はてなキーワード: 教養とは
親がこんなに優秀な家庭教師をやってくれるとは、幸せなお子さんだ。
解析幾何の話をデカルトから説き起こすとか、英語が成立した背景から語るとか、そうとうな教養レベルですね。これ見ると、やっぱり家庭の文化資本とかの重要さを思う。
はてなは左翼の巣窟だからアンチフェミっぽい話や中共に否定的なことを書くと特定の群れが顔真っ赤になって押し寄せてきて爆釣だよって教えてもらったけどあまりに簡単すぎるので飽きてきたぞ。
次は何にしようかな。
「言葉の意味の正しさを決定する機関」などないから、このどの定義も間違ってるとは言えない。
だからこそ誰がどう思って教養について何かを語ろうとも、誰かしらが別の定義を持って殴ってくるだけだから
教養は文化資本持ってるやつのマウントってのはそうだとして、本当にマウントにしか使えないから割とどうでもいいよね
身近にロールモデルが居たらロケットスタートだし、人生結局コネがあれば首くくることはまずないしな
本当に憎い
下民がそう勘違いするから下民のあいだでは結果的にそういう構造ができあがる、というだけで、教養の本質を示すものではないし、現にハイソの人々にとって教養は実用的なものだよ。
・平たく大きく括るなら教養に数えてもいいが、だいたいこういう議題に上がる「教養」が「人生を豊かにする知識」とされてて、「営業商業の基盤知識」たる経済経営はズレがある
・ビジネスマンのマウント道具として見られていることを考えたら、同じ「教養」に括りたくない。ビジネスマンがみんなに仲良くしてもらえるとお思いで?
一理ある。
文化人類学の知見によれば、「教養」「文化」はまさしく、人間と人間が、仲間を区別するために使ってきた仕組みである。隣村から来たあの余所者は、正しいマナーの挨拶もできない!無教養だ!信頼できない!だから官僚として王の傍におくのはやめましょうね~。→信頼できるかできないかがある程度判断が可能。
「教養」は、余所者とそうでないやつ、バカとカシコを見分けるためのコードだ。マウントをとるにしか役に立たないと、増田は言うが、それは当たり前で、マウントを取って抑圧したほうが良い相手かどうかを見分けるため、ヒトが身に着けたのが文化・教養だ。
これは、所詮、仕組みにすぎない。
胴体の模様で魚類の生殖能力が、求愛ダンスの出来で鳥類のオスの能力が、たぶん正確には測れない。のとどうように、教養の有無でヒトの能力の高い低いは正確には測れてないであろう。
そういう意味で、増田の言う事には、一理ある。教養をつかってマウントをとっても、相手のほうが偉い可能性がある。また相手を判断する仕組みにすぎないのだから、本人の幸福とは全然関係がない。実利ももちろんない。そういうことは言える。
ただ、これ、ヒトに備わった仕組みなんだよな。
それって、仮に無くしたとして、ほんまに大丈夫か? 教養による人間の能力の判断を、しないとして、じゃあ目の前に明らかな汚い身なりの狂人が現れたとしても、いちいち面接して人格を判断するのかよ。それは無理。教養で、正確に目の前の相手の判断はできないとしても、曖昧で大雑把な判断は可能だ。大雑把な判断基準は、絶対に持っていたほうが効率的だよ。
っていうか、仮に無くすとか言ったけど、そもそも無くすことは可能か? 俺は無理だと思う。元増田が気にくわないような「教養」に基づくマウントを止めたとしても、その穴はたぶん、教養とは別の名前の何か「教養」的なものが埋めるわ。増田の好きな、教養のない奴らの間にもそれはあるのよ。ゲームの上手さか、話のうまさ、酒を飲めるか、ケンカの強さ。そういうので人はマウントを取る。
人は常にマウントをとりあうのだ。「教養」を憎んでも、無駄であるし、無理である。
実際に淘汰されるからいいんでない?
20代までに子供が欲しいと思える思考能力と教養を得られる資産・環境
孕ませたいと思われる容姿・性格を持ち合わせてないとしか生き残れないんでしょ
そんなん無理ゲーなんよ
最近の子供は、右から左に読む、いわゆる「古典的」な日本の漫画が読めないらしい。
鬼滅の大ヒットで多少は持ち直したらしいが、それ以前はかなり深刻だったそう。