はてなキーワード: バーキンとは
バーキンを再投稿している奴がいて、そこにトラバするのは憚られたので、勝手に書かせてもらう。
昨日、バーキンを食べた。
メニューは限定だけど、2個で500円というので買いに行って食べた。
個人的には普段なら絶対食べない(=食べる価値の無い)バーキン。
どっちも要らないなあ。
バーキンすきなの?だせえ
仕事柄バーキン持ってそうな人々と会話するときも、自分の生活圏内でバーガーキングに行くときもあるが、正直どっちでもいい。会話の流れでほとんどわかるから。「バーキンが欲しいなぁ」と「バーキン食べたいなぁ」って区別できるでしょ。問題なし。
↑↑↓↓←→←→バーキン
バーキンって興奮すると大きくなるやつだろ?
ネタにマジレスで申し訳ないが、残念ながらこういうレベル感の女が憧れるのがバーキンなんだなと改めて確認。低俗な女同士でのランク付け精々頑張ってくださいな笑。
ワイはフレッシュネスバーガー
バーキンと聞いて真っ先に頭に浮かべるのはエルメスのカバンなんだよ。あれはいくら金を持って店に行っても売ってない。お得意さんが何百万何千万と買い物してやっと奥の方から出してくるようなカバンなんだ。高い金を出して買うエルメスのノベルティーグッズと言っても過言ではないマニア垂涎の代物だ。だから小金を持ってるご婦人方が何とかして手に入れようと試行錯誤を重ねて人生を擦り減らしながら頑張ってる。バーガーキングとか言う庶民の食い物をバーキンと略されると殺意を覚えるの。お前ら貧乏人には金持ちの気持ちがわからんのよ。エルメスで買い物したことあるやつはバーガーキングをバーキンとは絶対略さない。とにかくバーガーキングをバーキンと略すのは馬鹿丸出しでクソだせえからやめろ。どうしてもバーキンに縮めたいなら「俺はクソ馬鹿なんだけど」という枕詞をつけろ。それか死ね。
最近、金余りがすごすぎて、いろいろな高級品が買えなくなってきている感じがする。
たとえば、TOYOTAの高級車、アルファード。新型が発表されが、開始一週間くらいで予約が殺到し、生産できるものは速攻でなくなってしまい、今では「予約すら受け付けない」という状態になっている。最後に予約した人でも納車が2年後以降だし、新規で予約しようとしても無理。
ROLEXやパティックフィリップなどの高級時計は、もうブティックにはほとんどない。店によっては「1点もおいていない」というケースもある。ROLEXマラソンと言う言葉があるように、数年、店を何度も訪れて、ようやく買えるかどうか、というレベル。パティックフィリップのノーチラスやアクアノートに関しては「正規店での購入履歴が大量あると、予約ができる」というのはあるものの、「まあしばらくは入ってこないし、そのまま廃盤になる可能性が高いので、無駄になると思いますが、予約を受け付けることはできますよ」くらいの対応をされる。
エルメスのバッグ、たとえばバーキンなんて、「毎月のように大量にお金を投下している顧客にだけ買えるが、その場合も、人気がない色やサイズのものしかでてこない」というのがほとんど。「お金を大量に持っていて、ステータスもある人だけが対象」という感じになっている。テレビでみない日がない人気タレントが金を積んでも買えない、みたいなことが起こりつつある。
不動産も、「三田ガーデンヒルズ」は、坪単価1300万円を超え、4LDKで55億円を超えるにも関わらず、人気すぎて、内覧が断られるレベル。 最多価格帯は3億8000万円台だが、倍率が2.5倍などで買うのが大変。
飲食店でも、単価が5万円や10万円の店の予約を取るのがとにかく困難。つてや人脈がないともはや抑えられないレベルになっている。こちらはインバウンドのニーズもあるので、より大変。ホテルは言うまでもなし。
金がないと買えない、というレベルはとっくに、金があったとしても買うのが困難になってきている。とにかく金が余っているし、使い道もあるのに「需給が一致しないで買えない」という状態が続いている。
「金があればなんでも買える」という考えについては、肯定派もいれば否定派もいると思う。否定派は「愛や人の気持ちは買えないんだ」だったり「品格や生まれは買えない」などを言うのが定番だが、そんなレベルじゃなくて「金をつめば買えたものが買えなくなっている」という感じがする。
ちょっと前まで、時計やブランド品などは、ネットでの中古市場などにいって、金を1.5倍とかつめば買えてしまう、というのがあったが、そこすら枯渇してきている状態。
以前はあれを食べれば満足みたいな好き嫌いがあったけど、最近はどんな食べ物も「普通」の枠に収まってきた。
代わりに気分に支配されるようになってきた。
餃子の口になってる時に餃子を食えれば大満足。でもそうでない時に食ったって普通の食事でしかない。
常日頃餃子を食べたいと思ってる訳でもない。
その気分になってさえいれば、餃子の満足度と他の食べ物を食べた時の間にさほどの優劣はない。
前は唐揚げだけちょっと頭一つ抜けた好物で、いつ食ってもそれなり以上に満足だった。でもそれすら最近は気分に飲み込まれるようになった。
これが加齢の始まりかと思ったけど、流石に23でそこまで体調が影響するなんて事もなさそうだし。還暦過ぎの親父は脂っこいもん喜んで食ってるしおれより食欲旺盛だし、その辺は完全に人によるんだろうな。
満足度の優劣はないけど、気分の波が来る頻度には差がある気がする。それがより好き、あるいは少し劣るって事なのかもしれん。
そもそも好き嫌いってそんなもんなのかもしれんけど、それにしたってここまで気分に左右される事はなかった気がするんだよな。
嫌いって訳じゃないけど、納豆の口になる事はほぼない。嫌いではないけど好きになる機会がほぼ訪れないので、普通という括りになる。
チョコは別に嫌いって訳じゃないし、その気分になってる時に食えば満足できる。
でもそもそもチョコの口になる日が滅多にこない。貰い物を永遠に放置する事がザラにある。これも「普通」かな。
口にできない食べ物はないけど、明確に嫌いな食いもんははっきりしてる。生の貝はいつ食ったって嫌い。
あんまり箸が進んでない時に「嫌いなの?」って聞かれると、「嫌いではないけど気分じゃない」という感覚を説明するのが面倒。そもそも面倒臭い奴だと思われるのが面倒臭いだから適当にいなすけど、そういう嘘は後になって自分を苦しめるし。「好きだって言ってたじゃん」とか言われてアンビバレンスに挟まれながら食う飯はさぞ不味かろう。
しかし食べてて本当に「無」になるモンなんてそうないだろうし、好きか嫌いかに少しくらいは傾いてるもんだと思う。そういう意味では「普通」も正確にはほんのりと嫌い寄りかもしれん。
鬱病の人間は飯が楽しくなくなるって言うらしいけど。確かにタルメンは万年終わってるけど、別に食事がつまらん訳でもないしな。
嫌いと普通だけが確定してて好きだけが気分次第で訪れるってのも自分に振り回されるみたいだ。その時の気分はその時の自分にしか分からないからちょっと不便。
ただでさえ人と飯行くのあんま好きじゃなかったのに、その上満足な食事にありつける確率が下がったみたいで人付き合いの億劫さが加速するな。