徳子のことかー!!!!
と、今年の正月、2人で行った初詣の帰り道に小5の甥っ子が言った。
甥の言う「良い事」とは、初詣中に車椅子の手助けをしたことだ。
親娘のように見える80代くらいの車椅子に座ったおばあさんと、60台くらいのおばさんが自分達の前にいた。
神社の敷地に入る所に段差があり、中々上がらないようで、「良かったら押しましょうか?」と声をかけ、
手伝って押し上げた事。もう一度、今度は拝殿前にある階段、あがるのは娘さんに支えられ自分の足で上がりはったが、
車椅子は階段の下のままだったので、今度も声をかけてから車椅子を上に運んだ。
甥の言葉は公正世界仮説とか、因果応報とかそういうものの表れなんだろう。
俺は因果応報も公正世界仮説も信じないし、おみくじも信じない。
だから、大吉引こうが大凶引こうがふーんて感じだし、一人ならおみくじ引かない。
俺は甥に嘘付いた酷い人間なのかな?と逆にそんな事を考えてしまう。
そもそも、今のご時世だから、参拝も1組ずつってことで、神社の入り口の外までずらーっと並んでた。
車道の邪魔にならない様に道なりに折れて並んでたのに、車椅子の親娘は俺と甥が目に入らなかったのか、
俺達の前に並びやがったんだよね。「ワレなに横入りさらしてくれとんねん、どこに目ェつけとんのや!」って
心の中で一瞬沸騰したけど、直ぐに「まぁ急いでないし別にええか」となって上記のお手伝いしたんだけど。
まぁ普通それくらいはするよね。
心の中で悪態付いた因果はどういう応報として帰ってきたのだろうか……まぁ応報なんて無いんだけどね。
甥っ子はいつどうやって因果応報的な考えを身に着けたのかなぁ?と正月から暫く考えてたんだけど、
基本そういうお話おおいし、子どもが触れるコンテンツは特にそうだから、そう考えるのは自然なのかなぁという結論に至った。
甥っ子は喋り始めるのが結構遅くて、ちょっと鈍くさい所も多いのだが、親の教育がいいのか心根はまっすぐでいい子に育ってると思う。
子供ってよく他人相手にも「あのね、たかくんとジョイいったときにね、」みたいな話し方するよね。たかくんって誰って思ったら幼稚園の友達で、ジョイってどこって思ったら地元の個人経営の雑貨店みたいな
世の中0か100かじゃないんだよね。
全部建前か全部本音かってわけじゃない。
7割建前の中に3割本音を混ぜ込ませたり。
10割本音で言ってたとしても、「開示していい本音」を選択してたり。
俺が全て本音で生きてたら「あ〜オナニーしたいなあ」とか職場で言わなきゃいけなくなる
でもそんなことやってる奴はいないんだ
代理じゃないやつだろ
避難したウクライナ人女性がたくさんの支援を受けて避難先で出産したというニュース
猛烈にこの立場になりたいと思った。ちな男
特別扱いの悲劇のヒロインになりたいという悪魔の感情だよな。コロナがやべーときもコロナで重めの症状になってドクターやナースから予断を許さない状況の患者として病院でケアをうけて〜って思ってた。俺にはそういう感情を持った悪魔がすみついているらしいな
うわ、代理ミュンヒハウゼン症候群か?!って思ったけど、仮に出産したら子供を傷つけたくないんだよね。むしろ子供を育てるために自分が悲劇のヒロイン演じる。市役所とかで。んで生活保護ゲットとかするとおもう。
部落民なんだろ ほっとけ
金持ちッスね(いらんけど)
母親に友人が出来ない悩みをを打ち明けたとき、「だから友人が出来ないんだ」と弱みを突かれた経験がある。かなりショックを受けて傷ついた。
親から叱られたり怒鳴られたりする経験も頻繁にあった。それだけ自分を守る意識も強くなっていったように感じる。
素の自分を出したとき、否定的な反応が返ってくる環境で育ち、徐々に「素を出すのは悪いこと」という認識が生まれた。
それから心が閉じていき、自分の気持ちを我慢することが常態化。
結果として、素直になれなくなった。
今思えば、行き過ぎた教育やしつけを受けてきた。
両親は見栄・体裁・世間体にこだわる人達で、彼らも防衛本能が強い人達だったのかも知れない。
人見知りなのも多分傷付きたくないから。
たとえば「嫌われたくない」から「嫌われてもいい」と考え方を変えれば、心持ちは変わるのかも知れない。