はてなキーワード: B級とは
そろそろ終戦記念日なわけだが、上のサイトを覗いて、改めて第二次世界大戦中の日本のトップは無能な奴らばかりなのだと感じた。
餓死者や病死者が死者の半分を占めていたということは、実際の戦闘に当てるべき兵力の半分が無駄に消耗していたに等しい。
兵力を半分にすれば、食料は単純計算で二倍になる。そうすれば、餓死者のようなムダな消耗を行わなくて済むという単純な計算ができない馬鹿が、昔は日本のトップだったわけだ。
そんな無茶な作戦を立て実行した日本軍のトップの多くがA級戦犯やB級、C級戦犯としてとして、死刑にされたわけだが、もしも東京裁判を日本人の手で行っていたなら、彼らの殆どは免責となって、罪を償うことなく戦後威張り散らしていたに違いない。
たとえ嫌がらせを続けられようとも、ABCD包囲網で追い込まれていようとも、どんなに苦しもうとも、補給を十分に行える可能性も戦争で勝つ可能性もないのならば、数十年かけてもいいから、ひたすら我慢して、耐え続けるが、決して膝を屈しないという選択肢もあったはずだ(今の北朝鮮のように)。しかし、日本の軍部は真珠湾攻撃を行ない、やめ時も分からないままに戦争へと突っ走っていったのだから、当時の日本人は今の北朝鮮人にすら劣る、愚人の集まりだったわけだ。
本来なら戦没者を日本固有の宗教で祭った、素晴らしい慰霊施設の靖国神社に、そういう戦争を指示した糞野郎が祀られていると思うと、胸糞悪くて夜も眠れない。
今後良い人材がでてくる見込みすらない、海外ゲームをやっていたほうがマシ
ガキはケイタイいじってモバゲー、感受性が低いのが知らないがゴミみたいなクソゲーで
満足できる脳みそが低能過ぎると思う
こんなバカがいるからGREEは助かってるんだけどね おいしいです
「モンハン最高、神」という低能、洋ゲーをやったことがないのか知らないが、脳みそが短絡的です
非常にテンポが悪いモンハン、いらいらするマップの切り替え 討伐モンスターを見つけるまでの右往左往
爽快感の無さ、あれで銃を入れても海外ウケがでるわけでも 動きが遅すぎて糞です
「テンポ、復活する時間、死ににくさ 爽快感」が足りてませんね なんですかあれ、操作下手っていうか始めてやる人間にとってはすぐ死にますよ
もうダメですね あんな気持ち悪いゲームを崇めてるバカがいると絶望的です
あぁ今のゆとり含め、現役も非常に寒くてつまらないゲームしか作れないとういう現実
もう、動きの部分は海外に任せるのはどうですか? 日本はゲームで勝てなかったって事にして
電波学者(電波行政に関して卓越した深い見識をお持ちになられるという意味)の池田信夫先生の地震に関する迅速かつ正確無比で客観的ツイートに
ケチをつける人間のクズ(人間のクズとは、池田信夫先生が衆愚の過ちを優しく指摘する際にお使いあそばれる、たおやかな上級言語。語源は桓武天皇が、息子が庭のスズメを虐めることを優しくたしなめるときに「人間のクズ」と言ったことだとされる)が耐えません。
そんな人間のクズのはてなーにも理解できるように、池田信夫先生のご慈愛あふれる超ツイートをもろもろ再検討してみましょう!
ご慈愛溢れる池田信夫先生に見捨てられる前に、先生のお考えを正しく理解しましょうね!
池田信夫先生は僕達の想像を超える存在です。その存在は人間の生命に対する常識を根底から覆します。
妊婦は大事をとって、実家に帰れる人は帰った方がいい。細胞分裂の終わった老人は(私を含めて)安全。 RT @harmonnnny: 妊婦はどうですか?
浅学非才な私めは、人間であれば生きている限りは、老人でもゆるやかながら細胞分裂はしているものだと考えていましたが、経済学、原発、電波行政にも詳しいインターネット時代のレオナルド・ダ・ヴィンチである池田信夫先生にとってはそんな一般論は意味がありません。
細胞分裂が完全に終わっても生き続けている人間がいるのであれば、ノーベル賞ものの発見ですから、池田信夫先生はリアル「生けるノーベル賞」というころができるでしょう。
文字通り人間を超越している学者、それが池田信夫先生なのです。
そんな池田信夫先生に楯突くはてなーは人間のクズ(マイケル・ジャクソンが死の間際、世界の平和を願いつぶやいた言葉ともされている)です。
その御心の広さにおいては太平洋が小さく見える池田信夫先生でありますが、デマや憶測や推測の情報を広める人間を決して許すことはありません。
私は広瀬隆より前から原発を取材してるが、彼が最初に書いた本はあきれた。自分で「この本には1次情報はまったくない。すべてデータベースを利用して2次情報だけで書いた」と誇っていた。こんなのを使うメディアは、自分でB級だと白状しているようなもの。
ときっぱりと否定されております。快哉!ですね、『2次情報をもとに』して発言をするなど、B級であるまじき人間のクズ(ジョン・レノンがオノ・ヨーコにプロポーズする時に使った言葉)です。
下記もご本人の発言ですが、
いうまでもないが私は素人なので、今後の見通しをきかれても答えられません。2次情報をもとに推測しているだけなので、参考だと思って聞いてください。最悪の事態になるかどうかは、わかりません。
これを見て「おい、池田信夫矛盾してね?」と思ったあなたは人間のクズ(リンカーンがキューバ危機を止める際に、相手国首相にいった言葉、この言葉によって歴史は変わった)です。池田信夫先生はあくまで素人ですから、2次情報をもとに憶測するのはあたりまえなのです。
人間のクズのあなたは「10万人いる池田信夫先生のフォロワーの中にはリテラシーがない人も、誤解する人もいる。さらに、その人がRT、非公式RTしたら、池田信夫が素人であることをしらない人にも情報が拡散されるだろ。池田信夫が訂正をしても、拡散されたRTを見た人には訂正が伝わらない場合もある。素人なら素人らしく口をつぐむべきだ」
というかもしれません。
しかし、池田信夫先生をフォローしているツイッタラー10万人は全員がリテラシーがべらぼうに高いので、RTデマに惑わされることなど金輪際ありえません。金輪際です。ウソをウソと見抜く天才かつ、合コンでもOLをお持ち帰りしまくり、濡れた犬を拾いすぎて家が犬臭い、全員が年収1000万人以上の10万人の集まりなのです。当然、「類は友をよぶ」ので、信夫先生のフォロワーのご友人や関係者全員のリテラシーもべらぼうに高いので、たとえ池田信夫先生がデマを流しても直ちに気が付きます。
だから、池田信夫先生に限っては、「2次情報をもとに憶測」しても構わないのです。
これだけご慈愛溢れる池田信夫先生のツイートを気に入らないという人も、どうやらいるようです。
「確認してから言え」とかいうバカが多いが、読みたくなければ読むな。災害のときは、不確かな速報も必要なんだよ。放射能あびてから確認とってもしょうがないだろ
読まなければ良いのです。
ただ、「フォロワーが多い池田信夫先生のツイートは望むと望まざるにかからず、タイムラインに表示されるので、読みたくなければ読むなも出来ないじゃん。つーか、正しくない情報を垂れ流しておいて、みたくなければみるなってAAの
ヽ人人人人人人人人人人人人人人人ノ
< >
< 嫌なら見るな! 嫌なら見るな! >
< >
ノ Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Y´`Yヽ
∧ ∧
(゜Д゜ )
(⌒ ⌒)
)_人_ ノ
/ /
∧_∧ ∩ (
( ; )ω  ̄)
γ⌒ ⌒ヽ  ̄ ̄|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
じゃねぇか。 」と言う意見もあるでしょう。その意見は・・それは・・・・多分・・超因果率からなる宇宙法則ダーマの定理からいえば間違っていると言わざるを得ません。
「確認してから言え」とかいうバカが多いが、読みたくなければ読むな。災害のときは、不確かな速報も必要なんだよ。放射能あびてから確認とってもしょうがないだろ
この点に関して、反論として
・「災害時には不確かな情報は不必要。パニックが起きてから、「間違ってました」じゃしょうがないだろ」
・「災害時で錯綜していて冷静な判断が必要な時に、素人が不確かな情報を流してどうするのだろう。たとえば、火事場で煙が立ち込める中、馬鹿が大きなメガフォンで「焦らずに落ち着いて息を吸い込み、深呼吸をしましょう」といったらどうなるだろうか。「放射能あびてから確認とってもしょうがないだろ」というが、緊急時に間違ってから「間違ってました。訂正します」じゃ遅いだろ。推測しか出来ない素人なら黙ってろ」
というような反論もあるでしょう。しかし、反論は決定的に間違っています。なぜ間違っているか?あとは・・自分で考えてみてください。伝えるって本当に難しいです。
また、池田信夫先生はご自身の発言に関して、責任をとられる気も一切ございません。なぜなら素人だからです。
本人も
同じようなコメントがまだ来るので、次のdisclaimerを私のすべてのつぶやきの最初に付加して読んでください:「私は原子炉工学の専門家でも放射線医学の専門家でもないので、以下は応急的な参考情報です。これをもとにした行動によっていかなる損害が生じても、私は責任をもちません」
と「俺の発言によって何があっても、責任を持たない」と明言されています。
素人が発言に責任をもつと訴訟沙汰にもなりかねないですから、これは華麗なリスクヘッジです。さすが和製ポール・クルーグマンの池田信夫先生ですね。
この発言に関しては、
・「間違った情報はRT、非公式RTされて拡散されて、本人がコントロール出来ないところで、誤解や混乱を招く。後で訂正しても気がつかない場合が多々ある。だから、発言に責任を持てないのなら、10万人のフォロワーがいるあなたは発言すべきではない」
しかし、この反論は決定的に間違っています。なぜ間違っているか?あとは・・自分で考えてみてください。伝えるって本当に難しいです。
このように一貫して責任を持たないことによって、下記のような発言の揚げ足取りを回避されています。
たとえば、人間のクズ(池田信夫様と違う意見をもつ人の総称)どもから指摘される御本人の『不確かな』発言としては以下のようなものがあります。
日本人もいい人ばかりじゃない。ご注意を。 RT @chi_w01: 世田谷区、杉並区で「安否確認」と称して早朝一人暮らしの女性の家に複数の男性が訪ねてくる怪しい動きがあるようです。※高円寺で実際に来られた方がいます
情報源がただのツイートであり、本当かどうかを確かめようがない『不確かな』ツイートをRTされておりますが、衆愚に「もしものこと」があったらと考えると、たまらずRTした池田信夫先生のご慈愛のあらわれであります
悪い方のことはメディアがいわないから、私のつぶやきに過剰反応しているのかもしれないが、福島第一の周囲にはプルトニウムが出ているおそれがあるので、一般人は永久に立入禁止になるだろう。チェルノブイリから半径30km以内には、永久に人は住めない。これは残念だが事実。
『だろう』『多分』『おそれがある』のような憶測や、どこを指すのかわからない『これは残念だが事実』という曖昧模糊とした部分は、誤読のおそれがある、と指摘されています。しかし、これはフォロワーの情報リテラシーのトレーニングなので、池田信夫先生を責めるのは野暮というものです
「原子炉建屋かタービン建屋かわからない」という不自然な発表は、原子炉が「爆発」したと思われるとパニックになるのでごまかして時間を稼ぎ、ホウ素などの措置とワンセットで発表するためだろう。こんな大事なときに嘘をつくことが国民の信頼を失うことに気づかない役人の浅知恵。
これだけ少ない情報で「時間を稼ぎ〜発表する為『だろう』」と考えられるのか浅学非才の私にはよく理解できません。たぶん、私がバカだからですね。また、「原子炉建かタービン建屋かわからない」という報告は情報が錯綜している中の報告と考えれば不自然な気はしません。けれど、鋭すぎる洞察眼と大衆を救うというご慈愛溢れた信夫先生は、さらに踏み込んで「こんな大事なときに嘘をつくことが国民の信頼を失うことに気づかない役人の浅知恵」と看破されております。なぜこれだけ少ない情報で、陰謀論的に断定できるのか私めには到底理解が出来ませんが、聡明で明晰な池田信夫先生には衆愚には見えない物がみえているのです。
このような池田信夫先生に対して、人間のクズ(池田信夫様と違う意見をもつ人の総称)からの反論としては
「10万人のフォロワー、RTを含めると数百万の潜在フォロワーがいる池田信夫の発言にはどうあったって「責任」が伴うから不確かな発言はやめろ。影響力のある朝日新聞とかが専門外の記事で適当こいたら「メディアは終わった」とか言うくせに。池田信夫が素人だって知らない人に非公式RTが届く可能性は非常に高いのに、責任をもたないってひどいな・・」
という愚にもつかない反論があるでしょう。
この反論は、太陽神ガンビル様のご予言によるサルワンダの定理の第89法則によって完全に否定されるものであります。
さて、エントリーで池田信夫先生に関する全ての反論は論破されたことがわかったと思います。
まとめると、主な人間のクズ(池田信夫様のご意見を理解できない人間)からの反論としては
①「RTによって素人の発言が拡散されたらコントロールが効かない。誤った情報が拡散した後、間違っていましたではすまない」
②「情報が錯綜しているのだから、声が大きい素人(フォロワー数がある人)は推測による曖昧な情報を発信するべきではない。ユーザーが緊急時の行動を間違ったときに「先程のツイートは間違っていました」では遅い。RT、非公式RTを見た大勢の中にはリテラシーがない人もいる。
→絶対に間違っています。なぜなら、間違っているからです。深い理由はあなたの理解力を信頼しているので、言いません。ちょっと考えればわかるはずです。
③「池田信夫氏は情報を発信するにしても、『多分』『だろう』『おそらく』という推測ばかり。推測ばかりの割に、役人の発表を陰謀論的に『嘘』『浅知恵』と決めつけている。たとえフォロワーが12だとしても有害だ」
→多分、おそらく、あなたの意見は間違っているだろう。私にはわかる。残念だが、これは事実。池田信夫先生の意見を否定するのは、おそらく彼の賢さに気がついて拉致しようとしているCIAの一味に洗脳されたはてなーの浅知恵だろう。
このような幾許の反論も許さない正確無比で迅速かつ客観的な地震関連ツイートをすることによって、池田信夫先生の支持者は増加しました。
ご自愛溢れる池田信夫先生のブログのPVは、この地震で33万PVとなり、フォロワーも1万5千人増えました。
そのことによって、さらに池田信夫先生のご自愛はさらに高まっていき、今後はご自愛の権化になっていくと思われます。
ご自愛が高まりすぎたことにより、ご自身の意見を否定をする、愚劣なはてなーにも「人間のクズ」と優しくたしなめられるのでございます。
経済学には疎いので、池田信夫先生の本懐である経済学の叡智を検証することが出来なかったのが心のこりです。
>十分なクオリティのweb漫画を描いている作者に必要な注目が当たっていない、だからよりスポットライトを当てるべきだ
こっちなんじゃないかな。
バラバラに口コミするだけだと、
よくする仕組みだと思うよ。
あと、「読者の反応が第一 → なら商業行け」っていうのは極端すぎるし理想論。
商業の底辺よりは、web漫画の上位のほうが人目に触れることも周知の事実。
さらに、作者達は自己顕示欲があるからこそ、サイトで漫画を公開している。
リンクフリーが基本のwebの世界において、本当に少数にしか見てほしくないなら、
一言で言えば気持ち悪い、と同時にまあそれも部分的には必要だなとも思った
1人目は部屋を魔界と呼び その部屋のものを捨て去ることで心がすっきりしましたとか どんな宗教だよ
2人目は親の遺品を捨てていくが最後に親の遺品のすずり箱に最終的に残すことにした遺品だけをいれてこれから新しい人生を始めますってとこで終わる
そこに他者のないナルシシズムとエゴが見えてこの上なく気持ち悪い
結局のところ今までの整頓術に邪術的ライフハックで精神的なインセンティブを与えたものに見える
自分探しするようなB級市民には神罰覿麺なんだろうけどこんなものを持ち出す時点で他者に対する悪意が見える
赤松健のいう感情を持って人を動かすって奴だろうけど 邪術世界そのものだ
その方法もありふれたもので
規範などにより負い目または承認を与え(片付けられないのはだらしない、情けない)
それを元に闘争の形にする
闘う者は自分の問題と向きあっている戦士であり
負けたならそいつが弱いのがいけない
こうすればどちらにせよ やっていることの正当性は保たれる
その枠組自体が正しいかは問われない 内部に対しては無敵の論法だ
こんなのが流行っている事自体頭の弱い人が溢れているってこと、そしてそんな奴らを騙して使うのがオ・ト・ナとか思っているろくでなしが正しい社会人とされている証拠だ
これ自体がありだと思ったのは、捨てる必要性自体は存在するからだ
物は捨てなきゃ溜まり続けるし、物をいくら残しても自分はいなくなる。自分が存在した影響もなくなる
何処かでそれは受け入れなきゃいけない
親自身半ばどうでもいいと思ってもいたのではないだろうか
もしくは死後まで自分の跡がどうなるかを考えるのは辛かったためかもしれない
これは取捨選択したところで最終的には変わらんのだけど
自分を否定しているように見えるのだろう
ただ気持ち悪さと感じる理由については違うと思う
結論としては、命は投げ捨てるもの
音楽配信の多様化とか、若年層の嗜好の多様化とか、いろいろ原因が取りざたされている。
で、「10代20代の人口自体が減っている(団塊ジュニア比半減)ので、
市場が縮小して当たり前」とされている。
「人口が減っている」というのは、「市場が縮小する」ということなので、
その意味では正しいのだが、逆の面も見る必要がある。
つまり「消費者側も半減」しているが、同時に「生産者側、アーティスト側も半減している」のである。
いや、メジャーデビューしているアーティストの数は20年前と大差ないのだろうが、
つまり、
「100万人に1人の音楽タレントの持ち主(20代30代)」の数は、
20年前だったら20人いたのが、今なら10人に減っている計算になる。
逆に言えば、「20年前だったらベスト200にしかならないB級タレント」でも、
今ならタレント数半減で「ベスト100に入れちゃう」のである。
今から20年前といえば「イカ天」とかのバンドボームが始まり、
90年代のJ-POPに繋がるのだが、これは「団塊ジュニア層が20代になった」ので、
同様のことは、他の才能世界でもありそうだ。
例えば、大相撲。
20年前に「若貴ブーム」が到来し、それなりに日本人力士も頑張ったが、
これは「団塊ジュニア層が力士になったので、タレントが豊富」だったからだ。
世代が半減した結果、タレントが不足してしまって、空いた枠に外国人力士が入り込んでいるのである。
20年前と比べればレベルダウンしてしまう、ということか?
これを読んで思い出したことがある。下読みにまつわる話だ。
私は大学一年の頃によくある文芸サークルに所属していた。ただし、文章を書く要員としてではなく、挿絵を描く人間としてそこにいた。私自身は小説を書くことなどできなかったが、本を読むのは好きだった。部員の中には文章の上手いやつから下手なやつまでいてバランスがとれていた。上手いやつの小説は本当に面白かったし、下手なやつの小説はストーリーの概要をつかむことすらできなかった。どこがどう上手くてどこがどう下手なのかとかは分からなかったので、感想はいつも「面白かったよ」「いまいちだったかも」とかそういうことしか言えなかった。
ある日、部室に変な男が来た。背は低かったが、なかなかハンサムな顔をしていた。そいつは通り一遍の挨拶をして、同じ大学の学生だと名乗ったのちにこんなことを言った。「きみらの文芸誌を読んだよ」。そしてそいつは、自分が下読みのバイトをしていることを言った。
下読みくんは、部員一同がいる前で、次々と作品の批評をしていった。どの作品はどこそこがおかしい、ということを矢継ぎ早に語った。ひととおり批評が終わると、呆気にとられている部員たちを残して部室から出ていった。
部員たちは釈然としない顔をしていたが、私からすれば「下読みってそういうところを見ているのか」ととても参考になった。言っていることもまともに思えた。その後しばらくその下読みくんの話でサークル内は持ちきりだったのだが、やがてそいつの存在は忘れ去られていった。
何ヶ月後かは忘れたが、再びその下読みくんが部室に現れた。そのとき部室にいたのは、私とあと二人だけだった。下読みくんは「俺の書いた小説を持ってきたから見本にしてくれ」と茶封筒を部員に手渡して去っていった。私たちはさっそく原稿を読み始めた。六十枚くらいのA4の原稿だった。一枚ずつ、回し読みをした。十枚ほど読み終えた頃、一人が口を開いた。「これって、どう思う?」明らかに不満げな表情だった。私から見ても、このサークル内でも最低の部類に入るのではないかと思えた。当時話題になっていた「リアル鬼ごっこ」のような文章に、B級未満のストーリーがついている感じだった。
その小説はあとから来た部員たちにも読まれ、ある人は「こんなやつに審査されてたのかよ」と激高した。憤った部員数名が、今度はこの小説を俺たちが批評してやる、と仕返しをしようとしていたが、誰もその下読みくんの名前を聞いていなかった。
名無しの下読みくんの話はその後も語り継がれるかと思ったが、語り継がれた部分は「下読みは文章が下手だ」というところだけで、それはそれでひねくれた伝承だと思った。
9/16 追記書きました。
http://anond.hatelabo.jp/20090916040205
----------------------------------
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20090913/1252836093
僕の見聞したところによると、大多数の女の子が「女の子がお洒落するのは女の子のためだよ」と言います。特に女子大に通学する女の子にこの傾向が顕著です。ちなみに女子大の学生と交流する機会を持たないであろう増田諸君の為に説明すると、一般的に女子大の学生は共学の女の子に比べていわゆる「女の子らしい」服装を好む傾向があり、卒業後に会社勤めなどで男性交じりの職場に入ると拍子抜けしてしまうことすらあるそうです。言ってしまえば、女子大にいるような、女子力の高い女の子は、同じ女の子のためにお洒落しているのです。
実際のところ「女子力」という概念が俺にはよくわからない。かりにそれが「女らしさ」の今日的表現であるのだとしたら、それは必ずしも男性だけを意識したものではないに違いない。ただ、どうなんだろう、その価値基準に「男性の視線」というものがまるで介在しないときに、はたして女子力というものはそもそも存在しうるのだろうか。理屈とかを抜きにした漠然とした直感として、構造的にそれはないんじゃないかと思われる。現実には「女子力」というものが、男性の視線を抜きにした、女性のあいだのみで共有される価値観であったとしても、その成立過程のどこかでは必ず「男性の視線」というものを組み込んでいるのではないか。論証することはできないけれど、男性優位で組み立てられてきた社会のなかから発生したものは、男性視点を組み込まざるを得ないのではないか、と思うのだ。
「女子力」とは何かと聴かれたときに、僕が最も納得のいく答えは「『かわいい』の量」というものです。それも、男から見た「かわいい」ではなく、女の子基準の「かわいい」の量です。
なぜ女子基準の「かわいい」を採用するのかというと、男の言う「かわいい」という言葉は意味が不安定だからです。男性は「かわいい」という言葉を、女の子に対して言う場合とそうでない場合で無意識に使い分けています。男性諸君は胸に手を当ててこれまでの自分を振り返ってみてください。対象が女の子の場合は「美人であるか」とか「女性として魅力があるか」を問うていたのが、対象がぬこの場合は「かわいい」に置き換える言葉が見当たりませんね。一方、女性が「かわいい」という場合は、対象が人であってもぬこ様であっても同じです。女性は「かわいい」という言葉を「かわいい」という意味でしか使いません。
よく、「女の言う『かわいい』は信用ならねーよ」とか言ってる男がいますが、それは間違いです。そうゆう齟齬が発生するのは実は男性側に原因があるのです。本物のモテ男はその辺りをよく理解しているので、食い違いが発生することなく、女の子との会話を自然に弾ませることができます。個人的に、「かわいい」という言葉を女の子と同じ基準で使いこなせるか否かはモテ技術における結構重要なポイントだと思います。ちなみに、「美人であるか」とか「女性として魅力があるか」については、一般的にむしろ女性の方が男性よりも厳しい基準で見ていると思います。
ここで引用記事に戻って、では、「女子力」には男性の視線は一切介在しないのか?この点について、id:nakamurabashiさんは「その成立過程のどこかでは必ず「男性の視線」というものを組み込んでいるのではないか。」と書いていますが、基本的に同意です。確かに、女子力を構成する服装、装飾、しぐさ、性格などの要素は、男性中心の社会構造の中に起源を持つものがかなり多数を占めるでしょう。しかしそれを「かわいい」とみなして受け入れてきたのは女性たちであり、受け入れられなかったものの多くはとうの昔に衰退して現在は観察不能でしょう。最初は男性基準の「かわいい」であっても、次第に女性基準の「かわいい」に織り込むことができたものが、最終的に普及するのだと思います。「女子力」はその形成過程において、女子基準で「かわいい」という一定数以上の合意が必要となるのです。
さて、僕の観察では、女の子(いわゆる「女の子らしい」女の子)は「かわいい」=「良い」という等式に対して非常に合理的に行動します。女の子はとにかく「かわいい」ものが大好きなのです。目に入った「かわいい」ものは、取り合えず自分の周りに集めて留めておきたいのです。当然、集めた「かわいい」ものを身につけるのも、「良い」ことなのです。
例えば、様々な化粧のケースを見てください。様々な趣向や装飾が凝らされ、非常にかわいいことに気がつくはずです。化粧をするのが異性の目を引くためであれば、このような装飾は全く必要ありません。実際、飾ることを省いた化粧品もちゃんと存在しています。ドラックストアで牛乳石鹸の隣に並べられているB級コスメです。これらは、化粧品としては充分な品質を持っています。しかし、それでは駄目なのです。なぜならかわいくないから。品質は良くて当然。さらにかわいさが必要なのです。実際、いかに高品質な化粧品であっても、かわいくなければ売れないのです。男性は何事も機能にばかり目を奪われがちで、意外とこの点に気が付かないのではないでしょうか。一時期、「スイーツ(笑)」と女性の一見非合理的な行動を揶揄することが流行りましたが、これは非モテ的男の遠吠えでしかありません。特にPCは高性能な自作だけど自分の外見にこだわらないキモオタなんかは、頭隠して尻隠さず的非合理的ルサンチマンです。「ゲーム用マシン(笑)」。
一方、「かわいい」=「良い」の式に矛盾すると単純に「悪」と見なされるます。この点における女の子の判断はとてもシビアです。
女の子はダイエットにこだわりますよね。お腹の肉が出てきました。かわいいですか?かわいくありません。悪です。ダイエットします。女の敵は女ですよね。男の子の視線ばかり意識して服を選んだりお化粧する女の子は、どこか打算的になりがちです。打算ってかわいいですか?かわいくありませんね。悪です。対立します。とにかく「かわいい」=「良い」という等式をいかに守るかが、女の子らしさの要なのです。
では、元記事のSさんは?
エントリーを読んだ感じですが、僕的にSさんは「悪」というわけではないと思います。
もっと根本的に、「かわいい=良い」流儀からのアウトローです。
俺は、仕事を終えたあとで、例によってついったーにだらだら常駐していた。そこで「店長、女度を上げるにはどうしたらいいでしょう」と質問された。
せっかくついったーにいたので、その場でTLに質問を放流してみた。その対応はどうなんだ、という話ではあるが、とにかくやってみた。
もらった答えをいくつかわかりやすいように噛み砕いてSさんに伝えたなかで、ちはや氏の解答がクリティカルなものだった。ちょっといまついったーにつながらない状況なんで、記憶にもとづいた引用ってかたちにさせてもらうが、要は「かわいいって言われること」っていうのがその答え。これは核心だった。
ちはや氏のポストをSさんに伝えたところ「あー、かわいいって言われても、ありがとうとは思うけど、別に欲しい言葉じゃないですね」と答えた。
なるほど、多分、ここだ。
僕もここだと思います。
女の子同士の重要なコミュニケーションの一つとして、「かわいい」ものを見せ合うのというものがあります。それはある種の流儀のようなものでもあります。だから、女の子同士でお出掛けするときというのは、化粧や服装に一段と気合いが入るのだそうです。
引用部分での「かわいい」の意味が男性基準か女性基準か曖昧で、断定し難いのですが、おそらく彼女はそのコミュニケーションに乗り気でないのです。つまり、アウトローなのです。とゆうか、僕の観測だとこのようなアウトロー女子は少なくないと思います。男子の中に混じって「おめえは女じゃねえ」とか言われてる女の子の8割はこのタイプだと思います。(後の2割は計算高いサークルクラッシャー系女子です。男子諸君、気をつけましょう。)
では、Sさんのような女の子がいわゆる「女子力」を身につけるにはどうしたらいいのでしょうか。常日頃から「かわいい」ものに対してアンテナを張っておくことことだと思います。「かわいい」もの好きな女子は自然と「女子力」が上がるんだと思います。逆に、面白可笑しいものが好きな女子は容姿まで面白可笑しくなるんです。たしか安野モヨコもそんなようなこと書いていました。自分が「かわいい」と思うものを集めれば、自分らしい女子力が身に付くんだと思います。
乱筆で偉そうな長文、失礼致しました。
私は高校の部活でかるたをはじめ、大学時代にA級になった30代社会人。
今はたまに練習に顔を出したり、試合の運営を手伝ったりしているけど、大会にはほとんど出ていない。
高校時代はかるたに明け暮れ、近江神宮にも行ったし、高文祭にも行った。
勉強はまったくしていなかったけど、浪人したら一年かるたができなくなると思って必死で勉強して
なんとか現役合格。
入った大学にはかるた部がなかったので、一般会や他の大学で練習させてもらってなんとかA級に。
早稲田とか東大とか慶応とか、かるた会のある大学が本当にうらやましかったな。
社会人になると、どうしてもかるたを離れていく人が多い。
私も社会人になったら寝不足や体調不良の日が劇的に増えて、練習に行っても勝てなくなった。
B級・C級の頃に練習や団体戦で社会人のA級に勝ってうきうきしてたんだけど
あれってこういうことだったのかな…、ってぼんやり思ったりして。
かるたにプロはないけど、かるたに関わる仕事はいろいろあると思うよ。
末次由紀の『ちはやふる』の編集者坪田さんなんて、強かったけど今はかるたをほとんど取っていないんじゃないかと思う。
昔、坪田さんのサイトの日記が面白くてよく読んでたんで、活躍されているっていうのがすごくうれしい。
最近『ちはやふる』を読んでかるたに復活したという人の話をよく聞く。
http://natalie.mu/comic/news/show/id/14699
NECなんて強い人がたくさんいるから職域大会でけっこういい成績残してるしね。
かるたのプロがない、なんて悩むくらいなら、かるたにはまってる人たちと残業なしで練習しまくれる会社を興してもいいんじゃない?
陸上とかバレーとかだって最初は実業団なんてなかったんだろうから。
名人・クイーンを目指して仕事をセーブしてる人も知っているけどいまいち結果が出てないね。
それから才能のあるなしとかよりも、事故や病気で体が動かなくなったり、耳が聞こえなくなるほうが怖くない?
私は耳が悪くなるんじゃあないかと思ってヘッドホン・イヤホンで音楽を聴くのも怖かったし、
ケガが怖いのでどんなに誘われてもスノボはやったことがない。
実際に片耳が聞こえにくくなってしまった人を知っているから、才能がなくてかるたやめた、とか言う人がいるとはっきりいってむかつく。
高校生なら、一般会に練習に行ってみるといいよ。
元増田みたいな悩みと折り合いをつけながら練習している人たちがたくさんいるから。
家庭と折り合いつけながらかるたやってる50代主婦とか、練習だとすげー強えー(大会ではそれほど…)。
ひさびさにかるたについて考えてみたら長文過ぎてきんもー☆。
かるたの世界は狭いので、増田じゃないとこんな文章書けないね。
元増田ともどこかで会ってるかもね。
中学から初めて、最近になってようやくB級になることができた。
(トーナメント式の大会で、E級から初めて、ベスト4に入ると昇級できる。昇級するにはだいたい5連勝しないといけない)
高校生の間にはA級になり、いつかは名だたる大会で優勝したいと思っている。
かるたという存在が、自分の人生の中で相当なウエイトを占めることは間違いない。
今も、かるたのことを考えずにはいられない。
しかし、将来の自分にはかるたを除いたら何があるのかと考えると、とても不安になる。
かるたが全てとなればいいのだろうが、あいにくかるたにはプロが存在しない。
「あるロッククライミングの上級選抜試験で、試験官は偽の頂上に待機し、受験者たちが一通り登頂し終えたところで、ここが偽の頂上であり、本当の頂上は別のところにあると告げた。試験官は受験者たちの表情を観察し、落胆の表情を浮かべた者には上級クラスへの進級を断り、さらに登頂が続くと興奮した者を合格とした。
チクセントミハイ教授によれば。ほとんどの最適経験(持続するタイプの快楽)はこのようなテレオロジカルな行為によってもたらされる。テレオロジカルな行為とは、結果に関わらずそれ自体から充足感が得られる行為だ。自分が格好よく見えるに違いない、あるいはきっとお金になるに違いないと信じているからではなく、それをすることが好きで仕方がないという理由で行動する時、最適経験に入る可能性は高まる」(ポール・マッケンナ)
以上をふまえ、2980円のジーンズと59800円のジーンズのどこが違うのかを説明しよう。それは考えなくてもいいことではなく、それを考えることこそが楽しいんだ。
まず、59800円のジーンズがプラダやグッチではなく、1952年製造のリーバイスのジーンズが状態のいい古着として残っているものに付いた価格だと仮定する。(新品だとその3倍はすると思って欲しい)
どうしてそんな値段がつくのか?
それは現在売っているジーンズがジーンズに似ている別のものだからなんだ。
ジーンズは労働着として誕生したが、その設計思想は「高価だが、妥協なく丈夫なもの」ということだった。だから「ジーンズなんか労働着だから適当な服なんだよ」と言う者もいるが、実は当時から高価で、買えない者は多かったという点を知らないことが多い。その代わり当時の水準では非常に長持ちをする。各部にある鋲(リベット)は丈夫さの象徴でもある。安価なニセモノも多数売られていた。
60年代後半から70年代にかけ、ジーンズはなぜか若者の流行になり、メーカーは需要に対応するために大量生産を開始する。
この際、作り方を1から10まで変えてしまい(いっぺんにではなく徐々にだけど)、「ジーンズに似てる別のモノ」ができあがることになる。
綿100%糸を交合糸にし、力織機を革新織機にし、打ち抜きリベットを打ち抜かないリベットにし、隠しリベットをなくし、染め回数を減らし、原反の端は使われなくなった。
谷村新司が最近ラジオで「ジーパンてさ、日本で最初に飛びついたのはおれらフォーク仲間だったと思うんだけど、あのときジーパンて高かったよね?」と違和感を表明した通り、その後ジーンズ(に似た別のモノ)は安価に、そしてより一般的になっていく。
80年代後半から90年代前半にかけ、ある人たちが、どこを探しても本来のジーンズが存在しなくなっていることに気がついた。そして、過去のジーンズを求め出したのだ。
これがジーンズが59800円の理由である。ビンテージジーンズというジャンルの誕生でもある。
一方、すでに本来のジーンズが存在しないのであれば、自分たちで作ってしまえばいいという一群があらわれ、彼らは過去の力織機を、ユニオンスペシャルを、綿糸を、手に入れ、ビンテージを分解し、過去の文献を研究し、お互いに切磋琢磨しながらビンテージ以上のビンテージを作り上げた。これがレプリカジーンズであり、90年代後半に一部ではブームとなる。
このブームは海外にも広がり、「日本のジーンズはすごい」という定評を得ることになる。
そのとき、ユニクロというその流れと全く関わりのないブランドが、突如「ユニクロのジーンズは日本生産、日本のジーンズは世界一」という広告を大々的に打ち、確かに日本製であろうがモノとしては「ジーンズに似た別のモノ」としか言えないもの(コスト的ノウハウ的ににも仕方ないのであるが)を、他人の功績を横から奪う形で売り出したのである。
多くの者は宣伝文句を意識し、安価でもいいものはあるとばかりに購入し、2980円のジーンズ(風)は市民権を得るのであった。これが2980円の歴史である。
ね、おもしろいっしょ。ガンダムの宇宙世紀の歴史みたいっしょ。
なんかぶくまがいっぱい付いてるので追記
http://pds.exblog.jp/pds/1/200904/12/96/f0203796_112585.jpg
↑このムックは干支が一回りするくらい昔に発売された奴だけど、8割がたここに書いてあることを書いただけです。この当時、他にもこの手の雑誌はたくさん出てて、読みまくったもんで。
追記の追記
# nekora 履くのが短足東洋人って時点でもう、歴史もオリジナルもレプリカもA級もB級もマシンナリィも何もかも物悲しい。 2009/04/29 CommentsAdd Star
# lakehill lakehill fashion 別にまがいものでもきちんと着こなせるならそれでよくねえ? 2009/04/29 CommentsAdd Star
この辺の人らがロッククライミングの下りを全く読んでないか、読んでも理解できないかのどちらかだということはわかった。
もう一度引用しておく。
「テレオロジカルな行為とは、結果に関わらずそれ自体から充足感が得られる行為だ。自分が格好よく見えるに違いない、あるいはきっとお金になるに違いないと信じているからではなく、それをすることが好きで仕方がないという理由で行動する時、最適経験に入る可能性は高まる」
ブロードバンドが普及したおかげで、随分と自分が感じるファイル容量の「重さ」というか「大きさ」というか、そういった感覚が変化しているような気がする。
自分の場合、7年ほど前までISDNだった(今は光回線)。64Kbpsだと一時間にダウンロードできる容量なんてのは25MB位か。「ニコニコ動画」が動画一つあたり上限100MBというから、高画質なものであれば、十数分程度の動画を見るためにたっぷり4時間待たされる事になるわけだ。すげえな(笑)。
当然ながらPCを再セットアップして、OSを入れた後のWindowsUpdateが一晩がかりなんてのはザラだった。サービスパックは100MB軽く越える事もあったし、IEだけでも一時間以上かかってた。
この当時としては、超10MB級で「重い」「時間がかかる」「途中で切断してたら(ダウンロードやりなおしになったら)どうしよう」という感覚がついて回るようになってたと思う。
しかし今では「重い」かどうかは、ファイルの容量ではなく、純粋にダウンロードにかかる時間によって決定されているような気がする。こないだWindows7のISOイメージデータをダウンロードした時も、2.45GBもの容量を落とそうとして、ダウンロード完了までの時間が1時間越えて初めて「うわ、重いな」と感じた時は我ながら驚いた。もっと感じる事がその前にあっただろと自分で自分に突っ込んでしまった。
しかし、10歳ほど年下の親戚の子達はその辺が完全に違う。数百MB超のゲームの体験版や動画をホイホイ落とし、それを大量に、無造作にPCのHDDに放り込んでゆく。
いや、それを見て「最近の若者は」なんて言うつもりはない。大ボリュームのコンテンツをシャワーのように浴びて磨かれていく感性が何を生み出してくれるのか、むしろ楽しみだとすら感じている。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/87c9f18f491b31cc06e697cba4d87073
デフレの状態で中央銀行がインフレ目標を掲げて「インフレにするぞ」と宣言し、通貨を過剰に供給すればデフレを脱却できるというクルーグマンの提案は、日本の経験では効果がなかった。クルーグマンも明示的に撤回し、バーナンキも実施しない。かつて人為的インフレを「世界標準だ」と称して日銀を罵倒した岩田規久男氏の一派は、過去の言説に責任をとれ。
付録:「あと0.1下げろ」などという批判は、金融実務を理解していない。政策金利は、かつての公定歩合と違って誘導目標なので、実際の金利は0.1%以下になっています。これはFRBが「0??0.25%」としたのと同じことで、要するに「存在する金利の最低限」です。金利が存在するのとしないのでは大きな違いがあり、ゼロ金利の期間にインターバンク市場が消滅したことが、日本の金融システムの機能をそこなった、と山口副総裁は総括しています。
付録:「金利は下がったが通貨供給は増やせる」などという批判も、金融理論を知らない。金利は通貨の価格だから、それがゼロに近づいたということは通貨供給が絶対的に需要を上回ったということであり、それ以上増やしても銀行の日銀口座に「ブタ積み」になるだけ。こういう政策は、金融政策の効果に疑問をもたせて弊害が大きかったというのが、白川総裁の反省です。
白川 方明 (著) ¥ 6,300
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/6ee8453127a32a36c7722e79bcc294f1
「リフレ派の立場は、世界の学界レベルではすでに十分すぎるほどの合意を得られたものなのであって、完全に決着済みなのである」(野口旭)などと称して日銀総裁を罵倒するのは、目に余りました。経済学に「決着済み」の真理なんてない。そんなものがあると思っているのは、昔の学説を受け売りする学説史屋だけです。
補足:念のためいうと、インフレ(抑制)目標は正統的な金融政策です。しかし、これについても資産価格など他の政策目標も見るべきだという批判があり、「完全に決着済み」どころか、日銀もFRBもECBも採用していない。採用しているのは、変動相場制の中でペッグを守りたい小国が多い。
しかしクルーグマンのいうように人為的にインフレを起すのは非正統的な政策で、これは彼自身が認めたように、理論的にも経験的にも破綻した。こんなナンセンスな話をかつぎまわった自称エコノミスト、翻訳家、『経済セミナー』を初めとするB級経済誌は反省してほしいものです。
高校までは本当に女の子大好きだった。イケメンじゃないけどそれなりに頑張ってかっこつけて、何人かと付き合ったりもした。
大学の時、すごく素晴らしい女性に出会った。かわいいし、気だてもいいし、頭もいい。その子(A)は当時彼氏がいたんだけど、俺は未だかつてないほど女性と一緒にいたいと思った。何度か友人と一緒に遊んだりして少しずつ親しくなっていった。
そんな状態が2年弱続いたある時、Aが彼氏の行動(浮気みたいなもの)が原因で別れたこと、そしてその彼氏と付き合ってた時に俺のことを好きになってしまっていたということを俺に告白してきた。俺は有頂天になってしまって猛烈にアタックし始めた。しかしAはまだ元彼と別れたばかりだし、俺にも浮気されるような気がして恐い、という理由で俺とは付き合ってくれなかった。俺はその時は「時間が解決するだろ、待つしかない」と思っていた。
そして更に半年ほどして、その子は卒業して就職し、俺はまだ大学生。以前のように会うことは出来なくなったけどメールなどはしていた。この辺から何かがおかしいことになってきた。友人Kが「俺このあいだAと遊んだよ」とか言ってくるようになったのだ。Kは俺がその子を好きなことを知っている。Kはどうもプレイボーイ的なところがあって、そこが俺は気に食わなかった。そして何よりAが俺とは会うこともしないのにKとは宅飲みすらしているということが信じられなかった。
そしてある日それは起きた。俺はAが以前から観たいと言っていた映画にAを誘ってみたが、例のごとく仕事が忙しいという理由で断られた。まぁ仕方ないか・・・と俺はもう慣れっこになっていた。
その2日ほど後、Kが「今度の日曜にAちゃん達と飲む」と言っているのを聞いた。俺が映画に誘った日だ。その時点でもう勘がいい人は悟るのだろうが俺は理解したくなかった。嘘だ嘘だ嘘だと自分に言い聞かせようとしていた。
そして件の日曜の夜、Aからメールが来た。以下その内容。
A「ねーねー今何してるー?」(Aは普段こんなフランクなメールはしない)
A「うわーかわいそーw」
俺「Aが映画行けないとか言うからさー。こんなB級アクションの再放送より劇場で○○観たかったよw」
A「ごめんねーでも誘ってくれて嬉しかったぞ!」(Aは普段こんなテンション高いメールしない)
俺「どうしたの、今日はやけにテンション高いね」(知ってるよ、Kと飲んでんだろ・・・)
A「んー別に?ただちょっと暇だったんだーw」
なにこれ。俺と映画には行かないのにKとは宅飲みでキャッキャウフフですか。俺には内緒ですか。もうメールしてくんな死ねって返信して俺は枕を濡らして寝た。枕濡らしたってのは嘘だけど
翌日ケータイ見てみると「うんわかった、いままでありがとね!もしどこかで会ったら声かけてね!」ってメールが来てた。かけるわけねーだろ。
さらに後日になってわかったこと。Aは俺をおちょくっていただけだった。もちろんKもグル。俺が必死になってAに言い寄ってたことを友人たちでネタにしていたのだ。さらにはmixiにまでその内容がポストされていた(俺はAが彼氏と別れた、と言ってきたあたりでmixi退会してた)。Aは本当に素晴らしい女性だと思っていたのでショックを通り越して笑えた。これが人間のすることなのか、と。
それ以来、俺は女性を完全に信じないことに決めた。誠実そうな人なら尚更。というか信頼しようとしてももう無理だった。Kのことも極力避けて、Kと繋がりある知人ともスッパリ縁を切ることにした。もしかしたら間違ったことをしてるのかも知れないけど、それでもよかった。奴らと付き合いを続けるくらいなら死んだ方がマシだと本気で思えた。そして俺は大学で完全にぼっちになった。どうせそのこともmixiに上げられてるんだろうな・・・とか思いながら。
で、文をうまく締められなくてすいません。