど不可能に近いからね。でもその事を分かって言っているのかな?もしかして「ヒトの生きる真理」みたいなものを悟った気になっちゃってるんじゃないのかい?

もっと主体性を持って生きたらどうかと思うけどね。

世界中吃音者を集めて、どこかの無人島移民して街を作って生活する国

吃音共和国 ・・・なんてのが出来たら激しく移住したいw

どもりまくり政治家。どもりまくりの営業マン。どもりまくりアナウンサーetc

みんなどもるので、どもり=普通。誰も気にしないで好きなように生きられる国。

無理なら、日本過疎地にどっかの真理教みたいにサティアン(笑)作って集団生活でも可w

吃音真理教かww

まぁ・・・・・夢物語だな

2009-01-08

思う人には思われず、思わぬ人には思われる。

これ真理じゃない?

ていうか思わぬ人にさえも「思われる」ことはめったにない、

正確に言うと「好きではないけど関係を維持しようとしてくれる」。

自分に魅力がないってことの証左なのかな?

Re: 殴らぬヲタより殴るDQNは真理

自分より弱い立場の(または戦闘能力的に弱い)人間にはとことん強い。見下す。ケンカを売る。搾取する。

まさにねらーだな。

[][]新世界

すべての人間は凡人と天才の2種類に分けられている

凡人は支配され服従を好む

法律奴隷であり子孫を残すための材料として存在している

それを支配するのが数100万分の1の確率で生まれてくる天才である

天才とはナポレオンマホメットのような世界に新しい思想革命を起こす独創的人間

新世界を作るためなら人を殺してもいいし新たな法律を作る権利も持っている

たとえばニュートンはあの重力研究を誰かが邪魔をして人類の発展を妨げた場合

ニュートンはその邪魔者を殺す権利・・・

いやむしろ殺してでも世界研究の成果を発表する義務があったと思います

だからと言ってニュートンが罪のない人たちを自由に殺したりする権利を持っていたことにはなりませんよ

では天才に罰を与えるのは一体誰だろうか

おそらく自分自身に罰をくだすでしょう

天才が法を作り罰を決めるのですから


奇妙な夢を見た

新世界エルサレム

かしこ世界にはおそろしい疫病が蔓延していた

自分だけが正しいと思い込む病

すべての人々は他人の考えを軽んじ

互いに相手が理解できず

自分だけが真理を知ってると勘違いして

つまらない恨みで殴り合いをはじめ互いに殺しあった

これだけ自分だけが絶対と信じる人々はかつていなかった

すべての人々が罪のなすりあいを始めてついに何もかも滅びてしまったのだ

これが俺の望んだ新世界

これが天才のすることか?

殴らぬヲタより殴るDQN真理

間違いない。

年末のある日、最寄り駅で電車を降りた後に見かけた光景

二十歳くらいの男がわめいている。その先には、同年齢くらいの男数名のグループがいた。

わめいている男を彼女と思われる人物がいさめている。結構キレイ女の子

わめいている内容は、「なに見とんじゃ!」とか「かかってこんかい!」とか「やったるぞ!コラァ!」とか。ちょっとアルコールも入っているような感じ。

はた目から見て「何このキチガイ?」という感じ。

特に気にすることもなくコンビニに入っていつものように雑誌立ち読みしてたら、わめく男が「ふざけんな、てめぇ!」とか言いながら警察に抑えられつつも暴れていた。というか、抑えられ&暴れながらコンビニに入ってきた。おいおい、こっち来るなよと思いつつも俺は立ち読みを止めない。

間もなく警察に押しやられて、コンビニからわめく男は退出した。外を見ると、からまれていた男グループが別の警察事情聴取?を受けていた。男は抑えられつつも相変わらずわめいている。

まぁわめく内容もアレで、事情聴取?を受けている男グループに対して、「殴ってみろや、キンタマついとんか!」とか挑発している。かかってこいや的なジェスチャーをしながら。それをたしなめる(多分)彼女警察は相変わらず抑えつけている。

ということがあった。前フリが長くてすまん。

俺が思ったのは、「なんでこういう赤の他人理不尽因縁つけてケンカ売るようなDQN彼女が居るの?こんなんでもあんなカワイイ彼女ができんの?」ということ。それで、ちょっと考えてたのだけど答えが出たので増田に書いてみる。

思うに、DQNにほぼ共通する特徴として、

  • 自分より強い立場の(または戦闘能力的に強い)人間にはとことん弱い。へりくだる。コビを売る。
  • 自分より弱い立場の(または戦闘能力的に弱い)人間にはとことん強い。見下す。ケンカを売る。搾取する。

ということがあると思う。ここで重要なのは、前者の「コビを売る」ということ。

自分よりも強者に対してコビを売ることができるのと同じように、やつらは気に入った女にはコビを売ることができる。「気に入られよう」と行動することができる。

そしてそういうアプローチを受け入れる女の子がいる。コビ(だけじゃないだろうね)を売られて、気持ちよくなって、「多少欠点あるけどまぁいっか」となって、DQNとくっつく。

そうだよ。DQN女の子を気持ちよくできるんだよ。DQNですら。女の子にとって、マイナス(DQN行動)があっても、プラス(気持ちよくしてくれる)があるんだよ。

それにひきかえ「おまいら(敢えてこの表現を使う)」はどうよ?女が欲しいくせに、セックスしたいくせに、女の子を気持ちよくしようとしない。童貞のくせにプライド邪魔して女の子に対してどこか見下した態度をとる。童貞のくせにプライドかよ?

そして女の子と話をすればボソボソ小さい声。自分本位の会話。その段階を超えることができたヤツでも女の子の気持ちを揺さぶるなんて到底不可能な稚拙な褒め言葉を出す程度。女の子を気持ち良くさせるように会話するって意識したことないだろ?

だからね。おまいらと同じ時間を過ごしても女の子にとってプラスが無いのよ。

DQNにはマイナスがあってもプラスがあんのよ。

おまいらね、女の子にとっては空気。無害かも知れないけど、女の子にとって全くプラスは無いのよ。居ても居なくてもいっしょ。だからおまいらは女の子に選ばれない。いいこと無いから。



…あれ?ここまで書いたけど何で俺、童貞ヲタに対して敵意むき出しなんだろ?あぁ、アレか。童貞ヲタだった昔の自分嫌悪してるのか。あと、それと「そこ」から抜け出ることができた優越感に浸って、「そこ」から抜け出せない奴らに説教モードオナニー増田垂れ流しか。いいだろ、もっとオナニーさせろよ。まぁ、年を食うってのも嫌なもんだ。

というわけで、だ。「なんでDQNですら彼女ができるのに、俺にはできないんだ?」と考えている童貞ヲタ達よ。会話でも何でも、女の子と同じ時間を共有するときは、女の子を気持ち良くさせてやろうぜ。できるなら、会話で濡らしてやれ。さらにできるなら、イかせてやれ。

そしたら多分彼女なんてすぐできるさ。

まとめ
DQNDQN行動をするが、(コビを売るなどして)女の子を気持ち良くしてあげることができる
ヲタ女の子を気持ち良くしてあげることができない。よって、彼女もできない
でも、ヲタでも、女の子を気持ち良くさせることができたら彼女できるんじゃない?

最後に

女の子って、欠点がある男でも受け入れることができるんだね!偉大!

2009-01-05

人に教えてはいけない1つの真理

人間社会ピラミッド階層のような形をしている。

上にいけばいくほど、先細りになり、より上に行くのは難しくなる。

努力をして上に上りつめればつめるほど、より努力が必要になる。

より一層の努力を要求される。

努力すればするほど、辛くなる。

努力をいくらしても楽にはならない。むしろ辛くなる。

努力して楽になるならともかく、辛くなるのであるから、努力する価値などない。

2009-01-03

一生懸命勉強して、

一生懸命勉強して、

大学に入学して、

そこがゴールのように思えて、

そこでは自分の求める「真理」が教えてもらえると思って、

でも大学でそんな望みがかなえられるわけもなく、

そもそも大学をそんな場所と捕らえている時点で勘違いなわけだが、

真面目がゆえに失望気味にしていると、

小汚いひげ面の太った男性が近づいてきて、

「私のところに来れば真理を教えよう」とか言って、

ついてってみると同じような学生がたくさんいて、

真理」についての質問がその男性に投げかけられ、

その男性学生が納得するような答えを出していくので、

その男性に心酔しきってしまい、

...。

とあるカルト教団お話でした。

http://anond.hatelabo.jp/20090103125210

2008-12-30

[][]岩田規久男氏の一派は、過去の言説に責任をとれ。白川総裁の本でも読んで金融勉強しなおせ。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/87c9f18f491b31cc06e697cba4d87073

デフレの状態で中央銀行インフレ目標を掲げて「インフレにするぞ」と宣言し、通貨を過剰に供給すればデフレを脱却できるというクルーグマンの提案は、日本経験では効果がなかった。クルーグマンも明示的に撤回し、バーナンキも実施しない。かつて人為的インフレを「世界標準だ」と称して日銀罵倒した岩田規久男氏の一派は、過去の言説に責任をとれ。



付録:「あと0.1下げろ」などという批判は、金融実務を理解していない。政策金利は、かつての公定歩合と違って誘導目標なので、実際の金利は0.1%以下になっています。これはFRBが「0??0.25%」としたのと同じことで、要するに「存在する金利の最低限」です。金利存在するのとしないのでは大きな違いがあり、ゼロ金利の期間にインターバンク市場が消滅したことが、日本金融システムの機能をそこなった、と山口総裁は総括しています。

付録:「金利は下がったが通貨供給は増やせる」などという批判も、金融理論を知らない。金利通貨価格だから、それがゼロに近づいたということは通貨供給が絶対的に需要を上回ったということであり、それ以上増やしても銀行日銀口座に「ブタ積み」になるだけ。こういう政策は、金融政策の効果に疑問をもたせて弊害が大きかったというのが、白川総裁反省です。

白川総裁の本でも読んで金融勉強しなおせ。

現代の金融政策―理論と実際 (単行本)

白川 方明 (著) ¥ 6,300

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/6ee8453127a32a36c7722e79bcc294f1

リフレ派の立場は、世界の学界レベルではすでに十分すぎるほどの合意を得られたものなのであって、完全に決着済みなのである」(野口旭)などと称して日銀総裁罵倒するのは、目に余りました。経済学に「決着済み」の真理なんてない。そんなものがあると思っているのは、昔の学説を受け売りする学説史屋だけです。

補足:念のためいうと、インフレ抑制目標は正統的な金融政策です。しかし、これについても資産価格など他の政策目標も見るべきだという批判があり、「完全に決着済み」どころか、日銀FRBECB採用していない。採用しているのは、変動相場制の中でペッグを守りたい小国が多い。

しかしクルーグマンのいうように人為的にインフレを起すのは非正統的な政策で、これは彼自身が認めたように、理論的にも経験的にも破綻した。こんなナンセンスな話をかつぎまわった自称エコノミスト翻訳家、『経済セミナー』を初めとするB級経済誌は反省してほしいものです。

インフレ目標はまぁ正統だが効かない。人為インフレは非正統だし効かないし。

2008-12-25

http://anond.hatelabo.jp/20081225010350

有村イケメンかどうかはともかく

>まあ、人生イケメンな人の勝ちだと思う。

真理だと思う。

昨日の夜はイケメンカップルばかりで不快になった。

イケメンブサメンの比較表

http://anond.hatelabo.jp/20081225161943

2008-12-23

http://anond.hatelabo.jp/20081222195924

人間って10%くらいの確率である人に真理を突かれると信じちゃう生き物なんだよ

で、噂に従って別の人が話を聞くと90%の確率で外れを引く。今度は話を聞いた別の人は信じられないと思ってしまう

だから当たらないという人と当たるという人の差が出る。後は結構簡単。

当たると思う人は10%の確率であたった事例しか見えていない。

当たらないと思う人は90%の確率であたらなかった事例しか見えていない。

まあ、そういうものさ。2ダース質問投げて3個か4個見知らぬ人から正しいこと言われたら信じちゃう人は信じちゃうんだよ。

置きゴート

昔、常備敵として女の子なかよしグループ内に置かせてもらっていた。どこのグループでも、ちょっと生き様の違うおとなしめな子を「出来の悪い子」「頭の悪い子」としてグループ内に一人置いて、その人をみんなで毎日ちくちくして親睦を深めるという慣習が広く行われているところだった。

わざわざグループに置かせてもらっていたのは、一人でごはんを食べている人がいるとクラスその他の景観が悪くなるから、という理由だった。自分としては一人でごはん食べる方が断然楽なので、できればそうしたかったけど、実際に一人で食べたりしたら周りの迷惑になっている自覚がないとみなされ、大勢の人につつかれてしまうので、小さめのグループに常駐させてもらっていた。

自分は「努力する才能がない」ってカテゴリでつつかれてた。増田見て思い出した。増田書いて思い引っ込めることにした。

自分が置かせてもらっていたグループ女の子達は、「うさぎとかめ」のかめにやたらめったら感情移入してる人達で、努力する人が最後に勝つのよ、という会話を事ある毎にきゃっきゃしながら言い合ってた。一人勉強ノートが何冊目に突入したという自慢をよくされた。努力して順位が上がったの、これは価値ある順位よ、という話をテスト順位が貼り出される度に聞いた。

自分勉強というか家庭学習の習慣が一切付いていない、宿題すらできない駄目人間だった。今もそうだけど昔からそうだった。授業中も一切寝る気はないのに毎日夢の中ワンダーランドで、ノート夢日記帳だった。

テストの出来は学年 200人中の 10位以内くらい、グループの中ではトップになることが多かった。グループ女の子達は、お昼ごはんを食べながら、努力せず取った点数は薄っぺらい、努力してる私達(一名除く)って深いという話を、気持ち程度のオブラートにくるんで、目の前でぽいぽい投げ合ってた。家でペットボトルバター入りココア詰めて持ってきたら昼にはココアが冷めてバターが固まってた時より気まずかった。わざとテストの点を低くしても常備敵という立場は変わりようがないので、そういうことはせず、ただじっと耐えた。

実際に「努力する才能がない」っていうフレーズを直に言われたことはない。自分脳内でずっと鎮座してるだけだった。言ったら今日増田並みに波風立ちまくるのが予測できたから、言わなかった。彼女らの持論は、「才能は(私の中にいないから)敵である、そして、努力才能ではない」というものだったから、無駄ケンカ売ることにしかならなかった。

普段から彼女らは才能とその顕示を嫌悪して、叩いたり牽制したりしていた。労せずにテストでいい点取るというのも才能のひとつとして認識していたらしいので、自分がその辺の話題に触れることはなかった。触れなくても貼り出されるからあんま意味無いけど。

努力できる能力才能として認識してしまうと、努力自慢ができなくなるので、「努力才能ではない」と断定していた。言ってる事とやってる事が裏腹だったけど、誰もそこにつっこむ人はいなかった。つっこまない方が平和だったから。

卒業文集のひとことに、「うさぎとかめ」って真理をついてる、みたいなことを書き合って、グループのみんなはめいめい自分の知らない学校に進学した。自分は毒にも薬にもならないことを書いて、地理的に一番近い国立大に進学した。先生に「ちょっと努力すればもっと良い大学でもいけるよ」って言われたので、じゃあ自分にとってほぼ一択じゃんてことでそこだけ受けて受かった。書くの忘れてたけど今までの話は高校の頃の回想。十年くらい前。

努力才能があればお昼ごはんのおいしさを最大限発揮できるなあと当時は考えてたけど、それで努力努力言いたがる人、見せ付けたがる人になっちゃったらみっともないなあとも思った。

努力下手な頭の悪い子のまま大きくなって、知性おいてけぼり自分語り未満を書くような増田になったけど、元々満足値のボーダーがそう高くもない性格なので、毎日幸せに暮らしてる。お昼ごはんのおいしさ 120% 発揮させてる。ココアバターは入れなくなった。

キーワードでつながる。

ハイクのRelated Keywordsを辿っていってどのくらいでお目当てのキーワードまで辿り着くのか気になったのでやってみた。

とりあえずのスタートは「今聴いている音楽」、ゴールは「Perfume」にしてみる。

ルール

キーワード選定基準は「なんとなく(繋がりそうなの)」で。

・一度経由したキーワードは使わず一方方向にのみ進む。

・ただしRelated Keywordsがひとつずつしか繋がらない場合は一つ前から戻ってよしとする。

スタート「今聴いている音楽

2「好きなPV

3「PV

4「You Tube

5「Google

6「はてな

7「はてなハイク

8「twitter

9「岡村靖幸

10「ミュージシャン

11「木村カエラ

12「奥田民生

13「PUFFY

14「パパパパPUFFY

15「テレビ朝日

16「ミュージックステーション

17「音楽番組

18「HEY!HEY!HEY!

19「フジテレビ

20「ニッポン放送

21「文化放送

22「ラジオ

23「今聞いてるラジオ

24「今聴いているラジオから」

25「J-WAVE

26「渡辺祐

27「VOW

28「熱いぜ!」

29「誤字」

30「矢口真理

31「モーニング娘。

32「Hellow! Project」

33「つんく♂

34「つんく

35「小室哲哉

36「プロデュース

37「内P

38「内村プロデュース

39「バラエティ番組

40「ハロー!モーニング。

41「テレビ東京

42「テレビ

43「マスコミ

44「NHK

45「紅白歌合戦

46「紅白

47「大晦日

48「カウコン

49「ジャニーズ事務所

50「アイドル

ゴール「Perfume

というわけで51個めでゴール。

それなりにそれっぽいものを選んだつもりだけどスムーズじゃない結果に…。

2008-12-22

遺伝論者は常に弾圧される。

人の心理は環境によるか、遺伝によるか。

この遺伝的研究が不可能になりつつある。

倫理規定とかなんとかが導入され、

もはや心理が真理に近づくのは難しくなってしまったのかもしれない。

環境論者の先生方の言うことも非常にうなずけるものではあるが、

遺伝が人間の性質を規定しないなどということがあるはずがない。

必ず、どこかに重大な規定要因が潜んでいるはずなのだ。

遺伝論はとっくに終わった話だとか、

環境要因と遺伝要因の混合だとかでお茶を濁してはならない分野だと思う。

2008-12-21

http://anond.hatelabo.jp/20081220203217

ああ主よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。

憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように。

争いのあるところにゆるしを、

分裂のあるところに一致を、

疑いのあるところに信仰を、

誤りのあるところに真理を、

絶望のあるところに希望を、

悲しみのあるところに喜びを、

闇のあるところに光をもたらすことができますように。

ああ主よ、わたしに、

慰められるよりも、慰めることを、

理解されるよりも、理解することを、

愛されるよりも、愛することを求めさせてください。

わたしたちは与えるので受け、

ゆるすのでゆるされ、

自分自身を捨てることによって、永遠の命に生きるからです。

2008-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20081218002007

昔からそうだと一般化するのなら、好きなタイプではっきり公言しろと言ってる。昔からそうで本能永遠真理なら何を恥じる必要があるのか。

そしていらないトラウマを女に植え付けることもすくなくなるだろう。処女マークをつけておいてくれればいやなひとは避けて通るしいいと思う人は近付いてくるんだから。

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