2008-11-29

新・アニメ批評 アニメーションにおける「原作至上主義」について

というエントリを読んだ。

http://keiesworks.blog122.fc2.com/blog-entry-255.html

いや、読もうとした。

小賢しい!小賢しすぎて読めない!

なので翻訳してみた。

翻訳の過程でこぼれ落ちた何かに対しては、俺はまったく興味を持てない。

エントリの筆者にはこだわりがあるんだろうけどな。

はい、みなさん、こんにちわ、こんばんわ、おはようございます。さて、本日テレビアニメーション(以下アニメ)における「原作至上主義」という言葉について考えてみたいと思うのです。

1 原作至上主義のふたつの定義

 ざっくばらんに分けると、この言葉にはふたつの意味しかございません。

  1. アニメ製作者が、原作をできる限り再現しようとすること。
  2. アニメ視聴者が、原作の再現の度合いでアニメを評価すること。

2 問題の提起

 原作至上主義の問題について考えようと思えば、少し整理しなければなりません。

  1. 漫画小説アニメとは表現形式が違う
  2. だから原作アニメで忠実に再現するのは無理
  3. 原作至上主義は商業主義だ (増田注:途中までしか読んでないので、ここはまだうまく訳せていない)
  4. アニメ製作者には、原作を重視したい人と原作を壊したい人がいる
  5. アニメ視聴者には、アニメ制作者の意図を分析したがる人と、作品そのものを分析したがる人がいる

 原作至上主義の問題には、これら5つが絡み合っています。わたしは仕事がら、ずいぶん前からこの問題が気になっていました。けれども、真面目に考え始めたのは、「noir_kかくかたりき改めnoir_kはこう言った」さんの記事に触発されたからでございます。『ひだまりスケッチ×365』や『かんなぎ』などのアニメについて論じたエントリはとても興味深い。研究者職業批評家の分析と比べても、ずっと興味深いのであります。

 noir_kさんの立場を強引にまとめると、アニメ制作者は原作依存しすぎだということ、これがひとつ。もうひとつが、アニメ視聴者原作を無視し、アニメを重視しすぎているのではないか、というものです。

 そこで、わたしもnoir_kさんの視点に乗っかって、原作至上主義という問題について考えてみたい。

3 批評でよく言われている、原作アニメの間(あいだ)

 批評視聴者だけのものではなく、制作者のものでもあります。制作者が批評をするということは、先行する作品を批判するような作品を作るということです。『ガンダム』や『エヴァンゲリオン』のようなアニメはもちろん、さまざまなテレビ番組インターネット映画ゲームコミック小説新聞美術作品などの批判です。

 現在アニメにおける批評行為は、新房昭之山本寛以降、“アニメ批判・パロディ引用自己言及”とまとめられます。これは誰の目にもあきらかでしょう。

 これらの批評行為は、原作アニメとで表現形式が違うので忠実な再現は不可能だということを忘れさせるような、ジャンルの横断可能性という最近トレンドを反映したものにもみえます。ちなみに実写映画の技法を引用するのは、早いもの勝ちですし、技術力の問題でもあるというのが、実情でございましょう。

 ですから、noir_kさんの立場が重要なのは、ジャンルの横断可能性が大前提とされている制作環境に、「メディアが変われば意味も変わるんだよ」という鋭いツッコミを入れていることであるように思われます。

ここまでで限界!もう無理!

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん