朝から晩までツイートしてるツイ廃ママだなとかホームいってみないの?
https://ico-iiwake.hatenablog.com/entry/2018/10/10/051953
それ全部同一人物
お金を払ってそういうところに行ってください
直ケツしている
めんどくさいと言って声を上げないタイプだからゴミ箱にしやすいんだよ。
後輩程度にビクビクしなくて済む。(え?私お前ムリなんだけど。の一発で退治できるレベルになれる)
こんな先輩が私のところにもいてくれたら。
数の暴力じゃない?
まー難しいところで,私としては「私の分野の若手はみんな査読論文書いてるけど? というか大御所も査読論文書いてるけど? 私が出せそうな学術誌はたいてい査読つきだけど?」と言いたい気持ちはあるし,査読論文1本で教授は流石に……と思うけど,一方で分野の違いとか以前にうちの年配のすげー学識ある先生でも昔の人だから若い頃査読論文は書いたけど最近は依頼されて書いたやつばっかり,みたいな人がいるし,でもその人の論文は面白かったり.査読なしの論集にすごく良い論文が載ってるときもあるし,そこを否定したくないという思いがあるから,
という主張をしているんだけど,同時に事実として最近の学術誌はだいたい査読つきだし若手はそこに通して一人前な風潮があったりするわけだから,
とも言い続けないと,「文系は査読してない」と勘違いする人が出てきちゃうんだよね.どっちも言うって地味に難しいことだけれど.
要するに色んな形で論文を発表するルートがあって,その過程に査読が噛む場合と噛まない場合があり,広く投稿を募っている場合は査読ありが多く,信頼できる研究者に執筆を依頼するような場合は査読がないこともじゅうぶんに有り得る,というのが私の分野の相場観かな.
まー過渡期ってやつなのかね.欧米だと著書にも査読つけることが多いっぽいし.ただ日本だと学術書と一般書のあいだの垣根って低いからなぁ.たとえば中公新書の『応仁の乱』が人気だけど,あれは一般向けレーベルで応仁の乱を一般向けに解説した一般書であると同時に,先行研究を挙げて批判し,きちんと史料と向き合って独自の解釈を打ち出しているという意味で研究書・学術書でもあるんだよね.講談社選書メチエとか,そういう汽水域がかなり広い.今日本で査読つけてる学術書って,どっかの大学の出版会だったり,査読つきの本を出版するための基金を社内で組んでたりしてて,純粋に商業ベースで勝負してる本じゃないんだよね(出版助成取ってる学術書なんて,もう学術振興会が裏打ちした自費出版とか同人誌みたいなもんでしょ利益という点からみれば).純粋に商業ベースでやってるレーベルの本にまで一律査読つけろというのはなかなか厳しいと思うけど,そのへんは商業出版側にも意識の変革が必要だよなとも思うので難しいところ.
(;゚ロ゚)ハッ キミガオタクカ!
自分も正直感想はいらないタイプの描き手だったしそれを主張したかった。
だけどまわりは感想が欲しくない描き手はいない! 感想は送るべき! 感想を送ることは素晴らしいこと!! と主張してそうしてコメントをリツイートしてた。
それがだんだん感想がいらないという奴なんているのか? 創作をしてるのにそういう奴はおかしい! 格好つけてるだけ! 感想が欲しくないなら描いたものを表に出すわけがない!! みたいなことまで言われるようになった。
私は描いた作品を表に出すのをやめた。
描いてるけど表に出さなくなった。
そうすると随分気は楽になった。
感想を送ることが良いことだなんてクソだと思ってる。