「奇妙」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 奇妙とは

2009-03-07

はてサはこれを読むべき

サイバースペース独立宣言

産業世界を牛耳る政府どもよ、お前たち肉と鋼鉄でできたか弱い巨人どもよ、私は新しい精神の住処、サイバースペースの住人だ。未来のために私はお前たち過去の人間に要求する。我々のことは放っておいてくれ、と。お前たちは我々にとって歓迎すべからざる客だ。我々の集まるところでお前たちの権威は通用しない。

 我々は選挙によって選ばれた政府など持たないし、また持つ気もない。従って、私がお前たちに向かって語りかける言葉には、自由が常に語ってやまぬ言葉以上のいかなる権威も含まれていない。そこで私は宣言する。我々が建設中のグローバル社会空間は当然ながらお前たちが押しつけようと画策する専従体制からは独立している、と。お前たちは我々を規則で縛ることが出来るような道徳的な権利など持っていないし、また我々が真に恐れるに足るようないかなる強制手段も持ち合わせてはいない。政治は統治される国民の同意があって初めて力を持つ。お前たちは我々の同意を促すこともできない。我々はお前たちを歓迎しない。お前たちは我々のことを知らないし、我々の世界も知らない。サイバースペースはお前たちの引いた国境の中にありはしない。公共の建設事業か何かのように、自分たちで作ってしまえるなどと思ったら大間違いだ。そんなことはできはしない。これは自然の営みと同じで、我々の共同の行為と通じて自然に成長していくものだ。

 お前たちは我々の大いなる集団の対話に参加したことはないし、また我々の豊かな市場の富を作ったわけでもない。我々の文化も知らなければ、倫理不文律も知るまい。それは、お前たちが押し付けるどんな強制よりもはるかに多くの秩序を我々の社会に現にもたらしているものだ。お前たちは我々の世界に解決すべき問題が存在すると言う。そしてそのことを口実にして我々の世界を侵略しようとしている。お前たちの言う問題の多くは実際には存在しない。本当に摩擦があり、問題点があれば、我々はそれを認めて我々なりの方法で対処するだろう。我々は我々だけの社会契約を作りつつある。我々の世界の統治は我々の世界の諸条件に応じて自然に発生する物であって、お前たちの勝手な条件から生まれるものではない。我々の世界は違うのだ。

 サイバースペースは様々な商取引、関係、そして思考そのものからできあがっていて、それが我々のコミュニケーションウェブの中にまるで定常波のように隈無く広がっている。我々の世界はいたるところにあるとともにどこにもない。ただしそれは肉体が住める場所ではない。

 我々が作りつつある世界はどんな人でも入ることができる。人種経済力軍事力、あるいは生まれによる特権や偏見による制限はない。

 我々が作りつつある世界では、誰もがどこでも自分の信ずることを表現する事が出来る。それがいかに奇妙な考えであろうと、沈黙を強制されたり、体制への同調を強制されたりすることを恐れる必要はない。

 お前たちが考える、所有、表現、自我運動前後関係コンテクスト)に関する法的概念は我々には適用されない。それは物質に基づくものだからだ。我々の世界物質存在しない。

 我々の自我は肉体を持たない。だからお前たちと違って、我々は肉体的強制によって、秩序を獲得することは出来ないのだ。我々の世界の統治は、倫理学啓蒙的な利己主義、連邦体制といった土台から生じるであろうと我々は信じている。我々の自我はお前たちの法的権限が及ばない多岐にわたる領域に分散して存在する事が出来る。我々の世界を構成する様々な文化が唯一一致して認める法は「黄金律(汝の欲することを人にもなせ)」しかない。我々はこれを基礎にして個別の問題の解決を見出そうと望んでいる。しかしお前たちが押しつけようと図る解決法は到底受け入れられない。アメリカでは、お前たちはテレコミュニケーション改革法案なる法律でっち上げたところだ。これはお前たち自身の憲法を否定し、ジェファーソンワシントンミル、マディソン、トクビィル、ブランダイスらの描いた夢に泥を塗るのに等しい行為だ。この夢は我々の世界で新しく生まれ変わるに違いない。

 お前たちは自分たち自身の子供に脅えている。子供たちはサイバースペースネイティブなのに、お前たちの方はいつまでたっても根付かぬ移民のままだからだ。この子どもたちを恐れるがゆえに、お前たちは、自分たち自身では卑怯にも真正面から引き受けることの出来ない親としての責任官僚たちに委ねるのだ。我々の世界では、人間性に関わるあらゆる感情やその表現は、下劣なものから崇高なものまで、みなシームレスな全体を形作る部分であり、ビットによるグローバルな対話の一部なのである。人を窒息させるのも空気なら鳥を舞い上がらせるのも空気であり、両者を区別する事は出来ない。

 中国ドイツフランスロシアシンガポールイタリアアメリカで、お前たちはサイバースペースフロンティアに番兵を立たせて自由のウイルスの侵入を何とか食い止めようとしている。それで少しの間は感染を防げるかもしれないが、まもなく世界中ビットメディアに覆い尽くされれば、それも無駄になろう。

 お前たちのますます陳腐化する情報産業界は、延命を図ろうとアメリカやその他のいたるところで自分たちの主張を世界中に通すための法律を作ろうとするだろう。その法律とやらは、アイデアもまた別種の工業製品だとのたまう。それは高炉から流れ出た鋼鉄に比べてちょいとばかり高級などというものでは何らないというわけだ。しかし我々の方では、人間精神が作り出せるものはすべて再生産できるし、また無償で無限回分配することができる。思考のグローバルな伝達にはもはやお前たちの工場の完成を待つには及ばないのである。

 このような、陰険で植民知的な措置のおかげで、我々はかつての自由と自己決定を愛した人々と同じ立場に立たされている。かつてこの人々たちは遠くから何の説明もなく権力を揮う政府に対し異議を唱えねばならなかった。我々はここに何としても宣言せねばならない。我々のヴァーチャル自我はお前たちの権力に対して免疫抵抗を持っている、と。たとえ我々は我々自身を地球全体に分散させているから、誰にも我々の思考を捕縛することはできない。

 我々はサイバースペース精神文明を作り上げるだろう。そしてそれはかつてお前たち政府が作り上げた世界よりもはるかに人間的で美しいものになるに違いない。

2009-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20090302235501

ほとんど脈絡を追っていないけど、短絡的に横やりします。

  • 多数の指摘が間違っている可能性とか
  • 元記事の「生きる意味」は他の人たちの指摘にあるそれと別物とか

生きる意味はないと結論づける人を奇妙に思う。

それって「私が生きていることは無意味です」と言っているということでしょう。

詳しくは時間と筆力がなくて書けないけれど、相当変です。そういう人たちは自分人生を否定するような理不尽な目にあったとしても、有意味無意味レベルから卒業しているから動じないのでしょうか。いや、そうではないでしょう。

実際、そういう人たちは各々に生を納得して、生きる意味を謳歌しているわけですよ。

それなら普通に生きる意味はあると言って良いじゃないですか。

論理言語の上では生きる意味を肯定出来ず、意味はないと言っているんだと受け取っています。

http://anond.hatelabo.jp/20090301034255

2009-02-26

僕が抱える地味だけど悩ましい問題

すごく大きな悩みというわけではないけれど、地味に悩み続けていることがあります。

それは、『公衆便所などで他の人がいるとオシッコが出ない』ということです。

便所内に誰も居ない時や、大(個室)に入っている時は問題ないのだけれど、

隣に立たれたりなんかすると、もうアウト。

シッコが出てる音がしないことに気付かれているのでは、と思えば思うほど、

もう完全に出なくなる。

この症状が初めて出たのは、中学校修学旅行の時だったかと思う。

バスサービスエリアに止まると、みんな一斉に便所へ向かう。

僕も皆と同じように便所へ向かう。

各小便器には、ずらっと人が並んでいた。

僕も並び、自分の順番が来た。

自分のうしろにはまだ人が並んでいる。

なんとなく、早くオシッコを済ませて次の人に変わらないと、という意識

浮かんできた。でも、そう思えば思うほど焦ってオシッコは出ない。

結局、オシッコしたかったはずなのに、出さないまま次の人へ順番を変わった。

これが、僕の奇妙な症状の始まり。

シッコが出せないもんだから、友達と遠出したりするのをなんとなく

避けてしまう。連れション行っても、自分はオシッコ出ないし。

なんとなく恥ずかしくて、この症状を誰かに話したことは無い。

こういう場でしか発表できない。

2009-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20090222200830

ミニスカートの中がジャージだと欲情してロングスカートでなら欲情しないという人が社会生活を滞らせるほどたくさんいるというのは極論としか思えないんだけど。そんなへんてこな嗜好の人がいるからパンストをはかせようってのはやはりわがままというより奇妙すぎる。

http://anond.hatelabo.jp/20090222114637

見た目の奇妙さは百も承知で、単に便利だからやってるんだろ。

寝巻き姿でゴミ出しするおっさんとかと同じ。

2009-02-19

定額給付金は買収」という人にとって買収でない政策というのは一体何なんだろう?

国民に一律に現金ばら撒くのが買収なら所得税消費税の減税も児童手当・年金増額、農家所得保障も買収なんだろうかね?

もしそうなら全国民対象とすれば買収になるが、納税者だけ、子供だけ、老人だけ、農家だけのように対象を限定すれば買収じゃないと?

あるいは公共事業医療介護予算増額なら買収にならないとか?

現物給付でも利用者の金銭負担は減るし、土建会社病院介護施設に金が渡るんだが、これは買収じゃないって事なんだろうかね。長年自民党ゼネコン医師会に票の見返りに利益誘導してたがこれは買収じゃないという感覚なのか。

いずれにしろ個人的には奇妙な基準だと思うし、正直言って給付金が買収とか言うのは頭が悪いとしか思えない。麻生不支持はマスゴミに流される低脳ばかりなんだな。

一見政府批判のように見えて旧来の自民党的なやり方を支持してるって事だがわかってて

言ってるんかいな。「わかってるから元自民党幹事長の金権政治の申し子が党首を務める野党を支持してるんだよ」といわれそうだが。

とここまで書いて気づいたが、ひょっとして給付金批判者はマゾヒストなのかもしれない。痛みを伴う改革とか言って人気者になった変人首相批判してるし、再可決は欠席するらしいし。要するに全部か一部かに関係なくどんな手段であれ国民メリットを与える政策は買収であり、やめるべきであると。

2009-02-16

スイス竹内久美子ダニエル・ランキン

題は結構マジかも。元記事の意図はさっぱりだから、記事から論文を復元してみるテスト

承前

囚人のジレンマゲームとは、協力と裏切りという選択肢があり、裏切ったときに得る報酬>協力をしたときに得られる報酬>両方とも裏切り合ったときの報酬>裏切られたときの報酬となるように設計された環境において、人々はどういった行動をするのかを調べるゲームである。

これまで「囚人のジレンマ」系研究によって以下のことが知られている。

  • 一回切りのゲームにおいて、裏切りが一番有効
  • 繰り返し型のゲームにおいて、まずは協力し、二回目以降対戦相手の前の選択を採用する「しっぺ返し戦略」がもっとも有利である
  • ある一定の確率で行動選択にエラーが生じる環境において、裏切りをある程度許容する「しっぺ返し改」戦略が有利である
  • 繰り返しゲームにおいて、対戦相手が直前の対戦において行った選択を、自分の初回における選択に採用する「しっぺ返し拡張版」戦略が、裏切りを狙う戦略よりも有利である

最後の研究が、評判が機能する環境において、裏切り戦略が一般に不利だという話に繋がっている。

本題

http://www.swissinfo.org/jpn/front.html?siteSect=105&sid=10322161&cKey=1234439657000&ty=st

ここで検討されている戦略はどういったものだろうか?

まず、

  1. 良い経験をすぐ思い出すようにプログラムされたグループ
  2. 悪い経験をすぐ思い出すようにプログラムされたグループ

に分けた。

ダニエル・ランキンは、

上記の2つのグループを混ぜ合わせ、25回の融和をさせてみた。その中から、1番少ないコストで最も利益を上げたサンプルを取り上げ、次の実験にも使い、負けたサンプルは取り除いた。このプロセスを2500回して結果を集計した。

 その結果は「評判の悪い生体、つまりほかから助けを受けない生体は強く、評判が良い生体は淘汰される。最良の策は思いやりを持たないこと」

だとランキン氏は言う

皆様。理解できたでしょうか?

私なりに、記事中の彼のモデルを再構築すると

  • 繰り返し対戦する場合、以前の対戦結果が影響されるように設計されている
  • 行動選択にはなんらか確率エラーが生じるようになっている
  • 二つのグループ本質的にはしっぺ返し戦略であるが、次のようにチューンされているグループである
    1. たとえ裏切られても、エラーと考えておき、なるべく協力するようにする。
    2. 一回でも裏切られた場合は、徹底的に裏切る

つまり(1)と(2)の違いは、協力を受けないかどうかではなく、(1)手違いがあっても「(次のゲームに)切り替えていく」グループ(2)一度でも裏切られたら「絶対に許さない。顔も見たくない」という態度のグループなわけ。

先行研究との違いは、エラー込みの評判利用型ゲームと言えばいいかな。

実は、先行研究の弱点でもあるのだけれど、この評判利用型繰り返しゲーム最大の問題点というのがあって、評判の利用できる範囲が設定されていないというのがそれ。全ての参加者が、前の対戦における行動を参照できるというのは、評判ではなく自己申告を利用しているに等しい。

というわけで、どうひっくりがえしても評判の悪い生体、つまりほかから助けを受けない生体は強く、評判が良い生体は淘汰される。最良の策は思いやりを持たないことにはなりません。

また記者責任かはわからないが、どの戦略を残すのかについてかなり奇妙なことをしている。


記者も相当だけど、ランキンはトンデモDETH。

研究結果が、道徳上なんらかの影響があってはならないとランキン氏は強調するが、経済界にとっては、ある種の影響を与えるものだ。研究中ランキン氏は、米イェール大学金融学者ウィリアム・バイネッケ氏の研究書を参考にした。バイネッケ氏はインターネット書籍オンラインショップアマゾン ( Amazon.com ) 」や「バーンズ・アンド・ノーベル ( Bernesandnoble.com ) 」の書評を分析し、評価の高い本より評価の低い本ほど、売り上げが多いことを発見した

アンチが沸く本はいい本という話を、行動選択の話に引きつけてくるなんてトンデモそのもの。

追記

本文のとなりに微妙な解説記事が

ランキン氏の説明によると、例えば誰かを助けようと自分で決めたとして、誰もその人の行動を知らず、その人にとって見返りもないというのであれば、助けないのが最良であるという論理が成り立つという。

「一方で、誰かに見られていて自分の名声にかかわるとか、ほかの人全員がすることに自分の行動が左右されるとなれば、協力したほうがよいという判断が働く」

囚人のジレンマ型ではないの?対戦型なら少なくとも対戦相手には必ず、協力か裏切りかが伝わるんだけど。

評判の評価システムが狂ってるとしか思えないが。

2009-02-14

あれは一体何だったんだろう

今日の夕方に駅前の某コーヒー専門店で見た光景

二人用テーブルに、背広姿の若い男とニット帽をかぶった私服の若い男が、終始無言でずーっと向かい合って座っていた。

お互いに目を合わせている様子でもなく、テーブルの上のコーヒーに口を付ける様子も無く、ただひたすらにじーっと座っていた。

どちらも椅子の背もたれに全身の体重を預けている感じで、二人とも腕組みをしていたが、俺が見ているおよそ20分の間は全く会話していなかったように見えた。

二人が醸し出す奇妙な雰囲気に目が離せなかったものの、電車の時刻が迫っているので仕方なく席を立とうとしたら、それとほぼ同時にニット帽の男が立ち上がり、ポケットからUSBメモリらしきものをテーブルに置いて背広の男に何か一言二言言い残して去っていった。背広の男は「了解した」といった雰囲気で片手をあげて軽く男の方にヒラヒラと振って見せ、テーブルの上の「それ」を背広の内ポケットに突っ込んで、ニット帽が駅の方角に消えた頃にテーブルを立ち、いずこかへと去っていった。

あれは一体何だったんだろう。

2009-02-13

2009-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20090209010341

元増田です。

返事とブクマコメ読みました。



その支離滅裂な人もフォローしてきた時点ではまとも。

それが段々おかしくなってきて、誰かと会話しているよりも自分一人で

奇妙言葉をどんどん投稿して誰かと絡んでいる様子でもないし

「ふぁぼられたいのかな?」という推測と

そんな人間twitterにはいっぱい居て、

そんな事をいちいち気にしてもしょうがないのか?

という疑問があったので。


最近その人も少しは人間っぽくなってき

・・・いや、今見たらあんま変わってないな。

バグってる。日本語ですらない。

たまに正気に戻る。虎眼先生なのかもしれん。


とりあえずその"ふぁぼられたい病"という予感が正しなら

じきに鎮静化するだろうから一時的に最新投稿だけ

消せるような仕組みは無いものだろうかとも

思ったんですけど、コメント見てもremoveしかないっぽそう。


>>Twitterは人によってどんな人をfollowしているかが違うから、違う話題を見ているわけ。私の画面では繋がった発言でも、人によっては脈絡がないように感じてしまうのかもしれない。


こちらも最初はそうかと。

でもそんなレベルじゃないし@もつかなかった

"ふぁぼられたいがために"やっているのかと思ったら

疑問が一気に嫌悪スライド。基本は無視。

稀にネタクスリとする位の精神的余裕は当方有。


ネガコメで残る人を篩いにかけてそうな

学生さんの方は単なる社会人の僻みですよ。

twitterPC手元にある学生さん

IT関連の仕事してる人のさぼりツールだと

思ってるんでそこら辺がコアユーザーな

はてな民にぴったりだなコレ。

でも俺はPC手元にない!寝魂!


こちらは当人はてブにご執心なので書いとけば

見るかなという婉曲伝言板を兼ねてました。

・・・予想通り当人見てた。

でも気付いて無さそう。

意外となんとかなんだよ。人生。レールから落っこちても死なないし。



正直もっと荒れるかと思ってたんですが意外と皆さんご親切で。

いや、釣りとかそういう事で書いたんじゃないです。

こう思っている人もきっといるだろうなという

漠然としたモヤモヤを表に出してみたかった。

でもこちらの見当外れ?だったみたいです。


followしてくれたから軽く返したんだけど

結構2人とも重めでどうしたもんか一時非表示できないのか

removeも簡単にしろとは書いてあるけど

相手も減ったら嫌なのかそれとも気にしないのかで

ちゃんと利用者の声を聞いてみたかった。


twitter使ってみたら既存のサービスでやってる事が

被り過ぎてていまいち使いどころがわからず

同じ事をこっちでやっても仕方ない感じで

URLはっつけてもブクマがあるし意味ないんではというか

連投はウザいのかとか様子見をしてるような人間には

向いてなさそうなツールであるのはよくわかった。

そうだとは調べてわかっていたけど

実際自分で確かめておこうと。



まー何書いても自由だし

そこは否定してないし

ネガコメ書かれても適当スルーしてんだけど

なんかヤだなぁと思ってもそれは自由なんでは?


使い方が間違ってる云々書いてる人いるけど

ああ、また自分意見を押しつける奴かという

レッテル貼りして文ロクに読まないで否定。

わからないから聞いてると書いてる。

お前俺馬鹿ニスルカ。


自由に書いていいという立ち位置に居ながら全然自由じゃない。

twitter充じゃないこちらから見ればものすごーく傾いてる。

自由であれという考えを押しつけてる時点で自由じゃない。


どっちかに寄り過ぎると

「こいつ媚びてんのか」というレッテル貼りした

こっちと立ち位置が違うだけで

階層的に同じ所に居るんではないですかね。


その意見を決して曲げる気はないというなら尊重するけど。

2009-02-02

id:jt_noSkeが物凄い量のダジャレを言ってるんで、何なんだろう、と思ってた。はてブは3年くらい見ているけど、ここ半年くらいで見かける頻度が急激に増えた気がする。

どんな人で、どんな目的でダジャレを飛ばしているのか不明なだけに奇妙に思っていた。はてブコメントなんて大喜利みたいなものだから、面白いことを書くのは結構普通で、はてなスターぐらいポチっとするかもしれないけど、誰が書いてるかなんて9割5分くらい覚えてない。普通なこと書いてあった日にゃぁ、100%覚えていない。

でもid:jt_noSkeは違う。つまり何だ、うん、彼のダジャレはね・・・、つまりそうなんだ。言いにくいんだけどね、うん、察してくれると嬉しい。

逆に疑ってしまうよね。(おそらく)膨大な時間を割いて、なぜあんなコメント製造しているのか。何かあるんじゃないか、と。JTの印象を悪くするための新手の工作なんじゃないか。実は発展型自然言語認識プログラムなんじゃないか、とかね。

ていうか、他のはてなユーザがこの奇怪な事態に何事もないかのように過ごしていることの方が驚きだ。実はid:jt_noSkeは相当な有名人で、あのダジャレの目的もまた常識と化しているのか?知らないのは俺だけ!?

なんて思ったら1年以上も前に同じことを思ってる人が居て安心した。

http://anond.hatelabo.jp/20071020124805

2009-01-29

http://anond.hatelabo.jp/20090129211626

メビウスの輪を中心で切り進んでいくと、鎖状になるんだっけ?

んで一ひねりを二ひねり、三ひねりしていくとますます奇妙な結果になる。

分数の割り算にもそういう不思議があるのかもしんない。

2009-01-28

[]2日目断片から書く

<お題>

http://anond.hatelabo.jp/20090127155920

ある日曜の朝早くにスタントン通りを歩いていると、何メートルか先に一羽の鶏が見えた。私の方が歩みが速かったので、じきに追いついていった。十八番街も近くなってきたころには、鶏のすぐうしろまで来ていた。十八番街で、鶏は南に曲がった。角から四軒目の家まで来ると、私道に入っていき、玄関前の階段をぴょんぴょん上がって、金属の防風ドアをくちばしで鋭く叩いた。やや間があって、ドアが開き、鶏は中に入っていった。

鶏が入ったあとも、防風ドアは鶏が通っていったまま開いていた。隙間から中を覗くと家が見える。歴史のあるたたずまいの屋根がとんがった家があり、その玄関に向かって鶏は歩いていった。防風ドアと同じように玄関の古びた木の扉を4回くちばしで鋭く叩くと、木の扉は重苦しいきしみを響かせながらゆっくりと開き、鶏は家の中へ入っていった。

鶏がとる行動に奇妙不思議さを感じ、好奇心が背中を押す。わずかに開いた防風ドアを抜け、少しだけためらったあと、鶏について木の扉から家の中に入った。

大きな家だった。外観からすると内部は広く、玄関にある調度品がすべて特注品のように大きい。暗い廊下が続いていて、肌寒く感じる。カビの匂いと熟した果実のような甘いにおいが漂い、香を焚いたように煙っている。物音は何も聞こえない。廊下を抜け、リビングに入ると、大きな窓のカーテンが締めきられ、ソファが並んでいた。わずかにカーテンの隙間から光が差し込んでいる。リビングの壁には大きな鏡らしきものが掛けてあった。

「御到着かな・・・・・・」

突然リビングに低く静かな声が響き、奥のソファに一人の男が深々と腰をおろしていた。大きな体と無造作に肩まで伸びた髪、表情は暗い影になって読み取れない。

「対称なる時、対称なる街、対称なる道順」

男は淡々言葉を続ける。

「あと必要なのは、対称なるいけにえ・・・・・・」

暗い部屋に響く男の言葉に、冷たく刺すようなくぐもった笑いが混じる。原始的な危機の感覚が呼び覚まされ、リビングを去ろうとするが、体が動かない。

足元を見ると、足元の黒い床に丸い円と不可思議な見慣れない文字、そして数々の文様が白いラインで描かれている。

「すでにもう始まっているんだよ」

こみあげてくる恐怖に声をあげると、鶏の鳴き声が室内に響いた。

リビングの鏡が見える。

鏡の中には見慣れた自分の姿は無かった。そこに映っていたのは、白いラインの円の上でもがく一匹の鶏の姿だった。

いつの間にか男は左手に鶏を持っていた。

ソファからゆっくりと立ち上がり、円の上でもがく鶏に、男は右手を伸ばした。

2009-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20090120193842

元増田さんレスサンクス。一個前の増田です。ボケwとか言ってるのは私じゃないです。まあ増田はみんなで増田だけど。

さて、私が「本当は『生むか生まないか』より『生みたいか生みたくないか』が問題だ」としたことに対して、「私は一回も『産みたい』と思ったことがありません。/産みたくないとは思っても。/好きな人がそばにいてくれるなら産んでもいい」とのお返事でしたが、『産みたくない』があなたの考えなら、産む『必要』は全くないでしょう。そもそも「社会が求めているから」という言い訳で「望まれない子」を社会に送り出して社会に負担を強いるというのは矛盾ですらある気がします。

先に私は「望まれない子」にも当然意味価値を創出することはできる、というようなことを書きましたが、それは「自分人生自分の行為を価値づけ意味づけるのは自分意志だ」という考え方を前提にしているからです。「望まれない子」にだって「自分意志自分人生意味づけ価値づけること」は当然可能です。

そしてその考えこそがまさに、あなたに対して「自分の意志で選べ」と述べた理由になります。どこかにある「客観」とか「社会」に判断をゆだねることは、あなたが自分を「客観」とか「社会」とか…要するに「世間」の奴隷にすることです。そんな人生には意味価値もない、と私は考えるからです。「自分の意志でない行為を自分に強いる奴隷的行為は無価値だ」「従って『産みたくない』なら産む『必要』はない」…要するに私が言っているのはそういうことです。

次世代再生産?社会要請?そんなのは全て、精神奴隷が反逆できないことを取り繕うための言い訳ではないですか。「ご主人さまが望むから…」それは、奴隷奴隷でい続けることの正当な理由ではない。もし真に自由意志で『社会要請』をあなたが真摯に考えるほど社会に対する奉仕精神が豊かなら、あなた自身が産まない選択をしても、「望まれずに生まれた子の世話」をする職をあなたの意志で選択すればそれで充分ではありませんか。

さて、以下は若干私の推測を含む話になり的を外れているかもしれないことを恐れますが、私が元増田さんに「あなたは他人が論理から逃げる、と批判しているが、本当はあなたこそ『論理に逃げている』のでは?」と指摘したのは、あなたがご自分の感情にその論理的分析の刃を向けることを奇妙に避けているように感じたからです。

「あなたはなぜ『産みたくない』のですか?」

意味がないから…、意味が見いだせないから…」などは「産みたいと思わない」ことの答ではあっても「産みたくない」ことの答ではありませんよね。あなたをして「産むこと」を積極的に忌避せしめているものとは一体何なのでしょう?

2009-01-12

「先輩は敬うべき」と言う論理を声高に叫ぶ人がいるのだが

第二新卒の人が知っておくべきたった一つのマナーを読んで何となく思い出したことがあったので、だらだらと書いてみ増田

うちの会社は特別妙な会社で、関連会社から人が集められて、グループ内の新しい会社として誕生した会社だ。設立されてからまだ何年もたってない。

その中で、自分会社が創立される前に、事前に契約社員として親会社に新しく設立される会社……つまり今所属している会社にに入るための人材として雇われたという経緯があったりして、新会社で、親会社から出向されている方々をのぞけば、会社で一番今の会社での職歴が長い。

会社は正式に設立され、中途採用募集をかけて人材を急激に増やしたので自分より年上の人や、いわゆる第二新卒と呼ばれる人々が中心で数十人入社してきている。

というわけで、自分

「出向者をのぞく会社在籍者では一番会社の在籍年数が長いが、年齢は下から5番目」

という奇妙な立場を強いられている。

そう言う立場から言わせてもらう一つの話。

大体4人目ぐらいに入社してきた、年齢的には三十代中頃ぐらいの人がいるのだが、自分はその方よりだいぶ年下である。その方はブルーカラーホワイトカラーの中間ぐらいの職歴を持つ人で、完全にホワイトカラーに入る今の仕事はあまり不慣れであったということもあって、自分が業務に必要なソフトウエアの操作方法なども教えたりしていた。

そう言うこともあって、その方は結構自分を敬ってくれる。いや、年上なので当然話し方は「増田君」的なのだが、それなりに尊重してくれるというか、仕事で何か相談的なことがると、意見を聞いてくれたりしてくれる。

これは大変ありがたいのだが、問題はこの後。

新しい人が入ってくるたびに、この方「新しい会社に入ったら、いくら年下でも先にいて仕事をしている人の方が先輩で、お前は新人なのだからもう少しそう言う振る舞いをしろ」と言って回っているようなのだ。そして同時に「増田君が一番長くて、次は誰々で、その次は誰で、次は俺で、その後は…」と序列を吹き込んでいるらしい。

その教育(?)のせいか、新しく入る人はだいぶ年上でも「増田さん」的な感じで妙に職場としての丁寧語というより、さらに丁寧な言葉遣いというかで接してくるのである。

正直、すげーやりにくい。

自分は別に「一般的序列は守って」「職場なんだから基本的にだれであろうと口頭では"さん"を使って丁寧語が基本」という派であって、そりゃ、営業職とかで言葉遣いの訓練を兼ねてるところはともかくとして、普通仕事をしていく上ではそんなことは過剰に言ったり言われたりするのはあまり意味がないと思っている。

が、逆にそういう「マナーを守れ」「先輩を敬え」というこの手のことを言って回る人は、この秩序が当たり前であるって信条というか信念のようなものがあって、疑ってない。

確かにそう言うことも大事だし、上下関係が指揮命令関係に直結しているON/OFFがはっきりしていないところ(≒ほとんどの職場)ではそういうことをはっきりしておかないとスムーズに進まない面があるってことはわかる。わかるのだが……。だが、この考え方だと年功序列が染みついてしまって、後から入った人間や年下の人間が上に立つことになったとき「俺の方が長いのに」とかそういうつまらないことになって軽視されるとか、そう言うことにつながらないだろうか。

どうもなじめないというか、やりにくいのだ。

同じ職場に配属になった人は、だんだんなじんできてそういう妙なぎくしゃく感は減っていくのだが、層でない人は未だにそう言う感じというかイメージが残っているみたいで…。やりにくいことこの上ない。

特にオチはない。

2009-01-08

[][]新世界

すべての人間は凡人と天才の2種類に分けられている

凡人は支配され服従を好む

法律奴隷であり子孫を残すための材料として存在している

それを支配するのが数100万分の1の確率で生まれてくる天才である

天才とはナポレオンマホメットのような世界に新しい思想革命を起こす独創的人間

新世界を作るためなら人を殺してもいいし新たな法律を作る権利も持っている

たとえばニュートンはあの重力研究を誰かが邪魔をして人類の発展を妨げた場合

ニュートンはその邪魔者を殺す権利・・・

いやむしろ殺してでも世界研究の成果を発表する義務があったと思います

だからと言ってニュートンが罪のない人たちを自由に殺したりする権利を持っていたことにはなりませんよ

では天才に罰を与えるのは一体誰だろうか

おそらく自分自身に罰をくだすでしょう

天才が法を作り罰を決めるのですから


奇妙な夢を見た

新世界エルサレム

かしこ世界にはおそろしい疫病が蔓延していた

自分だけが正しいと思い込む病

すべての人々は他人の考えを軽んじ

互いに相手が理解できず

自分だけが真理を知ってると勘違いして

つまらない恨みで殴り合いをはじめ互いに殺しあった

これだけ自分だけが絶対と信じる人々はかつていなかった

すべての人々が罪のなすりあいを始めてついに何もかも滅びてしまったのだ

これが俺の望んだ新世界

これが天才のすることか?

2008-12-31

http://anond.hatelabo.jp/20081230213406

http://anond.hatelabo.jp/20081230213406

を書いた、教えて君ですm(_ _)m

おすすめの二冊目を教えていただきありがとうございます。

教えていただいた中から

はじめてのRubyプログラミング

Rubyで作る奇妙プログラミング言語

を購入しました。

これで少しずつプログラミング勉強していきたいと思います。

あと、はてブのほうで書かれていた、Rubyの歩き方を読もうと思います

ありがとうございました

m(_ _)m

2008-12-19

女子小学生に誘惑(?)された話

枕は関係ない自慢話。

ボクの母親は今はどこにでもいる専業主婦ですが、昔はモデルとか女優とかをやってまして、その頃の写真を見るとまぁ綺麗です。例えると中根かすみのような人なのでした(残念ながら過去形。時は非情)。母から某大物俳優Mの面白い話を聞いたりしていますが、それはまた別の話。

そういうわけでして、ボクにもその血がたっぷりと注ぎ込まれているのです。運良く母親似だったボクは顔には恵まれて鏡を見るたびに見とれてしまうようなナルシストに育ってしまいました(運悪く頭は……ってわけですね)。

いい思いもたくさんしました。電車に乗っていると、いきなり女子高生二人組が寄ってきて「どこの高校通っているんですか?」と聞いてきました。JKは時と場所をわきまえずいつも二人組だ、などと考えながらケータイの連絡先を交換しました。

では、枕はここら辺にして時計の針を進めましょう。ボクはまたもや電車に乗っていました。大学生になったボクは平日の昼間から堂々と乗車する度胸を手に入れてました。ガラガラ電車内、座席の真ん中に座って、何をするでもなく広告や外の景色を眺めていました。

すると、一人の小学生らしき女の子が乗ってきたのです。後から思えば平日の昼間に小学生が、しかも一人で乗ってくるなんてそれだけでどこか日常とズレてるのですが、すっかり大人になったボクはそんなことどうとも思わないほど他人に無関心で冷淡になっているのでした。

彼女はボクの向かい側の座席の左端に座りました。そこでの彼女奇妙な行動がボクの年齢を重ねるごとに減少していた好奇心を刺激したのです。彼女はチラチラとこちらを見ると少しずつ、少しずつ座席を右に移動していきました。何をしているんだろう? 彼女はついにボクの真向かいに移動してきました。このまま右端に行くのだろうか? と思っていると彼女はボクのこと数秒間見つめると、M字開脚のようなポーズを取ったのです。混乱をしたボクはすぐに目をそらしました。彼女スカートをはいており、中の下着が丸見えだったのです。

ロリコン気質のないボクでも胸が高鳴りました。いったい自分の目の前で何が起きているんだろうか? どうすればいいのだろうか?

とりあえずその場を離れようと思い、席を立ちました。ボクは彼女が最初に座った左端、つまり彼女と並んで座ることにしました。その時何故そうしたのかは覚えてません。とりあえず彼女の下着が見えないところに行こうとしたんだと思います。ところがこれで問題解決なわけはなく……彼女はボクの方に寄ってきてあろうことか話しかけてきました。

「ねぇ」

最初は無視してましたが話しかけられた以上、もう席を立つこともできず、彼女も服を引っ張ってくるしで根負けして返事をしました。「なあに?」

「お兄さん、綺麗だね」

この手の言葉の投げかけには長年、どう返答するか苦慮していましたがつい最近ベストと思えるアンサーを発見したのでした。ボクはニッコリと精一杯の笑顔を作って「ありがとう」と答えました。

「今からどこに行くの?」

「ん、大学だよ。……キミは?」

「さぁ……手触っていい?」

「え……ダメだよ」

「なんで?」

「いや、だって……」

「いいじゃん」

触るどころか指を絡ませて握ってくる彼女女子小学生と手を繋いで話している大学生。この光景ってヤバくないか、昨今の状況から考えて、とヒヤヒヤしてしまう。一刻も早く降りたいが、次の駅まではまだまだある。頼む、車掌の気まぐれで時速150キロぐらい出してくれ。

大学って楽しい?」

楽しいよ、友達もたくさんできるよ」

大学って何するの? 遊ぶの?」

「んー、遊んだりもするけれど、勉強するところだね」

勉強って楽しい?」

「うん」

勉強ってどこが楽しいの?」

「えぇーっと、そうだね……色んなこと知るのって楽しいと思わない?」

「わからない」

「例えばさぁ、旅行に行くのって楽しいでしょ? 行ったことのない場所に行って見たこともないものを見たり聞いたりするのって楽しいんだよ。勉強って頭の中だけで旅行するようなものだよ」

彼女はよくわからないといった感じで「ふぅーん」と呟いた。電車内に「もうすぐ次の駅につきます」とアナウンスが流れる。すかさず「あ、俺次で降りるからさ」と彼女が握っている手を離そうとするが、彼女は拒んでいっそう手に力をこめる。

「ねぇ、さっき見たよね?」

「え?」

「さっき、わたしのパンツ見たよね」

「な、なに言ってるの?」

「どう思った?」

「いや、降りるからさ」

「どう思ったの?」

「どうも思わないよ!」

そう言うと彼女はうつむきました。しまった、これってもしかして泣いて叫んで痴漢成立か? ボクはロリコンとして社会的に抹殺されてしまうのか? 退路を絶たれた上に一生後ろ指を差されて過ごすことになるのか? やばい、早くこの場を離れなければ。

すると、彼女はもう一方の手でポケットに手を突っ込むと中から携帯電話を取り出した。彼女は「アドレス交換しよう」と言うが、ボクは「ごめん、今壊れてるんだ」と言い、電車が駅についたのを見て無理やり手をほどいて足早に降りた。彼女は追ってくることもなく、ボクは階段を降りながら電車が去っていくのを確認すると、その場に座り込み、彼女携帯電話プリペイドだったことを思い出すのでした。

以上、昨日のできごとです。これといった物語らしいオチが用意されていないあたりがやはりそこは現実で、物語が終わったあとの出来事、というほどの色気あるものもないと思います。彼女とはもう一生会うことはないだろうし、回想も数回だけしてすっかり忘れるでしょう。彼女はいったいどこから来てどこに行くつもりでなにが目的だったのか? 考えたって答えが出ないところが現実の面白いところです。

2008-12-16

克目せよ!竜王戦最終局

渡辺竜王羽生名人か、初代永世竜王の座を掴むのは。いよいよ竜王戦最終局が明日午前9時に始まる。

竜王位は名人位と並ぶ将棋界の最高タイトルであり、唯一無双の最高額タイトルである。挑戦者アマ女流を含めた実績考慮の変則的トーナメントで決定されるため、トーナメント出場資格以上の実績が無くとも連勝さえすれば最底から一気に挑戦者となることができる。7回の保持または5連続の保持で永世位の資格を得る。

----

羽生は最強の棋士である。7大タイトルの独占後も無冠に落ちたことはなく、7戦以上して負け越している相手はゼロ。勝ちまくるため自然と強い棋士との対戦が多く組まれてゆくにもかかわらず生涯勝率は38歳にして7割を優に超えている。複数回や連続年度獲得すると得られる永世名誉位も6つ手中にし、残る永世竜王位もあと1局を残すのみとなっている。あらゆる戦形を指しこなし、長期的視野にたって目先の1局だけでなく後々に経験が生きるように指すことも多いと自他共に言われていたが、今期竜王戦だけは勝利に徹した差し回しを選択していると噂されている。

迎え撃つは24歳の渡辺である。羽生と同じく中学生プロ棋士になり、若干20歳で竜王位を奪取した。その後も強敵相手に防衛を重ね4連続保持の最中のため、この1局に勝てば永世竜王位の資格を得る。しかし獲得したタイトル竜王だけであり、また羽生を倒してのタイトル獲得防衛ではなかったため、他の一流棋士に厳しく評されることもあった。将棋純文学と形容される本格的な戦法である居飛車、矢倉、穴熊に強い。

二人は5年前にタイトル王座を巡ってフルセットを戦ったが、最終局終盤で羽生は手が震えて駒がまともに持てなかった。しかしその後は不思議なことにほとんど対局は行われず、今年の五月にネットでの対局が組まれたときは、なんと羽生コンピューター操作にトラブルがあったようで時間切れ負けとなってしまう。そのために事実上最強の羽生と最高タイトル竜王を保持する渡辺が並存するという奇妙な状態が5年も続いていた。しかし、遂に羽生竜王位に復位せんと勝ち上がってきたのである。

こうして若手の渡辺竜王に最強の羽生名人が挑戦するという、感覚とは逆の不思議な大勝負が実現した。

----

第1局はパリで行われた。これで勝つはず筈とほとんどのプロ棋士が思った渡辺竜王の攻めを、羽生自分だけが観えていた大局観で凌いで羽生挑戦者勝利。格の違いを見せ付けられたようだった。

第2局は細かい攻防が続いたが、渡辺竜王の苦心の手もそれまでの僅かな劣勢を跳ね返すに至らずに羽生挑戦者連勝。第1局での後遺症が響いたのかと噂される。

第3局は渡辺竜王の新手を羽生挑戦者が咎め初日の夜から大差になり、以降渡辺竜王はいいところなく無残な敗北を喫する。渡辺竜王からは沈痛な感情がありありとみえ、ブログでは「内容が悪くて申し訳ない思いです」とまで記された。単なる一局の敗北に留まらず決定的な精神ダメージを負ったのではないかとまで噂される。ともかく羽生挑戦者3連勝で渡辺竜王を追い詰めた。

第4局も羽生挑戦者不思議な駒の使い方をして、渡辺竜王を専守できないように誘導してから自陣をガチガチに固めることに成功する。なんという一方的な展開だったのかと次々に観戦者から悲鳴が上がり、また別の者は羽生挑戦者の勝利とみて永世竜王位の祝杯を早々とあげはじめる。

ところが。

何度も敗北を覚悟しながらも妻に応援された通りか粘っていた渡辺竜王の玉は、羽生挑戦者の猛攻を打歩詰めの筋というギリギリでかわしていたのだ。後に本人でさえも「最初はそんなことがあるわけないよな、と信じられませんでしたが・・・。」と語るほど不思議な決着で、奇跡の逆転を果たす。まるで第1局を映したかのように。

第5局は渡辺竜王が序盤から少しずつリードを重ねていき、羽生挑戦者の仕掛けた深遠な罠をことごとく見破って勝利した。大局後の検討で様々な質問に対して深いところまで丁寧に回答していたという。この一局はがっぷり四つの横綱相撲のようであり、まるで第2局を映したかのようでもあった。

第6局は渡辺竜王が矢倉から早々に戦いを仕掛けていき、そして一日目の昼下がり、誰にも語らずに温めていた新手を放つ。これは大丈夫なのかとの声が観戦者から上がる。……しかし羽生挑戦者の様子がおかしい、僅か数手で持ち時間がみるみる減っていく。深く検討すると既に羽生挑戦者がかなり苦しい事がだんだんわかってきた。それから羽生は食事もあまりとらず、あるいはとれなかったのかもしれない、膝元に毛布を置いていたのだから風邪とも噂されるが、過去羽生挑戦者風邪の方が緊張がとれてかえってよかったと言いながら勝った事があるため不明。ともかくその後は羽生挑戦者にいいところが全く無く……そう、まるで第3局を映したかのような惨敗を喫したのである。

----

最終戦終局は明後日の午後6時前後予測される。

[][]「この金融政策が日本経済を救う」高橋洋一 ←日本経済を救う根拠はどこにも書かれていない

「この金融政策が日本経済を救う」(光文社新書高橋洋一 について

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/da64d8628af2b3d9223f3699d4b2401b

インフレ目標についての主張は、かつてに比べると後退していてわかりにくい。

デフレのとき実質金利マイナスにできれば望ましいのはおっしゃる通りだが、それを実現する手段が不明だ。クルーグマンも認めたように、デフレのとき中央銀行インフレ期待を作り出す手段はないのだが、「効果の波及メカニズム」についての説明がない。かろうじてそれらしいのはシニョレッジだが、これは著者も認めるように金融政策ではなく財政の問題だ。

金融政策の入門書としては「世界一簡単」かもしれないが、それが「日本経済を救う」根拠はどこにも書かれていない。よく読むと人為的にインフレを起せるとは書いてないので、著者も(師匠バーナンキと同様)リフレ政策は放棄したのだろう。

バーナンキのように、自然率におかまいなしに(それを下回る)超緩和政策を5年も続けると、今のような悲惨なことになるのだ。

重要なことは、日本経済の直面している問題は単なる「景気回復」ではないということだ。百歩ゆずって著者のいうマイナス金利自然率との乖離がなくなったとしても、それは低い自然成長率で安定するだけで、日本の長期衰退は止まらない。本質的な問題は、成長率を上げる規制改革だ。霞ヶ関構造改革孤独な闘いを続けた著者が、それと無関係に古いケインズ的な金融政策を主張するのは奇妙である。問題は景気じゃないんだよ、わかってるだろ?

2008-11-29

Re: anond:20081129093133 または伝言ゲーム

http://keiesworks.blog122.fc2.com/blog-entry-255.html

なぜか元の元が消えているのでgoogleキャッシュ

http://72.14.235.132/search?q=cache:http://keiesworks.blog122.fc2.com/blog-entry-255.html&hl=ja

以下、わかりやすく翻訳しても長くて読みにくいのは変わらないので自分の読み取った結論を3行で書くと。

  • モノが違うんだから、原作アニメは違っていて当たり前。売るために同じにしたいみたいだけど。
  • 何を語るか、ではなく、どう語るか、で見るべき。それが今の時代だろうが。
  • 富野村上は全然違う。新房山本はまだ違っているけどやりにくい時代のなか先に進んでいる。見ている側、追いついてるか?

まあ、2ちゃんねるアニメ板界隈ではそれほど新しい主張ではないな、と翻訳しおわってから思ったけど。

では。

原作至上主義」のふたつの定義

  1. 作る側が原作に忠実であろうとすること。
  2. 見る側が原作に忠実であることを期待すること。

問題の提起

まあ、原作至上主義って言ってもいろいろ視点はあるよね。

  1. 原作(マンガとか)とアニメは見た目が違うよ
  2. 見た目が違うのに、原作をそのままアニメコピーなんてできないよ
  3. 見た目が違うのに「同じ作品だよ」と言って商売することが求められているよ
  4. 作る側も「同じ作品にしたいよ」「俺の作品にしたいよ」と言う人がいるよ(他にもいるかも)
  5. 見る側も「作品から生まれた発想を見たいよ」「なるべく忠実に再現してほしいよ」という人がいるよ(他にもいるかも)。

原作至上主義」って、これらの問題が混ざり合って出来てるよね。一応仕事だからこんな話があるのは知っていたけど、正直気にしだしたのは、noir_kかくかたりき改めnoir_kはこう言ったエントリに煽られたから。日だまりスケッチ×365とかかんなぎとかに関して「原作アニメのあいだ」とも呼ぶべきものが問題にされていて興味深かった。世の中わかった気がした偉い人が「統計学的な分析」とか「メディアが違うことを無視した分析」してるけど、この人は誰だかわからない、ってことは別にしてとても興味深いよ。

自分なりにまとめると、id:noir_kが「原作至上主義」について言ってることは、

ていうことだよ。

なので、この人の言いたいことはともかくとして、自分もその流れで「原作至上主義」について考えてみるよ。

批評」が利用する原作アニメの「間(あいだ)」という「ギミック

批評」って、見る側がするものだと思われがちだけど、作る側もするんだよね。作る側の批評というのは、過去アニメ作品とかアニメ以外の作品について、「批判」することなんだけどね。ガンダムエヴァンゲリオンはもちろん、アニメ以外のテレビ番組とか、ネットとか映画作品とかゲームとかコミックとか小説新聞美術作品とか、そのへんを「批判」するってこと。

みんなわかるとおり、今アニメを作る側の「批評」ってこんな感じだよね。

また、この辺が「新房昭之」「山本寛」あたりから始まる、ってのもみんなわかると思う。

まあこのへん「批評的な営み」って言うのかな、これ、

  1. 原作アニメがもの(メディア)として違う
  2. だから、表現としても原作アニメは違ってくる
  3. だから、アニメ原作を忠実に再現することなんか不可能
  4. でも今は原作アニメは同じものとして扱いたい(「横断可能性」)
  5. だから、表現として違うとか再現不可能とかそんな話は忘れる。

という流れを「忠実に反映」してると思うよ。

ちなみに、引用のうち、実写映画の技法、特に画面の構図とか物語の構成とか色合いとか撮り方編集の仕方に関する演出とか、に関するものは、それ出来るところが先にやったもん勝ち、っていう実情があるよ。

今はメディアミックスの時代だから、アニメ作る側も、原作アニメを同じものとして作ることが求められている。でも原作アニメって、片方は印刷したもの、片方は画面で音がついて動くものとして別のものなんだから違うものとして考えようよ、ってid:noir_kが「原作至上主義」に対して言ってることってなかなか良い意見だと思うんだ。

これらは仕掛けとして考えれば同じもので、見る側作る側はこの仕掛けを通じて共犯関係になる。そして「原作アニメが同じものとして作られるものだという空気」が、これらが、なにかを考えて作られたものだな、とみんなに思わせる目印になっている。この目印を越えて、今のアニメの演出が進むことで、アニメを作る側も見る側も、新しい批評が出来るとわたしは思うよ。

物語構造分析(未満)

こう書くと、ストーリーって重要な要素を忘れているのではないか、と言う人もいると思う。ただ、ストーリーって編集という演出の産物なんだよね。で、ストーリーは「ある内容」を「どう語るか」にあるわけだけだけど、「ある内容」ってもともと5から20個くらいのパターンしかないから、そこを評価しても仕方がない。「どう語るか」は批評対象になるかも知れない。ニューヨーク9.11テロを題材にした物語は無数にあるけど、それをどの視点からどのように語るかということが重要だということ。うっとうしく社会学で語ると、これが「批評空間」世代と「東浩紀宇野常寛ゼロ年」世代の差異だということ。後者はおもいきり戦略的に「物語論」へと反動的に回帰しているように思われるし。言い換えると、「表現論」派と「物語論」派がいるよね、ということ。

世代が新しくなってるから、「表現論」派の肩身がきわめて狭くなるのは当たり前だよね。現に、自分は「コードギアス 反逆のルルーシュ」が「表現論」的な演出を自粛した作品だと思っているし、そのあらわれとして「物語論」派から支持を集めることに成功してるし。そして、このアニメ2008年を代表しうるアニメだからね。

アニメーション歴史の忘却

アニメって、他のジャンルと比べても忘れられる度合いが例外的なほどに高いように思う。半年前のアニメさえ鮮明に思い出せないことの方が多い。これは何故だと思う?

それは、異常なまでに「物語」と「登場人物」(声優とか声優演技のしかたも含めて)が似ていて、なんか同じものの繰り返しになっているから。

アニメ以外の、コミックとかゲームはよく知らないんだけど、コミックを例に取ってみようか。まあコミックも簡単なパターンで作られているようにみえる。でも、「美術小説に関して明らかに規範的なテクニックを持っているのにもかかわらず、下手くそな画で馬鹿げた物語を語っている」漫画家が確かに存在しているのね。おまけに、存在しているのみならず人数も多い。

けれども今の時代、経済構造の都合でアニメ業界はそれができない。「原作のないオリジナル作品が作れない」っていう意味ではなく、「オリジナルなものが抑圧される」という意味で。俗っぽい例えだけど、「優れた直木賞」は受け入れられても「中途半端芥川賞」は抑圧されるということなんだよね。だから、ほとんどの作品が忘れられていくのは当然の事態なの。(より正確に言うのなら、「直木賞」と「芥川賞」の差もなくなっているし、アニメ歴史の問題というより、今アニメを作る人が信念を持って「特化」しようとすると、淘汰されるということかな。でも「特化」なんて言えるようになったのが90年代に入ってからのことなので、奇妙なねじれがあるようにみえるんだよね。この「ねじれ」を作家主義が引き受けたこと、そしてインターネット社会が同時的に誕生したこと、これが、「アニメーション歴史におけるヌーヴェルヴァーグ」〈山本寛の談〉と呼ばれる事態なのかな、とわたしは考えるよ。)

原作至上主義」は正しいのか、間違っているのか。

現代のメディアミックス時代における、アニメ作る側の「原作至上主義」、インターネット社会におけるアニメ見る側の「原作至上主義」。

相対主義を標榜するほどナイーブでもないので私見を述べると、どっちも間違ってる。

アニメ作る側がいくら「原作」を「模倣」しようが、メタフィクションパロディ引用自己言及、そして実写の早い者勝ち引用ゲームからは抜けられない。アニメ見る側がいくら「原作アニメはこんなに似てる」と言おうが、根本的にそれは異なるものだから。根本的に違うものなので、いくら似てると言っても意味がない。それとも、類似点を言っていればヘーゲルの時代に戻れるとでも思っているのかしら。

ヘーゲル小説のことを「市民社会ブルジョワ的な叙事詩」と定義した。要するにアニメの場合、「表現論」派に対して、世界の全体像の提示を旨とする「物語」派が復権するということは、奇しくもヘーゲルへの回帰をも意味するということ。言い換えればこれが「市民社会」論・「公共性」論・「安定的な社会秩序」を懐かしむことにつながると言うこと。でも、懐かしがって出来た物語は「秩序の混乱・解体→回復」という説話の構造でしかないし、その物語は「売れる=消費される」社会の現状維持的な肯定。果たして、それでよいの?

富野由悠季村上隆

ひっそりと深夜に放送されるアニメを作るのも見るのもまっぴらごめん、と言う態度は適切だし、ましていい大人、常識的な社会人が、という話なら正しい振る舞いでもある。

ただ、昔の人が反語的に言うような、アニメステータスシンボル(「オタクのしるし」とか)以上の存在価値を持ち得ないという議論は、あまりにも不毛で、杜撰で、素人じみている。富野由悠季まで戦略なしに不意に言うのを聞くと、断固として反論する必要があると最近思っている。そして逆に、圧倒的な「アニメコミック」表現に関する戦略性(プレゼンテーション歴史的な文脈づくり)で欧米諸国を震撼させた村上隆のような現代美術家に対しても、最近では諸手を挙げて肯定することは出来なくなっている。

富野ペシミズムと、ペシミズムの盗用により現代美術世界で名だたる作家となった村上隆

新房昭之山本寛

なんにせよ、この2人が、行き詰まっている現状でぎりぎりの戦略をとっていることは胸を打つ。この固有名詞が、アニメにやってくる。決して2人とも現状を抜け出すことには成功していない。2人ともテクニックはあるけれど、状況を突破するほどの何かを示してはいない。

でも、新房はテーマとの暴力的な遭遇(西尾威信小説アニメ化)によって現状を何とかしようとしており、山本アニメ作りと同時に言論活動を展開することで、自己弁明しながらも新しさを模索しているようかのようにみえる。

そして、まちがってもそれらは、『ef -a tale of melodies.』(※監督大沼心、監修:新房昭之)や『かんなぎ』のような作品で実現されているとは思えない。両者で見るべき点は、妥協および「過度な演出によるスペクタルで視聴者の恐怖心を煽ること」以外にないのではないか。

それから

けれども、「過度な演出によるスペクタルで視聴者の恐怖心を煽る」というとき、その恐怖心こそが、富野村上には見いだせないものであって。

くだらないテーマの指摘とか、原作アニメが違うだとか、ありふれた技法を指摘するだとか、歴史的にあれと似ているとか、そんな指摘は新房や山本が恥じらいながらも表現しようとしているものにまるで追いついていないのよ。

2008-11-23

http://anond.hatelabo.jp/20081122230757

とても簡単な話で、Jane Plantのキャリア地質学からその延長の環境科学に関するものであって医学ではない。

それは日本語出版元のサイトでもわかるし

http://www.komichi.co.jp/bd/4-7705-0200-1.html

インペリアル大学教授としての執筆リストでもそれは裏付けられる

http://www3.imperial.ac.uk/people/jane.plant/publications

出版元に「2005年 英国王立医学協会(Royal Society of Medicine) 終身会員」とあるが、

インペリアル大学サイト

http://www3.imperial.ac.uk/people/jane.plant

では 2005 FRSM とある。Fellow ということ。

http://www.rsm.ac.uk/membersh/catmem.php

によれば、会員は Fellow か 学生か 準会員か、しかないので、

Those holding medical, dental, veterinary or higher scientific qualifications; or in senior positions in healthcare and related fields.

にあてはまれば会員となれる。Jane Plantは地質学環境科学で十分にこれをクリアする。だって大学教授長年やってるんだもん。

「終身」については、偉いのではなくて、単に老い先短いと会費を一括払いして節約できるというだけ。「王立医学協会」って、要は学会だからねぇ。

http://www.rsm.ac.uk/membersh/rates.php#life

本人の健康宣伝目的個人サイトでも、経歴的にはこれはあきらかで、健康法の話はまったく関係ない。

http://www.cancersupportinternational.com/janeplant.com/science.asp

http://www.cancersupportinternational.com/janeplant.com/prof.asp

過去多くの実績があり、キャリアを築き上げてきた学者が、ほぼ一線の研究からは引退するタイミング

奇妙健康本を自分キャリアを利用して売り始めました、という以上のものではない。

最初の健康本を出してから2年ほどで RSM に終身で入会しているが、 RSMが拒否する理由はない、という以上のことはないだろう。

日本健康本業界的には、背景が見えないで英語情報にあたらない人たち相手に、話を歪めて宣伝しているわけだな。

2008-11-19

担当警察とかどうですか。

担当医みたいに担当警察がいたらちょっと安心じゃないだろうか

普段は季節毎に一回、世間話をする程度でいいからさ。

顔と名前を知っているというだけでも安心感が違うと思う。

警察が身近になると(動機の薄い)犯罪はちょっと減るんじゃないかな。

そして何かトラブルがあっても気軽に相談できるようになると思う。

犯罪はへらないかもしれない。よく言う「割れ窓理論」には経済学者からの異論もあるみたいだしね。

でも、日本は「統計上の重犯罪は減ってるけど、体感治安はむしろ減少している」という奇妙な状況にいるわけで、

警官を普段からコミュニケーションを取ってれば体感治安の向上が見込まれて、状況がちょっとは是正されるんじゃないかな。

もちろんコストがどれだけかかるのかとか、

世間話している間にパトロールした方が治安がよくなるんじゃないか」みたいな機会費用の議論も必要なので、

これが絶対に正しい方法だと確信はできないんだけどね。

2008-11-18

[][]2008年11月17日 朝日新聞 クルーグマンの記事 全文

08年のノーベル経済学賞受賞が決まった米プリンストン大学ポール・クルーグマン教授が14日、ニューヨーク記者会見した。深刻な世界不況が始まっており、米国では政府による60兆円規模の経済刺激が不可欠と強調。今は常識が通用しないときだとして大胆な対策を訴えた。主な内容は以下の通り。

経済の数字は日ごとに悪化している。すべてが、がけから転がり落ちているようだ。消費支出、小売販売額、失業保険の申請・・・。様々な指標を見れば、我々が世界的な大不況突入しつつあるのは明らかだ。だから、多くの対策が必要だ。米国失業率来年末までには8%か9%程度まで悪化するだろう。一方、完全雇用状態を示す失業率(自分に合う仕事を見つけようとするための失業などを除いた失業率)は5%程度と見るのが妥当だ。実際、この10年で2度、インフレを起こさずにその水準まで下がった。

失業率の変化と国内総生産(GDP)の関係をしめす「オークンの法則」を使って大雑把に計算すると、米国は、GDPの7%分も生産額が足りないという状況に直面しつつある。このギャップを埋めるには、巨額の財政支出による景気刺激が必要だ。「乗数効果」を計算に入れてもGDPの4%(約6千億ドル)の支出でも、まだやや足りないと思う。

こんな数字を言うと、人々はあごが外れるくらいに驚くだろう。しかしこれが現状なのだ。普通不況ならば、財政がすべての重荷を背負う必要などない。連邦準備制度理事会FRB)による利下げで間に合う。

しかし今や、利下げは限界に来ている。(政策金利の誘導目標になっている)フェデラルファンド金利が0.29%まで下がる例も出てきた。アナウンスはされていないが、すでに日本で採られたような「ゼロ金利」政策が事実上実施されているようなものだ。だから巨額の財政出動が必要なのだ。

その支出を何に使うのか。必要な刺激は非常に大きい。十分な使途を見つけるのが難しいくらいだ。基本的には、考えつく限りの事が出来る。インフラへの支出や州などの地方政府への補助、失業手当の増額。低所得者向けの医療保険を拡大したり、失業者にも医療保険を適用したりする事も挙げられる。これらはすぐにできることだ。

一方、医療保険を全国民に広げる法案は施行時間がかかるので、刺激策には含まれないだろう。グリーンな(再生可能)エネルギー環境への投資も有効だが時間がかかる。即効性が期待できるのは道路などのインフラ整備だ。たとえばハドソン川をくぐる2番目の鉄道トンネルなど、計画中のものを前倒しする事も出来る。

こうした支出をすれば、政府部門の債務GDP比でかなり上昇する事は確実だ。しかし、今は債務の増大を心配すべきときではない。

合理的判断のできる政府を持つ先進国なら、高水準の債務残高に相当期間は耐えられる。日本がそれを示してきたし、ベルギー債務膨張で混乱するような事態に陥ってはいない。いずれはもっと多くの財政収入が必要になるのだが、それすらも今は心配すべきではない。

ゼネラル・モーターズ(GM)などの自動車産業を救済すべきかどうかは、極めて難しい問題だ。もし救済すれば、ここに至った経営の失敗を今後も続けさせる事になる。しかし一方、この危機のさなかに自動車メーカーが消えていくのは避けたい。正しい事でも今はなすべき時ではない、という事もあるのではないか。

金融政策が影響力を失い財政政策しか残っていないと言うのは、「不思議の国のアリス」の世界だ。この世界では貯蓄を高めるのが悪い事で、健全財政も悪い事。逆に完全にムダな政府支出が善いこと。「あべこべ世界」だ。ここには長くいたくない。

奇妙経済学」を永遠に続けたくはない。しかし我々は今そこにいるのだ。完全雇用に戻りフェデラルファンド金利が5%になれば、もとの世界に返れる。しかし、今は違うのだ。

世界不況を克服するには、G20のような国際協調によるグローバルな景気刺激策が必要だが、残念ながら当事者能力を失ってるブッシュ政権の下では力強い合意は期待できない。米国中国財政による景気刺激策をとる方向には進んではいる。しかしたとえば各国が一斉にGDPの3%に相当する景気刺激策を採るといった合意は、すぐには望めないだろう。

我々は新興経済諸国の危機にも直面している。少なくとも97年の通貨危機に匹敵する規模の危機だ。先進国の危機対応に追われがちだが、通貨や信用の危機、突然の資本流入の停止などの深刻な事態に対応しなければならない。

国際通貨基金IMF)の改革も大きな課題だ。IMFは数十年にわたって、世界のパワーを反映した運営がされてきた。90年代には米国の政策を広める機関のようにみなされてきた。本当はより独立した機関が必要だが、ともかく現状よりましな機関にしなければならない。今は危機に陥った国々に対する国際的な「最後の貸し手」がかつてなく必要とされているときだ。

こうした危機になれば、アジア通貨基金をつくればいいとか、欧州連合EU)の事には口を出さないでくれとか、ワシントンの機関が牛耳るのは嫌だとか、いろんな意見が出ると思っていた。しかし、実際には、みんなが、IMFにしっかりしろと望んだ。これは興味深い事に思える。

米国はかつてのような覇権国ではない。貿易政策ではすでに長い間、EU米国が並び立っている。米国世界最大の国民経済であり続けるだろうが、10年か15年後には、米国ユーロ圏、中国インドが四つの大きなパワーになるだろう。世界はより複雑になっていく。最後に日本について助言するとすれば、「景気を刺激せよ、刺激せよ。ゼロ金利に戻れ」。これに尽きる。

2008-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20081113220142

はいはい、誰が読んでないといったかね?読売の著者インタビューも忘れてないかね?

読んでいるなら読んでいると言えばいい。しかし、その私の問いにこれまで一言も応えていないのだから、こちらとしては判断のしようがない。エスパーでもあるまいし。

著者のインタビューアブストに当たるとして、ひとまずは読んだことにしておこう。

そして誰が書評をしたのかね?

さて誰が書評すると信用足りえるのか。片方の言語学専門家とやらになると、学歴経歴がはっきりしないのだから、全く信用にたるとはいえないだろう。海難記の人はわりとはっきりしているし、梅田氏も同じ。となると、元増田が判断を何処に求めているのかさっぱり不明。専門家が常に信用できるなら、世の中こうはならないだろう。

また似非科学伝道者とて、一応あやしげなところから博士号を取得しているわけなのだから、ひょっとすると学位においては程ほどの信用力を獲得していると見なされるのかもしれず、元増田はこれを信用してもおかしくないのだが。

あの本を引用して書評してるのはいくらでも見つかるし、その引用部分見ただけであの本がトンデモなのはすぐにわかるんだけどね。

そもそも数ある書評の中から、梅田氏の書評もどきのやつだけを否定することが可能なのか、その理由さえ示されていない。どうしてだろう。教祖様が梅田氏を否定しているから??

さらに、引用部分が、著書はいうまでもなく過去学問においてどのように敷衍されているのかを理解しないといけないのだが、元増田はそれが可能であろうと推定するに十分な学歴や相応のトレーニングを積んできたとも思えない。つまり理解する能力がないにもかかわらず、トンデモと非トンデモを分類していることになるのであるが、これはあまり奇妙で且つ不可解すぎて。

そうやって人をどうしても馬鹿にしたいのってなんでなの?あなたの教祖梅田さんや弾さんが批判されたのがそんなに悔しいの?

なにより教祖っていうのがすばらしくいいひびきです。元増田教祖様を教えていただければ幸いですが、その前にこのような発言をしている人は、あまり頭が良くないと見られるんじゃないかと思うのですがいかが?書評の良し悪しにも、たぶん主のオーラが直結しているように推測されるのだけど、そうするとこの元増田も自身でマイナスイメージだけを積み上げているようにしか見えないです。

最後に、総表現社会になれば、本当に権威があるのか不明な権威にすがりつくトンデモクンがイナゴのように大発生する。何しろ自分には権威もなければ、判断する能力も何にもないんだから。このようなプチ教祖様にすがりつく信者様がイナゴ。ネット社会は大変だあ。殺虫剤を作れば一儲けできるね。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん