いいよな女はイージーモードで
小学校の給食でクジラの竜田揚げが人気メニューだった記憶があるのって、もうアラフィフ以上の世代?
まあこういうのは地域性とかもあるんだろうけど。
小学校のころ、“もうすぐクジラの竜田揚げがでなくなる”という話題になったのは記憶がある。
中学も給食の地域だったけど、多分、中学ではもうメニューになくなってた。
で、記憶の中では確かにクジラの竜田揚げはそこそこうまかったんだよな。
今、クジラ関連のブコメみると“まずいから売れない”ってコメント多いんだけど、あれ、なにかうまく食わせる調理法とかノウハウがあったのか、慣れの問題なのか。
元増田は劣ってそうに見えるものを貶めて相対的に自分の順位を上げて喜ぶタイプの人間だろうけど、それはそれとしてなろうやラノベはプラットフォームとしての価値はあるが作品一つ一つは概ね粗悪だろと
民主党がリベラルとか左翼とかであると思ってる時点で...アレは単なる烏合の衆。左翼もリベラルも保守も極右も極左も反日も鳩山もなんでもござれのアホ集団だった。あんなのと一緒にされたら迷惑よ。
そんなことより肛門臭を嗅げ😡
なら少女マンガの主人公はオッサンでいいのか、って話になってくる
読者の少女は、マンガの主人公の少女に自分を重ね合わせて感情移入するし
彼女の陥った危機や喜びを共有して、モラルを学んで、一緒に成長できるんじゃん
エロ漫画を愛好する男は好んで、女性が脱ぐエロ漫画を求めるだろう?
フィクションと現実が切断されていたら、性別はランダムになるはず
一般のミソジニー男性は「この性格なら巨乳じゃないだろ」と偏見にタカをくくって女性に迷惑かける
実際に会ったときに「巨乳だと思ってなかった」とビックリ、したりするのさ
「『性格にふさわしいバストサイズ』観念をフィクションには抱くが現実には持たない」
そんな高度に特殊な切り分けを、私や貴方が、会得するのは可能だろうけど
一般の人々には到底期待できないって事だよ
原作もジブリ版も観たことないからかもしれないが、まぁ、これと言って嫌う理由もなくかといって褒めるでもない普通の映画だった
互いに夢を追うという過去の恋人との約束に囚われ、物理的にも才能的にも恋人との距離を感じている中、うまく行かない現実に苦しむ主人公が夢は諦めないけど過去と決別し、等身大の自分として夢を追い直す
といったストーリー
まぁわかりやすいし、夢を追う原動力だと思っていた彼の存在が実は枷だったという展開もありきたりではあるが、大抵そこで彼と別れた主人公が現実に帰るところを心新たに夢を追い続けるという展開は希望のある終わり方で良かった
のだが
なぜよりを戻す?
帰ってくるなよ
イタリアに骨を埋めろよ
おそらくこれはジブリ版のファンへのファンサービスというより配慮なのだろうが、ラストシーンは完全に蛇足だった
それで全てぶち壊しされたまである
ただ、とりあえずラストシーンは主人公というか宮崎駿の妄想ということにして、その前のシーンまでを本編として普通の映画という評価を下した