これも同じ奴の創作かなあ。
「せやねん」とか「ちゃうねん」とか関西弁風の何かを遊びでいうのが現地の仲間内で流行っている。
言葉は大阪弁なんだけどイントネーションが違うのでわざとなのか聞いたら
そこまで真似するのは難しいとのこと。
「憧れがある」とかふわっとかわされた
ホンマか?まじ謎の生態である。
最後の文節、がんばったね~♪
気合い入れて設定考えたら肝心の文章の方が途中で力尽きたという感じがする。とりあえず考えた設定は全部盛り込まなければ!という気持ちが先走ってる感じというか。
コーヒー(あるいは茶)にはカフェインが、酒は言わずもがなアルコールが含まれる。こういったものは適正量を摂取していれば健康に大きな害はないのだけど、それでも健康リスクがあることは有名。そしてこういったものほど拘りが強い人が多い。
コーヒーなら豆の選定や焙煎、淹れ方、器具などこだわる要素は多い。酒に関しても、長い歴史の中で国ごとに文化が形成されている。酒だけでどれくらいの書籍が出版されたのかは検討もつかない。
思うに人類は健康を害するとわかってる食べ物にハマる傾向があるのではないのか?というか依存性や中毒性が高いものに無駄な嗜好を傾けるのはなぜなのか。
俺は酒もタバコもしないから、ビール1つとっても種類が豊富なことに全く理解が及ばない。酔っぱらってしまえば味もなにも関係ないだろうに。寄った人の味覚がどれほど優れているというのか。麻痺した感覚で嗜む酒にどんな魅力があるのかよくわからないが、それでも人類というものは酒に異常な執着を持っているように思える。身体を害し精神に影響するものほど味や見た目などを追求している。
ミステリという勿れ第二話見た。
一話は菅田将暉演じる整の語りが心地良かった。
でも二話は少し気味の悪さを感じた。
何故か自分のコンプレックス暴露大会になってしまった、自分の罪を語るシーン。
語りに割り込んで、ふてぶてしく理屈めいたようなことを語る整。
流れてくる良い感じの音楽。
整の言葉に聞き入る全員。
流石にあの整マンセーの空気は、どこか気味の悪さを感じてしまった。
ミステリという勿れ第二話見た。
一話は菅田将暉演じる整の語りが心地良かった。
でも二話は少し気味の悪さを感じた。
何故か自分のコンプレックス暴露大会になってしまった、自分の罪を語るシーン。
語りに割り込んで、ふてぶてしく理屈めいたようなことを語る整。
流れてくる良い感じの音楽。
整の言葉に聞き入る全員。
流石にあの整マンセーの空気は、どこか気味の悪さを感じてしまった。
鬱になって分かったけど、鬱になるとこれが全部できなくなるぞ!
まずは風呂に入らなくなって、次に眠れなくなって、気づいたら食欲もなくなってた。酷いときは、トイレに行くのがギリギリのライン。トイレに行って、水を少し飲んで、ソファに座って、無気力とたまに襲ってくる焦燥感と無力感に振り回されて、でも何もできない…と思わされながら、いつからかテレビで再生されていたYouTubeを見るわけでもなく、いつの間にか外が暗くなって明るくなって、あれ?寝たっけ?寝てなかったっけ?薬飲んだっけ?飲んでなかったっけ?あぁ~~ちょっと落ち着いてから考えよう…みたいな感じで過ごす日々になる。
何言ってんだもっと雑でいいぞ
なんなら最初と最後以外ごっそり抜け落ちてても面白がれるのがオタク
だいたい世の中何でももっと雑でいいんだよ
金払いとか救急みたいな命に関わることだけキチッとしとけばいいんだよ
増田に入り浸ってること