そもそも、最初の版は“ある程度はハッピーを感じさせるラストにしないと観客に受け入れられない”という映画会社の圧力に屈してああいうラストにしたんじゃなかったっけ?
ディレクターズ版公開の時点ではすでに伝説の映画としての地位を確立してたから、そんな“ロマンチックな映画”と思って見に行ったニワカは多くなかったんじゃないかなぁ。
暇なんちゃらさんは知名度が上がればなんでも良いんだろうけど、石丸伸二さんは対談なんかしてメリットがあるんだろうか
暇なんちゃらさんの支持者の票を期待しないといけないほどの劣勢を理解しているということか
ググってみたけどGalaxyFoldは(折り畳める)画面を内側にして折り畳むタイプ。
俺の言い方が悪いのかも。俺は(折り畳める)画面を外側に向けた状態で折り畳めるスマホを期待してるんだよ。そうすりゃ無駄なサブ画面要らないし、どの様に折り畳みを実現するのかが興味の対象なんだよ。
実はこの年、この映画に先駆けて『ブレードランナー ディレクターズカット版』が公開されていた。
あったなあ~!懐かし!
…それまで巷間に出回ってた版に監督がエラく御不満でー、という触れ込みだったが、それまでのバージョンで「ロマンチックで感動的な良い映画」というのを聴いてオススメされてたニワカがディレクターズカット版で初めて触れて「ぜんぜんロマンチックじゃない!騙された!」と泣いて怒った()という話を友人から聞いたことがあった。
ビデオで日本語版に触れてたワイは原作小説とは異なる作りとラストのロマンチックな終わり方にそれなりにこれはこれでと思ったけど、ディレクターズ版は『二人の危機は続く!この後どうなる!?』てエンドにしちゃってて、どうもそこが件のニワカさんには受け付けなかったらしい。
男の中で下品なこと言いまくって笑いとってるやつが
女に人気でないのと同じ
おなえたちのホモソーシャルの中では心地いい相手かもしれないが
女にとっては不愉快な男というのはあり得る
コロンブスMV炎上が気に入らない増田が多いように見えるのは、まず増田に匿名で長文を書こうなんていう人間は、基本的に陰湿性・反社会性を持っていて逆張りが好きなこと、そして協調性・共感性が低く社会常識に乏しいため、どこに問題があるか直感的に理解できないこと、さらにグローバル・西欧の倫理観に反感を覚える島国感情が根強く、偏った独自路線を好むため、論理的にも受け入れられないことが大きいだろう。
この迷文を読むと
不幸には優劣があり
愛する人や身近な人を失った人は誰からも尊重されて大目に見られるべきな最上位不幸カースト
ありとあらゆる場面で優遇される、当たり散らしても許される
かたやワイのような生まれながらの発達障害は生きてるだけで罪だもんな
障害のせいで大鬱にも何度かなってるけど、それでも同情されない
発達障害は毎年死んでるけど、誰も気にしない
同じ不幸ならこの人みたいに
「誰にでも自分の不幸を振りかざして怒り当たり散らせる」
「誰にでもヨシヨシしてもらえる」
そんな不幸が良かった。ワイは不幸カースト低すぎ
身近な人を失った人って
こんなに尊大になっても許されるのか
正義ぶって他人を叩きのめせるのか、その上で自分は正義の使者だと酔えるのか
いいなあ、ワイもほしいその不幸
欲しい欲しい欲しい
ワイのような不幸には「さわんなゴミが!!」ぐらいに思うんやろな
なぜ普段ならありえない反射神経で避けれるの?